《兆し》3.ルーナのトラウマ
ルーナ・スノウブライトは、妖精族のたくさん棲む町に生まれた。
気候は温暖、雪が降るのは稀な地域で、別段裕福でも貧乏でもない普通の家で育った彼女は平均的な子供だった。
母譲りのシルバーブロンドの髪、澄んだ瞳は本を好み、はにかんで笑う、妖精族ではごく普通の、少しだけ魔術が使える家系に産まれ、兄弟はおらず、両親の愛を一身に受けて育った、幸せな子供。
専業魔術師など稀な世界で、普通の家に生まれ、普通に育った、平均的な子供だった。
成長して、魔力が増え始めるまでは。
ルーナが成長し、魔術の兆しが見え始めた頃。
ルーナの周囲で、奇妙なことが起き始めた。
それは、彼女の近くにあったものが異常なほど劣化したり、小さな次元転移が発生するほどの異常な魔力偏差が起きたりといったものだった。初めは、少しだけおかしな事だと思われていたが、それも続けば注目される。特に、次元転移は、神隠しを引き起こす主な原因でもあり、放置はできないものだ。
疑問に思った両親が調べてみると、その原因はルーナの魔術特性であることが分かった。
“存在吸収”
それがルーナ・スノウブライトの魔術特性である。
魔術特性とは、その者の魂に基する魔術の有り様と言われ、そのものが得意とする魔術、またはその性質に深く関わるものとされる。
そして、存在吸収とはその名の通り、“触れる”ことで、対象の存在を削り、奪って、自らの力とする魔力の在り方だ。この系統を特性とする魔術師は、長く生きれば生きるほど自然と魔力の許容量が大きくなり、巨大な魔術を操ることができるようになる。加えて、この特性を持つ者は稀なため、歴史に残るような大魔術師になることも多い。
普通だと思われていたルーナは、その一点、魂に結びついた魔術の系統が、特殊で希少なものだった。
その事が解ってから、ルーナは両親から多大な期待をかけられるようになった。
存在吸収で劣化する周囲のモノを見て、ルーナ自身はそれを快く思わないのに、両親はそれを褒めて、新しいものを買い与えた。自分の中にあるモノと相容れないという感情は、日に日に大きくなった。そして、それとともに制御できない力は強くなっていき、周囲に力の一端を振りまき、やがてルーナの近くには友達がいなくなり始めた。物を貸せば劣化して返り、直接触れ合えば力を奪われるかもしれないと解かっていれば、だいたいの人間はルーナを避けて過ごす。
それが、家庭以外の全ての場所で起こるのだ。加えて、安心できるはずの家庭でも、両親の期待がルーナに安らぎを与えなかった。ルーナが何をしても、両親は期待を以て褒めることしかしない。ルーナは徐々に内向的になっていった。
もしも、ルーナに才能があったなら、きっと違う人生を歩んでいたかもしれない。けれど、ルーナには凡庸な才能しか無かった。しかも、根が真面目な分、努力は怠らないようにしていたし、手を抜く事を思いつかなかったのも災いした。孤独の中で期待に応えなければと思えば思うほど、ルーナは孤立し、焦り、失敗を重ねる。そんな繰り返しが、長く続く訳が無かった。
『触らないで!』
決定的だったのは、最後までルーナと友達でいてくれた子が、神隠しに遭った事件だ。幸運にもすぐにその子は戻って来ることができたが、それでもルーナを嫌うには十分な理由で、ルーナが友達と呼べる者は一人もいなくなってしまった。
そしてルーナは、孤立した学校や両親から逃げ出して、学院に進学した。
その後、両親からのストレスが和らいだ分、魔術の実力は伸びて、なんとか様になるようにはなったものの、ルーナの心には自分の魔術に対するトラウマじみたコンプレックスを抱くことになった。
…………
「ルーナ!!」
後悔と嫌悪の入り混じった追憶はルーナを捉えたままで、けれどそんな牢獄を破ったのはトウヤの声だった。
呼びもどされたルーナは、止まっていた思考が動き出すのを感じる。そして、トウヤが支援を求めていることを思い出した。
「は、はい!」
急いで、音による魔術にて防護の魔術を編みはじめる。すぐに術式は完成して、いざトウヤに魔術をかけようとしたその時。
『触らないで!』
過去の親友の絶望した表情が、拒絶の言葉と共にフラッシュバックする。
わなわなと震える自身の手には、完成した魔術が開放を今か今かと待っている。
その魔術を、本当にトウヤにかけていいのか。
魔術の中に、存在を奪われたモノたちの怨嗟が渦巻いているような気がした。
自分自身の声が、おぞましい幻覚が、絶望の貌が、ルーナを躊躇わせた。そして、その一瞬がトウヤを危機に追いやることになる。ルーナをあざ笑うかのように、トウヤの死角から攻撃が迫っていたのだ。
サァ、と血の気が引く。過去のトラウマに追従する現実が、ルーナの心を絶望色に染めていく。
ルーナは、そんな絶望に耐えられなくて、無責任にも思わず目をつむる。
けれど、思ったような音は聞こえずに、ルーナは未だ続く戦闘を、再びその眼に映した。
ルーナが視線を注ぐ先。トウヤの死角を守るように氷の盾。それに気付いたトウヤが視線でミスティに礼を言う。
そこに、アズの罵声が入る。
「ぼさぼさするんじゃない!」
その声とともに、追撃をしようとしていた触手を切り裂くアズ。そのままトウヤの一歩前に立ち、嘲笑の一瞥をルーナに向けてから、大鎌で大きく跳びかかっていく。
気付けば、ミスティとアズにマンイーター数体が倒されており、残りは数える程だった。
一瞬動きを止めていたトウヤも、アズに追随して刃を振るう。
力任せに振るわれる大鎌の円弧。揺れる藍の髪の主を、流麗な剣線がフォローする。息があっているとは到底言い難い連携だったが、それは確実にマンイーターを追い詰めていく。
立ち尽くすルーナには、それが何故か綺麗に見えた。
それに比べて、自分はどうなのか。
ルーナは戦闘中にも関わらず、そんなことを思い浮かべざるを得なかった。
アズとトウヤの二人は言わずもがな、ミスティも単独でマンイーターを刈り取っているのに、ルーナは何もできていないのだ。それどころか、邪魔をして、足を引っ張ってすらいる。
そんなことを考えてしまったせいで、ルーナは事態に気付くのが遅れてしまった。
「ルーナ!」
トウヤの叫びが届く時、ルーナに迫るマンイーターの姿。咄嗟に構える事も出来ず、ルーナは死を感じた。
先日感じた、階段からの落下など生ぬるい、明確な死の感覚。
時間が淀み、全てがゆっくりと進んでいく。
ルーナを助けようとトウヤが刃を振るうも、刃はむなしく空を切り。
マンイーターの顎が、ルーナを捉える。
これは、裁きだろうか?
存在をいたずらに吸収し、うまく活用もせず、ただ無駄に大きくなっていくだけの私への。
『触らないで!』
絶望の表情が浮かぶ。
それに比べたら、この程度の死で赦されるのなら、どんなに楽だろう。
諦めていた。
その瞬間に、生きる事を。
これで終わると、安堵した自分がいた。
マンイーターの牙が迫る。
あと一瞬で、終わる。
「《這い回る雷蛇》」
そんな刹那、ルーナに落ちたのは藍色の雷だった。
マンイーターの牙が突き立つ直前、魔術によって雷を纏ったアズが大鎌を振りかぶる。視界が白く染まり、現実はコマ送りの様だった。
現実に遅れるように、ルーナの耳朶を音が駆け抜ける。
思わず目をつむって、次に世界とまみえた時、そこには大鎌を突き立てられて、動きを止めたマンイーターがいた。
「死にたければ、何処へなりとも行って、勝手に死ね」
鋭い視線を投げかけるアズ。
ルーナは、そんな視線を正面から受けることができず、耐えきれなくて目を逸らした。
ルーナのそんな態度を見て、アズはふん、と鼻を鳴らし、興味を失ったようにそっぽを向いた。




