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《記憶の欠片》5.少女たちの過去

「取りあえず、今は休んでいて」

その言葉に、トウヤは再び静かなまどろみへと落ちていく。

そんな静かな時の流れの中で、桜は思う。

神無トウヤという少年は、一体どんな生活を送ってきたのだろうか、と。

桜は、自分の育ってきた環境を思い出す。

幼いころから、桜は母親の疲れた表情ばかり見てきた。神無の分家と言っても、神無から縁を切った一母子家庭なんて、そんな裕福な暮らしができるはずもない。だから、母親は朝から夜遅くまで仕事をして、桜を育ててきたのだ。

けれど、桜はそれが普通だと思っていた。


ある時、神無の人間が家にやって来るまでは。


それはとある休日。

桜と母でくつろいでいた時のことだ。安アパートの呼び鈴が鳴り、桜の母は、はぁい、と玄関へと駆けていく。そして、扉を開けた桜の母は、僅かに表情を曇らせたのだ。

相手は二人組の男。

スーツ姿に鞄をもった姿。そして、黒い鞄につけられた神無の家紋。

まだ幼かった桜は、二人組の男との話で困った表情をする母親を見て、無意識のうちに神無が悪いものなのだと思い込んでしまった。

やがて男たちは帰り、桜は母親に聞く。

『あのひとたち、だれ?』

そう聞かれた桜の母は、やや答えに困ったように微笑み、それから少し考えて、こう答えた。

『お母さんの昔のお家の人よ』

桜はその時、自分の家が神無の分家であることを知った。表の顔である大企業をまとめる神無と、裏の顔である魔術大家である神無を。

そして、それからは母が少しだけ、仕事の忙しくない合間をぬって、魔術を教えてくれた。

神無については詳しく教えてはくれなかったが、それでも魔術の事については、近衛の血の力を狙われるかもしれないから、と母は真剣に教えてくれた。

思えばその時から、母は自分の先が長くない事を気付いていたのかもしれない。

桜が一人で生活できるようになった頃には、既に母は床に伏すようになり、僅か一年ほどで他界した。長年の無理が祟った結果だった。

その後、母が残した学院への伝手を辿り、学院に入学し、今に至る。

そこまで思い返して、桜はトウヤの顔を眺める。

保健室で見たときの鋭い表情とは違い、今はあどけない寝顔を晒しているトウヤ。

彼は神無家の人間だ。

ならば、恐らく桜のような生活など知らないだろうし、想像したことも無いだろう。

と、桜はふと、母の残した言葉の一つを思い出す。

『桜…。あなたには、神無家に腹違いの兄がいるのよ』

もしそれがトウヤなら良かったのに。

桜は無意識にそう思って、何故かそれが嫌な気がした。

と、そんな時。

「トウヤ起きたー?」

フロウが草をかき分けて顔を出す。

桜はそんなフロウに眠るトウヤを指さし、静かにするように示す。フロウはそれを理解して、近づいてきて、静かにトウヤを覗きこんだ。

「……トウヤって、結構可愛い寝顔してるね」

少し顔を赤らめて、フロウは感想を呟く。その言葉に桜は、確かに、と再びまじまじとトウヤの顔を見つめる。

保健室では、顔というよりも、何か別のところが気になったような気がする。…もちろん、顔に見とれていたのは間違いないのだが、本当にそれだけでは無かったと思うのだ、と桜は自分に言い訳をする。

とにかく、こうしてちゃんと顔を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。

「こうして見ると、トウヤってさ…普段とのギャップが激しいよね」

フロウはトウヤの頬をつつきながら、そんなことを言う。因みに、フロウの顔は赤みが差したままだ。

「そうかもね。普段のトウヤって、何となく鋭い感じじゃない?」

桜もつられて、フロウと反対側の頬をつつく。意外に柔らかいんだ、と思いながら、桜はトウヤの頬の感触を楽しむ。

「確かに、いつもは隙が無いっていうか…。なんか不思議な雰囲気してるよね、トウヤって」

フロウはそこまで言って、思いだしたように桜に問う。

「そいえば、桜はトウヤと同郷なんだよね?」

その質問に、桜はトウヤの頬をつつきながら答える。

「そうだけど、私とトウヤの家庭環境はずいぶん違うわよ?」

そっけなく答える桜。その答えにやや驚いたフロウは言葉を続ける。

「そうなの?私、てっきり同じようなとこで育ったんだろうなぁって思ってたんだけど」

そんな感想を漏らすフロウに、桜はうーん、と何となく言いたくなさそうに、トウヤの頬をつつく。と、ちょうどよくルビアが戻ってきたので、桜はルビアに声をかける。

「お帰り、ルビア」

舞い降りたルビアの手には、幾つかの植物。精神を安定させる効果のあるものや身体の調子を整えるものが多いように見える。というのも、それらで魔術薬をつくるつもりで、桜が移動力のあるルビアに頼んだものなのだ。

桜は薬をつくるため、ルビアに植物をもらい、フロウに言う。

「私一人じゃ間違えるかもしれないし、一応手伝ってくれない?」

フロウは仕方ないなぁと零し、桜とともに幾何学魔術を描くため広い場所を探しに行った。

残されたルビアは、薬草を探すのに消費した体力を回復するために、寝ているトウヤの隣に腰を下ろした。腰に装備していた投擲槍もホルダーごと外し、脇に置いて、ルビアはふぅ、と長い溜息をつく。

木陰になるそこには、陽だまりよりも少し冷たいそよ風が流れ、ルビアのところどころ傷んだ髪を撫でていく。ルビアは無意識に、風に流れる髪を抑え、傷んだ髪先を指先で遊ばせる。

ルビアは髪を触って、ふと思う。

桜の黒髪は綺麗に手入れされているからか、いつも枝毛などなく、手櫛はするっと流れる。

それに比べて、自分の髪はどうだろう。

よく枝毛になっているし、櫛の通りは良いとはいえない。

ルビアは初めて、桜の綺麗な黒髪が羨ましいと思っていた。

とはいえ、髪質は自分の魔力のせいで悪くなってしまっているので、羨んだところでどうしようもない。

普通、身体に取り込まれた魔力というものは、精製者には親和するものだ。しかしながら、ルビアが自分で精製する土属性の魔力は、何故かルビアの身体とは相性が良くないらしく、ところどころ調子が悪くなることも多い。

だから、ルビアは魔術の維持が苦手だったり、魔術の燃費が悪かったりするのだ。

思えば、ルビアは故郷にいた時から魔術が苦手だった。空を飛び、狩りをするのは誰よりも得意だったが、魔術だけは兄の何倍も鍛錬しなければ人並みに出来なかった。

(そいえば……幼い頃、父と何か約束したような…………)

ルビアは、故郷を思い出し、そして何か…大切なことを思い出しかけた。

けれどそれは、トウヤの呻きによって遮られてしまう。

「うぅ………―――――」

ルビアは、もうすぐ思い出せそうなところまで出かかった過去を飲みこみ、トウヤを覗き込む。そこでトウヤが目を覚ました。

「大丈夫…………?」

心配したルビアがそう声をかけると、トウヤはあぁ、と頷く。しかしながら、トウヤの顔色はまだ良くなく、たくさんの汗を浮かべていた。だから、ルビアは無意識に、トウヤの額に手を当てる。

その瞬間。


ルビアの身体から、一気に魔力が持って行かれた。


あまりの強引な魔力吸収に、ルビアは一瞬意識を失いかけたが、ぎりぎりのところで踏みとどまり、張り付いたかのような自分の手を、トウヤの額から引きはがす。

引きはがした途端、ルビアを酷い脱力感が襲い、トウヤの顔色が段々と良くなっていく。と、トウヤが声をあげる。

「あ、れ…?なんか、調子がよくなった……?」

トウヤはそう言うと、ゆっくりと身体を起こし、逆にルビアは木の幹に身体を預けてへたり込んだ。

「えっと……これって、ルビアが治してくれたのか…?」

トウヤは急に良くなった体調を、ルビアの魔術のおかげだと思って、ルビアに問うた。その問いに、ルビアはいいえ、と首を横に振った。

「違う。私はトウヤに魔力を吸われただけで、何もしてないよ」

そう言って、ルビアは脱力に身を任せる。そのままルビアは瞳を閉じ、昔感じた事のある感覚を思い出して、トウヤに問いかける。

「ねぇ、神隠しって信じる?」

ルビアがかつて体験した感覚。

その正体を表す言葉。

トウヤに関係がある訳でもなく、意図など無かったのかもしれない。

なんとなく、今の身体の脱力感がかつて味わったことのある感触に似ていた。

とにかくトウヤは、ルビアの質問に対して疑問を浮かべた。それを察したルビアはさらに言葉を零す。

「私自身がね、昔…神隠しにあったことがあるんだ」

ルビアはそれから、桜にしか話した事のない過去を、訥々と話し始めた。

「知ってると思うけど、神隠しって、つまりは自然発生する次元転移魔法でしょ?昔、狩りしてる途中で、巻き込まれたことがあってさ。暖かい所から、雪が降るくらい寒い所に飛ばされちゃったんだ」

ルビアは短く、なつかしむように笑う。

「トウヤなら解かると思うけど、次元転移すると、魔力が全部霧散しちゃうじゃない?そのせいで動けなくなっちゃって、私、雪の中で死にかけたんだよね」

トウヤには、ルビアがその後どうなったのか聞いて欲しそうな様子に見えた。だから、トウヤはルビアに話の続きを聞く。

「…その後、どうしたんだ?」

するとルビアは、ここでないどこかを見て、それから本当に幸せそうな微笑みを零す。

「助けてくれた人がいたんだ。雪の中の私に、何も言わずに手を差し伸べてくれた。しかも、その子は魔術を知っていて、私を元の世界に戻してくれた」

そして、ルビアはしっかりとトウヤの目を見て、言う。


「それが、私と“トウヤ”の、たった一度だけの出会い」


トウヤはここで初めて、自分の名前が、どれほど意味を持つものだったのかを知った。トウヤはルビアに何と言っていいか解からなかった。

そんなトウヤの雰囲気を察して、ルビアは言う。

「別に、そんなに困った顔しないでいいよ。私はトウヤなら、その名前を名乗ってもいいかな、と思っただけだから」

その言葉にトウヤが答えようとして、ちょうど桜たちが戻ってきた。

「ルビアー、トウヤ起きた…って、なんかルビアの方が疲れてない?」

フロウが駆けてきて、上半身を起こしているトウヤと木に背中を預けるルビアを交互に見て、疑問符を浮かべる。そんなフロウや、こちらに歩いてくる桜に心配をかけまいと、ルビアはちょっと休憩してただけ、と立ち上がる。そして、トウヤも体調戻ったみたいだから、と出発を促した。

そんなルビアの催促に、桜がトウヤに大丈夫?と視線を向け、トウヤがそれに頷いたので、それなら行きましょうか、と桜は自分の荷物をまとめ始めた。ルビアやフロウもそれに従い荷物をまとめ、先に決められたルートへと戻る。トウヤと桜はその二人にやや遅れて歩きだした。

と、隣を歩く桜が、ルビアやフロウに聞かれないように小声で、トウヤに話しかける。

「で、ルビアに何したのよ」

そんな桜の単刀直入な言葉に、トウヤはどう答えようかと思案する。けれど自分でも何が起きたのか解からない事なので、トウヤは端的に事実を言うほかなかった。

「俺にも解からないんだが、ルビアが俺に触れた時に、ルビアの魔力を無意識に奪ってしまったらしい」

その答えに、桜はいぶかしむようにトウヤを睨む。

「じゃあなんで、私やフロウがトウヤに触れた時には魔力を奪われなかったのよ?」

けれど、やはりトウヤには何が何だかわからない。

「解からない……」

どうして桜やフロウではなくルビアなのか。何故突然トウヤ自身の魔力が消失してしまったのか。それに、トウヤの過去らしき映像を視たことも気になる。

しかし、トウヤがいくら考えても、答えが出る事は無かった。

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