《記憶の欠片》1.月明かりの追跡
《記憶の欠片》
満月と星空が見下ろす学院。
その校舎の中を駆ける影があった。
かっ、かっ、かっ、かっ……。
普段は静寂と暗闇が支配するその空間に、靴底が床を叩く音が響く。
その足音は二組。
一つは侵入者のもの。もう一つは学院側の追手のものだった。
月明かりと影のモノクロの中を、隠ぺいと魔力探知を逃れる魔術を刻み込んだ外套をはためかせ、侵入者は駆ける。自己強化の魔術を使って脚力やスタミナを補助しているが、追手も同じ魔術師、そう簡単には逃がしてはくれない。相手は学院を熟知した教師であり、工作員として入り込み学院内の構造を記憶していなければ、既に捕らえられている所だが、それにしても追手の追跡能力には戦慄を禁じ得なかった。
学長室で書類を探していたところを巡回の教師に見つかり、侵入者は学院の出口を目指して逃亡中だったのだが、見つかってから最良の選択をしているにも関わらず、追手との距離はどんどん縮まっていた。
「チぃ……」
侵入者は舌打ちをする。活動している所を見つかり、欲しい情報は得られずじまいで、さらに今、現在進行形で追われているのだから、舌打ちくらいは出る。この時点で、諜報員としては大失敗なのだから。
侵入者は知るはずもないのだが、学院内部での活動は全て監視されており、巡回の教師が来たのは偶然などではない。また、本当に重要なモノは学長室ではなく、もっと他の所にあるが、それもまた侵入者の知る所ではなかった。
と、かつん、とひときわ大きな音がした。侵入者が振り返ってみれば、曲がり角から追手が現れたところだった。
「逃がしませんよ」
追手。
身体にフィットする漆黒の戦闘服に身を包み、ブロンドの髪が月明かりに揺れる。その中に見えるは三角耳。この学院に関わる者でも、それがシスター・フェイトであると気付いただろうか。普段、彼女が保健室にいるときのような柔らかな雰囲気は皆無で、今のシスターは、正確無比で命令に忠実な魔術師でしかない。
「くっ…学院の狗め…!」
侵入者が毒づく間に、シスターの手には銀の投擲用ナイフ。十字架をあしらったそれは片手に3本ずつで、それぞれに魔術を仕掛けてあり、敵に当たると束縛の魔術が発動する仕掛けだ。学院の追手・シスター・フェイトは一気に投擲ナイフを投げる。
侵入者は再び舌打ちし、それから焦ることなく冷静に魔術を編む。陣の描かれた札を目の前に投げ、外套の下に隠されていた魔術薬を触媒に札に描かれた結界魔術を強化、魔術攻撃を防ぐ即興の盾とする。
途端、6本のナイフが魔術に突き刺さり、互いの効力を打ち消しあって光が弾ける。どうやらシスターの攻撃は、侵入者の防御を破るには至らなかったらしく、役目を終えた光の壁が、効力を失って薄らぎながら消えていく。
もちろん、シスターの攻撃はそれだけにとどまらない。投擲ナイフが防がれることを予見し、投擲の直後に走り出していたシスター。背中に背負った得物、柄から鍔、刀身の一部を侵食して十字架の装飾をなされた剣を掴み、抜刀しないまま、大きく振りかぶって侵入者へと振り下ろす。
だが、侵入者も学院に入り込むだけあり、相当の手練であった。
「なかなかやりますね……」
己の腕を鋼と変化させ、片手でシスターの降り下ろしをいなし、残る腕で反撃を繰り出す。シスターは床にめり込んだ剣を一旦離し、驚異的な反応で脚を振り上げる。己に迫る斬撃を蹴り飛ばし、同時に床から剣を引き抜いて斬り上げる。蹴られた反動を利用して転身し、もう片方の刃の横凪ぎを弾き返すと、シスターは再び剣を降り下ろす。体勢を崩しかけた侵入者には咄嗟に受けるのが精一杯で、両腕をクロスした状態でなんとかシスターの十字剣を受け止めた。
両者の力は拮抗しており、ぎりぎりと鋼が悲鳴をあげるのみ。シスターは、そんな状況を打破するべく、自らの十字剣へとありったけの魔力を注ぐ。
「白の炎波」
魔術の略式詠唱によって、十字剣の刀身が爆ぜた。
純白の火焔が轟音を伴って広がり、廊下全体を薙ぎ払う。剣の鞘に刻まれた魔術が発動したのだ。侵入者は爆風に身体をさらわれ、全身をくまなく燃やされた。
「観念しなさい…」
シスターの冷酷な声とともに、侵入者の喉元に十字剣の切っ先がつきつけられる。鞘に入ったままではあるが、人を殺すには十分に質量のある切っ先であった。
そこに至って侵入者はようやく、戦う相手を間違えたのだと悟った。戦闘で大きく劣っていた侵入者。シスターからは、どんな手を使ってでも逃げ出すべきだったのだ。実力差を計れなかった侵入者の、最大のミスだった。
フードも破れ、特有の長く垂れた耳が見える。けれどその男は悔しがる様子さえ見せず、にやりと顔を歪ませた。その表情をシスターがいぶかしんだ直後。
「ごふ……――――――」
その木霊は吐血し、そのまま事切れてしまった。
首に指を当て、脈が途切れたことを確認したシスターは、十字剣を背負いなおした。よくよく見れば、目からは血の涙を流し、ところどころ毛細血管が切れているのか、月明かりに照らされる肌には内出血が見える。何らかの魔術で自害したのは明らかだった。
そこへリフィが姿を現す。こちらも侵入者を追っていたのか、いつも帯刀しているレイピアを抜刀したままだった。
「…殺したのか?」
無感情に、死体を見下ろしながら、リフィは問う。その問いに、シスターもまた機械的に答えた。
「いえ、自殺です。恐らく侵入する前に仕掛けておいたのでしょう。既に心臓も止まっています」
そこへ、リフィが呼んでおいたのか、真黒な装束の人型が何体か現れ、手際良く死体を運び去り、血や魔術の痕跡を処理していく。
「全く、ご苦労なことだ。学院の守りを掻い潜り、正確な情報を持ち帰るなど、正気の沙汰ではないと言うのにな」
「世界樹術式に限らず、犠牲を払ってでも情報が欲しいのでしょうね」
リフィとシスターは、その様子を眺め続けていた。月明かりは丁度、雲の群れに隠されてしまっていた。




