《魔術師》8.温かい寝床にて
学院内壁の一区画。
そこには庭付きの学生寮が静かに佇んでいた。
「ここが君の住まいとなるウルズ生専用寮だ」
区画内は広く、大きな寮に加えて噴水付きの中庭もある。
「ウルズ生は寝食完全保証だ。学食での食事はタダだし、僅かながら支給金もあるぞ」
リフィの話によると学生寮はウルズクラスのみの特権で、各生徒に個室が与えられ、学食での食事が無料となる他、学院界隈で使用可能な通貨が支給される。その他、制服と教書、備品各種が支給され、本来有料である転移門や実験室などの学院施設も割引ないしは無料で利用できる。下位クラスとの差別はかなり大きいが、ウルズクラスの席は本来何らかの才能や実力を以て付与されるものであり、勝ち取るべき資格と称賛の証なのだと言う。もう少ししたらクラス替えが解禁されるとも言われ、その後は昇格も降格もあるという事だが、トウヤはそこにぽっと出の自分がいて良いものなのだろうかと思った。
「ちなみに、君は棚ぼた的にウルズに入ったと思っているかも知れないが、それを気に病む必要はない。何故なら、君は既にウルズ生たる資質を充分に証明しているからね」
リフィ曰く、記憶を失っている事は置いておいても、今日の演習で魔術師の素養は充分に示されたらしい。少なくとも今のウルズなら、監視下である状況を差し引いてもトウヤが座る席はあって然るべきとの事だ。他の生徒に解らないように囁くリフィの言葉は、トウヤを少しだけ安心させた。
エントランスに入ると、中央の談話室から左右に伸びる廊下、奥には大浴場とプレイルーム、自習室、食堂が配置されている。寮の部屋は左右で男女分かたれているらしく、桜たちはトウヤに挨拶をしたあとで、それぞれの部屋へと戻っていった。
「わかっているとは思うが、女子寮は男子禁制だぞ、少年」
冗談を言いつつ、リフィは男子寮側の扉をあけ、奥まった空き室へとトウヤをいざなった。
「君の部屋だ。明日からは普通に朝、教室に来るんだぞ。時間割は机、制服はクローゼットだ。食事は下の食堂でゴーレムに頼め。あとは好きにしたまえ」
さらっと説明して、トウヤが頷くと、リフィは満足げに去っていった。
改めて、トウヤは部屋を見渡す。
中庭を見下ろす大きめの窓に、ふかふかのベッド。教書の他にも魔導書やら趣味の本やらを詰め込めるであろう本棚が幾つかに、4人用のテーブルよりも少し小さいくらいのデスクと椅子。壁紙は白く、しみや汚れの一つさえない。床もそれなりの絨毯を使っているらしく、歩き心地がとても良い。一人部屋にしては結構な広さで、家具を置いたスペースを除いても、トウヤが絨毯の上で存分に寝転がれそうな広さである。
そこまで部屋の様子を確認して、トウヤは窓の外を眺める。
日はとっぷりと暮れ、今は夜の濃い闇が辺りを包んでいる。頭上には都会ではありえないほどの満天の星たち。掴めそうな星の海の中に、真ん丸な満月が青白く輝いている。時折狼のような遠吠えが聞こえ、トウヤはここが自身にとって馴染みの無い環境下なのだと改めて感じた。調度品や備品を確認する。時間割を見て、朝食の時間を差し引いて目覚ましをかける。窓を閉めてカーテンを引き、トウヤはクローゼットに用意されていた寝間着に着がえ、明りを消してベッドにもぐりこんだ。
そして、眠りにおちるまでの僅かな時間を、トウヤは今日一日の事を思い出して費やすことにした。
今日一日、色々なことがありすぎて大変だった。同時にとても楽しい一日だったように思うものの、その内容はとても濃い。それを、トウヤは順番に思い出してみる。
朝、保健室で桜やルビアと出会った。学院の話を聞いて、アズュールに遭遇し、それからリフィ先生の講義を受けた。魔術という言葉に何か引っかかりを感じるけれど、それがなんなのかは、結局何も解からなかった。ただ、授業自体はとても興味深いと思った。
昼休みには、フロウの暴走で酷い目にあった。けれど、フロウ自身は優しい子だと分かったし、なんだかんだでクラスに馴染む事が出来たように思う。
午後は戦闘訓練に参加した。ルーナとの一戦を経て、ルーナとフロウの二人と友達になり、ミスティと戦い、その後よくわからないうちに流雅を倒したらしいのだが、その事はよく覚えていない。最後にアズュールと呼ばれる少年に襲われて保健室に戻る事になり、そこでリフィ先生とシスター・フェイトの仲が良いという事がわかった。
寮に向かう前に、言いあいをするルーナとアズュールを見つけ、結果ルーナを助けた。
ここまで思い出して改めて、濃すぎる一日だったとトウヤは思った。
当たり前だ。
記憶がないという状態は、全てが未経験だという事。人は経験がない事程、印象深く感じるように出来ているのだから、今日の全てが新しい、ある意味赤ん坊と同じようなトウヤにとって、今日が濃すぎるほどなのは当然だろう。
人も、場所も、物も、出来事も。
全てがスタート地点なのだ。
その中でも、あのアズュールという少年は気になる。
怒りとか疑問ではなく、なにか別のモノがトウヤの興味を引いている。それが何なのかは、解らない。他にも同じ感覚があって、それは朝、初めて桜を見た時と、あとは、保健室で渡された髪飾りを見る時だ。
枕元に置いてある髪飾りは、白い羽根を使った髪紐だ。
トウヤは男にしては髪が長い。特に後ろが長く、記憶を失う前から身につけていたらしいので、きっと普段から後ろ髪を括っていたのだろう。
何の羽根から解らないが、その羽根を見つめると、もやもやとしたよくわからない気持ちになる。きっと記憶に関する重要なものに違いないのだが、見ていても何も思い出せなかった。記憶は気長に待つしか無いのかも知れない。
暖かい寝床を与えてくれたリフィに感謝しつつ、トウヤはそんな事を考え、やがて静かな眠りへと落ちていった。




