《魔術師》7.フリーフォール
シスターが紅茶を淹れてくれたので、トウヤはしばらく、リフィとシスターの他愛のない話を聞いていた。保健室にやって来る生徒たちの話やクラスの事。他の教員の話とか、その他いろいろ。リフィとシスターは割と仲が良く、良いコンビのようだ。
「城下町には色々お店があるみたいで、リフィはここにある紅茶をよく飲むものだから、茶葉を買ってきてくれたりするのよ?」
保健室にしては妙に品揃えが良いと感じていたが、そう言うことだったらしい。リフィが我が物顔で紅茶を飲むのも頷ける話だ。
「うむ。学生街とは名ばかりで、各世界の貴族なり魔術大家なりが集まる事もあるからな。行くところに行けば中々のモノが揃う。これでも、私は買い物が趣味なのだよ」
リフィが満足げに語ると、フェイトはころころと笑う。
「買ってくるのは趣味の品か、魔術調度や触媒ばかりですけどね。この間なんか、面白いもの見つけたぞ、なんて言って、死霊を召喚する笛なんか買ってくるんで、笑ってしまいました」
棚の中に仕舞われた礼装を見やり、リフィは自身の目利きを誇るように言う。
「あれは中々役に立つ魔術礼装だったろ?」
「確かに品は悪くないですけど、趣味はちょっと悪いと思いますよ?」
トウヤから見ても、その性質はともかくとして、お世辞にも普通の笛には見えず、どちらかと言うと呪われた装備だ。
「む?そうか?なら、次からは気を付けよう」
リフィは少し不服そうだったが、フェイトの言葉は素直に受け入れるようだ。
フェイトはふと思い出して、さらに言う。
「あ。あと、食べきれないお肉とか買ってこないで下さいね?あれも困ったんですよ?」
「あー、あれは色々あってなだなぁ…。だが、結果食べきったから良いだろう?」
「ダメです」
「手厳しいな」
「せっかく買ってきてくれるなら、お茶菓子にして下さい」
「考えておくよ」
そんな会話を聞きつつ、丁度2杯目の紅茶を飲み終えた頃、保健室の扉が開く。
「失礼します」
入ってきたのは、桜とルビア、それからフロウだった。そして、元気そうにしているトウヤの顔を見て、ルビアは言う。
「もう大丈夫なんだ」
どうやらトウヤを見て安心したらしく、ルビアの顔が綻んだ。それはフロウも同様で、良かったねー、とベッドのそばまでやって来る。ただ、桜だけは何故か微妙な表情で、治ったならさっさと帰りましょ、とトウヤをせかす。
トウヤが疑問符を浮かべていると、ルビアが桜に聞こえないように、トウヤの耳元に囁いた。
「安心してうまく言葉が出ないだけだから、桜の事、誤解しないでね」
その横で、リフィもそろそろ頃合いか、と紅茶を飲みほし、立ち上がる。
「シスター、いつも通り美味い紅茶だったよ」
リフィはシスターにお礼を言い、トウヤたちはリフィに続いて保健室を出た。
廊下は赤く照らされていたが、陽が落ちてきたのかどことなく薄暗い。まさに逢魔ヶ時、といった様子だ。
5人は廊下に出て、朝とは反対方向に進む。
「トウヤがここの学生になったことで、今晩からは寮の部屋を使える。今からその寮に案内するからな」
歩きしなリフィはそう説明してくれた。未だ学院の全景を見た事は無いが、学生寮はそちらの方向にあるらしい。
トウヤは寮はどんな感じなのだろうかと考える。学院の雰囲気を考えると、やはり洋室なのだろう。広さはどれ位なのだろう、とか、一人部屋なのだろうか、とか。トウヤがそんな事を考えている間にも、一行はリフィを先頭に夕陽に照らされた寮への道のりを歩いていく。
そして、丁度階段の辺りを通りかかったところで、トウヤはどこかから、何か話し声が聞こえてくるのに気がついた。
「――――――!!」
「――――……」
どうやら何か口論しているようで、それは階段の中間にある踊り場から聞こえているようだ。トウヤだけでなくリフィたちも気付いたようで、無言の了解ののち、5人は階段の方へと近づいていく。
と、そこに叫ぶ女生徒の声が響く。
「だから、ちゃんと話を聞いてください!」
5人が近づくにつれ、その声の主が誰で、何に口論しているかが解かってきた。
「ふん…いつまでも五月蠅い奴だな」
その声の主はルーナだった。顔は見えないが、垣間見える紺色から推測するに、口論の相手はきっとトウヤを襲った奴だ。さっきからルーナばかりが声を荒げており、紺髪の少年は聞く耳をもたない様子。そんな少年の鋭い視線にも怯みつつも、ルーナは少年への詰問をやめない。そんなルーナに苛立っているのか、少年はルーナの言葉に舌打ちをした。
その時、ルーナ越しに見下ろす少年の目と、見上げるトウヤの目があった。
その刹那、トウヤは強烈な既視感を覚える。
視界が紅く染まる。
時が淀み、時間が意味を失う。
視える景色は現実であり、同時に幻想だった。
少しだけ先の未来が視える、そんな幻想。
見上げるトウヤと目のあった少年。その表情が邪気に満ちた笑いに変わり、それから思い切りルーナを突き飛ばす。そして階段から落下したルーナが頭を強打し、血を流す。フロウが泣き、ルーナは打ち所が悪くて死に至るのだ。
未だ起こっていないその凄惨な光景は、果たして現実となるのか。
心のどこかで、危険が迫っていると警鐘が鳴り響く。
視界に広がる紅は既に元の赤い夕陽に戻り、時間はその仕事を再開し始める。
警告を正しく変えようとするかのように、そのまま少年の口が歪み、時間がコマ送りに変わっていく。今度は先程とは違って、紅く染まる事はなく、寧ろその事はトウヤの危機感を煽った。
無意識に走りだす。
一瞬で身体が重くなったような感覚がトウヤを苛むが、トウヤは無視して足を踏み出す。
少年の腕が上がりルーナに手のひらを向けたことで、トウヤの中で疑問が確信に変わる。
リフィたちは、まさか少年がルーナを突き落とすとは思っていないのだろう。走り出したトウヤを茫然と見つめる。
このままでは、ルーナは確実に突き落とされる。トウヤは最悪の事態だけでも防ごうと、ルーナに向かって駆ける。
先程までの面倒くさそうな顔から、邪悪に歪んだ少年の口元を見て、ルーナはいぶかしんだ。得体のしれない恐怖から逃げるように、ルーナが一歩あとじさる。
トウヤが階段の下に届く。
そして。
ルーナの身体が踊り場から跳んだ。
突然の衝撃に、えっ、と声を上げ、呆然とするルーナ。胸を突く衝撃と、目の前の少年の腕。ルーナは自分が突き飛ばされたのだと、すぐには理解できなかった。
そんなルーナを見てか、トウヤを見てか、邪悪に笑う少年。
宙を舞うルーナに焦るトウヤ。
事態を見て、リフィたちが走るがもう遅い。
ルーナは、突然の浮遊感に死を感じた。
次の瞬間。
世界に音が戻って来る。
自由落下に従ってルーナの身体が落ち、トウヤが必死に腕を伸ばす。
辛うじて、トウヤがルーナの身体を捉え、けれど落ちていく勢いは止まらない。ルーナの身体を引き寄せて、自分の胸に抱きとめた。
落下はトウヤを巻き込んで、さらに下へ下へと向かっていく。
ルーナの頭を守るように抱き、トウヤはそのまま一階の床へと落下し、背中から叩きつけられた。直前に風が集まり僅かに衝撃が軽減されたおかげで、頭は守られたものの、トウヤの全身に衝撃から鈍い痛みが走る。
けれどそんな痛みなど無視し、トウヤは階段を見上げ、そこに立つ紺色の少年を睨みつけた。
見下げる少年は告げる。
「二度と関わるな」
邪悪な笑いは影をひそめ、ただ底冷えのする視線がトウヤを射抜く。それだけを短く告げ、少年は階段を上って去っていった。
少年が去って、その場の全員が正気に戻ったのか、階段から落ちたトウヤとルーナの元に4人が駆け寄る。
「大丈夫か?!」
リフィが二人に声をかける。その言葉に、トウヤは辛うじて、大丈夫ですと答える事ができた。対して、ルーナは突き落とされたことからか、茫然となって返事が無い。そんなルーナの前に、心配そうなフロウがまわりこみ、頬を軽くたたいた。
「ルーナ!ルーナ…!しっかりして、ルーナ!」
何回も名前を呼び、頬を叩いて、やっとルーナが正気を取り戻す。
「ぁ…フロウ、ちゃん……?」
そのまま、フロウは嬉しさのあまりルーナを抱きしめる。うぅー、と泣きはじめるフロウに、ルーナは普段通りの自分を完全に取り戻した。
と、そこでルビアが落ち着いてきたルーナに言ってやる。
「ね、そろそろどいてあげたら?」
ルビアのその言葉で、ルーナはやっと自分がトウヤの上にいる事に気がついた。落下のダメージと、加えて動けない状態に、若干トウヤは参り始めていたらしく、苦笑いも弱々しい。
「わわ…!ご、ごめんなさい!」
慌ててルーナが飛び退き、トウヤは身体を起こす。ルーナはすぐに、トウヤの身体が無事か確認する。
「あ、あ、だ、大丈夫ですか…?」
見た感じ大怪我はしていないトウヤだったが、階段から落ちた人間を庇ったのだ。頭を打ったり、骨が折れていたりしたら大事だ。考えて、ルーナは不安になる。
「あぁ、身体は痛むけど怪我は無いよ。フロウのおかげだ」
そうだろう?と言葉を向けると、フロウは未だ半泣きだったが、さっき咄嗟に使った魔術のことを明かす。二人を助けるのに間に合わないと感じたフロウが、風を操って衝撃を和らげてくれていたのだ。背中に風を感じた時点で、フロウかリフィのどちらかが助けてくれたのだとは思っていたが、トウヤは改めてフロウにお礼を言う。
「ありがとな、フロウ。おかげで助かった」
「そ、そんなの……ルーナを助けるためだったし、無意識だったし……」
面と向かってお礼を言われたフロウは、照れ隠しと泣き顔を見せたくない気持ちで、トウヤから顔をそむけた。
その間、桜は階段を見上げていたが、考えを止めてリフィに問う。
「さっきは聞きそびれましたけど…あいつ、一体何なんですか?」
少年に対する怒りが含まれているのか、桜の言葉はまるで詰問の様になっていた。リフィはけれど、そんなことなど気にしておらず、桜の質問に答える。
「君らのクラスメイトさ。名前はアズュール。ちょっとした事情がある奴なんだが…」
リフィはそこで言葉を切り、アズュールの消えた踊り場を見上げる。
「今回のは、明らかにやりすぎだな」
厳しい目を向けるリフィ。その鋭い雰囲気に、質問を投げた桜だけでなく、生徒たちはそれ以上追求の言葉を見つけることが出来なかった。
しかし、リフィが4人を振り返ると、既にその真剣な表情は掻き消えており、取りあえず帰ろうか、と全員を促す。トウヤたちは、この件に関してこれ以上追及したところで、リフィからはもう何も聞けないだろう、と悟った。それに、確かにそろそろ身体を休めたい、とトウヤは感じていた。それは桜やルビア、ルーナ、フロウも同じで、それからは誰も意義を唱えず、寮へと戻ることとなった。




