《暗雲》3.魔女と魔王
「近衛、トウヤぁ!」
アズは吹雪の中、その背中だけを追いかけ、ただ前だけを見据えて飛んだ。迫りくる氷槍、吹雪そのもの、凍てつく大気は魔王の力ー堕天使と魔族の混成魔力ーが全てを防いだ。もちろん、ただの混成魔力ではない。アズリィル家とは元を辿れば死を司る天使アズラエルの堕天、魔王アズリィルの血筋であり、大半の魔族とは堕天使の末裔である。堕天使の力に目覚めたアズの魔力は始祖にとても親しく、属性は昇華していた。
「邪魔するものは死ね!」
纏わりつく魔力ですら、殺す。
殺生与奪・活不活を自在にし、指向性を殺し、果ては生を奪い、死を奪う事すら可能とする瘴気。
即ち、意志を反映する体現の魔力が、魔王の操る魔力なのである。神の使徒たる天使の創造する力、その原典を再現するには至らないものの、現代の魔術師でこの魔力に抗える者は数少なく、アズはそれを正しく理解した。
「見えた!死ぬんじゃ、無い、ぞ!」
氷の槍雨を振り払い、意識を朦朧とさせつつも前のめりに進んでいくトウヤに並び立つ。
「しっかりしろ、この愚図が!」
罵倒と同時にアズの魔力がトウヤを包む。トウヤを活かし、侵食を殺す魔力は、即座にトウヤの意識を呼び起こした。
「…アズ、なん、で?」
掠れた問答など不要だ。
苛つくだけなのだから。
「貴様は黙って前を向け。私も一緒に行くぞ」
答える代わりに肩を貸す。
トウヤはアズを見ずに、小さく笑った。
「ルーナの所へ、行こう」
アズの翼が羽ばたく。
大きく跳躍する。
阻むものなど、何もない。
見えた。
ルーナの周囲は高密度の魔力が溶けた飴の様に繭を作っていた。触れれば混じってしまう程に高密度で、有毒。純粋なエネルギー源はそれだけで危険だが、ルーナはその中で揺蕩う。
「お前、根性論は好きか?」
アズはとても真面目な顔付きで呟く。
トウヤが頷くと、アズはこう言った。
「私が真っ直ぐ突っ込んでグーパン。お前が余剰魔力を全部中和しろ。侵食は一瞬耐えろ。できるか?」
ルーナを気絶させ、危険な魔力を無力化する。
口では簡単に言えるが、もちろん途方もなく難しい。
「できるか、じゃなくて、やれ、だろ?」
だが、ここまで来てやめるなんて有り得ない。
ルーナを救うために、トウヤはここに居るのだから。
「やってやる」
覚悟を、決める。
躊躇はとうに捨ててきた。
アズのカウントを聞きながら、トウヤは瞑想する。
「3カウントで跳ぶ。行くぞ、3、2、1、」
跳んだ。
侵食性の魔力がトウヤを苛むが、トウヤはアズの動きを注視し続ける。一瞬が伸長し、雪の一欠片すら目視できる程の長い時間の中、アズの振りかぶった拳が、ゆっくりとルーナに到達する。
「正気に、戻れ!」
叫びと共に、時間が元に戻る。
ルーナがくの字に身体を折り、周囲の魔力が明らかにバランスを崩した。ルーナの意識が断絶したのだ。
「魔力よ、黙せ!《荒れ喰らう言霊》!」
ありったけの想いを載せて紡がれた魔術は、有毒の繭を中和し、それから降り注ぐ氷の雨を溶かし、吹き荒ぶ吹雪を和らげた。
そして同時に、瞬時に消えゆく蒼の境界を見た。
吹雪の果てを区切るように遮っていた障壁は、幻覚だったのか?
思考に走りそうになるが今はルーナが大事だと頭をふり、トウヤはその幻覚を脇に追いやる。アズに近寄ると、ルーナはアズに抱えられて気絶しているようだった。
「なんとか上手く行ったな」
「…あぁ」
アズの返事は、成功に反して上の空だった。
「どうかしたか?」
「…お前、さっき何か見えたか?」
アズは遠くを見たまま、トウヤに問い返す。
思い当たるのは一つしかなかった。
幻覚だと思った蒼の境界は、やはり存在していたのか。
「もしかして、蒼い結界が消えた事か?」
「お前にも見えたんだな」
アズの視線はトウヤの後ろにそれる。
そこには、汚泥に塗れる事も厭わずに駆け寄ってくるメイドの姿があった。
「お嬢様ー!」
肩で息をするシュラウを見て、アズは違和感を覚え、そしてある事実に到達した。
「シュラウ、貴様ーー」
同時に、アズの魔力がねじ曲がる。
「ーぁ、く、ぐぅ!」
魔王の装束が瘴気を吐き出し、汚泥が塵と化す。漂うマナは断絶し、アズの顔が苦悶に染まる。
「お嬢様?!」
「アズ!?」
近寄ろうとする二人を静止し、アズは後ずさった。
「ぐ、私から、離れ、ろ!」
その瞳は金色に染まり、まるであの時の獣の様。
「これ、まさか副作用?!お嬢様、気を確かに!」
「あ、ぁ、ぁぁぁぁあああ!!」
秘薬の副作用はとどまることを知らず、アズの魔力は際限なく膨らみ、今にも弾けそうだった。
「これは、マズい…」
シュラウが呟く。
「駄目です、トウヤ様」
《荒れ喰らう言霊》を放とうとするトウヤを止め、シュラウはアズに近づいていく。
「シュラウ、さん?」
魔王の瘴気など効果は無いと言わんばかりに。
そして、現実もその通りで、瘴気はシュラウを害する事なく。
「落ち着いてください、お嬢様」
シュラウはアズをぎゅっと抱きしめた。
魔力が、瘴気が収束し、アズの魔王装束が散っていく。
それと共にアズは暴走から立ち直り、そして、己を抱くメイドの背にゆっくりと、おずおずと手を伸ばす。
「シュラウ、?」
確かめるような言葉を聞くシュラウの表情は、この場にいる誰からも見えなかった。
アズの手が止まり、震え、それから、アズはシュラウの身体を押し退ける。
「お前は、誰だ?」
2歩、3歩。
後ずさるアズの表情は、疑問と焦燥と、恐怖で入り混じり。
「答えろ!お前は誰だ!何なんだ!」
トウヤからは、シュラウの表情は見えなかった。
沈黙は長く、しかし、永遠には終わりが訪れる。
俯きがちなメイドは、噛みしめるように、名残惜しむように、言葉を、零していく。
「…私は、お嬢様のメイドにして、アズリィルの欠陥品」
決定的な言葉は、こうして地に落ちた。
「ーーーーーそして、始祖にして魔王、アズリィルその人の転生体、です」
そしてそれは、アズの胸を引き裂く言葉に他ならかった。




