《暗雲》2.若き魔王の覚醒
吹雪は体力と魔力を次々と奪い去る。氷の槍を避けながらの接近は遅々たるもので、それすらアズの雷撃援護がなければ厳しい程。《嘆き叫ぶ濁刀》を振るって氷の槍を喰らう。砕いたのは3つ。続けて4つ。数は増え続けており、汚泥も深く足は遅くなる一方だった。
『防がなければ』
その想い一つだけが拠り所だ。
このままルーナを放置すれば、自己崩壊してしまう。
それを止めるために、トウヤは足を踏み出す。
吹雪に霞むルーナを目指して。
***
一方、後方にて雷撃の援護を放ち続けているアズは、トウヤの遅々たる進行に苛立ちを募らせていた。
「遅い…!」
だが、それが表面的な事であり、実際には自身の力不足に苛立っているのだと、アズは理解していた。
今のアズでは魔力量こそあれど、侵食性の魔術を退ける手段がない。神無の魔術を使いこなすトウヤだからこそ、遅々たる進行だとしても着実にルーナに近付けるのだ。
中庭には騒ぎを聞きつけた生徒や教師、ゴーレムたちが集まりつつある。
しかし、その中の誰も侵食の吹雪を攻略する事はできないだろう。そもそも侵食性を見抜いている者の方が少ないし、下手に近づけば被害が増えるだけだ。今も教師の一人が放った魔術が溶けてあたふたしている。
だが、その教師と後方から魔術を放つだけのアズを比べて、何が違うというのか。
「所詮、私も雑魚の一人か」
切り開き、独り進むトウヤの背中を見つめる。
もうすぐ雷撃も届かなくなる。射程の問題ではなく、術者に近いほど強度を増す侵食にアズの魔術が耐えられないのだ。
それでもトウヤは進んでいた。
目的を達成するために、意志を曲げない魔術師の背中。
「私は、奴の後ろにいるのか?」
事実だ。
無常にして無力、無意味だけが、この手にある。
確固たる存在、その証明、魂の強さが足りない。
同じ魔術大家の出身でありながら、アズはトウヤに劣っている。背中を見せられるのは、自身の不甲斐なさの現れだ。
それを自覚した瞬間、アズは怒りを覚えた。
「魔術が意志の力ならば、私は奴よりも心が弱いのか?」
否。
私の方が、強くあらねばならない。
弱い筈がない。
ならば、どうする?
決まっている。
侵食すら否定する力を纏って、己の最強を証明するのだ。
「シュラウ!秘薬を寄越せ!」
アズは叫んだ。
覚醒のための秘薬は、既に出来上がっている。
「しかしお嬢様、これはまだ早すぎます!」
「いいから寄越せ、愚図!」
半ば奪い取るようにして、アズは小瓶の魔術薬をあおる。
不明の者、神の刺客の心臓から創り出された天使の力を凝縮した秘薬。魔族がそれを飲めば、古から受け継がれつつも閉じた天使としての魔力回路を開放し、強制的な覚醒を促す。
「がァ!ッカハ!」
血管が膨張する。
血流が増大する。
頭が割れるように痛む。
四肢が千切れそうに軋む。
全ては副作用だ。
魔族が捨て去った堕天の証は、神の使徒だった頃とは違って拒絶反応を起こす。それを飲み込める程の魔族は、希少なのだ。
劇薬にして、秘薬。
アズの魔力が際限なく膨張していく。
「ぐ、まだだ!まだ足りない!もっと寄越せ!」
眼球の血管が拡張され、瞳は真っ赤に染まる。
アズは激痛の中で、詠った。
「我が身に流れる蒼の血よ滾れ!古き弱き支配者は死んだ!そして生誕と君臨を喜べ!今此処に立つは新たなる魔王!我が覇道は此処にある!拓き、啓け、《やがて真蒼の司死魔王》!」
蒼の魔力が魔術とともに収束していく。
秘薬を用いた魔術は成功し、アズは装いを新たに地を踏みしめた。
歪な鉱石の鎧だった今までの覚醒とは、桁違いの完成度。歪さはなりを潜め、覇者たる蒼の鎧は完成された。纏う魔力も一段と濃く、結束が強くなり、侵食される心配もない。現に、吹雪の中から飛来した氷の槍をアズは避けない。
「お嬢様、危なーーー」
シュラウが声を上げ、着弾したかと思った氷槍は、砕け散っていた。
「お嬢様…?」
人が変わってしまったかのように静かなアズに、魔王でない部分のシュラウは畏怖を抱いた。
アズは無言で跳んだ。
吹雪はすぐにその蒼い覇者を隠してしまう。
見届けるべき何かを覆い隠すように。




