《暗雲》1.魔力の暴走
明くる日。
「では、頼んだよ」
演習の終わりにリフィに仕事を任され、トウヤはルーナと一緒に廊下を歩いていた。クラス委員であるルーナの仕事だが、ものを運ぶ時にはやはり人手がほしいという事で、たまたま近くにいたトウヤに声がかかったのだ。
「すみません、手伝ってもらって」
そういうルーナの手には、課題として作成された礼装が入った箱。トウヤと分けてもそれなりの量だ。
「構わないよ。実際、一人じゃ大変だろ?」
重さだけなら魔術でなんとか運べるだろうが、嵩張るものは圧縮礼装に格納する訳にも行かないー圧縮礼装は各々設定する必要があり、使用出来るようになるまでが意外と手間なのだーので、結局手運びになる。
「…紙だけだったら大丈夫なんですけど、今回は嵩張るので正直なところ有り難いです」
こういう時はだいたいリフィが適当な生徒をルーナの手伝いに任命する訳だ。
「これくらい助けて当たり前だろ?」
ちなみに、トウヤはピンチヒッターの常連である。
そんな会話をしつつ廊下を進んでいくと、蒼髪メイドの後ろ姿が見えた。
「あれ?アズさん?」
「…いや、あれはアズじゃないよ」
シュラウの事を知らなければ、遠目でアズに見えるのは仕方ない。トウヤがその場から呼びかけると、蒼髪メイドは振り向いた。そしてトウヤたちに近づいてくると丁寧にお辞儀をした。
「こんにちは、トウヤさん」
トウヤは挨拶を返し、それからルーナに紹介する。
「アズのメイドのシュラウさんだ」
「はじめまして。シュラウ・インフェリアと申します」
「ルーナ・スノゥブライトです。よろしくお願いします」
お互いお辞儀で自己紹介を終えると、シュラウは二人の荷物を見て、それからこう言った。
「もしよろしければ、この後中庭にいらっしゃいませんか?」
***
課題を届けた後、トウヤとルーナが中庭に顔を出すと、木漏れ日の落ちるテーブルには、一組の主従が待っていた。ニコニコするメイド服に対して、アズは相変わらず目線が鋭い上に、機嫌が悪そうなのが明らかだった。
「私のテーブルにわざわざ招待されるとは、貴様らも物好きだな」
「まぁそう苛々するなよ。その服似合ってるぞ」
アズの服装はいつもの戦闘衣ではなく、普通のブラウスにスカートだ。肌の白さがよく目立つ。髪色のせいで青白く見えるくらいだ。
「アズさんもそういうの着るんですね」
「貴様らにも普段着くらいあるだろう。私にはこれがそうだというまでだ」
シュラウが椅子を引いてくれるので、ルーナを先に座らせる。
「そう苛つくなよ、アズ。たまには良いじゃないか、魔術抜きの雑談も」
せっかくシュラウが招待してくれた席だ。来訪者に苛立つアズには悪いが、彼女の事を知るには良い機会だとも思う。
「苛立っているのは確かだが、貴様らにでは無い。この駄メイドに、だ」
どうやら勝手に招待したことに怒っていたらしい。
「いやー、そんなに褒められてもー」
苛つく主に対して、駄メイドは照れた。
「褒めてない!毎度毎度、勝手な事をするなと言っているんだ!」
「えぇー。お嬢様、お茶は誰かと楽しむものですよ?」
メイドの反応に、アズは鼻を鳴らす。
「香りと味など一人で堪能するわ、阿呆」
「相変わらずぼっち主義ですねぇ」
敬意が無い訳では無く、フランクさも共存する掛け合いは自然だ。普段からこういう会話が多いのだろう。この主従もまた、エミリオたちのように一風変わった関係性を持つようだ。
「魔術師など信頼できるか」
魔術師を信頼出来ない、とは強い言葉だ。
強さを求める事に関係するのかもしれない。
「えぇー、じゃあトウヤさんは別ですか?」
自身の名前が会話に上がって、トウヤは再び会話に意識を戻す。
「コレは良い鍛錬相手になる」
カップ片手にアズはトウヤを示す。
「コレ呼ばわりかよ」
傲岸不遜な態度に苦笑いを返すと、アズはさらにこう言った。
「信頼出来るかと言われれば、まぁ、してやっても良いぞ?」
信頼されるくらいには認められているらしい。
そんなアズに、ルーナが言う。
「上から目線なんですね」
アズとルーナの相性は、正直良くない。
感覚的にも、ルーナのスイッチを押してしまう者としても。
「改めて言っておくが、弱い奴が私に近付くようなら、容赦なく殺す」
トウヤが口を挟む間も無く、ルーナが答える。
既にリミッターが外れる準備をしているが、トウヤは気付けない。
「私は弱い側な訳ですね」
トウヤの中ではルーナはおとなしい女子であり、時折強い芯が見える魔術師、という認識だからだ。
故に、普通に話しているだけで前回の演習のようにキレるなど、予想だにしない。ルーナの態度がいつも通りなのが、さらに事態を悪化させる。
「そうだ。この間はコレに止められたが、次は無い」
戦闘時の獰猛な笑みを見せるアズに、シュラウが口を挟む。
「お嬢様、流石に殺してしまうのは不味いかと」
アズの実力からすればルーナを殺してしまいかねないが、アズは再び鼻を鳴らした。
「知ったことか」
アズの挑発を聞いて、トウヤがようやくたしなめる。
だが、既に遅い。
「やれやれ、物騒だな」
肩をすくめると、アズは目線を鋭くしたままで笑う。
「貴様も同じだぞ、トウヤ。私の邪魔をするなら容赦しない」
殺気を放って威嚇する。
「なぁ、仲良くしろとは言わないから、もう少し穏便にやらないか?」
「はっ!穏便にだと?そっちから火に入る羽虫を気にしろと言うのか?」
漏れ出る魔力を隠そうともせずに嘲笑するアズのその言葉が途切れた瞬間、パキッと音が鳴った。
えっ。
全員の視線が音の発生源に向いた。
不穏な気配を纏った音に、全員が危険を感じ取ったからだ。
視線の先には真っ赤な水たまり。
朽ち果てたカップの残骸から溢れたそれは、純白のテーブルクロスを大きく汚し、まるでルーナが手首を切ったように見える。
「あ、ぁ、ぁぁ、!」
ルーナは声にならない呻きを垂れ流し、その瞳にはいつもの理知の光は無い。
何が起きたのか、その場にいる中で理解出来たのはルーナ本人だけだ。
幾重にもかけられた拒絶の檻を破り、存在吸収の力を暴発させ、カップの存在を吸い取った。その結果はすぐに別の事象を引き寄せた。しでかした事実にトラウマが刺激され、ルーナの魔力が本当に暴走し始めたのだ。
「ぅぁぁあああ!!」
極寒の冷気が噴出し、トウヤもアズもシュラウもテーブルから退避せざるを得ない。
その間にもルーナの暴走は速度を増して、冷気は吹雪に変わる。自らを捕える檻を開放し、理性の箍が外れた魔女の力は凄まじく、ウルズトップの魔力障壁を以てすら手足が凍える程だ。
「チィ、面倒な」
アズの悪態を聞いているかのように、魔女の脅威は拡大する。
テーブルが、周囲の芝が、中庭のモニュメントが、次々と腐食し朽ち始めた。吹き荒ぶ吹雪のなか、存在吸収の波は徐々に取り込む範囲を拡げつつあり、トウヤたちに到達するのも時間の問題だ。
クラーケンの知識から導かれたのは、ルーナの魔力の暴走。
防ぐべき事柄の内の一つである。
アズがトウヤに向かって叫ぶ。
「トウヤ!貴様の魔術で鎮められないのか?」
「荒れ喰らう言霊の事を言ってるんなら、期待外れだぞ。扱う魔力が大きすぎて、俺の魔術じゃ焼け石に水だ」
荒れ喰らう言霊は、言わば強制的な中和。原則、込めた魔力分しか効果が無い。魔術であれば式の弱点を突くことも出来ようが、ルーナのこれは魔術ですらない。存在を捕食する指向性魔力故に、中和するには同じ量の魔力が必要なのだ。
「ルーナを直接止めるしかない。強行突破する」
アズにそう告げると、トウヤはアンクレットに命じた。
「圧縮格納庫、開放、災禍礼装《四季祀鬼神装式》、展開」」
瞬時に紅の夜叉が顕現する。その手には紅山茶花が握られ、炎の魔力が滾る。同時、アズは舌打ちしてから魔術を詠い、魔王の力を再現する。
「目覚めろ、《仮称・追憶の蒼魔王》」
すでにシュラウは下がっており、トウヤとアズは改めてルーナを見定める。そんな二人に氷の槍が降り注いだのは同時だった。
「アズ、回避だ!」
数本の槍が地面を抉る。
槍の刺さった地面はルーナの廻りと同じように劣化し始め、すぐに汚泥と化した。
「奴に魔術を使う理性が残っているのか?!」
驚きを隠せないアズの疑問に、トウヤが氷槍を避けながら答える。
「飽和した魔力が、ルーナを通じて発散されてるんだ!当たると侵食されるぞ!」
飛来する氷の槍は存在侵食性を持つ魔術で、本来であればとても強い意味を持つ高位魔術に位置する。
ルーナが振りまく存在の崩壊により、ルーナは存在エネルギーの差分を魔力として獲得している。しかし、今はルーナの意識は魔術を使える状態になく、飽和した魔力はその逃げ場を失っているため、結果としてルーナの魔術の痕跡を模倣することで発散されているのだ。恐らくルーナの魔術は自然と存在侵食が付与されるが、普段からそれを抑えつけていたのだろう。
クラーケンの知識からルーナの魔術特性を知っていなければ、無策に突っ込む所だった。
「俺が突っ込む。援護頼む!」
ただし、ルーナの意識を断たなければ事態は解決しない。
存在吸収に対抗出来るのは、唯一つ。
神無の魔術だ。
「神無き刃、神狩る刃、神喰らう刃。我が血が求むは、至高の神位。我顕すは嘆き叫ぶ濁刀」
神格を喰らう滅神の刃。
副次的に魔力を喰らうこの魔術ならば、存在吸収も斬る事ができる。
魔力を意図的に漏洩させて身体を覆うと、トウヤはアズの返事も待たずに飛び出した。
「《魔蒼の大雷霆》」
アズの舌打ちと共に聞こえた詠唱。すぐさまトウヤの横を雷撃が走ると、トウヤを狙う氷槍を弾き飛ばした。
ルーナの足元は既に汚泥と化し、ルーナ本人には氷の翼が顕現している。急がねばさらに侵食は拡がり、さらに大きな魔術が発動する。そうなれば、今でさえ手数が多くて近づくのに手こずっているのだから、トウヤたちの手には負えなくなる。
防ぐなら、ここで決める必要があった。
まだまだ、ルーナまでの距離は長い。




