《蒼の出逢い》1.狂気
《蒼の出逢い》
学生街の喫茶リーフ・レリーフでは、今日もエミリオ主従が忙しく働いていた。自主鍛錬を終えてバイトに入ったこの時間は、午後のピーク過ぎでしばらくしたらディナーに切り替わる時間だが、それでもまだまだ客の数は減らない。
「おい、聞いたか?ーーーー、ーーー」
「ーー、ーーー紅のーーー」
「ーー決闘魔術が、ーーーーー、」
「蒼の、ーーで、ーーー」
「夜叉、ーーー」
「雪と、ーーーー、雷がーーーー」
まるでノイズのような会話には、明らかな共通話題があるようだった。
耳の良いフィーとアニエスは当然で、厨房にいるエミリオにさえ雰囲気くらいは伝わる話題。それは演習場で行われたトウヤたちの騒動を見た者たちから伝わるものだ。
皿を下げ、オーダーを聞いて廻るフィーに、声がかかる。
「フィーリアちゃん、日替わり追加ね」
「はーい、ただいま」
今日の日替わりはラムウィン産茶葉。
香ばしい香りと苦味が特徴の紅茶だ。
空のティーポットを拾い上げ、フィーはカウンター越しに声をかけた。
「エミリオー、日替わりお代わりでーす」
バイト中なら呼び捨てですんなり言えるようになったフィーは、手際よく各テーブルの使用済み食器を回収しつつ、笑顔を見せる。
「お客さん、さっきから何の話をしてるんですか?」
四人組の男たちは同じヴェルザンディで《杯》所属だった筈だ。演習中によく視線を感じるので、多少印象に残っていた。
「あー、実は今日の演習場で凄い奴らが戦っててさ」
ぺらぺらと話してくれる内容はこうだ。
各クラスの演習が終わり、多くの生徒が自主鍛錬をする中で、突如として雷が落ちたのだ。それも並の雷では無かった。魔術で電撃を扱う魔術師はそれなりに居るが、その雷はいとも容易く人体を破壊し、消し炭に変えるレベルだったそうだ。
しかも、それは始まりに過ぎなかったらしい。
誰かが決闘魔術を使い、凄まじい戦いをしていたという。
確認されているのはウルズのアズュールとフロウ。あと二人いたのだが、詳細は不明。
雷音、吹雪、暴風、そして静寂。
大した秘匿もせずに大魔術をポンポン繰り出した挙げ句、ウルズたちは平然とその場を去っていったのだが、一人は見慣れない魔術師だった。
紅色の夜叉。
黒騎士に続く正体不明の鬼面の騎士。
最後に訪れた静寂を作り出した魔術師。
正体の推測はされており、刀を持っていた事から近衛トウヤか犬上流雅、ルイン・アークトゥルスあたりが候補らしい。
しかしあれがもし近衛トウヤなのだとしたら、誰も勝てないのではないか。
他の二人だとしても、普通の学生レベルでは到底敵いそうもない。
そんな憶測さえ聞こえる程に、その時の紅夜叉は鋭い魔力を纏っていたらしい。
「そんなに強そうだったんですね」
フィーか相槌を入れると、男たちはさらにこう続けた。
「だけど、あんまり近衛っぽく無かったんだよなー」
「確かにな。なんつーか、鋭すぎ?」
「あーそんな感じだな。近衛はなんだかんだ紳士的だったけど、紅夜叉はどことなく冷たい感じだ」
そんな会話をしていると、リーフ・レリーフの扉が開く。
そして店内が僅かにざわめいた。
「いらっしゃいませ、リーフ・レリーフへようこそ、トウヤさん」
フィーが迎え入れたのは、噂の魔術師・トウヤその人だった。
トウヤはいつも通りだが、噂を聞いた大半の人間にとっては平然としたその態度が不気味に思えた。
「やぁ、フィー。席は空いてる?」
「あちらのカウンターへどうぞ」
フィーの案内で人の少ないカウンター席に誘導され、トウヤが腰掛けるとエミリオが厨房から顔を出した。フィーにお代わりのティーポットを渡しつつ、トウヤに話しかける。
「いらっしゃい、トウヤ。何か難しい顔になってるよ?」
眉間に皺が寄り、口角も僅かに下がっている気がしたが、エミリオの言う通りだった。
「ちょっとな。いつもリフィ先生に卸してる紅茶はあるかい?」
「もちろん」
エミリオは厨房にいるマスターに注文を伝え、自身もまた厨房へ戻っていく。
「マスター、ハイドリーフお願いします」
しばらくしてエミリオが紅茶を運んできて、それからトウヤは独り考え事を始める。
「ごゆっくり」
口に含んだ紅茶はなんの味も香りもしなかった。
色だけは血のように紅く、たゆたう液面にトウヤは思考を巡らせる。
“防がなければならない”
クラーケンのもたらす直感は、大半がソレに起因する。
死や、再起不能に通じるであろう分岐点で、クラーケンは必ず扉を叩いてくる。結果的に、トウヤはそれを起こりうると判断して、クラーケンに魔力を捧げてきた。
まるでトウヤに何かをさせようとしているように思える。
クラーケン自体は狂気を伴う知識の貯蔵庫であり、存続のための魔力を欲しているだけの存在の筈だ。そこには普遍的な神性に見られるような人格や個性があるとは思えず、誰かを操るとしたらより多くの魔力を得ようとしてだ。
そこに意図を感じるのであれば、それはトウヤが狂気に侵されている証拠なのかもしれない。
未来の分岐点なのであれば、確かに知識を欲する場面だし、事実トウヤは防ごうとして魔力を捧げた。
だが、本当にそうなのだろうか?
クラーケンに意図が無いと、どうして判断できようか?
防がなければならないという感覚は、本当にトウヤの裡から滲んだものか?
皆が死に絶える未来など、本当に起こるのか?
識れば識る程に深みに嵌まるようだ。
けれど、自身が何かを防ぐために此処に在るという感覚は、本物のように感じる。
直感を疎かにしテはいけない。
魔術師たるもの、自身の形なイ心を掴み、意志を具現化すべきだ。
過去にクラーケンが視せた可能性を思い起こす。
最初は階段から落ちるルーナ。
打ち所が悪くて死に至る。
次に視たのは、菌竜の森でのアズとミスティ。
魔術戦の末にミスティは消滅し、アズは大怪我を負う。
クラーケンを明確に意識した時には、卑王竜を前に倒れた皆を守れない後悔があった。
そして先の演習でのアズの雷は、ルーナを消し炭にするものだった。
待っていたのは、いずれも死と後悔だ。
そこに嘘はない。
思いは定まった。
トウヤは瞑想し、心の底に沈む石櫃に語りかける。
『俺は何者なんだ?何を防ぐ者なんだ?』
扉は重く沈黙を守る。
まるで眠っているようだ。
水底に眠る神に、トウヤはもう一度問いかける。
『悲劇は、死は、防げるのか?』
深水にごく僅かに気泡が混じる。
重たい石戸が擦れ、僅かに水を呑む。
その奥で、蠢く影は呟いた。
『ーーーーーーーーー』
だが、その声はくぐもって聞こえづらく、トウヤには意味が理解出来ない。
何かに遮られ、クラーケンの呼び声はだんだん遠ざかっていく。
扉はゆっくりと閉まり。
『ーーーー鍵ーーは、ーーーー妹、ーー』
途切れ途切れの思念から理解出来たのは、その二つの言葉だけだった。




