《黄金の芽》1.再開/災禍異
《黄金の芽》
赤く紅く、昏く染まる。
大地と空の境目が無くなる黄昏。
その地を歩む影が一つ。
唯の独りだけが往くその平原を、血生臭い風が吹く。
おびただしい数の魔術師の屍体と、戦闘の痕。
その全てが仄暗い赤に包まれて、混じり合っている。
影の纏う白の装衣も既に紅く、黒く、風になびく。
その背中にある紋章も、今は見えなかった。
影の歩みは、時折揺らめきながらも、強い意志を感じるものだ。
人型をしたその影は、紅い眼光と吹き荒ぶ魔力、獣の如き獰猛さ、そして冷酷さを持ち合わせた、魔術師の成れの果てだった。
所謂、災悪と呼ばれるモノに変質した、魔術師。
その手に握るは、神を屠るための刃。
幾度の戦場で、死合で、決闘で、その刃は対する者を屠った。
幾度返り血を浴びても、刃の輝きは失われず、けれど黒く昏く染まる。
最早人ではなく、その目的さえも忘却し、それでも歩む。
心は既に無く、しかし、刃だけは鈍く輝き、目的の場所を忘れていない。
もう少し。
凍てつくような紅の中で、影は目的地だけを見据えていた。
もう少し。
止まらないのか、止まれないのかすら理解できない、散り散りの思考の中で、唯一輝く記憶を求めて。
もう少しで、見える。
塵が邪魔をしていた視界が、腐った風とともに飛んでゆく。
世界は痛みで出来ている。
嗚呼、ようやく。
朽ち果てた、巨大な樹。
白亜の外殻を流血のように染め上げた、輝く記憶の象徴。
それが、赤黒い大地に、さらに黒く影を落としている。
揺らめく影は、輝く記憶を取り戻す事は出来ずに、代わりにその樹の崩壊を思い出した。
「嗚呼、ようやく…辿り着いた」
始まりにして終わりの地。
誰にとも向けられていない言葉は、小さく、掠れていた。
別に、返事を期待などしてはいない。
独り言だ。
そもそも、災悪と成り果てた魔術師に、まともな自我など残ってはいなかった。
全てを破壊したその地に舞い戻ってさえ、影は輝きの一欠片すら、見つけられなかった。
その背中に、声をかける者がいた。
「久しいな、■■■■」
影の忘れ去られた名を告げる凛とした声。
刃だけが応えて煌めく。
弾かれるように、咄嗟に刃を振るっていた。
声は風切り音にかき消され、声の主は振るわれた凶刃を避けもしない。
代わりに、抜き身で引っさげた刀を打ち付け、影の襲撃をいなすと、憐憫とも後悔ともとれる言葉をこぼす。
「心を亡くした、か」
真紅の中に在って、尚一層、紅たる者。紅の魔神。
輝く記憶の一端に在る者に、影は咆哮した。
刃を交わす。
意味のある言葉などない。
絶叫と、鳴り響く鋼。
刃を打ち合う音だけが言葉である。
そう示すように、幾度も、幾度も。
しかし、それも長くは続かなかった。
「…終いじゃ」
揺らめく炎が、刃を断ち切る。
最も紅い者の刃は、影の胸を深く、抉った。
目的地を前に、死が忍び寄る。
「…願わくば、そなたを殺したくはなかった」
その声は、最早届きはしない。
或いは、この死に場所が、目的地だったのかもしれない。
最期の願いを呪言のように呻きながら、魔術師の成れの果ては、緩やかな死へと堕ちていく。
全て、燃えていく。
走馬燈に視た過去。或いは幻。
幾重にも重なる、時の影法師。
そのいくつもの局面で、後悔を積み重ねた。
願わくば。
取り返しのつかない死を、幾度も見せつけられてきた。
願わくば。
愛した者を屠った過去も、親しかった者の裏切りも、全て。
願わくば。
『遡れ』
願いと共に瞬時に蘇り、消えゆく過去の残滓。
願って止まない輝かしい日々を、掴もうとして手を伸ばす。
探していた者がいた。
生き別れた、血を分けた者。
出逢えずに、今も行方を知らず。
幼い頃に出逢った者がいた。
白の羽を持つ、真紅の者。
今は死に絶え、その顔を再び見ることはなく。
戦ってこの手にかけた者がいた。
鮮烈なる色を持つ、鋭い稲妻の如き者。
その最期の言葉すら、すでに忘れてしまった。
荒んで崩壊した者がいた。
呑み込み、肥大し続ける者。
理知に富んだ瞳は絶望に沈んで、消えていった。
理想を求めた者がいた。
竜に魅入られた、力持つ者。
理想は砕け、その剣は折られた。
守護者がいた。
包み込み、そして見届ける者。
全ては世界樹と共に枯れ果てた。
他にも、戦に狂う者、鬼と化した者、魔道に喰われた者、死に絶えた者は数しれず、その死の全てを鮮明に刻んだ災禍の魔術師は狂ってしまったのだ。
けれど、死の訪れとともに、その怨念も消えた。
死体すら残さず、塵に変わり、風が散らしていく。
紅の魔神が、塵の行方を寂しげに眺めているような気がした。
黄昏に枯れる世界で残ったのは、魔術師が生きてきたという微かな痕跡だけだった。
***
異世界と異世界の間。
小さな1つの世界が無数に存在する、多次元世界に浮かぶ数多の中に、ひときわ輝く世界があった。
誰が名付けたのか、その呼び名は黄金の芽。
魔術という可能性を大いに内包する、豊穣の世界。
いくつもの世界樹を有する、人の身にあまる巨大な世界。
かつては神々の楽園であり、神獣や魔獣の支配する無辜の箱庭であった其処は、今は大きくその姿や在り方を変えていた。
かつて在りし神話の英雄が、世界を改変する魔法を落とし、世界をその後続へと拓いたからだ。その理念・理想が、後へと続くように願って。
人が生息する事が出来るように仄暗い夜と苛烈な昼を和らげ、無欠で完結していた神魔の楽園を堕とし、魔術という可能性を、人という余地を創り出した。
魔術という技術が、世界を越えた世界にまで偏く浸透するように。
力なき者が、力なき故に嘆く事がなくなるように。
それは、各世界の魔術師たちに疎まれ、しかし、一方で神話に通じる技術を求めて、現在まで衰退することなく継続されている。
黄金の芽が実る、その世界。
神話の英雄により、魔術の実る楽園となった世界。
その世界のとある場所にある新緑の森を抜けて、一陣の風が吹く。
風はある者の髪をさらい、またある者の肌を撫でて、彼方へと去っていく。
遥か高みへと登っていく風。それが見下ろす先には、青々とした森と広大な草原。そして、その緑の中に建つ、巨大な建物があった。
一言でいえば、城。
ただし、それは遠くから見れば、とても奇妙で、真っ白な山に、深緑の茸や蒼の棘が生えているように見える。
その深緑、生い茂る巨大な樹木を取り囲むように立っている建物。それらを覆う白亜の壁と建物群。その周囲には苔が繁茂するように拡がった城下町。そして、ところどころに建つ蒼の尖塔。それらは古めかしくあったが、それは汚点とはならず、むしろ経てきた数多の星霜を威厳として示している。
けれどそこに存在するのは、物々しい甲冑を着込んだ騎士や威厳漂う王の姿では無く、未来を担っていく少年や少女たちの姿だった。そしてその誰もが、定められた装束を着て、割り当てられた自分の場所へと移動していく。
そこは教育機関であった。
魔術という力の結晶を扱う者のための。
学校に通う者たちの中には、背中から鳥の翼を生やしている者もいれば、頭に獣の耳を生やしている者もいる。他にも、青色の髪色をしている者や、人型で無い者もいた。
そこは学校であった。
どこの世界とも違う、幻のような場所に存在する魔術学校。
そこに関わる者は、その学校をこう呼ぶ。
『フラムベル魔術学院』と。
原初の魔術師を戴く、世界樹の学院。
人も、神も、魔も、隔てなく、あらゆる世界に門戸を広く開ける、魔術の最高峰にある学舎。
学ぶ意志有る者に開かれた、啓示の扉。
如何なる者にも機会が与えられる、神秘の城。
叡智の魔術師の名、永代学長フラムベル=エテルナドールの名を冠する白亜の学院。
それが、フラムベル魔術学院である。