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異世界の記憶:冴えない愛・輝く愛  作者: 田舎乃 爺
第二部 第一章 ゆるふわな五日間
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09 いつも以上の朝


「――へへ」



 2日連続で冴えない顔にだらしのない笑みを浮かべるサク。その視線の先には、昨夜アイリスから貰い受けた指輪がはめられた左手薬指がある。

 起きた後も終始お互い照れながらも一旦別れ、今日の準備を進めたりした。いつも通りなのだが、いつもとは違う。言葉ではうまく表せない感情のせいで、顔のにやけが止まらなかった。

 とりあえず着替えが終わって広間へ行く前に眺めておく。一生手放すことがないであろうそれは窓から差し込んでくる朝日を受けて輝いていた。

 元の世界の意思を持ったズッキーや両親に言えばどんな反応があるのだろう。喜んでくれるか、こんな自分があんな綺麗でかわいい子が妻になるのを信じられずに驚くかのどちらかだろうが、残念ながら確認する方法はない。



「……あれ」



 気づけばサクは指輪を見つめる視線がぼやけてきていた。幸せを手に入れた喜びと、もう会えない存在を思い出したことによる空虚な思いが重なって、心の底から感情が溢れ出してくる。

 割り切ったはずなのに、何故か頭の中を元の世界の、自分が15年間居続けた實本家のことが埋め尽くす。奥の方へと追いやろうとしても、膨れ上がり続けるそれはサクの涙腺を刺激し始めた。

 今頃どうしているだろうか。元気にしているか。風邪などはひいていないか。月刊巨乳エクスタシーは欠かさず買っているか。くだらなくもあり、素朴でもあるそれらが頭の中に思い浮かぶたび、頬に涙が伝っていく。

 このままではいけないと判断したサクは服の袖で強引に涙を拭くと、机の方へと向かっていく。その上に広げっぱなしの手紙の最後の余白部分に、今の感情を抑え込むために簡潔で分かり易い一言を書き込んだ。

 ペンを置き、ようやく落ち着いてきた感情を安定させるためにその場で深呼吸をする。もう大丈夫と思った次の瞬間、部屋の扉がノックされた。



「サク、入っていい?」


「あ、ああ」



 向こう側から聞こえてきたのはアイリスの声。それにサクが答えると、騎士団の制服を着たアイリスが少し恥ずかしそうにしながら入ってきた。



「おはよう、サク」


「おはようアイリス。どうしたんだ?」


「いつもなら1人だけど、一緒に広間に行こうかな……って、どうしたの?」



 可愛らしい照れ顔がサクの顔を見て心配したようなものへと変わった。どうやら真新しい泣き跡が気になったようだ。

 ふき取っただけではやはりだめだったか。それしか思いつかなかったとはいえ安易な行動をとった自分を叱責しつつ、アイリスを安心させるために口を開く。



「いや~、ちょっと指輪見たらうるっときちゃってな。だらしないからすぐに顔洗いたい気分だわ」


「そうなの? でも、ちょっと違うような――」


「ま、心配してくれなくて大丈夫。ささ、広間いこうぜー」



 本当のことを話せばようやく押し込むことのできた感情が再び溢れ出してきそうな気がしたサクは、下手すぎる逸らし方を違和感たっぷりに披露して先に部屋を出て行ってしまった。

 夫婦となったのにこんな対応をするのは絶対に間違っているとは理解していても、体は自らの精神的危機から逃げたい一心で行動してしまっていた。後を追って出てくるであろうアイリスへの謝罪の言葉を考えつつ、広間へと向かっていく。

 長い廊下を少し歩いたが、アイリスが隣に来る気配はない。おかしいと思ったサクがその場で振り向くと、ちょうど部屋からアイリスが出てきた。その表情を見て、サクは凍り付いてしまう。

 ガチギレとはいかずとも、怒っている。久しぶりに見た不満げなそれを見て、これは早々に夫婦喧嘩勃発かと考えつつ唾を飲み込んだ。

 ゆっくりとこちらへと向けて近づいてくるアイリス。ここは誠意を見せるために土下座でもしようかと身構えたサクに、はっきりとした声で指示が飛んでくる。



「膝立ち!」


「は、はい!」



 強めなそれを躊躇うことなく聞き入れてサクは素早く膝立ちになる。結構勢いよくいったために膝の皿に痛みを感じるが、今はそんな事はどうでもいい。

 どんな仕打ちがくるのか。最近は滅多になかったが、このまま勢いよく蹴りか、拳か。なんだっていいから可能な限り優しいもの願うサクは震えてその時を待つ。

 心の中で懇願するサクの眼前までアイリスは迫ってきた。ここにきて恐怖から目をつぶってしまうサク。そんな自分に呆れていると、予想外の衝撃が顔面に襲い掛かってきた。



「むぶっふ」



 僅かにある柔らかなそれが顔を包み込む。後ろに回された腕が優しく引き寄せてくれている。ハクやカーラとは比べてはいけないささやかなアイリスの胸の中に、サクはいた。

 状況が飲み込めずに困惑するサクがそのまま固まっていると、頭上の少し上からアイリスが話しかけてきた。



「ごめんね、ハクやカーラほどの包容力はないかもしれないけど」


「い、いや。そんなことは……。というか、どうしたんだ?」



 その言葉を聞き、一旦サクを解放したアイリスは少しだけ屈んでまっすぐに向き合った。透き通るような青い瞳は相も変わらず美しい。

 中庭が見える窓から入ってくる光で明るい廊下。心地よいそこにおいて、アイリスの手がサクの頬を優しく触れてきた。小さくも温かみのあるその指が涙の跡を辿る。

 慈愛満ちたそれと目の前にある微笑みを見て、サクはアイリスが何を考えているのかを察してしまった。何とか表に出そうになった感情を抑えるが、溢れ出すのは時間の問題だった。

 いつもであればカーラがこういう時には慰めてくれた。妻になったとはいえ、心のどこかでそういった弱い自分をアイリスに見せたくないとつまらない意地がサクの心を支えている。

 無意識のうちに歯を食いしばって耐えるサクに、アイリスは止めと言える一言をつぶやいた。



「辛いときは、頼ってくれていいんだよ?」


「……すまん」


「うん。大丈夫。サクには皆と、私がいるよ」



 これはもう、無理ですね。そう心でつぶやいた後、サクのせき止めていた感情が溢れ出した。我慢していた全てが表へと出て行ってしまう。

 内に秘めた思いが8開きの目から形となって流れ落ち始めたところで、アイリスは全てを包み込むようにサクを優しく抱きしめた。いつもとは違って最高に落ち着く胸の中で、だらしなく感情を垂れ流す。

 明確な家族となり、揺るぐことのない愛を向けてくれるアイリスの輝きによってぽっかりと空いたサクの心の穴が徐々に埋まっていく。

 二十歳はたちにもなってこんなに号泣するのはだらしないかもしれないが、今は大切な人に包まれて泣きたい。誰かに見られたって構わない。どうせ見ると言っても見知った顔なのだろうが。



「大丈夫。大丈夫だよ……」



 そう囁きながらアイリスはサクを優しく撫で続ける。それを受け、より一層だらしない声を上げる。

 爽やかな朝の屋敷には、冴えない青年が気のすむまで嗚咽を響かせ続けていた。






     ◆◆







「はい、忘れ物はない?」


「ああ」


「今日の予定は?」


「勉強会はなしで、夕方までハクと一緒に『我ら一番』の手伝い。帰宅後はママの美味しい料理だな」


「マっ……」



 広間の前の廊下においての確認中でアイリスが顔を真っ赤にさせた。それを見てサクだけでなく、一緒に朝食を食べたハクたちもにやにやしながら見守っていた。

 今回のアイリスの結婚の申し込みは、何とサク以外の全員が知っていたらしい。重婚が許されているとはいえ正々堂々といきたいアイリスが事前に言い広めていたそうで、それを全員が応援していたようだ。

 これがもしハクやカーラでなかったらぎくしゃくしていたかもしれない。昼ドラみたいなどろっどろな展開は大の苦手であるサクにとって、そうならないで済むのは何よりも嬉しかった。

 湯気が上がり始めた自らを自制するようにアイリスは咳払いすると、目の前に立つサクを見つめた。対するサクも真っ赤な愛おしい存在から視線を逸らすことなく交え続けた。



「き、期待してなさい。マっ……、ママが美味しい料理作ってあげるわ!」


「おう。楽しみにしてるぞ」


「そうね! 楽しみにしてみゃさひ!」



 最後の最後でこれまた絶妙な噛み方を披露してくれたアイリスママは、悔しそうな表情を浮かべる。朝食前に自分を慰めてくれた妻のその姿が可笑しくて、サクは抑えきれずに笑ってしまった。

 圧倒的な幸せの中にいることをサクは自覚していた。これからもずっと、こんな時を過ごせたらいいと切に願い続ける。

 式を上げたりとか諸々のことはスモークから帰ってきてから行うことになった。そうした方が落ち着いて進めることができるというアイリスの提案であり、サクもそれを了承した。

 少し先の未来にサクが思いを馳せていると、自らを落ち着かせるためにアイリスは再び大きく咳払いした。乱れた呼吸を整えながら、いつも通り頭上に手を掲げる。ここでいつもとは違ったのが、その手が左手だったということ。



「さあ、今日も頑張っていきましょー!」


「「「「おおー!」」」」



 掛け声に合わせ全員が声を上げながら拳を突き上げる。心なしかいつもよりもアイリスの声が大きく感じたが、実際大きかったのだろう。

 いつも通りだが、いつも以上に嬉しい1日が始まる。自分なりに頑張れと強く言い聞かせ、サクはハクと一緒に屋敷の玄関へと向かっていく。

 廊下を歩いていく中で言い残したことを思い出してサクは立ち止まった。その場でハクとともに振り向き、まだ広間の扉の前でゲイリーと話を進めているアイリス向けて大事な一言を言い放つ。



「行ってきます!」



 いつもであれば掛け声が別れの言葉。だが、この関係になったのであればこの一言が重要だと考えての発言だった。

 それを聞き、アイリスは満面の笑みを浮かべてサクに向けて心のこもった送り出しの言葉を告げた。



「行ってらっしゃい!」

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