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異世界の記憶:冴えない愛・輝く愛  作者: 田舎乃 爺
第一部 第一章 冴えてる三日間
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08 小さな恋人

 アイリス救出作戦を終え、ホテルへと帰ってきたサク。冷めた体を温めるべくシャワーを浴びた後、就寝の準備はせずに出かける準備を整えていた。

 ブレームからもらった服を着て、靴を履く。忘れ物がないかの再確認をしているところで、小竜の姿のハクがサクへと飛びついた。



(行くの? サク?)


(ああ)


(じゃあ私はここー!)


(ほいほい。いつもの場所ね)



 わしゃわしゃと楽しそうにハクは服をよじ登り、その内側へと器用に入り込んでいく。そして襟に掴まり、そこからひょっこりと首を出した。ハクが定位置に着いたことで、深夜の街散策の準備は完了するのだった。

 会議をしているアイリスからは外出許可は既に取得済み。隣の部屋にいるカーラはもう寝てしまったようなのでそのままにしておくことにし、サクは部屋の鍵を閉めて意気揚々と階段を下りて行った。

 誰もが寝静まる時間だということもあるが、アージュの騒動があったことから宿泊客は安全を考慮してなるべく部屋を出ないようにと通達されており、ホテル内部に人影は存在しなかった。ひっそりとした空気が漂う中をサクは進んでいく。

 何も知らないからこそ見るものすべてが新たな発見なようで、ハクは常に楽しそうに周囲をきょろきょろと見渡している。人の子と変わらない初々しさは大変可愛らしいものだった。

 そんなハクに癒されながらもホテルのフロントへとたどり着いた。若干寝ぼけ気味な女性従業員に鍵を預け、サクとハクは深夜の散策へと向かった。



「やっぱり。いい雰囲気だ」



 静まり返った商店街。戸締りも完璧に行われている。日中の活気がまるで感じられない。いくつかの街灯が、薄っすらと道を照らしていた。

 普段見ている場所の裏側の姿を見るのがサクの趣味の1つだった。元の世界においても、度々深夜になってから家を抜け出して周辺を散策していた。たまに顔なじみのお巡りさんに見つかって補導されかけたりもしたが、持ち前の無駄に洗練された土地勘をフルに活用して毎回逃げ延びていた。

 静かな雰囲気。少しひんやりとした空気。日中とは全く違う様子を見るのが、サクにとっては楽しくてしょうがなかった。その満足そうな表情を見て何かを思いついたハクは、素早く服の中から出るとサクの真横に降りる。そして、その体をワンピース姿の幼い少女へと変化させた。



「私も一緒に歩く!」


「おう。じゃあ、手を繋ぐか」


「うん!」



 差し出された小さくて温かい手をサクは握った。しっかりと離さないように握り返してくるその手は、とても可愛らしかった。

 深夜の商店街の中を幼い少女と冴えない顔の男性が手を繋いで歩く。職質待ったなしの状況だが、異世界であれあ問題はない、はず。非日常の別側面を思う存分、サクは楽しんでいた。

 それなりに長かった商店街が終わり、サクとハクは昼間に行った住宅街とは反対方向へと進んでいった。それなりに綺麗な街道をしばらく歩いていくと、中央に噴水が設けられている広めの公園にたどり着いた。

 公園内の掃除は徹底的に行われており、ごみ1つ落ちていない。設置されているベンチや遊具も綺麗に磨かれており、街灯の僅かな光を反射していた。

 サクの家の付近にも公園はあったが、残念ながらここまで綺麗に清掃はされていない。雨風によって錆びた鉄棒やブランコ、野良猫のウンコスポットと化した砂場などを思い出し、サクはここを見習ってほしいものだと、ため息をついた。

 公園内をハクと一緒に歩いて回り、一通り見たところでベンチに腰かけた。隣に座ったハクが地に付いていない足を楽しそうに揺らしていた。可愛い。

 ふと見上げたそこには、サクの田舎町のものと同じかそれ以上に綺麗な星空が広がっていた。ハクもその空を瞳を輝かせながら見ていた。



「綺麗だな」


「うん! 綺麗!」



 サクの一言に続くハク。しかし、その一言は星空に対してだけでなく、隣にいるハクも含まれていたのだが、本人はそれに全く気が付いていないようだった。

 星空を眺めながら、サクはこれまでのことを思い返してみた。そして1つの結論に至る。



(夢じゃねえよな……、これ)



 この1日で本当に色々なことがあった。サクの普段の日常では絶対に味わうことのできないことを間違いなくこの体で経験した。

 冷たかったり、温かかったり、痛かったり、興奮したり、戦ったり。そのどれもが目を閉じれば鮮明に蘇る。そう、夢なんかじゃない。これは現実。實本冴久は異なる世界にいる。

 何故突然ここに来てしまったのか、母さんと父さんはどうしているか、高校の単位はどうなるか、箪笥の中に隠している秘宝とPCの秘蔵のフォルダのことが気になって仕方がない。今になって多くの不安要素がサクの脳裏をよぎっていた。

 帰れる保証はどこにもない。そもそも帰れるのかどうかすらも分からない。お金と服などは手に入れたが、これから先一体どうなるのか。冴えない暗い顔をさらに曇らせていると、それに気づいたハクが抱き着いてきた。



「大丈夫。サクには私がいるよ」


「……おう。ありがとな」



 勇気づけてくれたハクの頭を優しくなでる。その眩しい笑顔を見れば、ハクがいてくれれば、何があっても大丈夫なような気がしてきた。

 お互いの体温を感じながらも、今になって思い出した疑問をハクに投げかけた。



「そういえば、ハクはどうやって人間の姿になれるようになったんだ?」


「私も分かんなかったけど、ゲイリーは人間の一部を取り入れたからとか言ってたよ」


「人間の一部? そりゃまた物騒な……。いや、待てよ」



 人間の一部。言葉では間違いなく物騒だが、その中に排出物も含まれるのであれば、サクには心当たりがあった。



「……『汗』か」


「サクのしょっぱかったやつだね!」



 河原を歩いていた時に服の中でハクはサクの汗を舐めていた。それが原因だろう。

 サクの一部を取り入れ、人間の姿となったハク。もしかしたら、その姿はサクが思い描く理想の姿なのかもしれない。実際、巨乳美女と同等クラスに美しく、可愛いと思っている。こんな妹か、娘ができればいいなと、心の底から考えていた。

 この世界に自身を飛ばした誰かを恨む気持ちもあったが、ハクと出会わせてくれたことに対する感謝の念も抱いた。これほどのことができるのならば、自室に残した秘宝と秘蔵フォルダをどうにかしてほしいと願うが、変化はみられないし実感も出来なかった。

 ハクと一緒に充実した時を過ごしたが、ここにきてようやく睡魔が襲ってきた。サクはベンチに座ったまま、ゆっくりと背を伸ばす。そろそろホテルに戻ろうと伝えようとしたが、それを遮るようにハクが瞳を輝かせながら迫ってきた。



「サク! 私のこと好き?」


「おおん? えっと、好きだよ」



 唐突な問いかけにサクは動揺しながらも答えた。間違いなく、ハクのことは好きだ。家族的な意味で。



「じゃあ、チューしよ!」


「あら、また可愛い表現だな。誰かに教えてもらったのか?」


「カーラに教えてもらった! 好きな人とはチューするんだよね!」


「そうか。じゃあまずは――」


「サク、大好き!」



 とりあえず目をつぶってもらおうとしたサクだったが、それよりも早くハクはサクに飛びかかった。唇を重ねる。それも、1回だけでなく、何度も何度も。

 雰囲気とかは一切関係なし。お構いなしのハクの行為をサクは嫌がることなく受け入れた。娘が出来たらこんな感じなのだろうかと考えつつも、嬉しそうなハクに応える。

 性的興奮は一切なかったが、終盤になるにつれてコツを掴んだのか、唇を重ね合わせる時間が長くなっているように感じられた。

 深夜の公園のベンチの上で、幼い少女に押し倒されて唇を奪われ続ける冴えない顔の男性。何とも言えない絵面だった。

 満足したハクが、頬を染めながら離れた。初めて見る恥ずかしそうなその姿は、それはそれは可愛いものだった。



「えへへ。これでサクと私は恋人だね」


「あ、そういうことも教えてもらったのね」


「うん。私はサクが大好き。サクも私が好き。これって恋人だよね?」


「そうだな。これからもよろしくな」


「うん!」



 満面の笑みを浮かべるハク。その頭を優しく撫でた後、サクはベンチから立ち上がった。



「んじゃ、そろそろホテルに帰るか」


「分かった!」



 元気な返事をしたハクに、サクは手を差し出した。それを握り、2人は楽しそうにホテルへと戻っていった。

 商店街のすぐ近くのホテルに到着すると、楽しそうなハクの姿を見た女性従業員は笑顔になるが、その繋いだ手の先にいるサクを見て表情をこわばらせる。

 いや、さっきも見ただろうに。と、サクは心の中で突っ込みをいれつつもカギを受け取り、自室へと戻っていった。

 途中の階の大広間の一室を借りて行われている会議はまだ終わっていないらしく、複数の人の声が聞こえてくる。よほど重要な話をしているのだろうが、アイリスからは参加しなくてもいいと言われているため参加しない。そもそもそういった会合に参加しても、途中で居眠りを始めてしまう自分しかサクは想像できていなかった。

 部屋に戻ったサクは、電灯は消したまま靴を脱ぎ捨ててベッドに飛び込んだ。自室で使っている布団とは段違の弾力とフワフワを堪能していると、サクの横にハクが寝転がる。



「サクと一緒に寝ていい?」


「いいけど、狭くなっちゃうぞ? ベッドはもう1つあるけど」


「大丈夫! サクと一緒に寝たい!」


「OK。落ちないように気を付けろよー」


「うん!」



 満面の笑みのハク。ああ、癒される。小竜の姿も可愛いが、幼い少女姿も抜群に可愛い。

 先ほど恋人だとか話を合わせてしまったが、サクはそういった目線でハクを見る気はなかった。どちらかというか、親として大切に育ててあげたいという思いが強い。

 そんな一歩間違えれば危険な思想をサクは巡らせながら、その小さくて可愛らしい存在の体温を感じながら眠りにつくのだった。








     ◆








 ――暗闇の底へと、落ちていく。



 ――彼方には、温かな光が見える。



 ――そこへと行きたくても、恐ろしいほどにまで鈍重に感じられる体は微動だにしてくれなかった。


 

 助けを乞うために叫びたくても、口が動かない。魔法を行使して浮上しようと試みるも、何故か不発に終わってしまう。危機的とも思える現状を打破するため、『アイリス』は必死にもがき続けていた。

 時折、周囲一帯の暗闇がぼんやりと赤い光を放つ。その度に、体の端から”何か”が入り込み、汚染していく。体を蝕む”何か”は、端から中心へと着実に範囲を拡大していった。

 ”何か”が体を汚染する嫌悪感は正気を絶するほどのもので、アイリスを心身ともに大きく揺さぶる。逃げたくても逃げられず、ただただ、自分が”何か”によって別のものへとなり替わっていくのを感じることしかできない。

 やがてアイリスの心中にて数多の声が同時に響き渡り始める。絶望して泣き叫ぶ声。助けを懇願し続ける声。狂ったように笑う声。激しい怒りが込められた金切り声。延々と繰り返される壮絶な断末魔。聞いているだけで心が不安定になる数々は、絶えることなく直接心に押し寄せてくる。

 自分が自分でなくなっていく恐怖。心をへし折らんとばかりになだれ込んでくる狂気の声。必死に自らを見失わぬように奮闘するアイリスの身心は限界にまで擦り切れてしまっていた。



(――ああ、それだけは駄目)

 


 抵抗の最中で鮮明に蘇ったのは家族との記憶と、これまでの人生で楽しかった場面の記憶。走馬灯ようにそれらが駆け抜けていくことこそ、今現在アイリスが最も恐れていたこと。そうなることが、自らの”死”につながってしまうと思えてならなかったからだ。

 美しい数多くの記憶は、汚染によって真っ黒に塗りつぶされていく。汚染はやがてアイリスの抵抗心さえ塗りつぶし、さらなる闇の底へと引きずり込むべく、彼女が有する全てを暗闇に染め上げていった。

 もはや自分自身が何者かすら分からなくなり始めたアイリス。その虚無な心の中に1つの願望が浮かび上がる。



(――『食べたい』)



 それは、生きているうえで重要となる欲求から来た願望だった。乾いて仕方がない喉を潤すため、辛く思えるほどの空腹を満たすため、”彼女だった者”は動き出した。

 手ごろな獲物は目の前にいた。衝動のままに組み伏せ、最も体が求めている物を取り込むためにその首元へとかじりついた。もがく獲物を力で押さえつけ、口から美味なものを吸い上げていく。少しずつ満たされていく感覚は非常に心地よく、止めようなどとは微塵にも考えられなかった。

 このまま全て飲み干してしまおう。そうした方がいいに決まっている。込み上げ続ける欲求に従い、獲物から何もかもを吸い出そうと決めた”彼女だった者”は、吸引をさらに強めていく。

 その矢先のことだった。



(――?)



 温かさを感じた。とても柔らかで、優しい温かさを胸の辺りから感じ取った。



(――なに、これ)



 その温かさは、吸い上げた美味なものに作用し、腹と喉を中心として瞬く間に全身へと広がっていく。それに連なって汚染は浄化されていき、アイリスは本来の彼女を取り戻していった。

 精神を圧迫し続けていた声は奥底へ追いやられ、もう聞こえてこない。全身の感覚も戻り始め、その体は二度と届かないと思えた彼方への光へと急浮上していく。

 それから間もなくして、覚醒したアイリスは想定外のものを視界に捉えるのだった。



(――嘘でしょ)



 その目に映ったのは、素っ裸で力なく横たわるサク。首元にできている噛み痕を見て、アイリスはおもむろに自らの口に手をやると、そこには彼のものと思われる血がこびりついていた。

 衰弱しきったサクが自身を呪術から救い出してくれたことを察したアイリスは、馬乗り状態からすぐさま離れてサクの横へと正座する。とりあえずは傷を癒すことに専念しようと行動に移るアイリスは、素直な本音を思わず口にしてしまった。



「……何で裸なのよ、変態守護騎士」



 感謝しているはずなのに、罵倒に近いことを言ってしまった。すぐさまその発言を自省して治癒魔法を行使していくアイリスの目にはいつの間にか涙が浮かんでいた。

 つい先ほどまで体感していた呪術の恐怖。それから解放されたことへの安堵。そして、こんな変態であってもサクが間違いなく『守護騎士』であることを認識できたことが、彼女の頬を濡らすこととなった。

 幼い頃から、『守護騎士』に憧れていた。邪悪な存在を祓える、清く強靭で正しい存在。そんな『守護騎士』であれば、自らとも対等に渡り合えるはず。そう考え、研鑽を重ねた日々が懐かしい。

 そしてその果てに、自分は救われた。救い出してくれた。どんな変態であれ、サクこそが『守護騎士』。これからを共に歩める可能性を秘めた、理想の異性だと思えてならない。そしてその理想の存在が救ってくれた事実が、アイリスの乙女としての心を揺らしていた。

 解放と、安堵と、感謝と、喜び。めぐる思いをそのままにしていれば、時はあっという間に過ぎ去る。サクの傷の治癒が完了し、アイリスは少し汚れた服の袖で零れだす涙をぬぐった。そして、いかにも起きているのが辛そうなサクに向け語り掛けようとした。

 だが、



「――お嬢様?」


「ふあっ?」



 突如聞こえてきたのは幼い頃から聞き慣れた執事の声だった。それに驚いて声を上げた瞬間、アイリスは声を上げて閉じていた目を開いた。

 そう。閉じていた目を開いた。ぼやけた視界に映るのは自身とゲイリー以外の誰もいなくなった大広間。アイリスは後に提出する報告書をまとめている最中、無意識のうちに席に座ったまま眠ってしまっていたのだった。



「大丈夫ですか、お嬢様? やはりまだ体のどこかに違和感が?」


「ああ、いや。ごめんなさいゲイリー。ちょっと寝ちゃったみたいで」


「それだけならばよいのですが、その涙は?」


「涙?」


「ええ。ぽろぽろと零れ落ちていました」



 心配するゲイリーの指摘を受け、アイリスは目元に手をやる。その手で触れたことで、寝たまま結構な量の涙を流したのが分かった。

 夢で思い返した要塞での出来事が非常に印象深く残っているようで、現実の肉体で疑似再現されていたようだった。これまで経験したことのなかった状態にアイリス自身が少し驚いてしまうが、この様子が心配でならないゲイリーを安心させるため、柔らかく微笑む。



「大丈夫よゲイリー。私は元気よ」


「そういってもらえると心配が少しは和らぎます。ですが、今日は大事を取ってもう休まれては? 報告書の残りは、私がまとめますので」


「そうね。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ。後はお願いね、ゲイリー」


「お任せを。おやすみなさいませ、お嬢様」


「うん。お休み、ゲイリー」



 ゲイリーの進言を受け入れたアイリスは、ゆっくりと立ち上がり大広間の出入り口へと向かっていく。その背が扉の向こうへと消えるまで、まるで親のようにゲイリーはしっかりと見届けてくれていた。

 照明で照らされた深夜のホテルの中を進み、今日寝泊まりする部屋へと向かう。その部屋まであともう少しといったところで、ふと思い出したようにアイリスの足は止まってしまった。

 止まった彼女の前にあるのは別の部屋の扉。サクとハク用に急遽用意された部屋だった。しばしの間その前で悩んだアイリス。その後意を決して扉をノックしようと手を近づけていった。



(……待て。待て私。早まるな。早まって変な風に思われて距離を取られたら元も子もないじゃない……!)



 自らを戒めるように心の中でつぶやいたアイリスは、複雑な表情で手をひっこめていく。そのまま扉の前から去るも、また彼女は悶々としながら戻ってきてしまった。

 


(うぅ……。一言お礼を言うだけでいいのに、他にも色々話したいと思っちゃう……。どうしたってのよ私。迷うなんてらしくないじゃない……)



 まだ起きているのであれば助けてくれたことへの礼を告げたいと思ったアイリス。しかしながら何故か他にも沢山話をしたいという思いが強く、実際に会ったら自分がどう行動するのか予想ができず、ノックできないでいた。

 自分が知らないサクのことをもっと知りたい。自分のことも、サクに知ってもらいたい。少しでもいいから、距離を縮めていきたい。そう思いを巡らせ、扉の前で苦悩するアイリスの姿は、恋する乙女のそれだった。

 結局ノックするかどうかの結論を脳内で出せなかったアイリスは、扉の前で立ち尽くしてしまっていた。だが、いつまでもこうしていれば仕事を済ませたゲイリーと遭遇するなんてこともあり得る。今までになく女々しい自分に若干の嫌気を感じながらも、アイリスは決断を下した。



(よし。今日はもう諦めて寝よう。明日があるわ、私)



 自らにそう言い聞かせたアイリスは自室の扉へと向かっていく。それでもまだもやもやが消えない心のままで鍵を開け、その手が自室のドアノブに触れた時、ふと要塞での一場面が脳内に浮かび上がった。

 空いている左手で、おもむろに自身の唇をアイリスは触れる。要塞を出る前、その場の勢いに任せて寝てしまったサクと唇を重ねたことを思い出し、アイリス頬を赤く染め上げていく。

 始めてのキスだった。それするに値すると思えたから、してしまった。もしかしたらサクも気づいていたかもしれないと考えると、恥ずかしくて仕方がない。

 ドアノブを回す前に、アイリスは今一度サクの部屋の方へと視線を送る。そして聞こえていないと分かってはいるが、心惹かれる彼に向けて微笑みながら告げた。



「……本当にありがとう、サク。おやすみなさい」












      ◆














「――あれ」



 目が覚めた。しかし、ベッドの上ではない。目の前には横断歩道。寝間着姿で、片手には『月刊巨乳エクスタシー』と夜食の入ったビニール袋。

 歩行者用の信号は赤のままだった。両ポケットにはスマホと財布が入っているのを確認し、周囲を見渡す。

 いつもの田舎町。深夜帯なので人通りは全くない。車が通り過ぎる気配もなし。



「……ハク?」



 一緒に寝ていた幼い少女の名をつぶやく。しかしながら、それに対し嬉しそうに答える声は聞こえてこない。

 訳が分からない。何がどうなっているのか。混乱するサクだったが、異様な気配に気づいた。

 道路の向かい側に、白いローブを纏った老人がいた。サクに負けず劣らずの暗い顔の存在が。サクを指さしている。

 不気味な存在に驚くサク。よく見れば、老人はその口を動かしている。聞こえはしないが、それが危険なものだと理解できた。

 歩行者用の信号が青へと変わった。老人を問いただすために急いで横断歩道を渡ろうとするサク。

 しかしながらその時、



「あ」



 サクが横断歩道を渡りきるより先に、凄まじいスピードで車が突っ込んできた。避けることもできず、車体に激突した。

 痛みとかはなかった。ただ、視界が真っ暗になる。何がどうなっているのか分からないまま、意識が遠のいていった。

 無邪気なハク、フワフワしたカーラ、気の強いアイリス、それを支えるゲイリー、気さくな商人ズ。異世界で出会った人たちの顔が頭の中に浮かぶ。

 いかん、これは俗にいう走馬燈といったやつだ。これで死ぬのはいやだ、できれば巨乳美女のおっぱいを揉みながら死にたいと懇願するサク。



(すまんのう。儂ができるのはここまでじゃ)



 老人の声だった。耳から聞こえてる感じではない。心の中に響いてる感じ。



(あっちで儂の娘のことを頼んだぞ)


(ちょっと待って爺さん)


(え? しゃべれるの?)


(しゃべれるよ)



 こちらの返答に老人が驚いた。予想外の事態に動揺しているのが分かる。

 しかしながら、意識を繋ぎとめていられるのも限界なサク。手短に、かつ最も聞いておきたいことを問いかける。



(その『あっち』って巨乳の美女はいる?)


(そりゃもちろん。儂もたまに婆さんに内緒でムフフなことをしてもらっとるよ)


(なら安心だわ)



 そのしょうもない質問と答えを聞いて、サクはよく分からない状況の中で意識を失った。







     ◆










「――」



 黄土色の天井だ。ホテルのベッドの上で、サクは目を覚ました。よく思い出せないが、とてつもなく変な夢を見た気がする。巨乳好きの老人と話したようなそうでもないような。

 寝ぼけたまま上半身を起こした。ぼやけた視界で隣を見ると、そこにハクの姿はなかった。もう起きたのかと周囲を見渡そうとしたところで、勢いよく開けられたカーテンから清々しい朝日の光が部屋に入ってくる。

 それに目がくらんだサク。よく見れば、サクよりもほんの少し小さいぐらいの少女がカーテンのところに立っている。アイリスかと思ったサクは、視界をはっきりさせるために何度もまばたきした。

 しかしながら違った。ほどよい大きさの胸がある。パッと見はFカップぐらい。そして、その髪の毛の色は綺麗な銀色だった。着ているのは、白いワンピース。

 そんなまさかと思い、目を擦った後にもう一度少女を見る。だが、その姿は変わることはない。少女が満面の笑みを浮かべながら、サクの方を向いた。



「おはよ! サク!」


「お、おはよったうわぁ!?」



 ハクはサクに飛びかかってきた。その姿は、サクと同年代くらいに急成長していた。

 昨晩の大きさなら受け止めることができたが、その重量に耐えられずに起こした上半身がベッドへと倒れこんでしまう。

 押し付けられる成長したハクの胸に、サクは鼓動の高まりが抑えられない。カーラに抱きしめられていた時よりも動揺していることに自分でも気が付く。

 それに気づいたのか、ハクは少し照れながらも美しく成長した顔をサクへと向けた。静かに目をつぶると、サクと唇を重ねた。

 公園の時とは違い、サクは顔を真っ赤にしていた。そんな様子を見たハクは眩しく感じられるほどの微笑みを向けてくる。



「おはようのチューだね」


「あ、ああ……」



 これまでに見たどの女性よりも可愛く、そして美しいハクの姿に、サクは股間を甘硬くさせるとともに見惚れていた。

 一晩にして、家族的な意味で愛していた少女は、サクの好みど真ん中ドストライクな存在になっていたのだった。

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