06 変態紳士の進撃
「――どうだ、『アージュ』」
「完璧ですじゃ『トイズ』様。力がある分呪術も馴染みやすくてのー。ヒェッ、ヒェ、ヒェ、ヒェ」
燭台のボンヤリとした明かりだけが頼りのとある要塞の地下室。陰湿な雰囲気に満たされたその場所で、魔女『アージュ』の笑い声が響く。それを聞いた青い制服を身に纏う男、『トイズ・クロムウェル』はほくそ笑んでいた。
地下室の中心には、椅子に縛られたアイリスがいる。その椅子を中心にして、異常なまでに複雑な魔法陣が床に描かれていた。微かに赤く発光している魔法陣がその輝きを強めると、アイリスは時折苦しそうな声を上げる。
縛り付けられたアイリスには、呪術による異変が起き始めていた。彼女が有する魔力が歪なものへと変化を始めており、心全体に底の見えない暗闇が蔓延りつつあった。意識を失っていながらも歪な変化は相当の負荷をかけているようで、アイリスは苦悶の声を上げ続けていた。
自らが行使した呪術の出来栄えにご満悦といった様子のアージュは、しわくちゃの顔に不気味な笑みを浮かべた。
「ヒェッ、ヒェ、ヒェ、ヒェ。安心するがいい。いずれ痛みは消える。そしてお前さんはグリール王国を震撼させる破壊者となるのじゃ」
アージュの掠れた高笑いは要塞全体にも響き渡っていく。盛大に、勝ち誇ったかのように。
「ヒェッ、ヒェ、ひぇほっ、ごっほ、おうえっほぉ」
しかしながら無理しすぎたせいか、笑い声は途中から咳き込みに変わってしまった。つらそうなその姿を見かねたトイズがその背中を優しく摩る。
「無理するなアージュ。魔女とはいえ、さすがに年なんだろう?」
「い、いえいえ。まだたったの472年ほどしか生きてないですじゃ。まだまだこれかうえっほ、ごっほぉ。お師匠様は私の倍近く生きてるとも言っとりますし、まぁだまぁだっほぼっへほぇ」
「だから無理をするなと言っているではないか」
いくら強力な魔法や呪術が使えても、人間であることに変わりはない。彼女が自らに使っている延命魔法はすでに限界が近くなっているのは目に見えて明らかだった。
心配になってしまう有様のアージュだが、彼女の施した呪術は当初の予定通りアイリスに機能してくれていた。このまま呪術が馴染み、絶大な力を有する配下となればもう怖い物はない。グリール王国騎士団の若き天才の力が自らのものになることは、トイズにとってこれほどうれしいことはなかった。
それに、綺麗で可愛い。その気になれば服従させてあんなことやこんなことだってできるはず。『帝国』の騎士としてのストレスのはけ口としても大いに役立ってくれるだろう。よからぬ想像を頭の中でトイズが思い浮かべていると、息を切らした部下がノックもなしに地下室へと飛び込んできた。
「トイズ様! へ、変な奴が砦に迫ってきます!」
「変な奴だと? すぐに追い返せ。我々の邪魔立てをする者には容赦するな」
「そ、それが、道中に仕掛けてある罠が全て無力化されるだけでなく、こちらからの攻撃魔法も何も効かないのです!」
「何だと……! すまん、アージュ。私は上に行く。後は頼んだぞ」
「了解ですじゃ」
トイズはアージュにこの場を任せ、部下とともに地下室を出て上階に続く階段を足早に上ってゆく。最上部に儲けられている遠方観測用の監視所を目指す間の要塞内部は、部下である多くの帝国の騎士たちでごったがえしていた。
「全火竜砲の一斉砲撃も、効果を確認できず! 以前対象は侵攻中!」
「遠距離魔法攻撃はどうか!」
「駄目です! 全てかき消されています!」
「狙撃兵はどうした! 何をやっている!」
「現在持ち場に急行中! すぐにでもぉっ!?」
「な、なんだこの揺れはっ!?」
「た、対象が放った魔法攻撃が要塞に直撃! さ、最上級クラスです!」
「て、テンガ様は!? テンガ様なら対応できるのでは!?」
「テンガ様は療養中だ! 少なくとも明日まで動けん!」
「そ、そんな……。どうしろってんですかぁ!!」
「我々だけで持ちこたえるしかないだろうが!」
怒号や悲鳴が至る所で上がる。要塞内部は大混乱状態と化していた。破格の力を持つ未知の敵の侵攻に多くの者が慄き、本来の連携力が上手く機能していないようだった。
予想を遥かに上回る惨状にトイズ自身も焦りを募らせる。監視所へと向かうその足も、気づかぬうちに急いたものになってしまっていた。そうした様子を見てしまった部下たちは、さらに不安を抱いてしまう負の連鎖の構図が出来上がってしまっている。
部下たちの間を縫って、ようやくトイズは上部に作られた監視所にたどり着いた。見晴らしのいいそこから、要塞へと真正面から侵攻してくる未知の敵の姿を見たトイズは硬直してしまう。
「一体……、何なんだあれは……!?」
「分かりません。しかし、見てくださいあの顔を。何もかもに絶望しているかのような表情。ただものではありません」
直後、要塞から放たれた照明魔法によって一帯が明るく照らし出される。明瞭になった要塞前の道を1人の男が進んでいた。
今までに見たこともないような暗い顔の男。ゆっくりと、確実に歩を進めながら攻撃魔法を繰り出し続けている。このグリールにおいて屈指の防御力を誇る要塞は、たった1人の手によって陥落しようとしていた。
トイズと部下は信じ難い事態に。それ以上に、信じ難い光景に、戦慄していた。
そう、男は―――全裸だった。
◆
また新たに1種、迎撃のために飛んできた炎の矢を吸収した。徒歩で進み続けてきたが、今回だけで相当量の魔法的なものをサクは吸収していた。
牽制のために適当に放り投げたいくつもの燃える球はふよふよと宙を進んでいき、要塞に直撃すると同時に立派な炎の渦が形成されていく。当たるまでに時間がかかるので逃げられるはずだと考え、サクは燃える球主軸に牽制を行っていたのだった。
ここまでは順調。肌寒いがここは耐えねばならない。全ては作戦なのだ。
「……帰ったら風呂入りてえな」
そんなことをぼやきながら、サクは要塞に向けて静かに歩いていく。ただ進撃するだけでは物足りない。何か相手を動揺させることが必要だと考えた結果、サクは全裸で行くことをゲイリーに進言し、承認してもらった。どうせファンタジーな異世界なのだから、普段できないことをやってみたいという欲望に従ったのだ。
遠目からでも要塞が混乱に陥っているのが把握できた。魔法の効かない全裸の変態が迫ってくるのが相当な衝撃なのだろう。とりあえず敵さんの目をこちらに釘付けにする。それによって生まれた隙をついてゲイリー率いる騎士団が奇襲を仕掛ける手はずになっていた。
しかしながら、思っていた以上にサクは要塞に近づいていた。カーラにさらに強力な人体強化魔法をかけてもらい、矢や小銃程度の攻撃ならば耐えられる状態を保ち続けていることもサクをここまで進撃させていた。
「あらら、正面突破じゃないですかヤダー」
ゆっくりと徒歩で来た全裸のサクは、なんとそのまま正門から堂々と侵入することができてしまった。古風な正門をくぐった先にあったのは庭園で、見たことのない大掛かりな兵装等が並んでいた。
サクの燃える球によっていたるところが派手に崩壊していた要塞の瓦礫が降り注ぎ、兵装の大半が使い物にならなくなっていた。少しやり過ぎたかと苦笑いするサクはそのまま庭園を抜けて要塞へと入ろうとした、その時だった。
「包囲! 構え、狙えぇ!」
「おおっとぉ!?」
物陰に潜んでいた青い制服を着込んだ者たちに、サクはあっという間に取り囲まれてしまった。その手に持つ小銃の銃口を真っ直ぐサクへと向けてくる。
すんなり入らせたのが罠だったかと考えたところで、もう遅い。取り囲んだ者たちからの一斉射撃がサクを襲った。
「撃ぇ!!」
「いっだだだだだ!? ぐおおおおぉぉぉ!! 全身にビービー弾くらってるみたいだ!」
「た、隊長! 変態にはに効果は無いようです!」
「ええい、撤退! 撤退だ!」
攻撃が通じないと分かると、素早く彼らは要塞の中へと後退していった。神器騎士を助けたときもそうだが、その引き際は鮮やかなものだった。
銃弾の当たったところが小さな赤い点として残ってしまい、サクの見た目は全身を蜂に刺されてような滑稽な見た目になってしまった。特に男のシンボルが痛い。陰毛はこういう時に役立つのだとしみじみ思いながら、サクは要塞内部へと侵入を開始した。
「ん~……。見た目からしてそうだと思ったけど、結構広いなここ……」
入ったはいいが、それぞれの階が大型スーパーぐらいの結構な広さがあるようだった。何処からどう進めばいいのやら、見当もつかない。迷ったサクは、適当に扉を開けて進むことにした。
倉庫だったり、武器庫だったり、書物庫だったり、救護室だったり、集団就寝部屋だったり。普段の生活では見られない様々な部屋を見て回っているうちに、サクは少し楽しくなり始めていた。
次はどんなところかと心を弾ませながら新たな扉のドアノブに手をかけた時、妙な違和感があった。
「……ドアノブに魔法?」
何かしらの魔法をドアノブから吸収したのだ。自分の中でそれを確認すると、触った瞬間に対象者を内側から破壊する呪術に近い魔法だった。
気味が悪いと感じたが、こんな罠を仕掛けているということはこの先に見られたくないものがあるはず。そう予想したサクがゆっくりと開いた扉の先には、地下へと続く階段があった。
壁に設置されたランプによって照らされる薄暗い中を、サクは慎重に進んでいく。下に進むにつれて気温も下がり、全裸の体にきつかった。大事なシンボルもすっかり委縮してしまっている。
ようやく階段が終わり、早く先を確認して戻ろうと考えるサクの前にホテルを襲撃した魔女が現れる。
「ヒェッ、ヒェ、ヒェ、ヒェ。待っていたぞい守護騎士。儂はアージュ。トイズ様に仕える、グリールの由緒正しき魔女じゃ」
「いや、待っててくれなくていいよ。てか寒いから短めに頼む」
「ヒェッ、ヒェ、ヒェ、ヒェ。そう急くな。時間はたっぷりとあるからのう」
「ええ。マジでそんなにたっぷりあんの」
「そうだとも。主はこれからこのアージュが編み出した呪術を存分に堪能してもらうのじゃからのう。ヒェッ、ヒェ、ヒェ、ヒェ――」
「その笑いは絶対に必要? 急くなとか難しそうなしゃべりも必要? ああもう。寒くて腹壊しそうなんだから早くしてくれよ」
「……じゃあ死ねぇ!」
「わあ、シンプル」
寒さで若干イラついていたサクの文句を受けた魔女は、どこからともなく取り出した杖をこちらに向けてくる。そこから放たれた可視化できるほどの強力な波動がサクの全身を包み込んだ。
それは、相手の体を自在に操る呪術だった。本来であれば驚異的なものなのだろうが、サクには効果がない。魔法と同じ要領で吸収してしまうからだ。
「どうじゃ! 我が自慢の呪術の冴えは! 身動きがとれんじゃろうて!」
「いや、別に」
「な、何と!? ええい、ではこれをくらえ!」
平然としているサクにアージュは別の波動を新たに放つ。今度は対象者の心を完全に支配するといったものだった。先ほどの体を操るものといい、結構便利なものを提供してくれる魔女に感謝しているサクだったが、その目の前の老体の体から真っ赤なオーラのようなものがあふれているのに気づいた。
「……ちょっと止まっててもらえるかな、婆さん」
「んにゃんとぉっ!?」
不思議に思ったサクは、先ほどの体を自在に操る魔法でアージュの動きを止めてみせた。まさか自らの呪術がそのまま返されるなど想定していなかったアージュは、素っ頓狂な声を上げてしまっていた。
身動きができないアージュへ近づき、そのオーラ的なものへと恐る恐る手を伸ばしていく。何か異常を感じたらすぐに手をひっこめよう。そんな感じで内心ビビりながら距離を詰めるサク。
しかし、
『オオオオぉぉぉアアアぁぁぁぁ……――』
「うおぉっと。びっくりしたぁ」
その赤いオーラはサクの指先が触れた瞬間、断末魔を上げて消滅してしまった。いきなりのことで驚いて後方へ飛び退くサク。アージュは気を失い、その場に倒れこんでしまった。
よく分からないが、どうやら吸収と展開以外にもお祓い的な能力も兼ね備えているようだった。もしかしたらあの赤いオーラが邪悪な存在だとゲイリーが言っていたものかもしれない。
何がともあれ安全は確保できたことは重畳。特に鍛えてもいないだらしのない体をこれ以上冷やしたくないサクは先を急いだ。
倒れていたアージュを壁際へと移動させ、さらに奥へと進むと突き当たりに木製の扉があった。案の定凄まじく強力な呪術がドアノブに仕掛けられていたが、お構いなしにサクはその扉を開く。
「あ、いた」
その扉の先に、椅子に縛り付けられているアイリスを発見した。まさかの一番乗りだった。
薄暗い部屋の中を忍び足で近づいていくと、知らぬ間に踏んでしまった魔法陣を吸収してしまう。その内容を読み取ったサクは、眉をひそめた。
「人体改造の呪術……? これまた悪質なもんだなおい……」
魔法陣の内容は、人体改造の呪術。それに、対象となる存在の命令に絶対服従するよう調整がされていた。胸糞悪い内容にサクは反吐が出そうになる。
とりあえずはアイリスを解放することが先決。縛っている縄を解こうと近づくサクだったが、目の前で異変が起きた。
「おおっと!? ワイルドだな、アイリス」
自らを縛り付けていた縄を自力で引きちぎり、アイリスがその場に顔を伏せながら立ち上がったのだ。
さすがは少佐クラス。呪術から解放されればこんなにもたくましく動けるのかとサクが感心していると、アイリスは顔を上げた。
その顔を見て、サクは言葉を失ってしまう。不気味に赤く光る瞳、閉じられた口からは異様に長く、鋭くなった八重歯が伸びていた。
恐ろしいとも、しゃべりづらそうだとも思っていたサクに、アイリスは飛びかかってきた。圧倒的なスピードと腕力で、サクを床に押さえつける。
「あっだぁっ!? ま、マジか。すげえ強引な逆レイプだな」
それなりに強く打ち付けた後頭部の痛みに耐えつつ放った強がった冗談も、今のアイリスには届いていないようだった。涙目なサクに向け、アイリスは長い八重歯の口を大きく開く。
「あ、優し目にお願いします」
慄くサクは震えながらも静かに懇願した。だが、それが受け入れられることなく、大きな口は首元に凄まじい勢いで噛みついてきた。
表皮が食いちぎられそうなほどの強烈痛みに襲われる。恐怖のあまり、サクは悲鳴すら出すことができなかった。尻を蹴とばされた時とはまた違う耐えがたい激痛に、その場でもだえる。
あかん。これはマジであかん。そんな似非関西弁を脳内に響かせながら、どうするべきかを考えた。しかし、痛みのせいでまとまな打開策がみつからない。深く刺さった八重歯から、自らの血と精神力的な何かが吸われ続けるのをサクは感じていた。
本格的に死を悟った瞬間、サクはやるべきことを決めた。唯一動いた右腕でそれを触るため行動に移る。
「……あ、全然ないわけではないんだな」
その右手で触っているのはアイリスの胸。たとえ貧乳だとしても、死ぬ前におっぱいを触っておきたいという紳士的欲望には逆らえられなかった。
僅かにある温かな膨らみを揉み続けるサク。おっぱい触りながら、死ぬ。できればこれが巨乳であればもっとよかったと涙を流しながらサクは目をつぶった。
さらば人生。さらばファンタジー。そんなことを思いながら、これが現実ではなく夢であってほしいと今更になって考えた。
徐々に体から力が抜けていく。右手は冷たい床に崩れ落ち、深い眠りにつくような感覚にサクは襲われる。その首元からは激痛を感じなくなっていた。
意識が遠のいていくのを実感し、それに抗うことなく従おうとしたサク。その耳に、か細い声が入り込んできた。
「……何で裸なのよ、変態守護騎士」
それは、アイリスのものだった。そん声を聴いて、自らがまだ死んでおらず、生きてると感じたサクは、尋常じゃなく重い瞼を開ける。掠れている視界に、横に正座してサクの首元に治癒魔法を使うアイリスの姿を捉えることができた。
ぼやけているためにちゃんと確認はできないが、どうやらアイリスは泣いているようだった。そんなに胸を揉まれたことと、全裸の姿が嫌だったのだろうか。まともに回らない頭では、そんなことしか考えつかなかった。
また強烈な一撃が飛んでくるかもしれない。しかしながら、体が動かないために身構えることもできない。というか傷者にとどめを刺すようなことは流石にしないか。今にも消えそうな意識でサクがぼんやりとした思慮を巡らせていれば、治癒が終わり、傷口は塞がったようだった。
しかしながら、朦朧とする意識は回復する気配がない。頑張って開けた瞼が閉店ガラガラしそうになっている。死んでないことを確認できただけでも良かったかと結論を出し、意識の閉店準備を始めていたサクに、アイリスは語り掛けた。
「……私の呪術、あんたの力でどうにかなった。1番に助けに来るなんて、意外にかっこいいところはあるのね」
「……まあ、な。無事でよかったわ。あー……、でも、すまん。もうちょっと、無理そう。寝る……」
薄れゆく意識。耐えられなくなったサクは再びゆっくりと目をつぶった。
意識が完全に途絶える直前、目と鼻の先ぐらいの物凄く近い距離からアイリスの声が聞こえてきた。
「……ありがと、サク」
何か柔らかくて暖かいものが唇に触れた後、サクは静かに気を失ったのだった。