53 暗闇の向こうから
カーラを予め用意されていた部屋にて寝かせつけた後、サクたちは広間にて夕食をとっていた。昼に引き続き、料理を担当するのはアイリス。作ったのは、フォードゥン家秘伝の特製カレー。これがまた美味いこと美味いこと。
夢中になって食べ進めていく中で似たような名前のやかましい男を思い出したが、とにかくカレーを味わいたいという気持ちがその存在を頭の片隅へと追いやっていった。それだけ、このカレーは美味い。
この状況を想定したアイリスはある程度の量を作ってきてくれたのだが、途中でカノンが帰宅したことと全員が凄まじい勢いでおかわりを求めたことが重なってにあっという間になくなってしまった。残り少ないカレーを賭けた熾烈なジャンケンバトルが繰り広げられる様は、異様だった。
これは良い母親になるに違いない。いや、なってくれるのか。そう考えたサクは、食器を片付け終えて広間へと戻ってきたアイリスをちらりと見た。それに気づいたようで、アイリスがこちらに向けて微笑んでくれた。可愛い。
ちらりと見るはずが視線を逸らすことが出来なくなってしまったサクに対し、歯に挟まっていたものを爪楊枝で取り終えたカノンが収納方陣から取り出したものを投げ飛ばしてきた。
「受け取れ守護騎士」
「え、ちょ、あだぁ!?」
いきなりだったために受け止められず、それなりの重量があるそれはサクの頭に直撃した。痛みにサクが悶えていると、その何かはテーブルの上に落下した。
それは、夢の中でイヤサが持っていた本だった。頭を擦りながらサクがそれを手に取ってみると、心配して近づいてきたアイリスが驚きの声を上げる。
「これ……、『破滅教』の奴らが持ってる聖書じゃない。何で叔母さんが?」
「記憶が消える直前でイヤサが私に渡してきたんだ。というか、イヤサかどうか分からないけどね」
「破滅教……?」
随分と物騒な名前の宗教を聞き、サクは恐る恐るその手の中にある聖書をパラパラとめくってみたが、いつものごとく読めない。しかし、それなりにページが進んだところでサクの表情が強張った。
半分以上が白紙だったのだ。最初の部分こそびっしりと文字が書かれていたものの、少し進んだところからは真っ白で何も書かれてはいない。奇妙過ぎるその本にサクが困惑していると、アイリスが説明してくれた。
「その聖書、未完成なのよ。どこかにいる教祖が新しく書き加えると、信者に対して配られたそれに付け加えられるみたいなの」
「何だそりゃ。ちょっと怖いな」
「ちなみに書いてあるのは世界がいつ終わるかについて。でも、書かれたことは一度も本当に発生したことはない。それでも、グリール建国から存在するこれを神のお告げと信じて崇拝する人たちが世界中にいるわ」
「……これ書いてる奴は、一体何を考えてるんだろうな」
「分からない。だけど、熱狂的な信者がたまに騒動を起こしてる。騎士団としてはたまったもんじゃないのよ」
そういってため息をついたアイリス。呆れたようなその様子から、この聖書が厄介なものだということは十分に理解できた。そんな面倒なものをイヤサは持ってきたのだ。
一体何故かと考えたサクだったが、直後にイヤサから感じ取った気持ちの悪いものを思い出した。もしかしなくても、あれが原因となっているのだろう。
手の中にある聖書を見つめると、曇りなき笑顔を浮かべる紳士の顔が脳裏に浮かぶ。疑うべきは、その奥に潜む何かだ。
「それは、イヤサので間違いない。所有印がご丁寧に押されてるし、あいつは一時期これに頼ってたからね」
「あの優しそうなイヤサが? またどうして……」
「あいつが王になって間もないころ、幼馴染で妻の『マナ』を事故で亡くしたの。それからしばらくの間これにのめりこんでたけど、あたしが説得したのよ」
妻が亡くなった。まさかそんな衝撃的なことがあったとは。驚きつつもサクが周囲を見渡すと、ハク以外の全員はそれを知っているようで、表情を暗くしていた。
大好きであり、大切な人が突然いなくなるなんて、辛すぎる。たとえ優しく、王になる器を持っているであろうイヤサでも耐えがたいことだったに違いない。
イヤサの過去を知って気分を落ち込ませるサクだったが、カノンの告げたことで気にかかったことがあった。手に持っていた聖書をテーブルの上へと置きながら、サクはそのことを問いかけてみる。
「説得したって言ったけど、叔母さんはイヤサと親しかったのか?」
「同級生で、腐れ縁。お互いに叱りあったり、慰めあったりもした。何だかんだで一緒にいることが多かった」
「……かなり親しかったんだな」
「ああ。説得した後、あいつは大丈夫とか言ってたけど、これをまだ捨てきれずに持っているのも知ってた。大切な存在が消えて、生きがいをもなくして絶望したあいつの心の救いになってたんだろうよ」
そういってどこか寂しげな視線を聖書へと送るカノン。その様子からは、腐れ縁を超えた思いを抱いているようにも見えた。
大切な存在がいなくなる。それは自分にも起こり得ることだとサクは考えると、途端に不安が心の中で広がっていった。隣に座っていたハクはそれに気が付いたようで、サクの手を温かな両手で包み込んでくれた。
「大丈夫、私はどこにもいかないよ」
そのハクの言葉と行動は、サクの不安を払拭していった。強い繋がりを持っているからこそ、より強くハクのサクを思う気持ちが伝わってきているようだ。
勇気づけてくれたことに感謝しながら、サクはその手を握り返す。それによってハクが喜んでいるのが、心を通して感じられた。
その後、どんよりとした空気を変えるためにカノンは少し大きめに咳払いした。そしてお互いの気持ちを確かめ合っているサクに向けて、本題に関して話し始めた。
「色々訳ありの聖書に関してはそんなところ。それを持ってきたイヤサのこれからの対処についてだ。もうオーガストには――」
説明の途中で、カノンの口は止まった。とてつもない違和感を感じ取ったからだ。それはカノンだけでなく、広間にいる全員も同じだった。
――”何か”が来る。
その”何か”は正面の出入り口を超え、瞬く間に玄関に到着した。扉を開けて屋敷へと侵入してきた”何か”は、迷うことなく真っ直ぐとサクたちがいる広間へと向かってきていた。
人でもなければ、魔物でもない。それでもその場にいる全員が迫りくる何かに対し、本能的に危機を感じ取っていた。緊迫した空気の広間の中で、クロノスが叫ぶ。
「奥の壁際に集まれ! 早く!」
「爺さん、カーラはどうするんだ!」
「今は儂たちだけで切り抜けることを考えろ! さもなけりゃ厳しいかもしれん!」
「くそっ!」
今すぐにでもカーラの下へ向かいたい気持ちを抑え込み、指示通りにサクは広間の奥の壁際へと移動した。全員が集まったところで、クロノスとカノンがお互いの魔力を重ね合わせて強固な結界を展開する。師弟ならではの息の合った行動だった。
迎え撃つ準備を整えていると、広間の明かりが消えてしまった。頼りになるのは、窓から入り込んでくる月明かりだけ。内心サクがビビりまくっていると何かは広間の扉へと到着し、ゆっくりと扉を開けて入ってきた。幸い、窓が近くにあったためにその姿をすぐに確認することができたが、それを見た全員の顔がひきつったものへと変わる。
姿を現したのは、”イヤサ”だった。暗い中でも、明るい笑顔は絶えることなくサクたちに向けられている。いつもであれば心安らぐその顔も、今のサクたちにとって恐怖でしかない。
こちらに向けて動き出したイヤサに対し、クロノスは躊躇うことなく空中に発生させた風の槍を飛ばす。しかし、広間のテーブルを貫通していったそれはイヤサに当たる直前で何かと相殺し、消滅してしまった。
続けざまに放った炎の球や雷も眼前にまで届くが、その全てが無力化されていく。その様子を見て、自らの力であれば効くかもしれないと考えたサクは吸血鬼化し、右手に力を溜め込み始めた。
あともう少しでたまるといったところで、イヤサはその手に抱えていた聖書をこちらに向けて投げ飛ばしてきた。それを打ち落とすためにカノンが右手を突き出すと、発生した炎の渦が聖書を飲み込んだ。
業火が広間を明るく照らしあげる。だが、燃え尽きる直前で聖書から真っ黒な物質が発生し、炎の渦から漏れ出したそれは広間全体へと瞬く間に広がっていった。結界を突き破ったそれに成す術もなく、サクたちは飲み込まれていく。
「何だ……、これっ!?」
まともに身動きが取れず、唯一動かせる口から苦悶の声を上げるサク。全身が物質に飲み込まれたその時、頭の中に”何か”がなだれ込んできた。
屈辱の怒声。悲しみによる絶叫。戸惑いによる泣き声。成せなかったことによる悶絶。そういったありとあらゆる負の感情の数々が、サクの中へと止めどなく入り込んでいく。
尋常じゃない情報量による精神的負荷の限界を超えたサクは、先ほど食べたばかりの夕食をその場に吐き出す。視界が激しく揺らぎ、意識が飛びそうになっているところで、ようやく物質から解放されるのだった。
「サク君、大丈夫か!?」
「俺は……、何とか。それよりも皆は……」
「誰よ、あんた……! あいつを、イヤサをどこにやった!!」
膝をついたサクをクロノスが心配する横で、カノンが叫ぶ。怒りに満ちたその瞳は、不気味な光を放つ広間の中心へと向けられていた。
重い体に鞭を打ち、サクは顔を上げる。そこには、信じ難い光景があった。
「この男はまだ使わせてもらう。それと、彼女たちの身柄、この『俺』が預かる」
広間の中心には3つの紫色の結晶体が生み出され、それぞれの内部にはハク、アイリス、カーラが閉じ込められていた。そして、その横には禍々しい黒いオーラを放っているイヤサが浮遊していた。
叫ぼうとしたサクだったが、完全に回復していないためか喉元にまで来たところで声が出なくなってしまう。それでも、できる限りの怒りを込めてイヤサを睨み付ける。
サクの表情を確認したイヤサは、浮かべ続ける笑みをさらに満足させたものへと変える。その後左手のひらに球状の黒い物質を形成すると、窓のある方へと向けた。
「来るがいい、實本 冴久。『抵抗力』としての貴様の力、この『私』に見せてみろ」
そういうとイヤサは左手の指を鳴らした。それと同時に球状の物質は飛んでいき、屋敷の壁を粉微塵に吹き飛ばした。舞い上がった塵によって視界が遮られる中、イヤサは崩壊した壁から結晶体とともに外へと飛び出していった。
何もすることができず、呆然としていたクロノスとカノン。持てるだけの力を注いだ攻撃の全てが効かず、全く歯が立たなかった。これ以降どう対策していいかと思い悩む彼らのすぐ近くで、サクは立ち上がった。
正直に言って気分は最悪。二日酔いってのはもしかしたらこんな状態なのかもしれない。それでも、そうだとしても、行かなければならないと渇を入れ、足を引きずっていく。
塵が晴れていき、半開きの目に映る視界にイヤサがいるであろうカーボン城を捉えた。自らを奮い立たせるため、そして何よりも大切な者たちに向け、掠れた声を喉奥から引き出した。
「今……、行くから……!」
万全とは程遠い体を引きずり、サクは自らを求めてくれた存在を救うために進んでいくのだった。




