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異世界の記憶:冴えない愛・輝く愛  作者: 田舎乃 爺
第二章 そうだ首都、行こう
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38 その胸の中で



「あっ……、ああ」



 喉奥から掠れた声を発しながら、サクは意識を取り戻した。薬の影響で小さくなっている体はふかふかのベッドの上に横たわっており、毛布が掛けられている。

 向かいのベッドで眠るニーアの静かな寝息が耳に入り込んだことで、夢から覚めたことをはっきりと自覚した。しかしながら、いつもとは違う異変にも気づいてしまう。



「――何で、覚えてるんだ」



 この前見た夢は覚えていなかったのにも関わらず、つい先ほどまで見ていた夢をサクは鮮明に覚えていた。忘れたくても、追いやりたくとも、夢で見た光景が脳裏に焼き付いて離れてくれなかった。

 混乱するサクはこれすらも夢ではと思って一度目をつぶり、開く。だが、状況と心内に変化はない。涙で滲む視界は室内を確かに移し、現実であることをサクは思い知る。そうした中で、サクは顔に湿った物が当たっていることに気づいた。



「……びしょびしょじゃねえか」



 枕がぐしょぐしょに濡れていた。恐らく原因は自らが流した涙。夢の中での大泣きが現実にも作用していたようだ。絞ればしみ込んだ涙が多量に排出されそうなまでに重くなった枕から顔を上げ、そのまま上半身を起こした。

 閉められたカーテンの隙間からは朝日の輝きが入り込み、薄っすらと部屋の中を照らしている。本来であれば心地よく思える爽やかな静けさだが、今のサクに現状を楽しむ余裕はない。ベッドから立ち上がったサクは、少々ふらつきながら洗面所へと向かった。

 昨夜移動しておいた椅子の上に乗り、数度顔を水で洗ったのちに自分の顔を確かめる。腫れている目が、多くの涙を流したのを物語っていた。これまでの人生でここまで泣いたことのなかったサクは、その状態に戸惑いを隠せなかった。

 涙の跡は洗顔で少しだけ消すことができたが、顔から完全に違和感が消えることはなかった。そんな自分の顔を見ていると、先ほどまで見ていた夢が脳裏に浮かんでしまう。



「……外の空気吸うか」



 未だに揺らいだままの心を静めるためにそう決めたサクは、洗面所を後にした。心地よさそうに眠るニーアを起こさぬように気を付けながら着替えを終え、忍び足で部屋を出て鍵を閉めた。

 柔らかな光が差し込む温かな廊下を進んでいき、上に行くために切り株を呼ぶ。今は何となく、上に行ってみたい気分だった。まもなく現れた切り株に乗り込み、最も上に行きたいことを心を通して伝える。すると切り株は動き出し、いつもと変わらぬゆったりとした速度で上昇を開始した。

 


「――……」



 早朝の街の様子を見下ろしながら、サクは切り株が目的地へと到着するのを静かに待つ。その間、目に映るファンタジーな光景と退避する形で夢で見た”いつもの日常”の光景が脳内に浮かび上がってしまった。

 静かであり、神秘的でもあるトングの朝の風景。静かさの点では似ているが、それ以外に類似点は微塵にも存在しない。比べることが自らの心の揺らぎを大きくしていくことに繋がると理解していても、止めることが出来なくなった。

 かけ離れた”今”を認知することで、改めて”今”の自分はここにいることをはっきりと知覚する。同時に心全体に広がっていくのは、故郷を焦がれる想いだった。

 揺らぎの影響で再び無意識のうちに涙が生成され始めたことに気づいたサクは、抑え込むために顔を上へと向ける。サクが涙を堪えようとしていたところで、切り株は最上階へと到達するのだった。



「……ここが一番上か」


 

 どうにか感情を抑えこむことに成功したサクは、ゆっくりと顔を下げて前を見据える。たどり着いた屋上は広々としており、青々と葉が生い茂る大木が直上を包み込んでいた。

 大木の枝から漏れる小さな光と葉の隙間から入り込む朝陽の輝きを体に受けながら、サクは他に誰もいない静まり返った屋上を進んでいく。落下防止のガラスの壁にまでたどり着くと設けられていた木製の手すりに掴まり、そこからトングを一望することにした。

 まだ寝静まっているかのように静かで柔らかな雰囲気に満たされている街だが、点々と動きが生じ始める。シャッターを開ける音や挨拶の声など、日常的な音の数々が微かだがサクの耳に届いていた。

 幻想的な光景であっても、ここは街。何の変哲もない人の営みがそこにはある。気にすることの程のものでもないのだが、サクはそれらを感じ取って強烈な孤独感を抱いてしまう。

 ハクやアイリスにカーラ。自らを支えてくれる人たちが身近にいるのは理解している。それなのにも関わらず、サクは自分が1人取り残されているような気がしてならなかったのだ。

 


「――……」



 手すりを握る力が強まっていく。涙は流すまいと歯を食いしばる。平静を保つべく奮闘するサクの脳裏に、とある考えがよぎった。



「――そうか。死ねばもしかして……、いや、いやいやいや。駄目だろ、俺。あり得ねえだろ、俺」



 有ってはならぬことを考えてしまった。それを実行せんと手すりに上ろうとした足を急いで下ろす。ふと考えたことを無意識のうちに実行しようとしてしまうほどにまで、サクの心はぐちゃぐちゃになり始めていた。

 アカベェでの戦いで自らの死を強く意識したことはあったが、それとは明らかに違う。今のサクは肉体的にではなく、精神的に追い詰められていた。

 他者からの精神攻撃ではなく、大切な存在や愛する存在にもう会えないという絶望が招いたこの現状。どうにかするにはサクが立ち直るほかないのだが、そう簡単にはいかないようだった。



「――父さん、母さん、ごめんな。まだ何も……、何も返してあげてないのに……」



 届かないと分かっていても、サクは謝罪を口にしてしまう。それでも、心の揺らぎは治まりそうにない。

 心の内側に故郷の人々の姿が浮かび上がっては消えを繰り返す中、背後から切り株が上場してきたのを感じ取った。こんな自らの様を他の宿泊客に見せるのはまずいと思ったサクは、無理矢理にでも心を鎮めようと試みる。

 しかしながら、上手くいかない。それどころか端へと追いやろうとすればするほど故郷への想いが強まっていくような気すらした。いっそのこと泣きわめく姿を見せてドン引きさせて去ってもらおうかと考えたサクの耳に、フワフワな声が入り込んできた。



「サク~?」


「――なんだ、カーラかっふぁ!?」



 振り向いた直後、一瞬サクは何が起きたか分からなかった。顔が柔らかい理想郷に(おっぱい)に包まれている。素晴らしい柔らかさと温かさに驚いていると、カーラは告げた。



「おはようございます~、サク~」


「お、おはようございます……」



 挨拶をしながら、いつもと変わらぬフワフワな笑みを眼下のサクへとカーラは向ける。その表情と力の加減からして例の邪な思いは抱いていないということだけは理解できた。

 抱きしめてくれるのは本来なら喜ばしいことなのだが、現在の心境ではそうもいかない。何故彼女がここへとやってきて、何故迷うことなく自身を抱きしめたのかと疑問に思うサク。そうした思いを巡らせていることを渋い表情から察したカーラは、微笑みながら言った。

 


「約束通り、抱きしめに来ましたよ~」


「あの時の、アルーセルの路地裏でのことか」


「はい~」


「というか、よく気付いたな」


「夜中に隣の部屋からサクの泣き声が聞こえたので~」


「……そうか。しばらく続けてもらっていいか?」


「喜んで~」



 あの時の馬鹿げたお願いをカーラは覚えていてくれた。そして、それを約束として実行しに来てくれたのである。男として情けないかもしれないが、自らのために誰かがそばにいてくれることがとても嬉しく思えていた。

 絶対的な安心感に包まれたまま、サクは目をつぶった。カーラの甘い香りと温かな体を感じていると、自然と涙が出てきてしまう。そんなサクの頭をカーラは我が子をあやすように優しく撫でてくれていた。

 カーラの無条件の優しさを受け、サクの心の揺らぎは徐々に治まっていく。少なくとも、自ら命を絶とうなどと考えることはなくなった。正常な思考を取り戻しつつある中で、サクはカーラへと胸の内を明かすことにした。



「なあ、カーラ。俺、夢で見たことをはっきり覚えてるんだ。それも、俺の家族の夢」


「あら~。そうなんですか~」


「でも、良い夢とは言えないものだった――」



 優しく抱かれながら、サクは夢の中での出来事を話す。それをカーラは頷きながら聞いてくれていた。全てを話し終えたところで、今回の夢で感じたことを隠すことなく口にしてみた。



「夢で見た光景は過去のものもあったけど、俺がこの世界に着た後の光景もあった。どういうった理屈かは分からないけど、故郷には事故で死ななかった俺が普通に暮らしてるみたいなんだ」


「サクはここにいるのに、不思議ですね~」


「ああ。でも、もっと不思議なのはその光景が夢で見る架空のものじゃなく、実際に起きてることだと思えたんだ。言葉にいい表すのが難しいけど、なんかこう、薄っすらと繋がってるから見えたって感じかな。分かりづらくて、ごめん」


「いえいえ、大丈夫ですよ~。サクはその夢を見て、どんなことを思いましたか~?」


「どんなこと……、か。どんなことでもいいから話してみたいとか、無事を伝えたいとかかな」


「そうですか~。そうですよね~。ちなみに私なら、家族が楽しく過ごしてるのを見て安心したと思います~」


「安心……」



 カーラの発言を聞いたサクは、口が空いたままで止まってしまう。安心するというごく普通の考え方に自分ではたどり着くことができなかったことに気づいたからだ。

 父さんや母さんは、もう一人の俺と平穏に暮らしている。その事実を知ることができただけでも良かったのかもしれない。2人は悲しんでなんかいない。俺は、”實本冴久”は死んでいない。

 そうした考えに至ったサクの目から、涙が溢れ出し始める。寝ている間にも多量に流したのにも関わらず、一体どこから出てくるのかと自分で不思議に思うほどに。

 ”今”の大切な人たちがそばにいてくれるのは間違いなく嬉しい。だが、それと同じくらい元の世界の家族は大切な存在。その大切な存在の安寧を垣間見ることができた安堵が、サクの心を良い意味で揺さぶっていた。

 激しく揺れ動く感情は、サクに涙を流させ続ける。胸の中で震えるサクをカーラは強く、それでいて優しく抱きしめてくれた。



「一杯悩んで、泣いてください~。私が、私たちがそれを受け止めますから~」


「ありがとう……。本当に、ありがとう……――」



 感謝の言葉しか、サクの口からは出てこなかった。もしカーラが来てくれなかったら、塞ぎこんで自滅してしまったかもしれない。

 この異世界を進んでいく上で、悩むことがあるのは当然のこと。力を持っていても、自分はまだまだ未熟な存在なのだ。であれば、頼れるものに頼ろう。幸いにも、そうした存在はすぐそばにいてくれる。冴えない身であるのにこうした現在に至れたことが嬉しくて仕方がなかった。

 木々の隙間からの優しい陽光と枝からの光が2人を照らす。温かな光の下、カーラの胸元がぐしゃぐしゃになるまで、サクはひたすらに思いを乗せて泣き続けるのだった。






     ◆








「――ぬわぁ!? 乱暴に扱いやがって! 覚えとけよ!!」



 牢屋の中へと放り込まれたバンドゥーモが騎士を睨み付けながら大声で叫んだ。やかましいその声に騎士たちは嫌そうに耳を塞ぎながら立ち去っていった。

 ここへとぶち込まれたことに腹は立てていないが、雑過ぎる扱いがバンドゥーモの神経を逆なでていた。自身が犯罪者であり、自業自得としか言えない故に仕方がないと割り切ろうとしても荒ぶる感情は治まりそうになかった。

 やり場のない怒りを握りこぶしに籠め、バンドゥーモは硬い床を殴りつけた。金槌で殴りつけてもびくともしないはずの床は派手に砕け、他の牢獄にもその衝撃が伝わっていく。新入りの様子を窺っていた囚人たちはそれを感じ取って背筋を凍らせた。

 非常に苛立った様子のバンドゥーモだが、その脳内の片隅ではどのようにして早期に刑期を終えるかを模索し始めていた。脱獄するのではなく、真っ当な理由で娑婆に出ることがサクへの恩返しの第一歩だからだ。

 脳筋な極悪人といった人相とは違い、内にあるのは燃え滾る善の闘志。それを宿す張本人は、不機嫌の極みといった表情で牢屋内のベッドへと勢いよく腰かけた。



「ったく、ふざけやがって……。見とけよあの野郎……、すぐに正当な理由で出所して度肝抜かしてやるからな……!」


「おいおい。随分と血の気の多いのが来たな」


「ああ? 何だお前は」



 ぶつぶつと文句を言いながらも思考を巡らせるバンドゥーモに声がかけられた。その声の主がいるのは向かい側の牢屋。暗くてぼんやりとしか見えないが、壁の方に寄り掛かっている男らしき存在が確認できた。

 その姿を見たバンドゥーモは、思わず体を震わせてしまう。これまでに感じたことのない気味の悪い雰囲気を男が放っていたからだ。

 自らの直感が危険信号を発する中、男は鉄格子のところまでゆっくりとした足取りでやってきた。



「なああんた。俺と一緒に派手にやらないか?」


「何を言ってるんだ。ここに閉じ込められちゃ何も――」


「出られればいいんだな」



 男はそういうとどこからともなく魔力のナイフを形成し、自らの手錠を切り裂いく。同様に鉄格子を易々と切り裂いた男は、難なく外へと這い出るのだった。

 身の危険を感じ取ったバンドゥーモは牢屋の奥へと退避しようとした。だが、男が近づくにつれて何故かその気持ちが薄れ始めてしまう。

 こいつといけば何もかもが上手くいく。自らをこんな目に遭わせたあの竜と小僧の息の根も止めることができるはず。バンドゥーモの内側にあった善意がほんの僅かに残っていた悪意が増大したことで塗りつぶされていく。正気を失う感覚に陥りながらも、己を制御できなくなっていった。

 バンドゥーモの怯えが感じ取れた目が激しい憎悪の目に変わったことを感じ取った男は、冷ややかな笑みを浮かべながら手を差し伸べた。それに応え、バンドゥーモはその手を握り返す。



「俺の名は金本卓。よろしくな」


「俺様は稀代の天才、バンドゥーモ・レカー。よろしく、相棒」



 固い握手を交わす2人。その手を通して、バンドゥーモの体に赤い輝きが分け与えられていく。この場において、その輝きが見えているのは卓だけ。笑みを浮かべる卓の背後には、形を持ったオーラが無数の悲しみに暮れる顔を生み出していた。

 恐怖をあおる異様な光景を目の当たりにしてしまった囚人たちから悲鳴が上がり始める。しかしながら、そうした彼らを諫めることが役目の騎士団員たちがやってくる気配はなかった。

 赤い輝きの放つ力の影響で点々と設置されていた照明が落ち、牢獄内は暗闇に包まれた。囚人たちの絶叫が響き渡る。混乱に陥る牢獄の一角に、微動だにしていない人影があった。

 それは、黒い礼服に身を包んだ緑髪の男性。暗闇の中であっても、その目はしっかりと共に歩き出す卓とバンドゥーモを捉えている。冷めた目をした男性は、小さくつぶやいた。



「――さあ、二度目だ。派手に暴れ、撹乱せよ」

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