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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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貴方の未来を返してあげる

作者: らら
掲載日:2016/04/14

貴方の未来を返してあげる


「君は誰?」


原因は消毒薬だろうか。病院独特の匂いに眩暈にも似た覚束なさを感じながら中川久登なかがわひさとの端正な顔を眺めた。足元から崩れ落ちていく感覚。くらくらした。白で統一され、無駄なものがない病室はどこか作り物のようで、これは現実なのかとさえ疑いたくなる。中川は友田時雨ともだしぐれのことを全く覚えてはいなかった。


今日は祝日で学校が休みだ。休日出勤だと不満を洩らした両親を見送り部屋でだらだら過ごした後、昼食を食べようとキッチンに足を向けた時だった。時雨と中川は幼なじみだ。中川が事故にあったという一報は中川の母親から貰った。電話口で事故という言葉に相当なショックを受けている時雨を『幸い、軽傷だったの。あの子ったら本当に心配掛けて』と笑う中川の母親の声にどれほどの安堵を覚えたのか分からない。「……っ! 良かった……! 本当に良かったっ!」と喉元を熱くさせながら言葉を絞り出した時雨は直ぐ様、コートを羽織って病院へと駆けつけた。そこで聞かされた衝撃の事実。


「来てくれて有り難う時雨くん……久登ね、時雨くんのこと覚えてないみたいなの。でも良かったら会ってあげて。時雨くんの顔を見たら思い出すかも知れないわ」


頭が真っ白になった。言葉の意味を上手く咀嚼出来なくてただ呆然とその場に立ち尽くしかない。中川とは物心付く前からずっと一緒だった。心の中に大切に仕舞ってあった思い出が次から次へと時雨の脳内で色鮮やかに蘇る。記憶を形取った数え切れないほどのピースたち。まだまだ完成には程遠いそれは時雨にとって全て大事な一欠片でどれが欠けても耐えられない。中川はその全部を忘れてしまったというのか。時雨はしばらくの間、残酷な現実を噛みしめていたが頭を振って思い直す。中川が無事で良かったじゃないか、と。記憶を無くしても生きていてくれたのならそれで十分じゃないか。そんな風に思考を切り換えたもののちゃんとした覚悟は出来ていなかったらしい。それに前日のこともある。チリチリ、と焦げ付く様な痛みに気付かない振りをしながら中川の名前が書かれた個室に入る時、自分の手が震えていたことを覚えている。


──君は誰?


その言葉にも衝撃を受けたが、時雨の胸により鋭く牙を立てたのは中川の表情だった。中川はいつも大型犬の様に豪快で、でも可愛らしくもある笑顔を時雨に向けてくれるのだ。中川の笑顔を見る度、時雨の胸は擽ったくなった。思いのままに「可愛い」と洩らしてはよく拗ねられたっけ。大好きだった、中川の笑顔。


『しぐ、俺と付き合ってくれないか?』


木々を揺らす風には秋の気配がある。まだコートのいらない、二ヶ月以上前の季節だった。映画に出てくるヒーローのように何もかも完璧だった中川から思い掛けない告白を受けたのだ。幼なじみでありながら中川とは対照的な位置にいる時雨は、映画で言うところの名もなき脇役に違いないと自虐する。そんな風にとことん自分に自信はなかったが、中川の事はずっとずっと好きだった。普段は気弱な癖にその想いだけは人一倍強かった。だから中川の告白を二つ返事で受け入れたのだ。本当は知っていたのに。中川の想い人は自分ではない事を──……。中川の想い人は栗栖くるすという名前の同級生だ。時雨は直接話した事はないが、中川同様、栗栖は学園内でもよく目立つ綺麗な男だった。二人は仲が良いらしく、中川の口から栗栖の話題が出ることもあったし、度々一緒にいるところも見掛けた。時雨とは違い……、いや比べるのも烏滸がましいほど栗栖は中川と並んでも遜色がない。中川がヒーローなら栗栖はヒロインで実にお似合いの二人だった。実際、二人が交際しているのではという噂を何度も耳にした。その度にいちいち傷付き、嫉妬に苦しむ自分は何て身の程知らずなんだろうと落ち込んでしまう。そんな時だ。放課後、夕日の光が射し込む教室でキスしている二人を偶然見てしまったのは。瞬間、堪らない虚無感が時雨の心に大きな穴を空けた。幻想的な夕日の色に映える二人の神聖な口付けはまるで映画のワンシーンそのもので、同じ空間にいるはずなのに主役側と脇役側で世界が明確に分かれている事に気付く。戯れ合う二人を息を殺しながら見ている自分があまりに滑稽に思えて涙が溢れた。ハッキリとした線引きがそこにはある。やっぱり自分なんか端から相手にされないんだ。噂通り、本当に付き合っていたなんて。そんな醜く薄暗い感情がぽっかりと空いた穴にぎしぎしと埋まっていく。自分の身体が何かにとって代わられるような不快感に襲われ、思わず吐きそうになる。時雨は口元を片手で押さえながらその場を離れた。


それから一週間も経たないうちに栗栖に恋人が出来たという話が学園中に沸いた。相手は中川ではなく、生徒会長らしい。中川と栗栖のキスシーンを見た時雨は信じられない気持ちでいっぱいだったが人目を憚からず会長と戯れている栗栖を目撃して絶句する事になる。部外者である時雨は訳が分からなかった。ただ明らかに覇気のなくなった中川の姿に酷く胸が締め付けられた。どうしてそうなったのか。理由は気になるが中川自身が話してくれるならともかく、自分から栗栖のことを聞くような野次馬の真似はしたくない。だから中川を慰めないし何も聞かない事にして、普段通りの態度で接した。それから二週間も経たないうちに告白されたのだ。時雨だって馬鹿じゃない。中川の心がまだ栗栖にあることくらい分かっていた。栗栖に突き放されただけではなく、新しい恋人を作られ堂々といちゃつかれる。そんな状況に中川はきっと自棄を起こしてしまったのだと思う。だから付き合っていることは誰にも内緒にしようと提案した。お目出度いと笑われそうだが、身代わりでも良かった。身代わりとはいえ、中川の隣で笑っていられることを他の誰でもない中川本人に許されたのだから。元々中川は優しい男だったが、付き合うことになってより優しくされる様になり勘違いしてしまったのかも知れない。くしゃり、と破顔する中川の笑顔が大好きだった。幼なじみの時には見せてくれなかった可愛い笑顔を見る度に時雨の鼓動は踊り出す。


「可愛い!」

「可愛いは止めろよ」

「だって可愛いんだもの」

「しぐ、お前楽しんでるだろ」


照れているのを誤魔化すように口元を尖らせる中川の傍らで時雨は鳴り止まない胸に手を置いた。幸せだと思った。だから錯覚してしまったのだ。脇役である自分がヒーローに愛されているのではないかと。中川と付き合ってからもう直ぐ二ヶ月になる。セックスはおろか、キスや「好きだ」と言われたことすら未だで恋人らしい事は何一つしていないのにそんな風に自惚れてしまった自分は何て愚かなんだろう。時雨は偶然にも事故の前日、勘違いから目を覚ますことになる。中川と栗栖のキスシーンを目撃してしまったのだ。放課後の、夕日の色が映える教室。シチュエーションはあの時と全く同じだが、時雨の立場が違う。身代わりとはいえ自分は中川の恋人じゃなかったのか。信じられなかった。でも心の奥底でやっぱりと諦めてしまう自分に反吐がでる。栗栖を見る中川の表情は実に堂々としていて格好良かった。情熱を孕んだ中川の双眸。ああそうだ。ヒロインを見つめるヒーローはいつだって格好良いのだ。時雨は中川から一度だって熱視線を向けられた事はない。自分はどこまでいっても中川と肩を並べられない事に気付いた。時雨は逃げるようにその場から立ち去ると大粒の涙を流した。冷たすぎる風が時雨を刺すように吹き荒む。実に脇役らしい最後だ。誰にも見取られることはなく、時雨の恋の幕は静かに降りた。



「僕の名前は友田時雨。久登くんとは幼なじみだった」

「君が時雨くんか。母親が俺に幼なじみがいるって言ってた……御免な」


──しぐ。


不意に以前の中川に呼ばれた気がした。母性本能を擽るような中川の笑顔を思い出した時雨は泣きそうになる。


「ううん久登くんの所為じゃないし。大変だったね。でも無事で良かった」


現実はいつだって容赦してくれない。時雨の労いに向けられたのは他人行儀な中川の笑顔だった。ちくり、と胸が痛んだが、今の中川から見れば時雨は初対面の人間なので仕方がない。脇役なのに欲張り過ぎたのかも知れない。ヒーローの隣にいていい人間じゃないのだ自分は。


「ありがと。でもマジついてないよ。スマホも壊れちゃったみたいでさー、最悪だ」

「そうなんだ。でも物は考えようだよ。思い出せないものは仕方ないしこれを機会にリセットしてみれば?」

「リセット?」

「新しく産まれ変わったと思ってさ! ……って御免。こんなこと当事者じゃない僕が気軽に言っちゃダメだよね」

「いや嬉しいよ。優しいな、時雨くんは」


中川の言葉に苦笑するしかない。自分はちっとも優しくなんてない。今まで本当に御免なさいと心の中で謝罪する。パラパラ、と思い出のピース達が散らばる音がした。もう完成することはないだろう。時雨は目を伏せる。どう足掻いても過去は変えられない。だからこのピースを心の奥に仕舞っておくくらいは許して欲しい。もう自分は中川の未来を邪魔しないから。身の程を弁えるから。時雨は伏せていた瞳を持ち上げると小さく笑った。


「久登くんなら大丈夫。成績優秀でスポーツ万能、僕の自慢の幼なじみだよ。それに……」

「それに?」

「笑顔も格好良いしね」


褒めすぎだと笑う中川越しに見える窓の外は夕日色に染まっていた。どこまでも中川は綺麗だ。中川と自分との間に境界線が見えた気がして時雨は瞳を細めて込み上がってくる涙に耐えて見せる。

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