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「龍の時代」

作者: マコト

「人生最後の一日を一緒に過ごしたいって思える人っていますか?」

抹茶ティラミスをフォークで掬いながら美雪が尋ねてきた。切れ長の目尻が少しだけ吊り上がっているところから察すると真剣な答えを求めているようだ。

「その最後の日って元気な状態を想定したほうがええ?」

「それは淳史さんの想像にお任せします」

虚ろな思考モードに入った僕に災いが降りかかった。口元まで運んでいたカスタードクロワッサンの切れ目からスラックスにカスタードクリームが落下したのだ。

「わぁ~、やってもた~!」

即座にペーパータオルでクリームを拭き取ろうとした僕の手が止まった。カスタードクリームが龍の形を描いていたのだ。長い体をゆったりとくねらせながら空を舞うクリーム色の龍・・・。少なくとも僕にはそう見えた。    「どうしたんですか?」

美雪が自分のバッグから取り出した藍色のハンカチをグイッと差し出している。

「最近、やたら龍の形をした物を目にすることが多いんや。パスタとか、こぼれた珈琲のしみとか、これとか!」

力を込めてスラックスを指さす僕を、美雪はまるで駅前の交差点でアルパカを目撃してしまったかのように僕の顔とスラックスとを見比べていた。

「まぁ、龍というかタツノオトシゴというか・・・。ユニークな形ですけど?」

「食い物系が龍に見えるって何か意味があるんかなぁって思てるんやけど?」

美雪は困った顔でクリーム色の龍を見つめている。十秒足らずの沈黙が重い。

「まぁ、最近の僕がメタボ気にして勝手に食事制限してるからこんな妄想してるんやと思うけど。美雪ちゃんには関係ないよな・・・」

 僕はペーパータオルで龍型クリームの本体を拭い取ってから、彼女のハンカチをコップの水に浸してスラックスを叩くようにして拭き取った。

「今日もええ天気で良かったなあ」

照れ隠しに視線を庭に移す。

古民家カフェの中庭には石灯籠や飛び石が配され、瑞々しい苔が庭全体を覆っている。築百年の家屋を殆どそのまま活かした板張りの縁側には、手延べガラスという手作業で作られたガラス戸が嵌められていて、それを通して見る中庭はルーペを通したように輪郭が歪んで見え、明治時代にいるような錯覚を覚える。

 コの字型の縁側に囲まれた中庭の中央には二本の泰山木が重なり合うように青葉を繁らせていて、その輪郭はどことなくスヌーピーの横顔っぽい。

三ヶ月前、僕が美雪と付き合うきっかけになったのがこの「スヌーピーの樹」だった。

その日、僕がカフェに入ると美雪が黒光りする縁側から真剣な表情で庭を見つめていた。僕が彼女の脇を抜けて奥の席へ着こうとした時、「あれってスヌーピーっぽくありません?」と庭の方を向いたままの彼女が言ったのだ。咄嗟に店内を見回した僕の視界には彼女以外の姿はなかった。気のせいかと思い席に座った時、彼女は上半身を僕のほうに捩って、「やっぱりスヌーピーですよねぇ?」と楽しそうな顔を向けてきたのだ。僕はそうすることが礼儀とでもいう感じで縁側の彼女の横に立ち、庭を見つめた。初対面の僕たちの視線の先には、春の陽射しの元、三角の一部が窪んだようなシルエットの泰山木があり、それがスヌーピーの横顔に見えたのだ。「確かにスヌーピーっぽい・・・」僕の口を付いてでた言葉に美雪は「ですよねぇ!」と飛び上がらんばかりに狂喜し、僕も頷きながら笑っていた。

「染みになるかも知れませんね?」

美雪は天気よりもスラックスの方が気になるようで、僕が返したハンカチで念入りに龍の痕跡を拭いてくれた。

「こんな女子と生活を共に出来たら幸せだろうなあ」

リストラが原因で離婚してから三年。元妻から突き付けられた離婚のショックで疼き続けていた心の痛みは、二年を過ぎた頃から次第に純粋な淋しさへと昇華していった。

「とりあえずはこれで大丈夫な気がしますけど、クリーニングに出したほうがいいかもですね」

「ありがとう。美雪ちゃんはほんまに可愛くて優しいよなあ」

だらしなくにやけている自分を許してやろう。

「それで、さっきの質問の答えは出ましたか?」

ソファに座りなおした美雪が、抹茶ティラミスにトッピングされた苺をフォークに刺している。お気に入りスイーツを食べている時の彼女はエレガントで綺麗だと思う。

「美雪ちゃんと最後の一日をこんな感じで過ごせたら思い残すことはないと思う」

バツイチ男子が七歳年下の独身女子の優しさにしなだれかかることがあってもいい・・・と自分に言い聞かせる。

 美雪は何も答えず、暫くの間スヌーピーの樹を見つめていた。その横顔に神々しさを感じた自分を「エライ!」と褒めてやる。

現実的に、バツイチ男子と独身で見た目もキュートな美雪とが結婚できる確率は何パーセントくらいだろう?僕は彼女のことを真剣に守りたいと思っていて、その気持ちを自分でもカッコイイと感じている。でも、それはあくまでも僕の一方的な想いであって、美雪が「喜んでその気持ちを受け入れます。結婚しましょう!」と言ってくれるとは極めて考えにくい。百パーセント「YES」でなくてもいい。たとえ一パーセントでも僕の想いを心で感じてくれるなら僕はこれから先も男としての誇りを捨てることなく生きていける・・・。

「あの樹って、傾いたハートにも見えますよね?」

美雪がスヌーピーの樹を指さして言った。

僕は首を左に一五度ほど傾けてみる。

「あっ、ほんまや。左に傾いたハートマークや!」

本当に驚いた。スヌーピーの横顔のシルエットは少し傾いたハートでもあったのだ。

 傾いたハート・・・。美雪は僕に何を伝えようとしているのだろう?

僕と美雪は静かに傾いたハートの樹を見つめた。

「人間は完璧じゃ無いからいいんですよね。

足りないところを補い合えることが素敵なんですよねぇ」

傾いたハートを見つめたままで美雪はそう呟いた。

「傾いてしまったハートを自分の力で無理にまっすぐ立て直す必要なんてないのかもしれませんねぇ・・・」

その言葉が失恋した女の本音だということに僕が思い至ったのは、龍神様の力だったのかもしれない。

美雪が二年間付き合った彼との別れ話をしたのは、この店での四度目のカフェタイムだった。彼女は実らなかった恋バナをしながらリンゴのタルトをフォークで一口大に切ろうとしていたが、土台のタルト生地が上手く切れず泣きそうな顔で笑っていた。見かねた僕がフォークを借りてキャラメルソースのかかったタルトを切り分けると、彼女はタルトを見つめたまま小さな声で「すいません」と呟いた。そして、その時から僕は本気で美雪に恋心を抱いた。

「あ、さっきの話ですけど」

美雪がバッグからスマホを取りだした。まるでいたずらを仕掛けるような目でスマホをいじっていた彼女は「はいこれ!」とスマホの画面を横にして僕に突きつけてきた。

「なにこれ?」

スマホに映っていたのは抜けるような青空だった。そして中央には飛行機雲のようにまっすぐ横に伸びた白い雲・・・。でも、飛行機雲と呼ぶにはその雲はあまりにも太かった。そしてよく見ると、うろこ雲みたいな模様があり、更に雲の先端部分は生き物の角みたいに三角形に突きだしている。

これはまるで・・・。

「空を飛んでる龍に見えるでしょ?」

スマホ越しに美雪のどや顔。言葉が出てこない。

「龍を見つけるのが上手いのは淳史さんだけじゃないんですよねぇ」

「・・・」

「私、龍のこといろいろ調べたんです。結論から言うと龍もUFОと同じで、地球にメッセージを伝えに来てるエイリアンかなって思うんです。私の言ってること、思いきり変でしょう?」

「いや・・・。僕的には凄く興味ある内容だよ」

僕の心が美雪の話にシンクロしている。

「だから、さっき淳史さんが食べ物系が龍に見えるって言った時、『この人が運命の人かも?』って思っちゃったんです・・・」

美雪は俯いて照れ笑いしている。女子から告白させるなんて僕は最低の男だ。

「美雪ちゃんってやっぱり凄い!」

ゆっくりと顔を上げた美雪が僕を見つめる。少し上目な彼女の顔が、今まで以上に輝いている。僕はふとハートの樹に目をやった。ハートの樹は春の陽ざしを浴びて心地よさそうに傾いている。

「美雪ちゃん。もっと、龍の話をしよう」

僕は自分の中の傾いたハートが光を放ち始めているのを感じながらそう言った。

               

 (終り)





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