歌わない吟遊詩人
とある音楽を聴いていて一瞬で鳥肌立つほど震えました。
そんな経験、ありませんか?
さらっとお読みいただければ嬉しいです。
年季が入っている、といえば聞こえのいい、田舎の古びた宿を兼ねた酒場。
今日も一日畑仕事で疲れた男たちがささやかな癒しを求めて集うそこは薄暗く感じる程度のランプで照らされ、ぬるいエールと質より量を選んだ料理を提供し、それなりに賑わっていた。
屈強な肌を赤く染め、いい加減に酔った男たちが大声で笑い、騒ぎ、そして程よい加減で家に帰るのが一連であり、その夜もその予定であった。
そこに、一夜の宿を求めた旅人も加えて。
「すみません、一泊お願いしたいのですがまだ部屋はあいていますか?」
「ああ、こんな田舎に来るような酔狂な客は行商人以外に久しぶりだ。ついでになんか食うかい?」
「…すみません、今持ち合わせがないので遠慮しておきます。…あ、でも」
「ん?なんか売るもんあれば買取りもやってるぜ?」
「それでは食事代代わりに一曲歌わせて頂いてもいいでしょうか。一応、これでも吟遊詩人の端くれでして」
「へえ、あんちゃん吟遊詩人か!…にしちゃあ……」
「はい?」
最後を濁して、マスターは小首をかしげた青年を一瞥した。
毛布にも飛び道具に対しての簡易的な防御壁にもなる厚手の布を茶色の革で挟んで仕上げたフード付きのローブ。
緑を基調にした厚手の布の服に身軽さを重視した革鎧。
指部分がない黒い革の手袋をつけた両腕にはあちこち傷だらけになりつつも盾として十分に使える幅広の篭手。
靴底とつま先に鉄を仕込んだ頑丈な膝丈のブーツ。
腰には大ぶりのサバイバルナイフと太めの槍らしきものが鞘に包まれて財布や回復薬などを入れているのだろうポーチをつけたベルトから吊り下がっている。
背中の大きな、黒くて奇妙な形のバックには水筒や食料が入っているのか結構膨らんでいる。
頭半分低い背丈からするとおそらく18,9といったところか。理知的な瞳と落ち着いた雰囲気からして早くからこういった旅を続けていたか、あるいはもう少し上かも知れない。
黒い髪に黒い目はこの国で当たり前にある色で、黄色みがかった肌は少し珍しい。顔立ちはどこかのっぺりとしていて表情が読みにくいのが特徴なくらいでどこにでもいそうだ、というのが第一印象。
というか、平均的すぎて今時いないような冒険者の格好そのままだった。
最近の冒険者つったらやたら派手な色を好むから目立ってモンスターに襲われることが多いんだよな。
そういえばこないだ三件隣のマイクが真っ赤に染めた革鎧着て森に入って命からがら帰ってきたな。
いやあれで懲りて家継ぐっつってたからいいけどよ、とちょっと遠い目をした酒場のマスターは、丁寧な仕草で(こういうのも最近のガキはやらねえんだよなぁ…)頭を下げた冒険者、否、吟遊詩人の青年にすこし眉をひそめた。
「……歌ってくれるならこっちはいいけどよ。楽器はどうしたんだ?」
「あ、ありがとうございます。楽器は、大丈夫です。ここに、ありますから」
青年は、ほっとしたように笑んで(そうするともう少年にしか見えない)バックを揺らし、もう一度頭を下げた。
いい酒の肴だと承諾されたものの、国を守った偉大な英雄譚やドラゴンを打ち倒した冒険者の冒険譚や、その美貌と才気で国の宰相までのし上がった貧民層の女性の話などのリクエストが飛び交う中、彼はそのどれにも首を振った。
「なんだよ出し惜しみするんじゃねぇよ!」
「いえ、申し訳ありません。僕の歌は普通のものではないので…けれど、耳慣れないので新鮮だと思いますよ」
やわらかな物腰で酔っ払いを軽くかわす彼を見て、とりあえず第一関門突破か、とマスターは密かに胸をなでおろす。
普通、吟遊詩人とは一般的にうつくしく強く頭が良く口が軽い、というのが共通だ。
色も肌も顔立ちもその手に持つ楽器も、吟遊詩人とは注目されることが第一目標であり、そこから客を呼び寄せお恵みを貰えられるかは巧みな話術や道化じみた仕草などが必要だが、それはそれとしてまず目立つことが何よりも必要である。
無論、その腕一本でのし上がってきたからにはそれなりに腕も立ち、パーティーに誘われることも少なくない。
また、一定の教養も見苦しくない程度に身に付けており、稼ぎがない時や時間があるときはささやかな報酬で平民に計算や言葉遣いを教えたり、貴族の愛人や伴侶などに望まれることも少なくない。
何より重要なのは、吟遊詩人は情報を扱っている、ということだ。
あちこちを放浪し、様々な噂や真実を知る立場にいるからこそ中立である彼ら彼女らは、それらの情報を歌に変換し、時には暗号と化して流す情報屋としての一面も備えている。
そこまで高度ではなくとも娯楽の少ない田舎では辛い現実からすこしだけ抜け出せる貴重な機会だ。
それがどんな噂であれ真実であれ聞いたことのない歌は刺激になる。
「もったいぶんじゃねーよ!」
「早く歌えー!」
「わわ、すいません。少し待ってくださいね。…えーっと」
店の片隅に立って奇妙なバックを下ろして中をゴソゴソ漁っている青年の背中に酔っ払いの野次が飛ぶ。
すこしだけ焦った様子の青年はやがて目当ての物を見つけたのか、立ち上がった。
「あ、あったあった。お待たせしてすいません」
「おい…」
「なんでしょう?」
「そりゃなんだ。楽器じゃねえだろ」
「これですか?」
眉間に深い谷を築いたマスターの前で、青年は手に持つそれを…旅人御用達『ギルドカード』をかざした。
『ギルドカード』とは、簡単に言ってしまえば行商人や旅人や冒険者などの、国を超えて活動したり、あるいは観光のための旅行者のために作られた『世界ギルド』が専用に発行する身分証明書だ。
『世界ギルド』とは国に縛られない者たちの『国』である。
そこには(少なくとも表向きとして)身分の差はなく、一定の年齢と、生死を問わない強い意志と、受けた仕事を完遂する信用だけが必要とされる、完全に実力主義の世界だ。
故に『世界ギルド』に頼んだ依頼は報酬とランクによって厳正に格付けされ、それに見合った者へ通達されるための道具がこの『ギルドカード』だ。
対して、一定の期間のみカードを利用する場合は国の許可書と規定の同意書と非常連絡先などの書類を必要とし、また場合によって護衛兼監視者もつく。
もちろん、カードを無断で盗んだり売ったりすれば即周囲の冒険者に通達されて牢に入れられ、二度とカードの発行は許されない。
何が言いたいかというと、
「それは連絡のみだろう?音楽なんぞ流せないじゃないか」
手のひらサイズの『ギルドカード』は通話と発着歴、メッセージの送受信、モンスター撃破数や依頼達成数、ランク、薬草の辞典や取扱説明書などが更新されるものの、その中に楽器替わりになるようなものはない、ということだ。
かつて冒険心疼くまま飛び出した覚えのあるマスターがそう言えば、青年は朗らかに笑った。
「大丈夫ですって。俺のは『ギルドカード』じゃなくて『スマートフォン』ですから」
「すまーとほん?」
「まあ、聞いててくださいよ…っと」
青年が黒い『すまーとふぉん』に指先をすべらして数瞬。
―――――っ!!
酒場の空気が、止まった。
最初に感じたのは、衝撃。
今まで聞いたことのないようなさまざまな『音』が一斉に耳に叩きつけられる。
かつて至高とうたわれた吟遊詩人のうつくしい歌声も、あまりに深すぎる都会の芸術も、一流の旅芸人の技術も、何もかも置き去りにして引きずり込まれるほどの、それは沢山の『楽器』の音と重なり合う『人々』の歌声だった。
男か女か子供か老人か高く低く長く短く、華やかにひそやかにはかなげに歌い上げるひたすらに伸びやかな声に、すべてを奪われて与えられてまた新たな世界が広がるほどの衝撃だった。
『音』が続いたのはわずか十分にも満たない。だというのに、先ほどからその『音』がこびりついたように余韻がきえない。
これほどの『音』を、けれど口角をゆるく上げた青年の口からではなく手元の黒い『ギルドカード』にしかみえない板から聞こえたのだ。
もし、この板が悪用されたら……?
気づいた事実に戦慄し、周りに気づかれないように、知らず鳥肌のたった腕をさすった。
「お耳汚し、失礼しました。よろしければ他にもありますが?」
(な…んだこれは……)
「お、おい!」
「はい」
「もう一度同じのだ!」
「まだほかにもありますよ?」
「聴きてえ!きかせろ!」
「はいはい、その前にご飯くださいね。もうお腹ぺこぺこなんですよ」
「おいマスター!」
「あ、ああ」
「メシだ!早くしろ!」
「わかった」
「すみません、マスター。あそこの人の美味しそうな煮物お願いします」
「す、こし待ってろ。すぐに用意する」
「はい。じゃあ、その間にもう一曲いきますねー」
「早くしろー!」
「はい」
(これは……この『音』は、何なんだ!!!?)
吟遊詩人の前に置いた組み立て式の箱(飛んできたお金を入れるためのものだ)に結構な勢いで銅貨が飛んでいく。
あの様子なら五日も歌えば、つつましくも一ヶ月は暮らしていけるだろう。
「…まるで、麻薬だな」
再び流れ出した流麗な音楽に意識を持っていかれないよう、鍋に目線を落とした。
いつの間にか音に惹かれて集まってきた女性たちも交えて、ゆっくりと夜は更けていく。
それから村に留まる間、彼は望む者に簡単な勉強や心得を、子供たちに遊びを、女性には見知らぬ料理を、マスターには新たな酒のつまみを、男性には…まあ、色々…と、いくら聴いても飽きない、さまざまな歌を。
その間マスターの宿に寝泊まりしていたこともあり、随分と打ち解けた。
彼はきままに旅をするのが子供の頃からの夢だったのだという。
成人祝い(今はなんと25才!!マジか!?)にひと月ほど旅する予定だったが道に迷っていつの間にやら西の大国の森で保護されたらしい。
そのお礼にあの『歌』を聴かせたところ大層喜ばれ、ついでに稼ぎもそこそこになるのでこれ幸いと帰り道を探すついでに吟遊詩人として旅しているのだという。
「まあ、こうしてキャンプ用品一式揃ってる状態でトリップしたのが幸いでしたね。軽量コンパクト型を選んで揃えましたから高くつきましたけど後悔はありません。それに俺自身は歌えませんがこの『スマホ』もありますし、太陽光発電式充電器がありますから充電も気にしなくて済みますし、最新式ですから防水防塵加工もバッチリ!!カバーも万が一に備えて一番いいの買いましたから壊れることは滅多にありませんしね」
「…あーっと?」
「あ、つまりそのうち帰れるかもしれないし帰れないかもしれませんが、そんなに悲観する状況じゃないってことです」
「じゃあ、とにかく大丈夫なんだな?」
「はい。心配してくださってありがとうございます」
「そうか…この村はな、どっからも忘れられてるんだ」
「は?はぁ…」
「たまに来る行商人と嫁と婿っくらいしか来ねぇし……まあ、なんだ。もし貴族とかに疲れたらここに来い。これでも昔は冒険者としてそれなりにコネはある。匿うくらいなら出来っからよ」
「マスター………はい、ありがとうございます!!また来ますね!!」
「ああ、また…顔見せろ。あいつらも久々に楽しそうだったからよ」
「はい!!」
十日後、パンパンに膨らんだバックと重くなった財布を抱えて、名残惜しく見送る村人たちに手を振って、冒険者、ではなく吟遊詩人は去っていった。
「行ってきます!!」
「ああ、行ってこい」
明るい笑顔で歩く彼の後ろ姿に幸あれと、マスターは声無く願った。
出発前夜の夜。もう誰もいなくなった酒場の片隅の話。
『マスターって父さんみたいです』
『言っておくがな、俺はまた39だぞ』
『え?あ、ご、ごめんなさい。俺てっきり…』
『はっ倒すぞテメェ』
『ごめんって。でも本当に父さんそっくりなんだ』
『ふうん?』
『ミランダさんは姉さんに似てるし、マージはいとこ、ルインは俺の親友に……』
『そうか』
『何も言わず消えたから、きっと、心配してる……だから、帰れるなら帰りたい』
『そうだな。帰る場所があるなら、帰ればいい。帰ろうと、思うことは大事なことだ』
『ふ、あははっやっぱりそっくりだ』
『っお前』
『でも、やっぱりどこかで諦めてるのかも知れないんです』
『あぁ?』
『こっちだって十分楽しいし、あっちじゃ気付かなかった実感もある。このままここに住んでもいいかなって……っいたぁ!!何するんですか!?』
『はんっガキがくだらねぇこと考えんじゃねぇ。おら、これでも飲んでさっさと寝ちまえ』
『ホットミルクって……しかもはちみつ入り』
『泣く子供にはそれが一番いいんだ。さっさとベッド入って目ぇ閉じろ』
『ガキじゃありませんよ。これでももう25になります』
『………へー25………ん?にじゅうご?』
『あ、でも久しぶりに飲むと美味しい。……ん、ご馳走様でした』
『…にじゅうご………?』
『はー、なんかすっきりしました。マスター、それじゃおやすみなさい。また明日ー』
『………に、じゅう……ご?』
『25だとー!!?』
『あんたうるさい!!子供が起きる!!』
『ぐがっ』
彼がその後、どこに行き、どんな経験をして、どこで住んで、どこで眠ったか。
それを知る彼の姿は、どこにあるかもう誰も知らない。
しっているはずの世界のだれも、しらないふりをして。
お読みいただき、ありがとうございました