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エッセイ

魚のハナシ

作者: 木村

魚のハナシ① お寿司屋さんのハナシ


日本の若者が魚を食べなくなっていると、世間でまことしやかに囁かれ出して久しい。そんな中、「寿司/SUSHI」だけは子供たちの中で相も変わらず燦然と輝いている。焼き魚と煮魚が子供の嫌いな料理四位と五位にランクインするという状況でありながら、寿司は好きな料理堂々の第一位なのだ。寿司が魚界の救世主だと言っても、過言ではないだろう。

 さて、私には毎月のように通っていた回転寿司屋さんがあった。なんと小学五年生からの、年季の入った常連客である。一皿百五十円から二百円前後というリーズナブルな価格設定に、魚の出汁がきいた味噌汁は何杯でもお代わり無料という素敵なお店だ。もちろん大事な魚のネタも有名チェーン店よりはずっと大きくて新鮮、特に焼きアナゴと〆サバの寿司は絶品だった。しかし私がそのお寿司屋さんに行きたいと、何度も親に強請ったのには、もう一つのある理由があった。イケメンだったのだ。それもイチロー似の。

ちょっとばっかりくたびれた職人用白衣に、和帽を被ったイチロー似のお兄さんは、そりゃもうドストライクにタイプだった。「アナゴ一枚」という私の声に、涼やかな目元をちらりとやると、「あいよ」と短い返事をする。そのわずか三秒ぐらいの間、私はお兄さんと自分の、二人だけの世界にいるような気がした。わさび抜きで、なんて野暮なことを言わなくても私が注文すればお兄さんはわさび抜きの寿司を握りはじめる。私は魔法みたいに動くお兄さんの手をうっとりと見つめるのが大好きだった。

 そんな時分からもう十数年。上京した現在でも、帰省するたびにそのお寿司屋さんには行っている。しかし今はもう、イチロー似のお兄さんは見当たらない。いるのは白髪の混じった、人生に疲れ果てた様子のおじさんだけだ。一言付け加えておくと、彼はよく注文を間違える。


魚のハナシ② 魚釣りのハナシ


「よし、魚釣りに行くか」

 こんな父の一言で、私はよく魚釣りに行った。父と私の専門は、もっぱら海釣りである。海がわりかし近かったというのもあるが、ただ釣竿を垂らしてあと放置、という海釣りのスタイルは、めんどうくさがりな二人の性に合っていたのだと思う。古ぼけた漁港に漂う潮の匂いだとか、あちらこちらに落ちてる干からびたヒトデをだとか、魅かれるものはたくさんあれど、飽きるなんてことは決してなかった。ぼんやりと凪いだ海を見ているだけでもよかった。私の隣、つばの広い麦わら帽子をかぶって、ダサい柄のシャツを着た父がコンクリート桟橋に腰かけている姿は、妙にしっくりと馴染んでいた。

 とある週末も、いつものように父の釣りにくっついて行った。天気は上々。竿を出して、糸の先に針をつける。この時、針を指にひっかけてしまうことが多いのだが、この時はうまく結ぶことができた。幸先のいいスタートである。最後に、青イソメというミミズと似た餌を手早く括り付けて準備完了だ。

 意気揚々と海中に釣り糸を垂らす。北の日本海らしい濃紺の下に、うっすらと動く魚の影がちらちらと見えた。

 防波堤の近くに大きめの魚が寄ってきているとは運がいい。これはいけるかもしれないぞ、と意気込んでから数時間。私のバケツは魚ならざるものでいっぱいになっていた。

「なんだ、またナマコか」

 死んだ魚の目でナマコを針から外す私を見て、父がにやりと笑った。勝ち誇ったイヤラシイ笑みだ。私がナマコ四匹を釣り上げた間に、父親は魚を三匹釣り上げていた。食べれないハコフグではあったけれど、一応は魚だ。しかし釣果というにやはりはしょぼすぎるわけで、その馬鹿にしたような笑顔には、かなりいらっときた。

 そもそも、なまこが餌に食いつくとは考えられない。ナマコは海底のバクテリアを食べていきているのだ。つまり、魚が巧妙に餌だけ食べたあと、糸を巻きとる過程でなまこが引っかかってしまったということだ。たまたま四回もナマコがひっかかるなんて、ここらへんはなまこ密集地帯だったのかもしれない。次は場所をずらして糸を垂らすことにした。―――そして釣れたのは空き缶。蓋が半分ぐらい開いていたが、おそらく何かしらのフルーツ缶である。空き缶を釣るというあまりにもベタでお約束の展開に、ある種感動すら覚えた。隣では相変わらず父がニヤニヤとした笑みを浮かべている。腹立たしい肉親のことは置いておいて、とりあえず外そうと空き缶をつかんだ私は、その奇妙な重さに首を傾げた。水が入っていて重いのは分かる。けれど、ずっしりとしたそれは、水とは違うおかしな重量感があった。まさか、と背筋に嫌な寒気が走る。いや、待てよ……さすがにそんなはずはない。ないない。絶対ない。思わず固まった私の手から、ひょいと空き缶が取り上げられた。

「おう、またナマコ入ってるぞ。よっ!ナマコ釣りの天才!」

 ぼとりという音とともに、あっけなくコンクリート上に落ちたのは黒い塊。海の鼠、と書くやつだ。ナマコだ。そう、ナマコ。この日の私には、ナマコの呪い……いや、祝福かなんかが掛かっていたのかもしれない。きっと、もう彼等を釣ってはいけない。父の言葉に返事をすることも忘れて、わたしはそっと釣竿を置いた。

ちなみに、ナマコは美味しくいただきました。



魚のハナシ③ うちの金魚のハナシ


 文字通り金の魚で金魚。金魚鉢の中で泳いでいる姿は、なんともいえない風情がある。透明な硝子越しの世界は、その丸みによって様々な表情を見せる。そうして金魚鉢は、元来上から見るものであった金魚を、360度楽しめるようにしたのである。そんな金魚鉢だが、ヨーロッパのどこかの国では、動物愛護法に違反するとか。曲面が金魚の感覚を狂わせてしまうらしい。彼らのためを思えば金魚鉢はよくないのかもしれないが、それでも私は、やっぱり金魚を最も美しく見せるのは金魚鉢なんじゃないかと思う。

ちなみに我が家には二匹の金魚様がいらっしゃる。鮮やかな緋色一色の金ちゃんと、白に赤のぶち模様を持ったぶちこだ。某軽自動車メーカーの夏の感謝祭でもらってきた金魚だったため、すぐに死ぬかと思われた二匹は、年々強くたくましく育っていっている。我が家の金魚様は金魚鉢ではなく熱帯魚用の大きな水槽に住まわれているのだが、その理由もまた逞しさゆえなのである。

まだ金ちゃんとぶちこが、小指ほどの小さくてかわいい金魚だった頃の話だ。金魚鉢で泳ぐ姿はとても映えるので、よく見えるようにと居間にある本棚の上に置かれていた。側には座椅子があって、家族は各々好きな自分に腰かけては本を読む、憩いの場であった。そんなある日のこと、母はいつものように座椅子に座って、新聞を読んでいた。なんの変哲もない、変わらぬ日常の風景だ。居間と続いているキッチンで朝ごはんを食べていた私と姉は、母の「ぎゃあっ」という悲鳴に勢いよく顔をあげた。母に何かよからぬ事が起こったのかと一瞬緊張したが、続けて「金ちゃんがぁっっ!」という声。どうやら金ちゃんに何かが起こったらしい。急いで母の元に駆け寄った私と姉の目に入ってきたのは、新聞の上でピチピチと跳ねる金ちゃんだった。

 それから金魚鉢の水位を低めにしたり、大きめのものに移したりしたが、金ちゃんの三度目の脱走を機に、二匹は熱帯魚の水槽へ引っ越すことが決まった。さほど大きくなかった金ちゃんとぶちこが熱帯魚をがつがつ食べ、いつの間にかこぶし大の大きさになっていたことは、またいつか話そうと思う。



 

 


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