第三十九話:信田家
第三十九話
葛ノ葉さんの電気椅子にいじめられた次の日、彼女は俺を連れて実家へと帰っていた。
「あのー」
「何でしょう」
「何故縛られているんですかね」
解せないのは縛られている事だ。
「落ちたら大変だからですよ。暴れるでしょう?」
「暴れたりしませんって」
狐状態の信田さんにまたがるのは非常に危険だと言う事は既に体験している。だから、口にくわえられた状態で連れて行かれたのは納得できる。
それでも縛るのは如何なものであろうか。
「うーん、何と言うか……冬治さんの顔が困っていると嬉しくて」
「……」
電気椅子から何だか変な方向へ嗜好が進み始めてないか?
これから変な事で喜び始めたらどうしよう。
「あぁ、ぞくぞくする」
「既に手遅れっぽい」
口にくわえられ、約二時間。
見た事もない土地、しかも森の中へとやってきた。
「此処は一体どこですか」
「実家です」
「実家……」
山だ。
狐の状態で過ごしているのだろうか?
首をかしげると葛ノ葉さんが歩き出す。
「こっちですよ」
「あ、なんだ……そっちにあるんですね」
指差す先には森の中に建てられた日本家屋があった。
「お嬢様……」
もう少しで玄関。その時、初老の男性が現れた。
見た目、執事。
「セバスチャン」
「お嬢様、お帰りなさい」
言動、セバスチャンだ。
「先に帰って居たのね」
「はい。こちらが?」
俺を一瞥して眼を細める。
「優しそうな御仁ですな」
「ええ、彼はわたしに新しい事を教えてくれたの」
「ほぉ……なるほど。しかし、何故彼は縛られているのですか?」
「途中落ちるかと思ってね」
葛ノ葉さんが少し困ったような感じで言う。
「そうですか。まぁ、詳しくは聞かない事にしましょう」
「……助かるわ」
確かにそうだよなぁ、縛るのが趣味ですと言いだしたら大ピンチである。
そして、この場合は間違いなく俺が彼女に新たな趣味を開花させたと思われるだろう。
俺にアブノーマルの趣味は無い。
執事さんと別れると、葛ノ葉さんは狐のままで家に入る。なんと、信じられない事に専用の入り口があったのだ。
そして、閉められた襖の前に立つ。
「お父様、今帰りました」
「うおっほん。入りたまえ」
何だか怪しい感じだが……一応、威厳のある声が聞こえてきた。俺は唾を飲み込んで今後あるだろう『娘はやらん』展開をどうやって突破しようか考えていたりする。
まだ、お嬢さんをもらいに来ました……ではなく、お付き合いさせていただいていますの段階だが……。
「どうした、早く入ってきてくれたまえ」
「はい」
「失礼します」
咥えられたまま、俺も当然部屋へと入る。未だに縛られている。このままでいいのだろうか。
「すげぇ……」
まるで殿様の部屋だ。そんな馬鹿っぽい広さの和室の中心に、縛られている男性がいた。
「やぁ、葛ノ葉」
さっきまでの威厳はどこへやら、召し捕られた悪い人みたいな恰好である。もっとも、俺も人の事を言えた義理ではない状態だ。
「ただいま、父さん」
「……」
俺は唖然とするしかない。
「どうかしました?」
「あの、何であの人は縛られているんですかね」
小声で訊ねると葛ノ葉さんはため息をついた。
「浮気です」
「浮気?」
「おかえりなさい、葛ノ葉」
「母さん」
どこから声がしたのか、葛ノ葉さんをもっと成長させて綺麗にしたらこうなるんじゃないかという人が現れた。
「婚儀の事でしょう? ちょっと待ってなさい。浮気者に制裁を与えてから、話をしましょうね。部屋の前で待っていなさい」
「はい」
葛ノ葉さんと俺が部屋を出ると誰もいないのに勝手にドアが閉まった。
「あなた、何か言う事はあるかしら?」
「浮気してないよー、おれ、浮気してないもん。そもそも、浮気の証拠はあるのかよ」
おお、旦那さん強気だ。
「証拠ね。証拠……こんなのはどうかしら」
「……」
急に静かになった。
「それと、今回はボイスレコーダーもあるわ」
『いやー、本当……肌とかすべすべだね? 俺の女房も結構肌綺麗だけどさ、さすがに年には勝てないよ。うんうん、本当にすっべすべだ。もっと触っていい?』
「は、ははは……」
惨劇が始まろうとしていた……ま、何だ。浮気はよくないって事だわ。
葛ノ葉さんを説得してお父さんを助けたほうがいいのでは? そう思ったら執事さんがやってきた。
「お嬢様、お茶の準備が整いました。お時間がかかると思いますのであちらでお待ちになられては如何でしょうか」
「そうね、そうするわ」
さすがにお茶を飲むときは解放され、俺はほうじ茶と和菓子を頂くことにした。
思えば今日も学園休んでいるんだけれどいいのかな。
「葛ノ葉さんのお父さんってどんな人なんですか?」
威厳ある人だと勝手に想像したりする。さっきのあれは俺の心の中でなかったことにした。
まさか女遊びが大好きな人ではあるまい。きっと、俺の緊張をほぐすために仕込んだ茶番だったはずだ。
「そうですね、遊び人です」
「遊び……え?」
「人を動かすのは天才的です。でも、仕事は嫌いで……その、お恥ずかしいですが女の人とよく遊びに行かれるんです。わたしが家を出る前はそうでした」
「そうですか」
まぁ、この件についてはあまり話さないほうがよさそうだな。
「じゃあ、お母さんの方は?」
「しっかりしています。信田を動かしているのは母さんのほうですからね」
「なるほど」
「自慢の母です」
「へぇ」
「全て……そうですね、本当に尊敬すべき方です」
熱っぽく語る葛ノ葉さんは心の底からお母さんの事が好きなのだろう。
「お嬢様と夢川様。奥様がお呼びです」
「わかったわ。さ、冬治さん行きましょう」
「はい」
執事さんから出番を告げられ、俺は気張って先ほどの部屋へと向かう。
両親に認めてもらわなければならない。
「久しぶりね、葛ノ葉」
「はい、母さん」
「……」
俺は隣に座っているクマのぬいぐるみ(全身包帯を巻いている)を見て首をかしげてしまう。
「冬治さん、自己紹介」
「え、あ、はい。夢川冬治です。葛ノ葉さんとお付き合いさせてもらってます」
肘で突かれ、俺は自己紹介を始めるのだった。
怒られるか、歓迎されるか……どっちだろうとそちらへ見やる。
「冬治君ね。人間なのにNKKに所属しているとか?」
にこやかに笑っているけれど、目が笑っちゃいなかった。
「NKK?」
葛ノ葉さんには話していないので当然知る由もない。
「はい。実は以前吸血鬼の事件と言うか、騒動に巻き込まれたんです」
ま、やっぱりNKKに所属している事を知っていたか。知られて困ると言うわけでもない……のかな。
「葛ノ葉の周りをこそこそ嗅ぎまわったとか?」
「母さん、冬治さんを悪く言うのはやめて」
「葛ノ葉、今私は冬治君と話してます……それで、どうなの?」
俺は首を振る。
「羽津女学園にいる……俺らで言うところの人外、人以外の存在の危険性を調査していたんです。ああ、葛ノ葉さんの危険度は零でしたよ」
「本当に? 葛ノ葉の事を陥れようとしたのでは?」
「一切ありません」
NKKとは仲良くないのか、それとも吸血鬼をよく思っていないのか……はたまた、俺と葛ノ葉さんが釣り合わないと思っているのだろうか。
色々とありすぎて正解当てるのが難しそうだな、こりゃ。
「……まぁ、あなたが葛ノ葉を助けてくれた事も知っています。その件についてはお礼を言います。葛ノ葉」
「はい」
俺を何度も見続けた。
「彼は一般市民よ?」
「はい。知っています」
「特別な存在でもないわ」
「……特別です。わたしにとってかけがえのない特別の存在です」
母と娘が軽く睨みあった。
永遠とも思える嫌な空気を壊したのは一匹の狐だった。
「やだなー、美穂ちゃんは」
葛ノ葉さんの狐状態とは違ってぼろぼろの毛並みは汚らしかった。本来は綺麗な白色なのだろう。
「あなた、もう戻ってこられたの?」
「そりゃあね、こうやって美穂ちゃんと一緒に夫婦やれる時間は少ないんだ。おれも寂しいから余所様にちょっかいを出しちまうのさ。美穂ちゃんはすぐ仕事仕事といって居なくなるから」
「それはあなたが仕事をしないからでしょう?」
「おれは美穂ちゃんと一緒に居られればどうでもいいんだよ」
そういって狐がクマのぬいぐるみを脇にどかし、座布団の上にお座りした。
「はじめましてかな、夢川冬治君。おれが信田葛ノ葉の父親、信田オサキだよ。よろしく」
「はぁ、よろしくお願いします」
今一つ理解できていなかったりする。オサキ……うーん、何かの総称だったかな。
「ま、いいや。おれらが結婚する時も色々とあってね。おれも美穂ちゃんを振り向かせるときは本当に大変だった。美穂ちゃんがうんと言わなかったら今頃狐の化け物と結婚させられていたからなぁ」
あんたはどうなんだと言いたくなったけれど、葛ノ葉さんの母さんも懐かしいのか遠い目をしている。
「美穂ちゃん。君はあの時おれらの邪魔をした糞婆みたいになってるよ。いてっ」
鋭いパンチが狐のわき腹に入ったけど、気にしない気にしない。
「……わかってます。でも、娘の事を考えるなら……」
「葛ノ葉が頑張ってくれるさ。ね?」
「はい」
「おれは坊ちゃんだからよくわからないがね、お金よりもおれは美穂ちゃんの方が大切だよ」
「オサキさん……」
じっと見つめ合っている。俺らなんて眼中になさそうだ。
「じゃあ、何で浮気をするんですか?」
「それはまぁ、男の性分? 色々な女の子に出会ったけれどまだ美穂ちゃんを超える女の子には出会った事が無いなぁ」
「そうですか、それならいいです」
「ま、旦那の偏見もあるんだろうけどね」
ばかばかしくなったのか俺の方へと美穂さんが視線を動かした。
「葛ノ葉の事を愛していますか?」
突然、そんな質問を投げかけられた。
「え、あ、はい」
「浮気はしませんね?」
これは隣の狐を睨みながら言った。オサキさんは天井を見て口笛を吹いている。
「はい」
「……それならいいです。私からもうなにもいいません。あなたは言う事がある?」
「そうだねぇ……掟とか面倒な事とか色々あるけれどおれから言いたいことは……そうだね、婚儀は君らの好きな時にやるといい。それともう一つかな。葛ノ葉に幸せにしてもらう事。いいね?」
俺ではなく、葛ノ葉さんの方へと視線を向けていた。
「はいっ」
そして、俺が返事をすることは無かった。俺の代わりに葛ノ葉さんが嬉しそうな顔で頷いたのだった。




