第三十六話:寂しがりな吸血鬼
第三十六話
べそをかいているアリスに近づき、俺はその頭に手を置いた。
「……寂しかった」
「今日の朝、別れたばっかりだろ?」
俺の腹部に顔を押しつけ、アリスは身体を震わせる。
「……もう、一カ月経ってるもん」
「そうだったな……ただいま」
「おかえり」
「俺が居ないとアリスは駄目なんだな」
ちょっと気恥ずかしくなったのでそんな冗談を言ってみた。
「うん……おかしくなりそうだったよ」
「……そんなことないだろ。お前さんは俺が居なくても、これまでうまく生活してきた。立派な吸血鬼だってみんな言ってる」
俺の言葉に彼女は首を振った。
「お兄ちゃんが居ないとダメだって、よくわかった」
「買いかぶりすぎだ」
「もう、どこにもいかないで。わがまま言わない、人間だからって馬鹿にしない、料理がまずいなんて嘘も言わない……」
「アリス……」
お前、嘘で俺を困らせていたのかよ。
「わたしが欲しいのなら……あげるから」
そういって彼女は胸元を開けたのだった。
「おっ、お馬鹿っ。女の子がそんな事を軽々しく言っちゃいけませんっ。アリスちゃん、貴女そんな事を言っていたら悪い男に捕まってしまうわよ?」
びっくりしすぎてついお母さん口調になってしまうのも無理はない。
「うん、お兄ちゃんにならいいよ……」
くそ、我がまま娘がいきなりこんなセリフをさらりと吐くなんて一体、俺の居ない一ヶ月間何があったんだよっ。
「お兄ちゃんはわたしのこと嫌い……だよね? 我がままだし、こんな体つきだし」
静かに俺から離れて俯くアリスは見ていて辛いものがあった。
「……そうでもねぇよ。確かに我がままだけどさ。元気があるし、頭がいい。何だかんだ言ってお前はいい子だよ」
「体型の事は無視するんだ?」
やっぱり、気にしているのかよ。
「……そういう体型もいいと思うぞ」
「じゃあ、いいよね?」
そういって再び服に手をかけようとした。
当然、何をしようとしているのか想像がついたのでその手を抑えて、首を振る。
「こぉら! さっきも言ったばかりでしょう? 気安く脱ごうとしちゃ駄目なのよ。もっとお互いの事を知って、将来の事を考えたうえでする事なの」
「……わたしはお兄ちゃんの事が大切だもん。知っているもん。ずっと、生活してきたんだよ? お兄ちゃんはわたしのすぐそばにずっといてくれた初めての人だもん。お姉ちゃんより、長く一緒にいてくれたもん。それでも駄目なの?」
俺を見上げるアリスにどうやったら伝わるか考える。語尾に『もん』ばっかり付けると子どもっぽい。
って、今はそういう事を考える時間じゃないな。
「まずは段階を踏んでからだろう。せめて、恋人になってからとかさ……」
「じゃあ、彼氏になってよ」
「……もっといい男が居るさ」
「それなら、いい男が見つかるまで一緒に居てもらうから」
「わかったよ」
「やった!」
やれやれ、我がまま娘め。
「そんな事より血、飲んでないんだろ?」
「別に、血なんて飲まなくてもお兄ちゃんに負けるわけないじゃん」
「どうかな?」
軽々しく持ち上げると身体を無理やりじたばたさせていた。俺の手を掴むアリスの手は弱々しいものだ。
「ねぇ、吸血鬼だから……嫌なの? やっぱり、人間の女の子がいいの?」
「そういうわけじゃねぇよ……そんな泣きそうな顔するな」
「じゃあ、何で?」
一緒に生活していた時期が長かったから妹の感じなんだよなぁ。
もしくは手のかかる娘か。
あと、見た目が幼いし(態度も幼いし)なんだか社会に反しているような気がするんだよ……とは蹴られそうなので言えないな。
本当は……俺は人間で、アリスは吸血鬼だ。NKKに所属してから吸血鬼の寿命については教えてもらっている。長くて数百年だ。
勿論、俺は人間だから長くても九十前後だろうよ。もし、結婚したら俺だけおじいちゃんでアリスは見た目が変わらない。
「本当に駄目なの?」
そうなればアリスも俺を捨てて去っていくはずだ。俺の一生とアリスの一生は違いすぎる。
結果は見えているけれど、アリスの我がままに付き合うのも悪くない。もしかしたら明日にでも忘れるかもしれないからな。
「わかったよ。いいよ。お前の彼氏だろうと何だろうと、なってやるよ。だからそんな泣きそうな顔をだなっ……うおっ」
俺の手を振りほどき、アリスは顔へ張り付いてくるのだった。
「お、おいっ」
「……嘘じゃないよね?」
「こんな事、嘘で言うかよ」
「……血、飲んでいい?」
「ああ」
俺の首筋に歯を突き立て、血を吸い始める。
押し倒されて女の子に血を吸われるって……一体何なんだろうな。
「なぁ、そんなにホールドしなくても別に動かないぜ? ちょっと、いやかなり苦しい」
「抱きしめてるんだもん」
そうなのか、そりゃ失礼。
余程血に飢えていたのか、俺がフラフラになるまでアリスは血を吸い続けた。
「よっこらせっと……ほら、アリス放れてくれよ」
「やだ」
「何でだ」
真正面から俺の身体にひっついている。まるで蝉にひっつかれた木の気分だ。
「寂しくて死んじゃう」
「寂しさで死ぬかよ」
「ウサギは死ぬよ」
お前、ウサギじゃないだろうと突っ込みたくなった。
もう、いいや。さして重くもないし、力じゃアリスに敵わない。
「……あのさ、俺の行方不明がばれたんだってさ」
「こっちじゃなくて、前いた場所の?」
「おう。察しがいいな……それで、どうしようか」
「神社の調査はもう終了」
忌々しげに呟いてアリスは俺から離れた。しかし、今度は俺の手を掴む。
「研究室に帰ろうよ。ここに居る必要ないじゃん」
「……そうだな」
羽津女学園の手続きとか、どうでもいいだろう。どうせ、俺が戻ってきたのを知っているのは間山椎子ぐらいだ。
「さ、行こう」
「え、荷物は?」
「業者がどうにかしてくれるよ」
アリスは俺の手を引いて、約五カ月お世話になった満開を出るのだった。
NKKの研究室がある電車の中でもアリスは俺にくっついたままだ。人がいなかったから良かったものを……。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「んー?」
「……生体実験に興味ある?」
可愛い顔でそら恐ろしい事を訊ねてきた。
「あるわけないだろ」
「そっか」
それっきりお互いに会話はなかった。
そしてそれから数日後、NKKに戻った俺は体調が今一つ良くなかった。
不調を資料室の司書さんに話すとあっさりと教えてくれた事があった。
「ああ、それはおそらく副作用ですよ。アリスさんに何かされたんじゃないですか」
一体、何をされたのか……アリスのところへと俺は急いだ。
「おい、一体俺の身体に何をしたんだ!」
「わたしが数十年後……寂しくならないおまじない」
「はぁ? おまじないなら俺の身体じゃなくて自分の体にするもんだろ」
俺の言葉を無視してアリスは満足そうに某ブライダル雑誌を眺めているのであった。
一体、何をされたのか……嫌な笑みを浮かべる彼女に俺はためいきをつくしかなかった。




