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願いの果てに

 轟音を耳にした次の瞬間、扉の前にあった身体が弾けるように後ろへ飛ぶ。

 間際で異変に気付きかろうじて受け身をとったものの、それでも無様に地面に尻餅をついた格好になった禎理ていりの目の前で、三叉亭の大きめの扉が荒々しく開かれた。

 その扉から出てきたのは、若い男が四、五人。いずれの鎧もまだ新しく光っている。その中でも特に立派な鎧を着けたリーダー格らしい若者は、青地に銀色のグリフィンが描かれた盾を持っていた。

「ふんっ!」

「こんな汚い宿、こっちから願い下げだぜ!」

 地べたに転がったまま目を見開く禎理には目もくれず、若者達は悪態をつきながら去って行く。

「おととい来やがれ!」

 間髪入れず、三叉亭の主人六徳りっとくの鋭い罵声が響いた。

 と。

〈……おや?〉

 立ち上がろうとした禎理の横を、ふわりとした影が通り過ぎる。

〈あれは……何?〉

 ぼろぼろに破れたローブを身につけた、それでも気品の良さが分かる女性の姿が、リーダー格の若者の後ろに、確かに、見えた。

 何故、あんな粗野な若者の後ろに、儚げな女の人が居る? 違和感を覚えて、女の人をじっと見つめる。禎理の視線に気付いたらしく少しだけ会釈をして、すぐに若者の後ろに従うその女の姿は半透明で、どこか悲しげ。そして、……どこかで見たことがあるような気が、した。

〈どこだっけ?〉

 しかし、いくら頭を捻っても、何処で逢ったか思い出せない。

 仕方がない。気を取り直して、立ち上がる。

「……全く」

 服の埃を払いながら三叉亭に入ると、六徳の髭面が大きく歪んでいるのが見えた。

「ここで魔法を使うなと、俺は何回言ったっけ?」

 微かな煙が、三叉亭のそこかしこに見える。その煙に向かって、冒険者の幾人かがコップの水をかけていた。残りの冒険者達は、壊れた椅子や机を片付けるのに忙しい。床には食器や食べ物の残骸が散乱し、木の焦げた臭いとともに不快な障気を放っていた。

 そして、その惨状の真ん中にいたのは、やはり。

「エクサ、何してんの?」

 惨状の真ん中に呆然と突っ立っている黒髪黒服の魔導士に向かって、そう声をかける。

「うん、ああ」

 エクサは禎理を見ると、ふっと肩を竦め、片付けている冒険者達を尻目に無事なカウンターの端に腰を下ろした。

 推測するまでもなく、この惨状の原因はエクサと、先ほど出て行った若者達だろう。そう思った禎理は、カウンターの向こうで口を真一文字に結んでいる六徳にそっと近づいて尋ねた。

「何かしたのですか、あの若者達?」

「いや」

 禎理の問いに、六徳はフンと鼻を鳴らし、首を横に振った。

「『おまえらにやる仕事はない』。そう言っただけだ」

 やはり、そうか。妙に納得する。

 天楚てんそ市内、一柳ひとつやなぎ町に酒場と宿を構える冒険者宿『三叉亭』は、主人六徳が作る料理の旨さと、所属する冒険者達の冒険成功率の高さに定評がある店である。その両方を支えているのが、実は魔物である六徳の食に関する好奇心と『人の能力を見抜く』能力であることは、禎理しか知らない秘密である。六徳はその力で、三叉亭を訪れる冒険者の素質を見抜き、その冒険者に合った冒険を割り振る。そして、先ほどの若者達のように、武力や腕力があっても素質の悪い者を罵声で早急に追い出すのは、日常茶飯事。

 まあ、自分の力に合わない冒険を無理矢理引き受けて、命を落とすよりマシだろうな。禎理はふっと笑うと、六徳がカウンターの上に置いた水の入った桶を受け取った。

 と、その時。

「どうしたんだい、これは」

 再び扉が開くと同時に、涼やかな声が耳に響く。

 この声、は。

須臾しゅゆ?」

 桶を床に置いて、顔を上げる。

 禎理の目の前に、貴族騎士の煌びやかな上衣を身につけた背の高い青年が立っていた。

 彼の名は須臾。天楚王を助ける最高位の貴族『五公』の一つ六角公の後継者である。だが、同じ道場で武術を習っていたこともあり、禎理とは身分違いにもかかわらず友情と呼べるものを持っていた。

「見ての通りさ」

 もう一つ桶を取りに行った六徳の代わりに、カウンターの端からエクサが答える。そのエクサを疫病神扱いしている須臾は、エクサの言葉を無視すると桶に水を入れて戻ってきた六徳に声をかけた。

「ここに貴族風の若者が来ませんでしたか? 青地にグリフィンが描かれた盾を持っている」

「あ」

 須臾の言葉に、禎理は思わず声を上げる。

 確か、あの女の人が従っていたリーダー格の若者が、そんな図柄の盾を持っていた。

「やはり、来ているのか」

 禎理の言葉を聞いて、須臾はふっと肩を竦めた。

 どうしたのだろう? 須臾の顔色の悪さに首を傾げる禎理の後ろから、エクサの茶々が聞こえてくる。

「すぐ逃げてったけどな。腹いせに色々破壊して行ったし」

「この惨状の大半はおまえの責任だがな、エクサ」

 六徳の声に、明らかな怒りが混じる。そのことに賢く気付いたエクサは、少しだけぺろっと舌を出してから、酒場を片付ける冒険者の塊に紛れた。

「どうしたの?」

 そんなエクサを見やってから、徐に須臾に声をかける。

「うん、実は……」

 須臾はふっと溜息をつくと、一息で話し始めた。

 それによると。

 先ほどここに来て悪態をついて行ったリーダー格の若者は、天楚の北方に位置するとある国の公子であるらしい。「冒険者になるんだ」と言って、親の反対を押し切って家出したその若者について、見つけ次第連れ戻して欲しいと近隣の国々に連絡があったそうだ。連れ戻した者、あるいは何らかの有益な情報を持って来た者には褒美を出す、とも。

「ふーん」

 道理で、態度が尊大だったわけだ。須臾の説明に納得する。

「一応、冒険者宿全体に触れを回しておこう」

 天楚には冒険者宿がピンからキリまであるから、多分どこかに落ち着くだろう。禎理の横で聞いていた六徳が、腕組みをしてそう呟いた。

「二度と来ないだろうが、ここへ来たら足止めしておく」

「お願いします」

 そう言った六徳に、須臾は頭を下げた。

「おいおい」

 そんな須臾の、貴族らしくない振る舞いに、六徳が手を振る。

「騎士が酒場の主人に頭を下げちゃいけない」

「まあ、来たら俺の魔力でちゃちゃっと捕まえるさ」

 いつの間にか全てを盗み聞きしていたらしい、手を濡らしたままのエクサが禎理のそばに立ち、にっと笑った。

「一応言っておくけど、無傷じゃないと褒美は出ないからね」

 そのエクサに、真顔に戻った須臾が釘を刺す。

「う……」

 須臾の言葉に、エクサの笑顔が一瞬で固まった。

 昼の光の下でしか魔法が使えないエクサは、そう簡単に冒険に出ることができない。しかも、ある意味人々の役に立たない割に費用がかさむ実験が趣味なので、お金には何時も困っていた。

「金縛り、かぁ。難しいんだよな、あれ……」


 その夜。

 夢の中で、禎理は女の人の泣き声を聞いていた。

 何処で、泣いているのだろう? そっと辺りを見回す。すぐに、石壁の廊下の曲がり角で、震える影を見つけた。

 その影の、形は。……昼間見た、上品な女の人。

「どうしたの?」

 近づいて、そっと尋ねる。だが、女の人は泣くばかり。禎理の問いに、何も答えない。

〈……あ〉

 不意に、思い出す。

 彼女は、夏の終わりに森の中で泣いていた『泣き女』だ。

 由緒正しき家柄には必ず一人以上憑いていて、その家の者が亡くなる際に身も世もなく嘆く人魔。それが『泣き女』である。確かあの時は、怪我をして動けない若者を助けて欲しいと泣いていたんだっけ。その時の若者は……あの、グリフィンの盾を持っていた尊大なリーダー格!

〈……まさか〉

 彼女が泣いている理由に思い当たり、思わず呻く。

 彼女は、守護しているあの若者の危機を知らせる為に、泣いているのだ。唯一彼女を『見る』ことができた禎理に、助けを求めて。だが。石壁の廊下がある場所は、遺跡や神殿、色々考えられる。何処に居るのか分からなければ、助けようがない。

 禎理は正直途方に暮れた。


 その、二、三日後。

「手を貸してほしい、禎理」

 何時もの通り三叉亭のカウンターでシチューを頬張っていた禎理の前に、青い顔をした須臾が現れる。

「あのバカを見つけたんだけど、……やばいところに行ったみたいなんだ」

 禎理の横に腰を下ろした須臾が口にした場所は、……『十三塔』。ここ天楚市と、天楚国第二の都市華琿かぐんのちょうど中間地点にある遺跡の名、だった。

 『十三塔』は、古代に大陸全土を支配していた『嶺家王朝』時代の遺跡である。王朝中期に起こった北部の反乱を身を挺して鎮めたとある将軍を祀った神殿の跡であり、その名の通り、十三の塔――嶺家の民は、今では異端とされている、『この世界』の十三の神々を信仰する『十三神派』であった――が建っている。但し、塔の殆どは度重なる戦乱によって破壊され、現在は土台又は一階部分が残っているのみである。おそらく、天楚でもしばしば噂に上る、遺跡に眠っているらしい膨大な宝のことを若者達も聞きつけたのだろう。須臾はそう言うと、呆れたように溜息をついた。

 あそこには、宝物なんて影も形もない。ただの廃墟だ。十三塔に様々な用事で何度か出向いたことのある須臾は、それをはっきりと知っていた。

 一方、禎理は。

「それは、まずいな」

 禎理の横、須臾の反対側で同じくシチューを頬張っていたエクサの呟きが、遠くに聞こえる。

「本当に、面倒なことをしてくれるな、貴族のお坊ちゃんは」

「多分、この前山賊の集団が一つあそこで行方不明になった事件を聞いたんだろうね」

「げ。あの事件聞いて行くかぁ? よほどのバカだぜ」

「最近多いらしいな、十三塔に行く冒険者」

 エクサと須臾のやりとりに、六徳が割って入る。だが、彼らの言葉を、禎理は半分も聞いていなかった。

 あそこ、は……。苦い思いが、込み上げる。

 須臾が話す「山賊の集団が行方不明になった事件」の原因となったのは、実は禎理自身。あの場所に漂う、『この世界』の魔法力の素である『魔力要素』が、禎理の身体に備わっている『何か』と反応して現れた『塔』内に入った山賊達が、塔の消滅とともに消えてしまったのが、事件の真相。

 その事件があるまで、遺跡調査の為に禎理も十三塔には何度か出向いていた。だが、事件以来ぷっつりと行かなくなってしまっている。

 もう一度、あの場所へ行く勇気は、ない。もう一度行って、自分の所為で人が消えてしまうのを、見たくは、ない。……消えるのは、今目の前にいる大切な人かもしれないのだから。

 だから。

「……ごめん、行けな」

「行く必要はないさ、禎理」

 禎理の言葉を、エクサが遮る。

「そんな下らない奴なんかの為に、嫌な思いをする必要なんてこれっぽっちもないんだし」

 ぶっきらぼうなエクサの言葉に、優しさを感じる。

 禎理の逡巡の理由を、エクサは知っているのだ。

 だが。エクサの言葉に目を伏せる須臾を見て、気持ちが揺らぐ。自分が嫌な思いをするのはごめんだ。だけど、人の頼みを断るのもつらい。『原因』は、分かっているのだ。それを避ければ何とかなるだろう。禎理は気持ちを楽観に切り替えると、悄気る須臾に向かってにっと笑って見せた。

「良いよ、行っても」

「て、禎理!」

 戸惑いの声を上げるエクサの口を、素早く塞ぐ。

 口を塞がれたエクサは禎理をじろっと見つめたが、すぐに呆れたように肩を竦めた。

「ありがとう、禎理」

 ほっとした須臾の声が、心に快い。

 だが。

「俺も行く」

 禎理が手を離した途端、エクサの口から思いがけない言葉が出る。

「えっ?」

「いや、エクサは……」

 エクサの申し出に、須臾と禎理は同時に戸惑いの声を発した。須臾の戸惑いは、事ある毎にあからさまな敵意や忌避感情をみせるエクサが協力してくれることへの疑問。そして禎理の戸惑いは。

「安心しな。魔法は使わないから」

 禎理の気持ちを見抜いたかのように、エクサが不敵に笑う。

「ま、禎理がなるべく無茶をしないで、怪我しないようにしてくれれば良いだけだし」

 それならば、多分、大丈夫だ。

 心配と躊躇いを心の奥底にしまい込んで、禎理はもう一度、誰にともなくこくんと頷いた。


「……やはりあいつらはここに来たみたいだ」

 先ほどまで酒場の主人と話していた須臾が、禎理の座るテーブルに来て呟く。

「今日の昼過ぎに、塔に向かったそうだ」

 十三塔を目指す者は必ず、その近くにある街道沿いの村を訪れる。十三塔に向かった若者達を探す禎理達も、まずこの村に一件だけある宿屋件酒場を訪れた。

 二つの大都市から殆ど同じだけ離れており、馬を使わないと日帰りは難しい。そんな場所にある為か、村の宿屋兼酒場は色々な身分や職能の冒険者の姿で溢れていた。しかし、探している若者達の姿はここには見あたらない。

「夜になってもここに戻ってないということは、遺跡で野宿しているか」

「行方不明になったか、だな」

「やめてくれ、冗談にもならない」

 須臾を遮ったエクサの言葉に、須臾の表情が明らかに歪んだ。

 須臾の心配は、分かる。しかし今はもう夜だ。これから十三塔に向かうわけにはいかない。家出青年を探しに来た人間が闇の中で遭難してしまっては、笑い話にもならない。禎理はふっと息を吐くと、水の入ったコップに手を伸ばし、そしてもう一度辺りを見回した。

 おそらく、ここにいる冒険者達の目的は、十三塔にあるのだろう。村には多すぎる人の数と、酒を飲む人々の瞳に宿る好奇心の光に、禎理は正直気が滅入った。

 酒の代わりに頼んだ水が、苦い。

「全く、暇な奴らめ」

 沈んだ気持ちの禎理の横で、エクサが悪態をつく。さすがにここで騒動は起こすべきではないと思っているらしく、声も態度も普段より控えめだ。

「第一、山賊が消えただけで何で『お宝』の噂が立つんだ?」

「多分、人間の性だと思う」

 エクサの問いに答えたのは、須臾だった。

「人間ってさ、不思議なモノを見つけると、その謎を解きたいって思うものなんだ」

 その気持ちは、分かる。禎理自身も、知らないことに対して疼く心を持っている。だが、……好奇心は、時に危険だ。それを知らないと、取り返しのつかないことになる。これまでの経験から、禎理は身をもってその事実を知っていた。

 そして。

「明日は日の出前にここを出る」

 エールのおかわりを頼もうとするエクサを押さえた須臾が放った台詞が、禎理に溜息をつかせる。『塔に行く』と決めたのは自分の意志の筈なのに、いざとなるとやはり気が重い。そして心の中は、不安で一杯だった。

「……大丈夫だ、禎理」

 禎理の心に気付いたのか、須臾がぽんと禎理の肩に手を置く。

 ここに来る途中、須臾に『十三塔』と自分との関わりについて話をした。山賊が行方不明になった真相についても。

 事情を全て知った須臾の、それでも揺るぎない言葉に、禎理は少しだけ、微笑った。


 薄明の霧に、不規則な形の廃墟が映る。

 日の出と共に廃墟に辿り着いた禎理と須臾、そしてエクサは、意外に広い遺跡内で家出青年を捜し歩いた。

「何処に、いるんだ?」

 焦燥を含んだ須臾の声が、十三の塔の間に響く。

 村に帰りそびれて野宿した冒険者達が廃墟の入り口に二、三組居たが、その中には捜していた若者は居なかった。青年とその仲間達の行方も、彼らに尋ねた範囲では分からなかった。

 村の宿で聞いた情報によると、家出青年とその仲間は合わせて六人。山賊消失事件は、遺跡の中心部にある、『十三神派』の主神『風神』を祀る『風神の塔』で起こっているから、彼らもそこを目指し、数を頼んで廃墟の中で野宿しているに違いない。それが、禎理達の希望。

 果たして。

「あれ、じゃない?」

 霧の隙間に、六つの人影を見つける。……あの女性を合わせると七人、だ。

「ああ、確かにグリフィンが見える」

 禎理の予想通り、家出青年は『風神の塔』の前に陣取っていた。

 さすがに、夜の間は廃墟に入るのは遠慮したのだろう。微かな風に弱く揺れる焚き火の周りに、板金鎧を着たままの格好で眠っている。普段のこの遺跡には『敵』となるモノがいないとはいえ、なんて無防備な。禎理は正直呆れた。

「行こう」

 右手を腰の剣の柄に添えた須臾が、一息で若者達の前に立つ。そして、グリフィンの盾の横で眠っていた件の青年の肩を強く揺すると、目を覚まして起き上がろうとした青年の身体を強く押さえ込んだ。

 次の瞬間。

「あっ!」

 思わず、叫ぶ。

 さすが、と言うべきか。家出青年は須臾の腕をすり抜けるなり傍らの剣を抜き、須臾に向かって一閃した。勿論、須臾も手練れの戦士だ。とっさの攻撃を素早く避けた。

 だが。

「須臾!」

 騒ぎに目を覚ました他の青年達には構わず、須臾の前に躍り出る。

 禎理が構えた短剣は、再び振り下ろされた家出青年の剣を間際で止めた。

「誰だっ!」

 家出青年の鋭い声が、朝の廃墟に響く。

 いつの間にか、禎理と須臾、そして須臾の後ろにいたエクサは、起きたばかりの若者達に囲まれてしまって、いた。

「私は、天楚の貴族騎士、須臾」

 落ち着いた声で、須臾が名乗りを上げる。

「君の両親に頼まれた。息子を連れ戻して欲しいと」

「絶対に帰るもんか!」

 須臾の言葉に、家出青年は間髪入れず首を横に振った。

「俺は冒険者になるんだ!」

 彼の気持ちは、分からなくもない。不意に、そう思ってしまう。若者の誰もが、ある時『自由』に憧れる。だが、……今は、須臾の手伝いをしなければ。

「ま、力ずくしかないってことで」

 懐から何かを出したエクサが、そう言いながらそれを若者達の足下に投げる。

 あれは。

「須臾、目を閉じて!」

 エクサの投げた物を理解するなり、禎理は目をぎゅっと瞑り、気配だけを頼りに横の若者に向かって短剣を振った。一拍遅れて耳にしたのは、叫び声と乱れた足音。そして、手応えを感じてから目を開けた禎理が見たのは、呻きながら地面に横たわる若者達の姿。

 『光』の魔法を籠めたエクサ特製の衝撃弾を使ったのは少々卑怯だったかもしれないが、六対三だ。しかもエクサは肉弾戦には向いていない。誰も傷つけずに済ませる方法は、意外と少ないのだ。禎理はふっと溜息をつくと、気配を確かめてから短剣を鞘に収めた。

 だが。倒れている若者達の数を数えて、はっとする。

 ……四人しか、いない!

「禎理!」

 エクサの声に、はっと振り返る。影が二つ、『風神の塔』の中に消えるのが、はっきりと見えた。

 すぐに、追わなければ。足を廃墟の方へと向ける。

 だが次の瞬間、禎理の腕はよろめく須臾の身体を支えて、いた。

「須臾!」

 おそらく、家出青年の最初の攻撃でやられたのだろう、須臾の右腕から地面に血が滴り落ちる。

 その傷を、治せるのは。

「エクサ!」

 無意識のうちに、エクサのローブの袖を掴む。

 次の瞬間。息が詰まるほどの多量の風が、禎理の全身を包んだ。

「うわっ!」

 思わず、叫ぶ。

 だが、その次の瞬間には、禎理の状態は普通に戻って、いた。

 いや。……普通以上の状態に。

〈……あれ?〉

 身体中に漲る気力に、思わず首を傾げる。

 気配を感じて顔を上げると、禎理と同じように不思議そうな顔をしている須臾が、見えた。

 須臾の腕の血は、止まっている。

 そして。

「あ……」

 一瞬にして、背筋が凍る。

 禎理の目の前には、かつての姿を取り戻した『風神の塔』の白い姿が、有った。

「不可……抗力だよな、これは」

 禎理の横で、エクサが呻く。

 やはり、そうだ。エクサの魔力で須臾の怪我を治そうとして、『魔力要素』を暴走させてしまったのだ。

 目の前が、真っ暗になる。家出青年とその仲間一人が、この塔の中に入ってしまっている。こうなってしまった以上、禎理が責任を持って塔の中から彼らを無事連れ戻さなければ。

「これが、……例の塔か?」

 唇を噛む禎理の耳に、須臾の声が響く。

 禎理はゆっくりと頷くと、塔へと向かった。


 塔に入ってから、確認するようにぐるりと辺りを見回す。

「……やっぱり」

 風雨に古びていた石壁は作りたてのように輝き、苔や穴だらけだった床も、一分の隙もなく磨き込まれた化粧石が敷き詰められている。昔、調査の為に入った時とは全く違う光景に、禎理は頭を抱えた。

「捜すしか、ないようだな」

 禎理の後ろで、須臾の声がする。多分、その後ろにはエクサも居るのだろう。例え禎理が拒絶しても、二人は絶対についてくる。そういう人達なのだ。しかし彼らの優しさも、今の禎理には頭痛の種だ。

 幸い、といって良いだろうか、すぐ目の前の地下へと続く階段に、できたばかりの大きな足跡を見つける。青年達は、地下だ。『塔』だから、地上よりも地下の方が捜す面積は少ない。禎理はそう自分を納得させると、肩から掛けた鞄からランタンと火打ち石を取り出し、地下へと歩を進めた。

 だが。塔の地下は、思ったよりも複雑だった。

「何なんだよ! この地下!」

 毒づくエクサの声が、石壁に響く。

「迷わないように、気をつけなくては」

 落ち着いた須臾の声も、禎理には焦りに聞こえた。

 二人の言うことも尤もだ。心からそう思う。何処まで行っても石壁の廊下ばかり。しかも曲がるかと思えば十字路に行き当たる。さすが『あの』風神の塔。地下も複雑すぎる。禎理はそっと心の中で毒づいた。

「罠なんか、あったりして」

 不意に、エクサがこんなことを呟く。

 確かに、あの『風神』ならやりかねない。禎理はふと、そんなことを思った。

 次の瞬間。

 ゴロゴロと、不気味な音があたりに響く。

「……え?」

 禎理達は後ろを振り向き、次の瞬間には前に向かって全速力を出していた。

「何なんだよ、急に!」

 荒い息づかいで走りながら、エクサが毒づく。

 三人の後ろにあったのは、廊下の幅いっぱいの、こちらに向かって異様な速度で転がってくる石。どこかに避けようと思っても、禎理達の前には脇道も、隙間すら見あたらない。

「魔法で何とかしろ、エクサ!」

 いつもの冷静さを忘れ、須臾が叫ぶ。

「止まれないから無理!」

 エクサの言葉が、絶望をさらに加速させた。

 とにかく、逃げられるような脇道を見つけなければ。焦りながらそう思った禎理の目の端が、僅かな隙間を捉える。

「須臾! エクサ!」

 考えている暇はない。禎理はエクサと須臾の腕を同時に掴むと、無我夢中で二人の身体を見つけた隙間に押し込んだ。

 禎理がその隙間に入った瞬間、その背ギリギリを石が通り過ぎる。

 良かった。禎理はほっと胸をなで下ろした。

〈……そうだった〉

 不意に、思い出す。この塔は、禎理の思い通りの姿を取るのだ。禎理自身が気をつけていれば良いのだが、無意識に思った事もここでは現実になる。

 ……やはり、こんなところに、須臾とエクサを置いておくわけにはいかない。

 だから。

 禎理はつと、避難していた隙間から離れると、徐に意識を壁に集中した。

 考える事は、ただ一つ。須臾とエクサを、安全な外へ出すこと。

「ちょっ、禎理!」

「何をするんだ!」

 目を剥く二人との間に、新しい石壁ができる。次の瞬間には、外へ出る為の階段が二人の前に現れている筈だ。

「禎理!」

「このバカっ!」

 二人の優しさと気遣いは、禎理の心を温かくさせる。だからこそ、二人を自分が原因である危険に曝すのは、禎理の心が許さない。

 石壁の向こうに響く声に背を向け、禎理は石壁の廊下を走った。


 家出青年が持っているであろうグリフィンの盾を思い浮かべながら、歩を進める。

 すぐに見つかるだろうと思った禎理の予想は外れ、何処まで行っても石壁しか見えなかった。

 と。

〈……あれは〉

 ランタンの向こうに、細い影を見つける。

 若者達の大柄な影とは違う。第一、板金鎧の音が聞こえない。

 途方に暮れているように見える、あの影、は。

「あの」

 ぼろぼろのローブを身につけた影に、そっと声を掛ける。

「あの若者を、捜しているの?」

 禎理の言葉に、影はびくっと身を震わせてから、その真っ赤な瞳を禎理の方へと向けた。

 間違いない。あの家出青年にいつも寄り添っている『泣き女』だ。おそらく、家出青年と共に塔に入ったものの、塔の中が複雑すぎて青年を見失ってしまったのだろう。彼女にとっては不覚としか言いようのない出来事だろう。

 人魔である『泣き女』が怪我をするかどうかは、禎理も知らない。だが、やはり、こんな危ないところに彼女を置いておくわけにはいかないと思う。

 そっと意識を集中させ、彼女の前に外への階段を出す。

 だが。

「彼は僕が捜しておくから、君は外に出ていて」

 禎理がそう言っても、『泣き女』は首を横に振るだけ。その場から一歩も動こうとしなかった。

 ……仕方がない。それが彼女の性。

「一緒に、捜そう」

 渋々、そう提案する。

 禎理の言葉に、『泣き女』はこくんと頷いた。


 そのまま二人で、石壁の廊下を歩く。

 彼女が居るからか、先ほどより強く青年のことを考えたからか、廊下を曲がったところでばったりと件の家出青年を見つけた。

「あ、待って!」

 禎理を見るなり腰の剣を抜こうとした青年を、一歩引くことで止める。

 この狭い廊下では、青年の持つ長剣より禎理の短剣の方が有利であることも、禎理に余裕を持たせていた。

「ここは危ないから、出た方がいい」

 剣の柄に手を掛けたままの青年に、はっきりとそう、言う。

 だが予想通り、青年は首を横に振った。

「そんなに、宝が欲しいのか?」

 禎理が思えば、宝物の詰まった部屋の一つくらい、簡単に出せる。そんな幻影で青年を納得させられれば、安いものだ。

 だが。禎理のこの言葉にも、青年は首を横に振った。

「一緒にここに逃げた奴と、はぐれてしまったんだ」

 意外な言葉が、青年の口から漏れる。

「そいつを、捜さないと」

 この青年、案外良い奴かもしれない。唐突にそう、思う。

 だから。

「分かった。協力する」

 禎理は思わずそう、言ってしまった。


 青年が前、禎理が後ろで暗い廊下を進む。

 押し黙ったままの空気が、廊下の暗さをさらに際立たせた。

「ところで」

 ふと思いついて、青年に問う。

「君の家に『泣き女』の伝説は、ある?」

「『泣き女』?」

 唐突な質問に、青年の声が歪む。

「あるけど。……俺は見たこともないし、信じてもない。老人の戯言だろ」

 そして返ってきた答えは、禎理をがっかりさせるに十分だった。

 そっと、禎理の横を歩いていた『泣き女』の方を窺う。彼女の方は、青年の答えに顔色一つ変えてはいなかった。

 自分が認められてないことが、悲しくないのかな? 思わず、首を傾げる。だが、『泣き女』の変わらぬ気品に、禎理は慌てて考えを変えた。認められようが認められまいが、彼女にとってはどうでもよいことなのだ。彼女にとって大切なことは、この青年を守ることだけ。

 一方、青年の方は。

「なんか、空間が怪しくなってきたな」

 首を左右に動かして、そんなことを口にする。

「魔物が出てくるかもしれない。ドラゴンとか」

 ドラゴン? まさか、こんなところに! 思わず、笑みが零れる。こんな狭いところに、あんな図体の大きいものが出てくるわけがない。そこまで考えて、はっとする。明らかに爬虫類の感じがする臭いと、炎の臭いが、同時に禎理の鼻に入ってきた。

〈……あ〉

 後悔しても、もう遅い。

 急に開けた二人の目の前にぎらぎらと光る目をしたドラゴンが、確かに、居た。

 これは、……二人で戦うのは、無理だ。

「逃げるよ!」

「ダメだ!」

 青年の服を引く禎理を、青年の声が止める。

「あいつがいる!」

 青年の指さす方に、目を凝らす。ドラゴンが吐く炎が、その足下で身を震わせる若者の姿をはっきりと映し出した。

「助ける!」

 剣を構え、青年がドラゴンに向かって突進する。その青年に向かって、ドラゴンの口が大きく開かれた。

〈危ないっ!〉

 焦る中、思いつく。

 禎理はすぐに、青年とドラゴンの間に石壁を思い浮かべた。同時に、ドラゴンの真下に大きな穴を思い浮かべる。次の瞬間、禎理の思惑通り、ドラゴンの吐く炎は石壁によって遮られ、ドラゴン自身は突然開いた深い穴の中へと消えて、いった。

 全てを見届けてから、ほっと息を吐く。

〈良かった〉

 自分の不注意で人を傷付けずに済んだ。力の抜けた禎理の身体は、床にぺったりと座り込んだ。

 だが勿論、これで終わったわけではない。この二人と『泣き女』を、外へ出さない限り、完璧に『終わった』とはいえないのだ。気を抜けば、何が起こるか分からない。禎理はぐっと唇をかみしめると、ふらつく足を叱咤して立ち上がった。

 と。

 殺気を感じ、後ろへ飛ぶ。

 禎理の目の前に、鈍く光る剣の切っ先が、有った。

「まさか、おまえ……」

 震える青年の声が、辺りに木霊する。

 その瞳に宿った色から、禎理は青年が誤解していることに気付いた。

「おまえが、ここを操っているとはな」

「違う」

 はっきりと、否定する。確かに、禎理が思うだけで塔は変化するが、ただそれだけだ。この塔のことを隅から隅まで知っているわけではないし、誰にも危害を加えるつもりもない。

 だが。

「宝の在処も、知っているんだろう?」

 凄みを増した声と、剣の切っ先が、禎理を襲う。

 仕方がない。気絶させて無理矢理外へ出そう。禎理はそう思い、短剣を鞘ごと抜いて前に構えた。

 だが、次の瞬間。

 短剣を構えた右腕が、急に後ろへ引っ張られる。

〈え……?〉

 戸惑う禎理の、無防備になった右肩に、青年の剣が深く突き刺さった。

 息が、できない。禎理の身体はそのまま、冷たい石の床に頽れた。

 その身体が、荒々しく上に引っ張られる。

「財宝は何処だ?」

 霞む瞳に映ったのは、尊大に歪む青年の唇。

 掴まれた胸倉の痛みも、刺された右肩の痛みも、感じない。

 いけない。ここで気を失えば、この幻影の塔も、目の前の青年も、消えてしまう。禎理は気力を振り絞ると、扉と財宝のある部屋を思い浮かべた。

「おい、あそこ!」

 青年の後ろにいた若者の声が、遠くに響く。

 どうやら、財宝のある部屋の扉を見つけたらしい。禎理の身体が床へと落下する。

 そしてそのまま、若者達の姿は禎理の視界から、消えた。


 静かな気配に、石畳に倒れた身体を少しだけ動かす。

 気力を振り絞って仰ぎ見ると、『泣き女』の当惑した顔が、見えた。

「さっき止めたのは、君だね」

 微かな声で、そう、尋ねる。

 禎理の問いに、『泣き女』はそっと首を縦に振った。

「そう、か」

 彼女の行動は、理解できる。彼女は、彼女の守護するものを守る為に行動しただけだ。

 だが、問題は。

 ……どう、しよう。動かない頭で考える。これ以上、気力が持たない。

 しかしここで気を失うわけ、には……。


 霞む意識の中、禎理が最後に見たのは、青年達の居る部屋に駆け込む『泣き女』の破れかけたローブの裾、だった。


 明るい気配に、ゆっくりと瞳を上げる。

 高く昇った太陽が、廃墟の向こうに見えた。

 外に、居る。戸惑いながら、ゆっくりと辺りを見回す。

 禎理の身体に掛けられていた須臾の深紅のマントが、禎理の動きに合わせてすっと滑り落ちた。

「迷宮なんて、何処にあるんだ?」

 不意に、嘲るような声が空気を震わせる。禎理が今凭れている廃墟の後ろからだ。禎理はそっとマントを持ち上げると、這うようにして声のした方へと近づいた。

「変な夢でも見てたんだろう」

 廃墟の側に呆然と座り込む若者達と、その側に立つ大柄な騎士が見える。若者の数は六人。あの家出青年の姿も、ちゃんとある。無事だったんだ。ほっと胸を撫で下ろす。ある意味自業自得とはいえ、自分の所為で人が消えるのは後味が悪すぎる。

 だが。あることに気付き、はっとする。青年の後ろにいる筈の、あの『泣き女』の姿が、無い。

 まさか。

「……お、気付いたか」

 立ち上がろうとする禎理の後ろから、エクサの声が響く。

「感謝しろよ。ちゃんと怪我は治しておいたから」

「全く、無茶はするなといつも言っているのに」

 その後ろから聞こえてきたのは、須臾の声だった。

「ま、あいつらはあの騎士が家に連れて帰るだろうから、これで一件落着、ってところかな」

 ここへ来る前に、須臾は家出青年の家族に助力を要請していたらしい。その説明を聞きながら、禎理は立ち上がり、そっと廃墟の中へ足を踏み入れた。

 幻影の解けた廃墟の中は、先程とは全く違う様相を呈していた。石壁は崩壊し、石畳は苔生し、あちこちに穴が開いている。

 いつもの通り、だ。確かめるように、辺りを見回す。いつもの通り、塔には廃墟特有の空気しか、漂っていない。

 そしてここにも、あの『泣き女』の姿は、無かった。

 エクサに治してもらっているはずの右肩の傷が、痛い。いや、痛いのは心だ。

 青年を守るように、青年の傍らに立っていた『泣き女』の姿を、まざまざと思い出す。

 禎理は呆然と、廃墟に佇む他、無かった。

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