WhiteMagic
吹く風が雪を運ぶ冬の天楚市。
その市街地にある石造りの地下室で、エクサは薬草の調合に勤しんでいた。
古い建物の所為か、それとも壁も床も石だからか、あちこちから冷気が忍び寄ってきているが、そんなものは全く気にならない。
「えーっと、後は……」
額に浮かんだ汗をローブの袖で拭いながら、部屋中をうろうろとさまよい歩く。部屋中に張り巡らされたロープに引っかかっている薬草が、埃っぽい、乾いた匂いをそこら中に撒き散らしていた。
「これで、材料は良いはずだな」
机の上に置かれた羊皮紙を、何度も指でなぞりながら、その横に並べた薬草と照合する。その行動の所為か、羊皮紙に安いインクで書かれた文字は、もはや殆ど判読不能なまでに掠れてしまっていた。
「……はい、これ」
それだけしか言わずに、エクサにこのメモを渡してくれた冒険仲間、禎理の顔がふと浮かぶ。その時の彼の複雑な表情を思い出す度に、この『研究』を続けていて良いのだろうかという問いがエクサの心に浮かんで来、我ながら戸惑ってしまう。
「……仕方ない、じゃないか」
エクサは誰に言い訳するでもなくそう呟いた。
この研究と、この想いだけが、今の自分を支えているのだから。
エクサは、マース大陸の南にあるフビニ帝国の神官である。身につけている黒のローブと灰色の肩布が、その証拠だ。
だが、エクサが『研究』していることはフビニの法に、いや、何処の法にも、そして『自然の理』にも確実に触れており、その為に、エクサは大陸の遥か北東にあるこの天楚市まで逃げて来なければいけない羽目になってしまった、のであった。
エクサの研究内容は、『死者を蘇らせる』こと。
そしてその目的は、『自分の不注意で死なせてしまった友』を蘇らせる、こと。
この目的の為に、エクサはこれまでに様々な実験を行ってきた。
しかし、冥界神に祈ることで得られる法力による『召還』でも、『錬金術』による『練成』でも、邪だといわれる『黒魔術』でも駄目。
自分の方から冥界に行こうと試みたこともあったが、何度やってもその悉くが失敗に終わって、いた。
しかし、諦めない。
天楚市に来てから、エクサは、暇があれば天楚大学が所有する書物を漁った。
目的はもちろん、死者を蘇らせる方法を見つけること。そして終に、それらしい資料を見つけたのだ。
『反魂の法』という表題がつけられたその本は、エクサには読めない嶺家文字で書き記されていたが、幾つか付いていた挿絵から、それが目的の本だと推測する。
エクサは嶺家文字の読み書きができる禎理を説き伏せて、その本を大陸共通語に訳してもらった。
ぱらぱらとその本を捲った禎理の口元の歪みから、それが正しくエクサの所望する本であることを知る。
その訳文が、今エクサの手元にある羊皮紙である。
実は禎理にも、昔死んだ『恋人』らしき人がいるらしい。だが、『死者を蘇らせること』には反対している。
――「『自然の理』を破った者は、幸せではない」からと。
禎理の言う通りかもしれない。ふとそう考える。
しかし。それでは、俺のこの、身を焦がすような想いは、一体どうすればよいのだろうか?
確かめるようにもう一度、羊皮紙の文字を指でなぞる。
『反魂の法』は、天楚周辺に自生している薬草を用いて香を作り、その香りを利用して冥界に棲む死者の魂を地上界まで導き出す方法について書かれた本であったから、エクサの作業の主なものは薬草を探し、それを調合することだった。
しかし薬草採取については素人のエクサ。この点でも、薬草採取に関して天楚市でもかなりの腕を持っていると云われている禎理の助力を仰いでいた。その薬草類も、今は書物の指示通り調合されて、小さな香合の中にちょこんと納まっている。
ふと、エクサの心に邪悪な影が過ぎる。もしかすると、俺は禎理から嘘を教えられているのではないのだろうか。
確かに、その仮説は否定できない。嶺家文字や天楚語についての知識も、そして薬草知識も無いエクサを騙そうとするなら、これほど簡単な事はないのだ。しかし、その考えを振り切るように、エクサはすぐ首を横に振った。
あいつは、自分の主張を他人に押し付ける男ではないし、更に、仲間に対しては嘘の下手な奴である。禎理のようなお人よしに騙されるほど、俺は餓鬼じゃない。そう思い、エクサは軽く笑った。
近所のがらくた屋で見つけた香炉と、作成した香の入った香合をしっかりと両腕に抱え、外に飛び出す。雪は小降りになってはいたが、身を切るような風の為か、通りの人通りは疎らだった。
〈……さてと〉
確か、あの書物によると、この香は広々とした場所で焚く必要があるとのこと。とすると、やはり、市壁の外、か。
カチカチに凍った狭い道を、エクサは滑らないように気をつけながらせっせと歩いた。
途中誰にも会わずに市門を抜け、郊外へ出る。
天楚市の外には、雪に覆われたなだらかな丘が広がっていた。
雪に足を取られながらもなるべく静かな場所を目指し、ただただ歩く。
〈……ここなら、良いだろう〉
市壁からも、郊外の農家からも十分離れた丘の上で、エクサは満足そうに頷いた。
見渡す限り、痛いくらい真っ白な世界が広がっている。
早速、押し抱くようにして持ってきた香炉に作成した香を入れ、法力を使って小さな火を入れる。たちまちのうちに、丘の上は何ともいえない匂いに包まれた。
胸の鼓動を感じながら、ひたすら待つ。しかし、作成した香が全て灰になっても、『奇跡』は、起きなかった。
「これも、駄目か……」
絶望から、エクサは雪の上に倒れこんだ。
このまま、ここで眠ってしまったら、あの人に会えるだろう、か……?
誰かに額を撫でられている感じがして、エクサははっと目を醒ました。
しかし、起き上がって辺りを見回してみても、ただ白い風景が広がっている、だけ。
風の悪戯か。だが、誰かが『居る』感じを、エクサははっきりと感じて、いた。
「……エクサ」
耳元で誰かが囁く。
この声、は……!
「フレネー」
エクサは忘れられない人の名を呼んだ。
間違いない。あの人が、確かに、いる。
「久しぶり、ですね」
姿は見えないが、声の調子は昔と全く変わっていない。
「よく日課をサボって近くの丘に遊びに行きましたね」
フレネーのその言葉に、春夏秋冬、あらゆる表情を見せた神殿近くの丘を切なく思い出す。
その風景のどこにも、フレネーが必ず、居た、筈なのに。エクサの眼から涙がぽろぽろと零れ落ちた。その幸せを、壊したのは……!
「過ぎたことは忘れてください、エクサ」
そんなエクサに、フレネーの声が優しく響く。
そういえば。どんなときも、フレネーは本当に優しかった。
「私のことを忘れないでいてくれるだけで、わたしは嬉しいんですよ」
不意に、エクサの全身を暖かいものが包む。その暖かさに、エクサは確かに、幸せを感じて、いた……。
「……エクサ、エクサ!」
耳に響く大声と全身を襲う揺さぶりに、エクサはのろのろとその目を開けた。
いつの間に来たのだろうか、心配顔の禎理がエクサの横にいる。その横にはこれもいつの間に作ったのだろうか、雪の上なのに焚き火が設えてあった。
「よかったぁ」
エクサが気が付いたのを見て、禎理は明らかにほっとした表情を浮かべた。
「凍死したのかと思った」
思えば、天楚市に来てからずっと、禎理にはかなりの心配をかけている。エクサは禎理に申し訳なく思うと同時に、感謝の気持ちでいっぱいになった。
少なくとも禎理は、俺のことをきちんと『心配』してくれて、いる。それでいいじゃないか。
それに、あの声は確かに、フレネーの声、だった。
禎理に助けられて起き上がると、足元に香炉が転がっているのが見える。しかしエクサは、それを拾おうともしなかった。
自分には、心配してくれる仲間がいる。それに、あの人は、確かに自分を『許して』くれているのが分かった。
妙に清々しいエクサの瞳から、涙が一粒だけ、零れ落ちた。




