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泣き女

 吹く風が、森の木に残っていた葉を次々と落としてゆく。

 その風に身を震わせながら、禎理ていりはいつものように焚き火を作り、野宿の準備をして、いた。

〈……もうそろそろ、天楚てんそ市に戻る頃合だな〉

 削った小枝に干し肉を刺して焚き火であぶりながら、ふとそう考える。

 昼間はまだ暖かいが、暦の上ではもう秋期も終わりに近づいている。風は確かに冷たくなってきているし、夜は焚き火の傍が心地よい。

 これくらいの気候ならまだ野宿は可能だが、雪が降れば話は別だ。生まれたときからずっと森の中で生活してきた禎理だが、やはり冬の間だけは、壁と暖炉のある部屋でのぬくぬくとした生活が好きだった。

 そんなことを考えながら、ついうとうとしてしまう。

 と。

 枯れ草がざわめく音に、禎理ははっとして腰の短剣に手をかけた。

 そしてそのまま辺りを窺う。が、しかし、禎理自身の他には、何の気配も感じない。風の悪戯か? 禎理はもう一度ゆっくりと辺りを見回すと、短剣にかけていた手をゆっくりと元に戻そうと、した。

 その時。

 禎理の耳が、風の音とは明らかに違う音を捉える。

 この音は……泣き声? しかし、こんな森に、誰が? 人気の無い森には全くそぐわぬその声に、禎理の不審はますます強まった。

「……誰か、居るのか?」

 焚き火の向こうに広がる暗闇に、そう呼びかけてみる。

 だが、返ってくるのは風の音だけ。

 当たり前か。禎理は自分の間抜けさにふっと哂った。誰も居ない所で、返事なんて返ってくる筈が無い。

 と、すると、さっきの泣き声はきっと空耳だろう。禎理はそう、一人納得すると、腰から短剣と手斧を外して地面に敷いたマントの上にごろんと横になった。

 と。

 横になった禎理の視線が、今まで見えなかったものを捉える。それは確かに、人の形をして、いた。

「誰っ!」

 とっさに起き上がり、掴んだままの短剣を鞘から引き抜く。だが、禎理の前に立ちはだかったその人影は、禎理が短剣を構えても微動だにもしなかった。

「……え?」

 その動作にますます不審さが増す。

 禎理は短剣を構えたまま、その人影をまじまじと見つめた。

 旅にはそぐわぬ、裾を引きずるような長いローブ姿に、これまた地面にまで届きそうな長いざんばら髪。その丸みを帯びたシルエットから、それが女の人だということだけは禎理にも容易に分かった。

 そして、長い前髪に半ば隠されたその瞳は、泣きはらしたように真っ赤、だった。

「……泣き女?」

 その赤い目からそう判断する。

 『泣き女』とは、冥界神支配下の精霊の一種である。自分がいとおしいと思っている生き物の死に際に現れ、その死を悼んで泣くといわれている。

 その『泣き女』が禎理の前にいる。と、いうこと、は……。

「誰の為に泣いている?」

 内心の動揺を押し隠してそう訊ねる。

 もちろん、禎理も冒険者である以上、自分の死は覚悟している。しかし、いざ『泣き女』が目の前にくると、良い気はしない。

「俺の、為か?」

 禎理の問いに、女は首を横に振った。

「では、誰の為?」

 そう問いながら、禎理は、女の泣き方が普通のそれとは違うことに、今更ながら気付いた。

 『泣き女』は普通、声の限りに泣く筈である。だが、禎理の目の前にいる女はただ涙を流すだけで、叫び声どころか嗚咽一つあげない。

 と、すると。

〈近くに誰かが居る〉

 禎理はそう直感した。

 よく見ると、女の手には一束の草が握られている。薬草に詳しい禎理には、その草が、化膿止めの薬草であることがすぐに分かった。

「その薬草で、誰かを助けて欲しいのか?」

 ゆっくりと、そう問う。

 禎理の問いに、精霊は微かに頷いた、ようにみえた。

 それならば。

「分かった」

 禎理はつと立ち上がり、女から薬草を受け取ると、焚き火の燃えさしを手に辺りを捜索し始めた。

〈『泣き女』があそこにいたんだから、近くにいるよな……〉

 そう考えながら、野宿地の周りをゆっくりと見てまわる。

 不意に、禎理の鼻が微かな血の匂いを捉えた。

〈……これは!〉

 その匂いを頼りに枯れ草を掻き分ける。

 すると。

 湿り気を帯びた窪地に、板金鎧をつけた大柄な騎士が、確かに、いた。

〈見つけた!〉

 大急ぎで湿地から救い出し、焚き火の傍まで引きずって行く。

 泥に汚れた兜を外すと、まだ少年のような顔が表れた。

 どうやら、まだ成年式を迎えたばかりの少年らしい。しかし、身につけている鎧は、どれも立派なものだ。

〈冒険者? ……いや、ただの無鉄砲な若者だな〉

 鎧を全て脱がせてから、温めた水を含ませた布でその泥だらけの身体を綺麗に擦り、怪我をしている箇所に精霊が持っていた薬草をつける。その間、少年は微動だにもしなかった。

〈……大丈夫、なのか?〉

 心配になり、指をそっと首筋にのせる。その指に伝わる微かな振動が、禎理をほっとさせた。

〈これなら〉

 手当てを終えた少年を自分のマントで包むと、禎理は何も敷かない地面にごろりと横たわった。


 背に受けた痛みに、はっとして目を醒ます。

「おい、お前!」

 罵声に顔を上げると、朝日を背に、昨日手当てした少年が禎理をきつく睨んでいるのがはっきりと見えた。

「俺の鎧はどこだ!」

 その少年の尊大な態度に、むっと腹を立てる。しかし相手は理を知らない馬鹿者だ。その侮蔑感が、禎理の怒りをかろうじて抑えた。

 だが、昨日の今日でこれだけの回復をみせるとは。『泣き女』が持っていた薬草の効果に、禎理は正直驚いた。

 そんな禎理の思惑には全く構わず、少年は木の根元にまとめてあった板金鎧を着込むと、禎理にお礼の一つも言わず去ってゆく。彼の背後に、昨夜のあの精霊がいるのを、禎理は見逃さなかった。

〈……ふーん〉

 どうやら、精霊はあの少年を慕っているようだが、少年の方は精霊の存在に気付いてもいないようだ。

〈苦労するだろうな、きっと〉

 少年に振り回される精霊を思い、禎理はふっと溜息をついた。

 しかしながら。

 それでも、あの精霊は確かに『幸せ』なのだろう。


 少年と精霊が視界から消えるまで、禎理は精霊の後姿をただ静かに見守って、いた。

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