幻の歌声
書物の間に無造作に挟まっていた羊皮紙を、何気なく引っ張り出す。
勢いに任せて絨毯の敷かれた床に散らばってしまったその羊皮紙に書かれていたのは、六角公の天楚屋敷内の書斎にはあまり似つかわしくないものだった。
〈これは、……楽譜?〉
四本の横線と、その上に記された太めの点と細い縦線から、そう判断する。
どうして、こんなものが、ここに? 王を支える大貴族の一人である六角公は政治や経済には詳しいが、音楽方面はどちらかというと詳しくない御方であることは、天楚の人々の間では既知の事実である。
しかしながら。
〈なんか、……良さげな曲だな〉
拾い上げた楽譜を眺めながら、そこに書かれているメロディを口ずさむ。
禎理には音楽の素養がある。まだ子供の頃、習ったことがあるのだ。歌も作れるし、楽譜も読める。だから、初見の楽譜を口ずさむくらいは(多少音が外れるとしても)お茶の子さいさい。
と。
手を叩く音に、びくっとして振り返る。
「……あ」
そこにいたのは、天楚の現在の王、活破七世だった。
小柄な王がすたすたと、戸惑う禎理の前へ来る。そして禎理が持っている羊皮紙を見やると、少しだけ目尻を下げてにこりと笑った。
「……あの?」
王の行動に、正直当惑する。それに。……何となく、王が悲しげに見えたのは、気のせいだろうか?
だが。禎理が頑張って疑問を口にするより早く、王は来たときと同じ歩調で禎理の前から去って行って、しまった。
「……ああ、それは」
書斎で見つけた楽譜を、六角公に見せる。
その時の公の言葉は、禎理を驚愕させるに十分だった。
「王が昔書いたものだ」
それでは、あの『悲しさ』の意味は。愕然とした気持ちと、申し訳なさが混ざり合う。
活破七世の別名は『無言王』。幼い頃の熱病で声を出すことができなくなったことは、天楚の人々なら誰でも知っている。そんな王の前で、王の作った歌を歌ってしまったのだ。
だが。
〈……歌いたい〉
心の奥底で、そう思う。少し見ただけだが、良い歌なのだ。歌わずに埋もれさせておくのはもったいない。それが、禎理の本音。だが、王の気持ちを損ねてまで、歌うつもりはない。
「聞いてみればよい、王自身に」
そんな禎理の気持ちを察したのか、六角公はただ静かにそう、言った。
「今日は静養の為、ずっとこの屋敷に居られるそうだし」
「え、……はい」
少しの躊躇の後、禎理は意を決して王の居場所を公に尋ねた。
「良いよ」
スレート板に書かれた一単語に、ほっと息を吐く。
身分も障碍も気にしない、気さくな王で良かった。やはり、天楚市民に人気の王だけある。器が大きい。禎理はますます王が好きになった。
だが。
王の瞳によぎった微かな影を、禎理は見逃さなかった。
やはり、王にも葛藤があるのだ。
この歌を王が歌ったら、どのような感じになるのだろう。ふと、そんなことを考える。
それは、解の無い疑問。
だから、なのかもしれないが。禎理はしばらく躊躇ってから、思い切って楽譜の一枚に書かれた歌を歌い出した。
朗々とした声が、辺りに響く。
歌い終わってすぐに聞こえてきたのは、王の拍手だった。
〈良かった〉
王の笑みを見て、禎理はほっと安堵の息を吐いた。




