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真夜中の放浪者

 裏口から外に出た途端、冷たい風に襲われる。

 その鋭さに首を竦めるより早く、王妃は懐に抱いた小さな塊をしっかりと、だが優しく抱き締めた。

 背後で心配そうな目を向ける乳母に静かに頷くと、木の扉が気遣わしげな音を立てて閉まる。その扉がしっかり閉まったことを確認してから、王妃はゆっくりと暗い通りへと歩を進めた。

「……信用できるのかしら、あの占いは」

 ふと、疑念が頭をよぎる。しかし、占い師の言葉を実行しようと決めたのは王妃自身だ。……この子の、為に。

 腕の中で眠っている我が子を静かに、だがしっかりと抱き締めてから、内心の不安を打ち消すように、きっと唇を噛み締める。王妃はゆっくりとした足取りで、天楚の大通りへと向かった。

 消灯の鐘は既に鳴り終わり、辺りは月明かりのみの漆黒の闇である。それでも、大通りに行けば誰かいるかもしれない。期待と不安が、足を速める。しかし、やはり守護神が居ない為に不吉な時とされる『風の日の夜』だからだろうか、大通りにも人っ子一人居ない。大きな月だけが、呆然とする王妃を照らしていた。

 これでは、困る。自分の『願い』が、果せない。胸の我が子をしっかりと抱き締め直してから、王妃はくるりと向きを変え、今度は天楚てんその歓楽街一柳ひとつやなぎ町へと歩を進めた。

 だが。

 不意に、暗闇の陰に隠れていた小さな窪みに、足を取られる。

「あっ」

 よろけたはずみで、腕が緩む。

 後悔しても、もう、遅い。

 ……しかし、次の瞬間。下からしっかりと支えられる感覚に、王妃ははっと我に帰った。

「大丈夫ですか?」

 優しげな声と共に、王妃の腕と胸に温もりが戻ってくる。

 無事を確かめるように、胸の中の我が子を優しく抱き締めてから、王妃は闇に目を凝らし、声の主を探った。

「このような夜に、お一人でお出かけになってはいけませんよ」

 すぐ下に、小柄な影が見える。夜の市内を守る市民達の集団組織、夜警団の上着を着ているが、まだ少女ぐらいの年頃にしか見えない者が一人、王妃の前に立っていた。

 こんな者が、危険な夜の警備を? 思わず首を傾げる。だが。……この少女が、占いに出てきた『願いを叶える者』だ。確信に似た気持ちが、王妃の心を突き動かした。

「送って行きましょう。……この辺りは運河もありますし、暗いと余計に危ないですから」

 思考する王妃の前で、丸い顔を綻ばせて王妃の服の裾を軽く引く少女。その少女の腕を、王妃は空いている方の手で強く掴んだ。

「お願いがある。この子の名前を付けて欲しい」

「えっ……?」

 王妃の言葉に、少女は明らかな戸惑いをその顔に浮かべる。その少女の腕を、王妃は先程よりも強く握り締めた。

 王妃はこれまで、王との間に三人の息子をもうけた。だが、歴代の王から名を貰ったこれら三人の息子はいずれも、生まれて半年も経たないうちに亡くなってしまって、いた。

 もしかすると、この四人目の息子も、同じ運命を辿ってしまうかもしれない。それは、嫌だ。その想いのまま、王妃がすがったのは、一人の占い師。その占い師が告げた「『風の日の夜』の街で初めて出会った者に名を付けて貰えば、丈夫に育つ」という言葉を信じて、王妃は夜の街に出たのだ。……我が子を、守る為に。

「……分かりました」

 強く掴みすぎて感覚を失った王妃の腕が、ほのかに温かくなる。

 顔を上げると、灰茶色の髪に縁取られた少女の微笑が、あった。

「歩きながら考えますので、しばらくお待ち下さい」

 そう言ってから、少女は王妃の腕を取り、先に立って進む。

 そして、しばらく暗い通りを歩いてから、少女はおもむろに王妃の腕を放し、腰のベルトから細長い物を抜いた。

 その細長い物が、文字を書くための携帯用のペンだと王妃が気付くよりも早く、少女は何やらさらさらと書きつけた羊皮紙の小片を、王妃の前に差し出した。

「……昔、天楚の開祖王を補佐した者の名前にしました」

 そう、明快に笑ってから、少女は王妃の胸の中で眠っている赤ん坊の額にそっと触れた。

「今の王のように、庶民に優しい王になりますように」

「そ、そなたっ!」

 思わず叫ぶ王妃の前を、突風が吹く。その鋭さに王妃が瞬きをした、ほんの僅かの間に、少女の姿は跡形もなく消えうせてしまって、いた。

「王妃様!」

 聞きなれた声に、はっとして振り向く。その時になって初めて、王妃は自分がこの旅の出発点である実家の裏口に立っていることに気が付いた。

「大丈夫ですか?」

 そう言って駆け寄ってきた乳母に赤ん坊をそっと渡してから、受け取った羊皮紙を開く。

「……憶、都」

 そこには、天楚の初代王活破かつは一世を影ながら助け、二代目の王になった者の名が、細いがしっかりとした文字で書き込まれて、いた。

 あの少女は、一体? 不思議なことの連続に、首を傾げる。でも、きっと、あの少女は、この子を守ってくれる神の使いに違いない。

 乳母に抱かれた王子の額に静かに触れながら、王妃はそう、心の中で納得を繰り返した。

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