幻影の塔
「……やっと、見つけた」
黒い背に向かって発した言葉に疲れがにじみ出ているのを感じ、思わず苦笑する。その笑みを口角に貼り付けたまま、禎理はこれまでずっと探し続けていた華奢な背の横に立った。
「あ、禎理」
禎理が横へ来てやっと、小柄な影の持ち主エクサが顔を上げる。だがすぐに、エクサの興味はすぐ傍の廃墟へと移った。マース大陸の南にあるフビニ帝国の神官であることを示す灰色の肩布が、風も無いのに激しく揺れる。
「しかしすごいな、ここは」
それは、そうだろう。何回か調査に来ている関係でこの廃墟に詳しくなった禎理はエクサのはしゃぎぶりに苦笑しながら頷いた。
禎理とエクサが今訪れているのは、天楚市と、天楚第二の都市である華琿市のちょうど中間にある、通称『十三塔』という名の遺跡である。その名の通り、十三の塔――但し、塔の殆どは度重なる戦乱によって破壊され、現在は土台又は一階部分が残っているのみである――が建っている場所である。その昔、嶺家と呼ばれる民がこの大陸を支配していた頃に、この地の反乱を治め、反乱軍の首領と相討ちとなった将軍を葬った場所であるとも伝えられている。
エクサが今眺めている廃墟も、元々は嶺家の民が信仰していた神々の一柱、主神『風神』の神殿だったものだ。『風神』を主神とするこの世界の十三の神々を信仰する『十三神派』は今では異端とされているが、嶺家の民は『十三神派』であった。だから塔の数は十三なのである。
「で、何か収穫あった?」
自分が知っているこの廃墟の由来を一くさり説明した後で、僅かに残っている塔の石壁に触れるエクサにそっとそう尋ねる。 現在禎理は、エクサの師匠であり、禎理自身も世話になったことのある神官ボルツァーノからこの小柄な人物の護衛と監視――というほど大袈裟なものでもないが――を任されている。だから、エクサの姿が見あたらなければ探す必要がある。
この廃墟の話をエクサが何処から聞き込んだのかは分からないが、何も告げずに突然ふいといなくなっては探す方が一苦労である。エクサは、心のままに何か危ないことをしでかす可能性のある、どこか危うい人物だから、探すのに慎重さと迅速さが要求され、尚更大変なのだ。
でも、何とかエクサを無事に見つけることができた。その点に関しては、禎理は心底ほっとしていた。問題になりそうな行動も、今のところは認められない。それならばなおさら、早めにエクサを天楚に連れ帰ろう。禎理はそう、心に決めた。エクサにとっても、自分にとっても、ここは『危ない』のだ。
だが。
「でも、嶺家の将軍だけじゃないぜ、ここに葬られているのは」
由来を話す禎理の長い話を、余所見をしていてもきちんと聞いていたらしい。エクサはくるりとローブの裾を翻して振り向くと、禎理に向かって自分の肩に掛かった灰色の肩布をひらひらさせた。
「俺たちがこの布を身につけるようになった理由も、ここにあるらしい」
「それ、本当?」
好奇心に負けて、その言葉が出てしまう。
「ああ。昔ボルツァーノに教えてもらった」
時代は、嶺家王朝が滅びて後、大陸に二人の皇帝が並び立っていた頃。初期の頃の『力』を無くし、大陸を乱れるままにまかせた二人の帝を滅した一人の少年がいた。帝の一人と相討ちになったその少年を、この場所に葬ったのが、フビニ帝国を神官国家として整えた中興の祖、ブリュア師だったそうだ。『守れなかった少年』のことを悔やんだブリュア師は、その少年のことを忘れない為に、形見となった『灰色の肩布』を常に身につけていたという。
「ここに葬られた嶺家の将軍も、その少年も、『担い手』だったらしい」
これもボルツァーノが言っていた。エクサのその言葉に、真実だとこくんと頷く。ボルツァーノ自身、二百年程前に現れた『担い手』を助ける為に禁術を使い、魔界の力を手に入れたが為にこの地上を千年彷徨う運命を負ってしまったのだから。
『担い手』とは、『力ある石』から『この世界』を守る為に『神』の座を捨て、転生を繰り返している『風神』が、その力を最大限に発揮できる『器』となる、風神自身の子孫である人間に転生した姿である。転生先が『運命神』によってランダムに決められている状況においては希少な存在であるが、それでも、何人かの『担い手』らしき人物が存在したことが、いくつかの歴史書に記されている。
そして。実は禎理も『担い手』の素質を持つ者の一人である。だから、エクサの話は人事とは思えなかった。
が、しかし。
「だからかな。魔力要素が強い」
エクサの言葉に、はっと我に帰る。
今は『担い手』のことに想いを巡らせる時ではない。エクサの『暴挙』を未然に防ぐと同時に、安全も確保しなければ。
「ねえ、エクサ」
確かめるように、尋ねる。
「ここの魔力要素を使おうなんて思ってないよね。……フレネーの復活の為に」
自分の過失による事故で亡くなった大切な人を蘇らせたい。それが、エクサの心からの願いであり、行動が暴走する理由である。だが、エクサのこの願いは、絶対に叶えてはいけないものだ。現に、エクサの行いはフビニの法に触れており、その為に、エクサは大陸の遥か北東にあるこの土地まで逃げて来なければいけなくなっている。
それに。『この世界』を支配する『自然の理』に逆らうことは、不幸しか生まない。自らの体験でそのことを知っている禎理は、エクサの想いを理解しつつも、エクサの暴挙を阻止する為に頑張っていた。
「うん、……いや」
だが。禎理の予想に反し、エクサは笑って首を横に振る。
「止めとく。なんか呪われそうだし」
エクサの言葉に、禎理は心底ほっとした。『自然の理』に反するようなことは、誰にもやらせたくない。ましてや『仲間』ならば、なおさらだ。
ならば、次は。
「その話の続きは、三叉亭でしよう」
なおも廃墟を見つめるエクサの右手を、左手で掴む。
「もうそろそろ暗くなるから、帰ろう。山賊が出没するっていう噂もある」
禎理がそう言いかけた、正にその時。
「そこにいるのは誰だ!」
いきなりの大音声が禎理の耳を打つ。腰の短剣に手を掛けつつ振り向くと、少し汚らしい男達が二人を取り囲むように立っているのが見えた。
〈ちっ……〉
話に夢中になり、警戒を怠っていた自分に舌打ちする。
街道から外れた、こんな辺鄙で薄気味悪い場所を根城にする山賊がいるとは。噂を聞いた時には半分ほど信じていなかったが、目の前に居る男どもは、どう見ても幻ではない。
「……お前、禎理だな」
少しだけましな格好をした、山賊の頭領らしき男が禎理を見とがめて声を荒げる。
「知り合いか?」
幾分軽蔑感を含んだエクサの囁きに、禎理は首を横に振った。まあ、この手の奴らにはこれまで何十回となく敵として出会っているから、何処かで恨まれていても仕方がない。禎理は内心肩を竦めた。
それはともかく。この囲みからどうしたら抜け出せるか、まずはそれを考えなければ。禎理一人なら、事は簡単だ。だが、エクサがいる。
「エクサ、魔法使える?」
背後のエクサにそう尋ねる。
「今は無理。日没近いし」
返ってきた答えは、否定だった。エクサの魔法は『光』に所属する為、光の無いところではうまく使えないらしい。
と、すると。
「殺されない限り、おとなしく捕まったほうがより良い『選択』ってこと、か」
じりじりと近づく多量の山賊達に、溜息をつく。
次の瞬間、禎理は短剣の柄から手を離し、彼らに向かって両手を上げた。
そして。
〈……まあ、殺されはしなかったけど〉
痛む頬に顔をしかめながら、松明の明かりの下で酒を飲んでいる山賊達を眺める。殺されはしなかったが、彼らに『日頃の恨み』とばかりにあちこち殴られたのだ。
「まあ、命があっただけマシか」
禎理の横で、こちらは無傷のエクサが大袈裟に溜息をつく。
「ところで俺達、これからどうなるの?」
「知るか」
本来なら、姿を見られたということで口封じのために殺されるのだろうが、それを生かしておくということは、おそらく天楚の牢獄に捕らえられている仲間との交換にでも利用しようという腹だろう。そんなことを考える。
「まあ明日になったろ魔法ぶっ放して逃げるけど」
「そうだね」
天楚に不利益になるようなことに荷担するつもりはない。たとえ、自分の命がかかっていようとも。
とりあえず、明日朝まで生き延びればどうにかなるだろう。それを確信し、禎理はふっと息を吐いた。
「ま、とりあえず、禎理の怪我を回復、っと」
縛られた足をうまく使い、エクサが禎理ににじり寄る。
「手も縛られているから、うまく回復できないと思うけど」
「模糊」
腰のポーチの一つに、声を掛ける。すぐに、いつもポーチで惰眠を貪っているキイロダルマウサギ族の魔物、模糊が、のっそりと禎理の膝に登ってきた。
「エクサの縄を緩めてやって」
酒盛りをしている山賊の手元にあるご馳走に目が行きがちな悪食のダルマウサギにそう声をかける。
「鞄の中にある丸パン、全部食べていいから」
少し躊躇ってから、模糊は背後に消えた。
「お、外れた」
すぐに、エクサの小さな歓声が聞こえてくる。
「これで回復ができる」
攻撃魔法は『光』がないと使えないが、回復魔法は父親の暴力から逃れるために死ぬ気で習得したエクサだから、この魔法を使う時だけは安心できる。
「魔力要素は、……あるヤツを使うか」
心地良い、微かな光が禎理の全身をそっと含む。
痛みが消えたので、禎理はほっとして背後にあった木箱にその身を預けた。
再び、酒盛り中の山賊を見やる。
今居る廃墟は確か、『風神』を祭る主殿だったところだ。周りを見回してそれだけ確認する。
こんな寂しい場所に根城を構える奴らの気が知れない。とりとめもなく、そんなことを考える。おそらく、よく冒険者がこの場所に引きつけられる理由と同じ、隠し財宝を狙っているに違いない。そんなものが何処にも無いことは、ここに何度も学術調査に来た禎理が一番良く知っている。
自由を愛し、そしてそれ以上にこの世界を愛している『風神』の神殿がこんな奴らの根城になっているなんて。廃墟の、昔日の姿を想像し、禎理は思わず顔を膝に埋めた。
と、その時。
「お頭!」
外にいた見張りの一人が、血相を変えて飛び込んでくる。
「塔が!」
「何っ!」
子分よりたくさん酒を飲んでいたにも関わらず意外にもしっかりとした足どりで、山賊の頭領が外に出る。
しばらくして戻ってきた頭領は、何故か禎理の前に立った。
「来い!」
縛られたまま、山賊達に引きずられるように外へ出る。
「見ろ」
指示された通り、今まで居た場所を振り返って見た禎理は、昼とは全く違う光景にあんぐりと口を開いた。いや、この光景は、これまでに何処でも見たことが、無い。
一階部分しか残っていない、廃墟だった筈の塔が、光に包まれて高く聳え立っているではないか。
「来い」
廃墟の変わりようと、目の前の塔の美しさに陶然となっている禎理の肩が、強引に突き飛ばされる。
山賊達に突き飛ばされつつ着いた場所は、主塔に寄り添うように建てられた副塔の入り口だった。
「これを昇れ」
山賊の頭領の言葉に、とりあえず入り口から首だけ突っ込んで辺りを見回す。すぐに、暗い空間に伸びる微かに光る柱と、その柱から横に伸びている、大柄な男でも何とか乗れる幅の螺旋階段を見つけた。多分、この階段を昇れということだろう。
縛めを解かれたばかりで痺れている足が、僅かに躊躇う。だが、拒絶すれば、自分だけでなくエクサの命も無いだろう。そう感じた禎理は、覚悟を決めて螺旋階段を昇り始めた。
禎理の後ろを、得物を手にした山賊達が続く。おそらく、階段の途中か終点で何か得体のしれないモノが出たときの為に、禎理を前に行かせているのだろう。ここは風神の神殿なのだから、そんなに変なモノが出るわけ無いじゃないか。昔出会った風神の、無邪気で凜とした顔を思い出しながら、禎理は少しだけ苦笑した。
だが。螺旋階段は意外と長かった。
何時になったら頂上に辿り着くのだろうか? いや、あの風神のことだから、頂上なんて無くて、ずっと同じ所をぐるぐる回るような造りになっているのかもしれない。再び風神の姿を思い出し、禎理は今度は溜息をついた。……どちらにしろ、この塔は風神が造ったものではないのだから、風神を責めるのは酷、なのだが。
とにかく、早く頂上に着いて欲しい。禎理が心からそう思った、正にその時。いきなり、光る天井が見える。階段の先が、天井に少しだけ空いた穴に繋がっているのも。
「着いたぞ!」
後ろの山賊達から歓声が上がった。
「待て待て」
それを制したのは、禎理のすぐ後ろに居た頭領。
「何かやっかいなモノがいるかもしれない」
そして禎理の方を見て、顎をしゃくった。
その高圧的な態度に呆れつつ、それでも逃げられないので階段を昇る。現れたのは、光に包まれているが、何もないがらんとした部屋だった。
とりあえず、やっかいな魔物などがいない点はほっとする。だが、こんな部屋で下の山賊達は納得するだろうか。せめて山のような金貨があれば。そう思いながら、禎理はとりあえず報告しようと階段を下りかけた。
と、その時。
禎理の目の端が、違う光を捉える。振り向くと、何時の間にか部屋の床は金貨でいっぱいになっていた。
これは、まさか……。思わず首を横に振る。禎理が願ったことが、現実になっているのか?
確かめる為に、床いっぱいの宝石を想像してみる。瞑った目を開いた途端、金貨の間に見たこともないような大粒の宝石が散らばっているのが、はっきりと見えた。
「おい、何をやっている」
背後から、しびれを切らした声が聞こえて来る。
振り向くと、部屋を覗いた山賊の頭領の目が大きく見開かれたのが、はっきりと見えた。
「これはすげぇ!」
忽ちにして、部屋で山賊達の饗宴が始まる。
誰も禎理には注意を払わない。
……逃げるなら、今だ。
禎理は抜き足差し足、そしてすぐに脱兎の如く螺旋階段を駆け下りた。
予想通り、上からは誰も追って来ない。
これで、逃げられる。禎理の考えは、しかし思いもよらぬ所で挫折した。余りにも急ぎ過ぎた所為か、階段に足をとられて転んでしまったのだ。普通なら、どこかに掴まって事無きを得るのだが、後手に縛られたままだったことが事態を悪化させた。
勢いのままに、手すりのない螺旋階段から転がり落ちる。螺旋階段の外は何もない空間なのだから、後は重力に任せて落ちるのみ。
いきなりのこの状況に頭の中がパニックとなる。
だが。禎理の身体は何故かすぐに、石畳の地面を感じていた。
〈……助かった、のか?〉
何が何だか分からないまま、慣性のままに、冷たく暗い地面に横たわる。
すぐに、禎理の意識は闇に飲まれていった。
「……り、禎理!」
エクサの声に、はっと目を覚ます。
いつの間にか、禎理の身体は草の生えた暖かい地面の上に、有った。
エクサの背後では、元の廃墟が、日の出前の微かな光の中で影になって浮かんでいる。
「塔、は?」
禎理の問いに、エクサは首を横に振る。
「昨夜はあったんだけど、何か一瞬にして消えてしまったって感じだな」
山賊達が禎理を引き連れて皆去った後、エクサもこっそり外へ出て塔を見物した。だが、光り輝いていた塔は不意に消え、驚いて廃墟を歩いているところで禎理を見つけたらしい。
起き上がって、辺りを見回す。予感通り、動いている生物は、禎理とエクサと模糊しか居なかった。
すなわち。
全身に、寒気が走る。
エクサが引き出した魔力要素が、禎理の『担い手の素質』と反応してあの塔が現れた。そして、禎理が気を失った瞬間、塔は消えてしまったのだ。塔の中に居た山賊達と一緒に。
自分の中にある『力』に、呆然となる。
恐ろしくなってしまった禎理の肩を強く叩いて力づけたのは、エクサだった。
「気にすんな」
「でも……」
「どうせ山賊だろ、気にしなくていい」
エクサの言葉を、無理矢理心に落ち着かせる。
だが。後味の悪さだけは、いつまでも禎理の胸に引っかかって、いた。




