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夏の雪

「お願いです! 雪を降らせてください!」

 目の前の、まだ幼く見える少年が発したいきなりの言葉に、正直面食らう。

「な、何、で……?」

 だから、禎理ていりは正直に、戸惑いの言葉を口にした。

 だが、目の前の少年、五次いつぎは、禎理の戸惑いなど全く感知していないようだ。その澄んだ、真っ直ぐな瞳で禎理をじっと見つめている。少し殺伐とした感のある冒険者宿『三叉さんさ亭』には似つかわしくない光景だ。何となく、禎理はそう感じた。

「あの、千尋ちひろに、見せてやりたいんです」

 先ほどの言葉と同じ勢いで、五次は理由を口にする。そこに出てきた女の子の名前に、禎理の疑問はすとんと収まった。……やはり、彼女か。

 五次の言う『千尋』とは、まだ幼いにも関わらず天楚の貴族家の一つである『天元てんげん伯』を継いだ少女のことである。五次とは幼馴染で、互いに好き合っているらしいのだが、そこはまだ子供、逢う度に喧嘩しかしていないらしい。その喧嘩のとばっちりをまともに受けたことのある禎理としては、二人にはもう少し大人になって欲しいとおもうのだが。

 そして、五次の話によると、その千尋が、ここ数日風邪を引いて寝込んでいるらしい。

「本当?」

 思わず、横のテーブル席で涼しげに果物を食している五次の兄、須臾しゅゆに尋ねてしまう。

 冒険者と貴族、身分は全く違う禎理と須臾だが、二人は武術道場の先輩後輩の中でもあった。

「ああ」

 天楚の貴族家の一つ、六角公の後継者である須臾は、貴族らしいその身のこなしであっさりと五次の言葉を肯定した。

「へぇ……」

 いつも元気でお転婆な千尋しか知らない禎理には、彼女が病気で臥せっているという事実自体が信じられない。しかし、須臾も肯定したのだから、事実なのだろう。

「あの、千尋、とても苦しそうで」

 驚く禎理の横で、五次が再び言葉を紡ぐ。

「だから……」

 五次が見舞いに行った時に、千尋が発した譫言の中に出てきた「雪が見たい」という言葉を叶える為に、五次は禎理の元へやって来た。そういう訳らしい。

 だが。

「うーん……」

 思わず、考え込んでしまう。

 現在の季節は夏。禎理が座っている三叉亭のカウンター席からも、開け放された扉の先の焼けつくような日差しが見える。たとえ禎理に魔法が使えても、『冬』や『雪』なんて、どう頑張っても遠い昔の物語にしか思えない。だが。……退けるには、願いが一途すぎる。

 この陽気でも、雪を降らせる方法は、実は無いわけではない。しかし禎理自身としては、その方法は、できれば取りたくない。

 やはり、この願いには無理がある。禎理は断ろうと口を開いた。

 と、その時。

「禎理さんは『冬の者』の城に行って、帰ってきたと聞きました」

 五次の言葉に、内心頭を抱える。やはり、『方法』を知っていたか。おそらく、須臾から聞いたのだろうが。

 確かに、禎理は昨冬、『冬の者』と呼ばれる冬と雪を司る精霊の長である女王の城に召還され、彼らを言祝ぐ歌を歌わされた。幸い、禎理の歌と歌声は女王に気に入られ、無事に帰って来ることができたのだが、その後酷い風邪をひいたこともあり、正直もう二度と関わりたくないと思っていた。

 『冬の者』の長である女王なら、五次の願い通り、酷暑の季節でも雪を降らせることができるだろう。だが、女王は残酷だ。見返りに何を要求してくるか分からない。プライドも人一倍高いから、人間の願いなど一顧だにしない可能性の方が高い。最悪の場合、生きたまま氷の像にされてしまうおそれもあるのだ。

 それに。実を言うと、『冬の者』の城が何処にあるのか、禎理は知らない。昨冬も、自分の部屋にいたところをむりやり召還されただけなのだから、それはある意味仕方が無い。

 どちらにしろ、五次の願いを叶えるのは無理、だ。

「そんな……」

 禎理の答えに、五次の声が細くなる。

 みるみる青ざめるその顔を見るのが辛くなり、禎理はつと、五次の方へ腕を伸ばした。

 と、その時。

「……え?」

 頬を掠めた、涼しいを通り越した風に、思わず声を上げる。

 次の瞬間。

「久しぶりじゃな」

 禎理の耳に、あまり聞きたくない者の声が響いた。

「女王」

 半ば諦め気味に、顔を上げる。

 いつの間にか、禎理は三叉亭ではなく、『冬の者』の城の中に、居た。その目の前にいるのは勿論、白と銀のドレスを長身にまとった優雅で厳格な女王、だ。

「ちょうど退屈していたところでな」

 禎理の横では、五次が、目と口を大きく開いて女王を見つめている。

 そんな五次に、女王は艶やかに微笑んだ。

「そなたを呼び出そうとしておったら、丁度この者の話が聞こえてきてな」

 女王に見つめられた五次が、ぶるっとその身を震わせる。それが寒さの所為なのか、女王の威厳に打たれた所為なのか、禎理には判別がつかなかった。

「別に、少々の雪なら降らせてやっても構わん」

 そう言って再び、女王が艶やかな笑みを見せる。

 次の瞬間、女王は一息で五次の目の前に立った。

 驚きで、五次の顔が硬直する。その五次の肩をふわっと掴むなり、女王は五次の身体を自分の方へと静かに引き寄せ、その額に軽くキスをした。

「見返りはこれくらいでよかろう。お前は可愛いし、子供の精気は久しぶりじゃ」

 五次を見つめ、なおも艶冶に笑う女王。

 なおも固まったままの五次の肩を、禎理はそっと叩いた。

「大丈夫。女王は君の精気を少し吸い取っただけだよ」

 禎理の言葉に呪縛が解けた五次は、それでもなお大きく見開いた瞳のまま、振り返って禎理を見つめる。

「女王は約束は必ず守るお方だから、大丈夫」

 そんな五次を勇気づけるように、禎理はにこっと笑ってみせた。

「では、行くがよい」

 いつの間にか、五次の目の前に灰色の雪雲が用意されている。その雲に恐る恐る触れた五次は、次の瞬間、かき消えるように禎理の目の前から居なくなって、しまった。

「大丈夫じゃ。ちゃんと、愛する者の許へ送り届けてやった」

 突然の出来事に驚く禎理の後ろから、冷たさを柔らかく隠した女王の声が降ってくる。

 次に女王の口から出てくる言葉を、禎理ははっきりと予想して、いた。

「禎理、そなたはもう少しゆっくりして行きや」

「はい……」

 やはり、そう来たか。

 女王には分からないように肩を竦めると、禎理は自分のレパートリーの中から女王の好みそうな曲を探し始めた。


「……で、一晩中女王の我が儘に付き合わされた、と」

 禎理の頭上で、須臾の声が響く。

 その呆れたような口調は、禎理の頭痛を増幅させるに十分だった。

「良いんだよ」

 その痛みを和らげる為に、寝返りを打つ。

「……五次と千尋は、喜んでいたんだろう?」

 自分の部屋のベッドから見える窓の外には、昨夜の雪の名残であろうか、少しだけ濡れた屋根が見える。その微かな名残も、すぐに夏の日差しが消してしまうだろう。そのことが、禎理には少し淋しく思えた。

「お前なぁ、何でそんなに貧乏くじ引きまくりなんだ?」

 そんな禎理の後ろで、貴族には似つかわしくない言葉を須臾が口にする。

「仕方ないさ」

 その言葉に、禎理はくすりと笑ってしまった。

「それに、俺は別に『貧乏くじ』だなんて思ってないし」

 禎理のその言葉に、須臾が呆れたような言葉を発する。

 次の瞬間、禎理の額に、水浸しの手拭いが降ってきた。

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