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図書館の人

 暗闇の奥底から漂ってきた蝋の燃える匂いに、思わず首を傾げる。

 次の瞬間、禎理ていりは本棚の間を全速力で走り抜けた。

 天楚てんその冒険者である禎理が今、頼まれて見回っている此処は、天楚大学が地下に創った図書館。盗難予防に、本棚から伸びた頑丈な鎖が表紙に付いている重たい本が、本棚という本棚に山のように詰まっている場所である。

 地下に有るだから勿論昼でも真っ暗なのだが、火災の危険があるので火の気は禁物。閲覧者は全て、南方原産である『発光木』の乾燥葉を詰め込んで発光させたランタンを使用するよう、規則で定められている。そんなところで蝋の匂いなど、するはずがない。

 だが。

 図書館の奥の奥で、匂いの元を見つける。

 そこにいたのは、裾の長いローブを纏った青年。おそらく、天楚の学生なのだろう。そして彼の手元では、蝋燭立てに挿された短い蝋燭が小さな炎を上げていた。

「……あのう」

 背の高い青年を見上げ、おずおずと話しかける。

 閲覧者に規則を守らせるのは見回る者の義務だが、天楚の学生には貴族出身の者も多い。少し注意しただけで怒鳴り返されるのはまだ可愛い方で、女顔で学生に見えない所為で侮られるのか、いきなり殴られることも多々ある。だから、攻撃された時の退路を確認しつつ下手に出てみたのだが、幸いな事に、目の前にいるのは穏やかな気質の学生らしい。驚いた時の大きな瞳で、まじまじと禎理を見詰めたまま一言も口を利かない。

「済みません、此処では蝋燭は使えないんです」

 そう言いながら、青年の手の中の蝋燭を吹き消す。

 微かな煙が、漆黒の天井へと消えていった。

「あの、よろしければこちらを使ってくれませんか」

 それでも相手が何も言わないので、禎理は半ば強引に学生の手から蝋燭立てを取り上げ、代わりに自分のランタンを押し付けた。

 明かりが無くとも、どちらの方向に行けば予備のランタンがある、図書館入り口近くのカウンターまで最小距離で行けるかは、小さい頃からここをよく利用している禎理にはすっかり分かっている。だから禎理は、青年に少しだけ笑いかけると、相手にくるりと背を向け大股で図書館の入り口まで戻って行った。

 しばらく歩いてから、ふと思い立って振り返る。

 発光木の葉が発するぼんやりとした光が、暗闇の向こうに見えた。

 少し、強引だったかな? ふと思う。しかし、万が一火事を出して、ここにある大切な蔵書が焼けてしまったら大変な損失である。現に、二百年ほど前に起きた『天楚大火』では、此処にしか無かった貴重な図書が何冊も焼失してしまったと、禎理の後見人である金衡かねひら教授から聞いたことがある。そんなことになってはたまらない。

〈……そういえば〉

 ふと気が付いて、右手を見る。学生から取り上げた蝋燭立てがまだ、小さな掌の上にあった。

〈返すのを、忘れないようにしないと〉

 禎理は一人でうんと頷くと、カウンターに戻り予備のランタンに光を入れた。


「……ご苦労、禎理」

 教授の声に、はっとして目を開く。

 どうやら少し転寝をしていたようだ。

 学生の試験期間が昨日で終了した為か、今日はあの青年以外の閲覧者を一人も見ていない。だが、幾ら暇だからとはいえ、こんなことでは見張りの意味が無い。禎理は心の中で反省した。

「寝てなくて良いんですか? 片付けと鍵閉めまでちゃんとしますよ」

 頭を振って眠気を醒まし、へっぴり腰で階段を降りて来た金衡教授に向かって軽く微笑む。

 しかしながら。昨日から風邪が酷くて寝込んでいる教授が、何故こんな所に? 禎理は内心首を傾げた。

 階段の上にある、開けっ放しの扉から見える外は、既にもう薄暗い。こんな時間に無理をして此処に来るとすれば、よほど緊急の用事に違いない。禎理の背は、知らず知らずのうちに緊張していた。

 だが。

「いや、風邪だと言ってられない事態が起こってな」

 何で追々試などをしなけりゃならんのだ。授業をサボって遊びまくっていた奴なのに。そうぶつぶつ言いながら、教授はカウンター横の戸棚の前に立ち、蔵書を記したカード目録を漁る。

 そのあたふたした後姿に、禎理は噴出しそうになるのを慌てて堪えた。

「多分鎖は付いていない本だから、借りられる筈じゃが」

 どうやら目的の本を見つけたらしい、カードを手に取った教授が腰を叩きながら背伸びをする。

 と。

「……これは、どうした?」

 カウンターの一点を凝視して、教授が尋ねる。

「ああ」

 件の学生から取り上げたままの蝋燭立てが、カウンターの上に無造作に転がっていた。

「見回っていたときに、学生が持っていたものですが」

 禎理の答えに、教授は渋面を作って蝋燭立てを手に取った。

「全く、不心得者が多すぎる」

 そういえば。ふと思う。あの学生は何時ここに入って来たのだろうか? 閲覧者が必ず記入しなければならないカウンター上の名簿には、今日は誰の名も記されていない。

 あの学生は、一体? 心の中で首を傾げた、ちょうどその時。

「ん?」

 蝋燭立てを眺めていた教授の口から、驚愕の呟きが漏れる。

「これ、は、まさか……!」

「何ですか?」

 思わず、尋ねる。

 禎理の問いに、教授は一瞬考える顔になってから、おもむろに答えた。

「うむ。……これはどう見ても、『寛大王』時代の細工にしか見えん」

「はい?」

 聞きなれない言葉に、思わず聞き返す。

 『寛大王』とは、今から二百五十年以上も前の天楚の王の名だ。だが、その後に続く二人の王による政治的混迷と、天楚を含む『この世界』の魔法力の均衡が崩れてしまった『魔法革命』、そして天楚大火の所為で、その頃の美術品や細工物は殆ど残っていない。

「これは、貴重な」

 教授の言葉が急に熱を帯びる。

「はあ」

 歴史は知っているが美術品には疎い禎理は相槌を打つだけで精一杯だ。

「どこにいるんだ、その学生?」

「え……」

 いきなり尋ねられ、思わず絶句する。

「まだ、外には出ていないと……」

 図書館の出口は、禎理の目の前にある一ヶ所のみ。眠っていたとはいえ、気配に鋭敏な禎理に気付かれずに外へ出て行くことは、ほぼ不可能である。だから禎理は、教授に向かってこくんと頷いた。

「そうか」

 その答えを聞いた瞬間、灯りも持たずに真っ暗な空間に飛び込む教授。

 近くのランタンを引っ掴み、禎理は大急ぎで教授の後を追った。

「……あそこか」

 明かりを見つけるなり、本棚の間に飛び込む教授。

 だが、そこにあったのは、煌々と光るランタンのみ。学生の姿は影も形もなかった。

「あれ……?」

 教授の背後で、思わず首を傾げる。何故彼は、灯りを置いたまま消えてしまったのだろうか? こんなに真っ暗な図書館を灯りも無しに歩くなど、絶対無理だというのに。

「うーむ」

 金衡教授の方も、何が何だか分からず唸っている。

「……ま、とにかく、これは預からせてくれ」

 しばらくして、教授は禎理にそう、尋ねてきた。

 火気厳禁の図書館で火を使ったことを罰しなければならないし、この蝋燭立ての事も聞きたいからと、理由を付けて。

「学生の顔は覚えておるのじゃろ」

「もちろんです」

 禎理の答えに、教授は満足げに頷いた。

「だったら、また見かけた時にでも、わしの部屋に来るように言ってくれればよい」


 その次の日。

 追々試で忙しい金衡教授の代わりに、この日も禎理は図書館の見張りをしていた。

 学生の試験期間も、卒業論文提出期間も終わったばかりなので、図書館には誰もいない。

 試験期間にしか図書館を利用しないなんてもったいないよなぁ。人っ子一人いない図書館を明かり一つで見回りながら、とりとめもなく、そう思う。本を読んで新しい発見をすることは、結構面白いことだと禎理は思うのだが。しかし、貴族の学生は市内で遊んで暴れることにしか興味がないようだし、貧乏な学生は写本や家庭教師などで生活費を稼ぐことに汲々としている。

 『学生』の本分は『勉強』することじゃないのかなぁ? 禎理がそう、呟いた、まさにその時。

 人の気配がしないのに、すぐ傍に誰か居るような気がする。

 誰? 禎理は殊更ゆっくりとカンテラを掲げた。

 ぼうっとした光の中に映ったのは、本を探す、昨日と同じ学生の姿。此処は確か、……昨日と同じ場所?

「あのう、……灯り、を」

 昨日と同じように、ランタンを差し出しながらおずおずと切り出す。

 禎理のその言葉に、学生は昨日と同じ大きな瞳を禎理の方に向けた。

「本をお探しなら、先に入り口のカードで調べた方が良いですよ」

 そんな青年に、おずおずとした口調のままそう、教える。

 図書館のカウンターにあるカード目録は、図書を探す為にある。蔵書名と本棚の番号、あるいは所持する教授の名前が書かれたそのカードが無ければ、この無駄にだだっ広い図書館で本を探すのはほぼ無理な作業になる。

「……」

 だが、青年は、禎理を見下ろし、哀しそうに頭を横に振った。

「えっと、此処になくても、誰かが借りて持っているかもしれないし」

 学習や写本のために貸し出された本の貸出先も、カード目録にメモされている。だから絶対、彼が探している本も簡単に見つかる。強引な行動になるかもしれないが、とにかく、彼が本を探す手伝いがしたい。そう思った禎理は、青年のローブに向かってその手を伸ばした。

 だが。……何故か、学生のローブに、触れることができない。ローブだけではない。ローブの袖からのぞいた青白い手にも、触れることができないのだ。

「……無いんです」

 戸惑う禎理の頭上から、泣き声が降ってくる。

「どこにも、無いんです。あんなに貴重な本だったのに」

 次の瞬間。辺り一面が炎に包まれる。

 思わぬことに驚愕した禎理は、身動きもできずその場に立ち尽くした。

 だが、すぐにこれが幻影だと気付く。炎なのに熱くなかったのだ。

 唖然とする禎理の目の前で、本棚が次々と炎に包まれていく。その炎の中で、本を抱えた学生が呆然と立ち尽くしているのが、確かに、見えた。

「あのう!」

 その影に向かって、大声で叫ぶ。

「どの本を、守りたかったのですか!」

 天楚大火から二百年経った現在、焼けてしまった本の殆どは、写本や他からの移譲によりかなり復旧していると、前に金衡教授から聞いたことがある。

「無いんです」

 禎理の問いに、学生は再び首を振った。

「あれは、この世界で一冊しかない本だったんです」

 学生の言葉で、不意に思い出す。

 禎理が初めて金衡教授に出会った時に、持っていた禎理の『本』に向かって教授はこう言ったのだ。「大火で失われた『辞典』より良い物に出会うとは、長生きはするものだ」、と。

「ちょっと待っててください!」

 立ち尽くす青年にそう言い置いてから、炎に包まれた本棚の間を大急ぎで走る。

 向かう先は、金衡教授の研究室。

「……金衡教授!」

 研究室に飛び込むなり、驚きで目を丸くする追々試の学生を無視して、禎理は教授に向かって叫んだ。

「俺の『本』、返してください!」

「あ、ああ……」

 口をあんぐり開けたままの教授に軽く一礼するなり、禎理は机の上にあった三冊組の自分の『本』を引っ掴み、研究室を飛び出す。次の瞬間には図書館に向かって市内の狭い路地を駆け抜けて、いた。

 そしてそのままの勢いで図書館内の炎の中に飛び込む。

「……これを、見てください!」

 まだ炎の中に立ち尽くす学生の傍に寄り、赤表紙の三冊組の本を見せる。

 落ちそうになった本のバランスを取りながら表紙を開くと、炎を反射して羊皮紙がきらりと光った。

「お探しの本は、こういう感じのもの、ですか?」

 無言のままの青年の目の前で、二冊目も、三冊目も開いてみせる。

 確証は無い。だが、禎理の勘が当たっていたら……!

 と。

 不意に、幻影の炎が消える。

 見上げた禎理の視線の先には、安堵に輝いた青年の顔があった。

「そう、か」

 半透明の細い指が、禎理が開いて見せている本のページをいとおしそうに撫でる。

「ちゃんと、残ってたんだ」

 次の瞬間、学生の姿は禎理の目の前から消えていた。

「……良かった」

 自分の勘は、確かに当たっていた。

 学生の消えた空間を見つめ、禎理はほっと微笑った。

 だが。

「……全く、追々試の邪魔をしおって」

 背後に響く金衡教授の声に、全身が緊張する。

 止むを得なかったとはいえ、教授の追々試の邪魔をしたことは確かだ。酷く怒られる予感がして、禎理は振り向くことができなかった。

 だが。

「まあ、あの蝋燭立てで勘弁してやるとするか」

 教授の声の調子で、緊張を解く。

「返した方が良いんじゃないですか?」

 緊張の反動からか、禎理は思わず教授に向かって軽口を叩いていた。

「今度は蝋燭立てを探しに現れますよ、絶対」

「……研究し尽くしたら、返すさ」

 掌に置いた小さな蝋燭立てを転がしながら、にやっと笑う教授。

 その教授の表情に、禎理も思わず笑顔になった。

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