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天楚のとある一日

 人々の細い影が、朝靄の中で踊る。

 その数がだんだんと増えていくさまを、禎理ていりは目を細めながらゆったりとした気持ちで眺めていた。

 いつもより視線が高く感じられるのは、広場にある処刑者用の晒し台の上に居るから。

 今日も、広場は賑やかになりそうだ。活気に満ちた天楚てんそ市が好きな禎理は、耳に入ってくるざわめきにふとそう思い、軽く笑った。

「……何を笑っている、禎理」

 その途端、咎めるような声が禎理の足元から響いてくる。

「あ、いえ、別に何も」

 視線を落として目に入るのは、朝の光にきらりと光る金属鎧。禎理の足元で作業をしていたまだ若い騎士に睨まれて、禎理は心の中で肩を竦め、顔を元に戻した。

 朝靄が晴れると、広場の様子がはっきり見える。

 第一時課(午前六時)の鐘が鳴ったのはついさっきで、天楚市の門が開いたのもその時刻の筈なのに、広場には既に多くの荷車が止まっている。そして、広場の片隅に設えられた、箱と板で作られた屋根のない簡素な市場には、近隣で栽培された野菜や果物、捌かれて加工された肉類、遠い海岸から干物や塩漬けで運ばれてきた魚などの食料品や、職人達が丹精込めて作った織物や細工物等が所狭しと並べられていた。

 そして、広場に居る人のなんと多いこと。近隣の村々から商品を持ち込んだ人々だけでなく、既に客らしき人々がうろついているのが、禎理のいる場所からもはっきりと窺えた。

 と。

 そうこうしているうちに、禎理の方の準備ができたようだ。禎理の足元に居た若い騎士が、金属鎧をガチャガチャといわせながら腰を伸ばし、晒し台から降りる。

 代わりに上がってきたのは、禎理も顔なじみの平騎士隊の隊長、大円だいえん

「さて、と」

 大円は禎理のほうを見て「またか」と呟き、呆れたような溜息をつくと、懐からおもむろに筒状に丸められた羊皮紙を取り出して広げた。

 と同時に、傍らのラッパを持った騎士に合図を送る。

 ラッパの音が広場中に鳴り響くと、広場に居た人々がわらわらと晒し台の周りに集まってきた。

「……さて、この者」

 どこかぞんざいな感じで、羊皮紙に書かれた禎理の罪状が読み上げられる。

「先ごろ、天楚市内で騒動を越した罪により、この晒し台にて一日晒されるものとする」

 街中にある広場は、市場としての機能の他に処刑場としての機能をも併せ持つ。天楚市内で罪を犯し、捕らえられた者は、天楚王に仕える騎士と市民の代表からなる『市参事会』によって裁かれ、罪人の命を取らない場合には、街の治安を守る平騎士隊が広場で刑を執行する。規定された罪の種類は様々だが、天楚の街角で喧嘩騒動を起こした場合でも『罪』になる。そして、『刑』の種類も、絞首などにより生命を奪うものから、命は取らないが反省を促すものまで様々にあった。

 禎理も、二、三日前に天楚市内で剣まで抜いた喧嘩を起こしてしまい、平騎士隊に捕まってしまったのだ。だから今、手を手首のところで前に縛られ、足を晒し台に固定された状態で処刑台の上に立っている。

「じゃ、頑張れよ」

 大円は慣れた感じでそう言うと、禎理の肩を軽く叩き、部下に手招きをして広場を去って行った。

 禎理の傍に残ったのは、汚れていない鎧を纏ったまだ若い騎士一人。

「……またかい、禎理?」

「今度は何をしたんだ?」

 隊長が消えるや否や、忽ちにして晒し台の周りは群衆に囲まれた。

「おい、お前ら! 近づくなっ!」

 見張りの若い騎士が慣れない調子で群集を抑えようとする。

「まあ、いいじゃないか、騎士さんよ」

 しかし、若い騎士のことなど、擦れた群衆には全く関係ない。あっという間に、騎士の姿は禎理からも見えなくなってしまった。

 まあ、見張りが居なくなろうとも、禎理には刑をさぼる気はこれっぽっちもないので特に問題はないのだが。

「ところで、これで何回目だ、そこに立つの」

「えーっと……」

 投げかけられた問いに、禎理は曖昧に笑った。

 よく考えてみると、天楚にいる間は、一つの季節に二、三回は何か揉め事を起こしてここに立たされているような気がする。だから、晒し台に立った数まで一々覚えてはいないのだ。もちろん、『罪状』も。

「禎理様!」

 突然、人込みの中から甲高い声が上がる。

 左右に割れた人込みの中から、大きな籠を持った一人の少女が禎理の前に現れた。

「すみません、私なんかの為に」

 すまなそうに俯く少女に、禎理は軽く笑って見せた。

「いや、俺は構わないから」

 りんごを売っていたこの少女に、天楚にある大学に通っている学生達がちょっかいを出しているところを禎理が見咎めたのが、今回の騒動の原因。はじめは、学生達を追い払うだけのつもりだった禎理だが、貴族出身らしい学生の一人が腰のレイピアを抜いて立ち向かってきたので、やむなく禎理も短剣を抜いてしまったのだ。

 結果としては、向かってきた学生のレイピアを叩き落し、図体のでかい男五人を相手に禎理が勝利を収めたのだが、剣まで抜いた喧嘩を起こしてしまっては、平騎士隊に捕まってしまうのは当然の事。その点に関しては、禎理は自分の不手際を反省していた。

 自分では、もう少し逃げ足を速くするなり剣を抜かない努力をするなりして、なるべく平騎士隊の人たちに迷惑をかけないようにしたいのだが、生まれ持った性か、喧嘩や騒動や揉め事に首を突っ込むことだけは止められそうもない。

「……なるほど、今回は可愛い子を助けたってわけか」

 群衆の中から笑い声が上がる。

「でもこの前は梨売りの老婆を助けてたぜ」

「その前は、使い走りの小僧が学生に絡まれてたのを止めてたよなぁ」

「確か、絡んでたのは同じ学生集団だっけ?」

 ざわめきに混じって、禎理のしたことが次々と話題に上る。

 自分さえ覚えていないことを良く覚えているなと、禎理は内心呆れた。

「……あの、これを」

 不意に、禎理の視界に赤いものが入る。

 俯くと、目の前の少女が差し出したおいしそうなリンゴがはっきりと見えた。

「あ、いや」

 そのおいしそうな匂いに、さっきまで平騎士隊の詰め所に閉じ込められていた所為で何も入っていない胃がきゅっと縮んだが、禎理は慌てて首を振った。

「それは、君の商売道具だろう」

「でも……」

「まあ、いいじゃないか」

 あくまで無骨な禎理に呆れたのか、周りにいた群集の一人が、少女の手からリンゴを取り、ナイフを使って器用にその皮を剥く。そして、一口大に切り刻んだ一切れを、半ばむりやり禎理の口に押し込んだ。

「う……」

 甘い香りと共に、大きな塊が口の奥に当たり、思わずむせる。

「おいおい、大丈夫か?」

 リンゴを禎理の口に突っ込んだ男が禎理の背を叩くと、周りにいた群集から穏やかな笑い声が漏れた。

「じゃ、景気付けにワインを一杯どうだい?」

 今度は透明な液体の入った小さなコップが禎理に唇につけられる。

「まあ、ぐっと飲みねぇ」

 できたてらしい、しつこさのない液体が、禎理の咽喉をつうっと下りていった。

 その周りでは、人々が思い思いにざわめいている。

「大学のガキどもには迷惑を被ってたんだ」

「あの学生の剣がポーンと飛ぶところ、胸がスーッとしたぜ」

 どうやら、あの学生集団は天楚市民にかなりの迷惑をかけていたらしい。人々の声の明るさに、自分のしたことを肯定してもらった気がして、禎理は少し嬉しかった。

〈そういえば……〉

 ふと、禎理の脳裏に退治した学生達の顔が浮かび上がる。

 彼らも、禎理と共に平騎士隊に捕まったはずだが、今ここにいるのは自分一人だ。おそらく、捕まってすぐに、その身分と金にものを言わせて罪を不問にしてもらったに違いない。

〈ま、そんなもんか〉

 身分と財産は、禎理の力ではどうにもならない。

 禎理は心の奥底でふうっと溜息をつくと、再び群衆のざわめきに耳を傾けた。


 広場のど真ん中で、こんなふうに一人だけ高いところに固定されているのは、少し恥ずかしい。

 でも、こんなに明るい人々に囲まれているのは、嫌じゃない。


 しかし、太陽が中天に上る頃には、禎理は正直疲れを見せていた。

 いや、立ちっ放しで疲れたわけではない。ずっと立っていることなら、吟遊詩人として広場でよく小遣い稼ぎをしているので慣れている。

 広場に物を売買に来た人や散歩に来た人々が、次々に食べ物や飲み物をくれたり、冒険譚を聞きたがったりして、何故か息つく暇もないほど忙しいのである。

 現に今も、禎理の目の前には親に連れられて広場に来たらしい子供たちが居て、禎理の冒険譚を聞いている。

 俺は子守じゃないんだけどな、と、自作の歌を披露しながら禎理は内心溜息をついた。

「……何やってんだ、禎理?」

 不意に、聞き覚えのある低い声が禎理の耳に入ってくる。

 この声、は。

「徳さん!」

 歌を中断して振り向くと、禎理がいつもお世話になっている冒険者宿『三叉さんさ亭』の主人六徳りっとくが、両手に重そうな荷物を持って立っていた。

「一日晒し台に立っているだけだと聞いたんだがな、俺は」

「……」

 呆れ顔の六徳の言葉に、禎理は苦笑する他なかった。確かにこれでは、罰を受けているのか楽しんでいるのか全くもって分からない。

「お前の為にせっかく持ってきたんだが、どうやらいらないみたいだな」

 鍋状の荷物を軽く振りながら、意地悪そうに六徳が訊ねる。

 その中味の匂いを嗅ぎつけたのか、禎理の腰にぶら下げた袋の中で、禎理の相棒であるキイロダルマウサギの模糊が暴れだした。

「はい……」

 六徳の作る、豚肉の塊とキャベツの入ったシチューは絶品だが、市場の人々がくれた食べ物でお腹が一杯なので、今は一口だって入りそうもない。

「模糊と子供たちに分けてやってください」

 禎理の言葉に、周りにいた子供達から歓声が上がる。

 分けられたシチューを頬張る子供たちに笑いかけてから、六徳はごく自然に晒し台の上に腰を下ろした。

「……そうそう、お前が叩いたあの学生達だが」

 辺りには聞こえない声で六徳が呟く。

「どうやら天楚を追放になったらしいぜ」

 貴族であることをかさにきて、これまで散々天楚市民に迷惑をかけてきた奴らだから当然だろうと、六徳が評する。

 それなら、安心だ。

 禎理は天楚の為に安堵の溜息をついた。


 日のある間はにぎやかな広場も、日が沈み、市門が閉じられると途端に静かになる。

 人通りは途絶え、ただ風だけが、禎理のぼさぼさの髪を更にぐちゃぐちゃにしていった。

「……おかしいな」

 さすがに疲れ、舌を出した禎理の耳に、若い騎士の疲れた呟きが聞こえてくる。

「いい加減、交代の時間なんだが」

 確かに、いつもなら、たいまつを持った交代要員が来る筈なのだが、今日は辺りがすっかり暗くなっても誰も現れない。

 若い騎士の持つカンテラの灯りも、徐々に小さくなってきている。

「すまないが、呼んでくる」

 若い騎士は禎理に嵌められた足枷を確認すると、暗い空間へ走り出した。

 騎士の持つカンテラの灯りを、禎理は見るともなしに見送った。

 だが。

 小さな灯りが、急に立ち止まる。

「だ……!」

 若い騎士が叫び声を上げると同時に、灯りは忽然と消えうせた。

「ふん、大したことないな」

 聞き覚えのある声が禎理の耳に響く。

 松明の焦げる匂いが、禎理の鼻をついた。

〈まさか……!〉

 嫌な予感に囚われ、思わず身構える。

 しかし、禎理が縛られた腕を上げるより速く、横から飛んできた石が禎理の腕と頬を連続して叩いた。

「いっ……!」

 痛さに顔をしかめる禎理の鼻先すれすれに、松明が突きつけられる。

 光の先にいたのはやはり、禎理が叩きのめした学生達だった。

「よお、禎理」

 リーダー格の、図体だけがやたらとでかい男が、ゆっくりと禎理に向かって近づいてくる。

「この度は、よくも俺のプライドを傷つけてくれたな」

 そして彼は、縛られている所為で思うように動けない禎理の襟元をぐいっと掴むと、禎理の鼻先ぎりぎりまでその赤ら顔を近づけた。

「おかげで大学も天楚も追放になっちまったし」

 憤怒の形相が、はっきりと見える。

 首を絞められる息苦しさに、禎理は思わず呻いた。

「この落とし前はきっちりつけさせてもらうぜ!」

 襟元が解放されると同時に、立て続けに拳が禎理を襲う。

「まあ、動けないから丁度いいか」

 学生達がにやりと笑うのを、禎理は悪寒と共にはっきりと認めた。

 このままではやられる。しかし、人通りの絶えたこの広場には、助けてくれる人はだれも居ない。

 歯噛みする禎理を、再び拳が襲う。バランスを失い、禎理の身体は背中からまっ逆さまに倒れてしまった。

 晒し台の後ろの幅は、禎理の背より狭い。このままでは、晒し台より下の地面に落ちてしまう。何とかバランスを取り戻そうと、禎理は持てる力を振り絞って頭を上げた。

 と、その時。

 落ちかけた禎理の背中に、温かいものがあたる。

「大丈夫か、禎理」

 この声は。

九七一くない!」

 尻餅をつく形で晒し台の上にその身を落ち着けた禎理の横から黒い影が走る。

 犬型をしたその影は、思わぬ敵に怯む学生達に次々と襲い掛かり、あっという間に全員を倒してしまった。

「助かったよ。ありがとう」

 戻ってきた黒犬に頭を下げる。

「どういたしまして」

 黒犬の方は、しごく当たり前といった調子で首を横に振った。

 彼の名は九七一。禎理がまだ冒険者になる前、とある事件で知り合った『魔物』である。

「しかしお前、本当に騒動に巻き込まれるのが好きだなぁ」

「……」

 九七一の言葉に思わず苦笑する。

 彼と会う時はいつも、騒動を起こしたり巻き込まれたりしているような気がする。だから、彼は禎理のことを一種の『トラブルメーカー』だと思っているのかもしれない。

「あ」

 不意に思い出す。

「そういえば、あの騎士」

「あの倒れてる鎧の奴か? 見てきてやるよ」

 禎理の言葉に九七一はさっと立ち上がると、暗闇をものともせずに騎士が倒れている方向へと向かって行った。

「息はあるぜ、大丈夫だ」

 しばらくしてから、九七一の声が上がる。

 その言葉に、禎理は心底安堵した。

「……おまえなぁ、人の心配より自分の心配しろよ」

 呆れながら戻ってきた九七一が、禎理の頬を舐める。

 染みるような痛さに、禎理は思わず呻いた。

「大分腫れてるな。血も出てる」

 治療したほうがいいかもな、と呟くと、九七一は人型を取り、石が掠めたときに怪我をした禎理の腕に応急の布を巻いてくれた。

 殴られたところが響くように痛くなっているし、倒れたときに捻ったらしく、足首もかなり痛い。これでは、一晩中立っていることは無理だ。

「無理はいけない。身体が駄目になるぜ」

「うーん」

 九七一の言葉に、思わず呻く。

 いつもなら、『一日晒し台の刑』をいわれても、夜は見張りをしている騎士がこっそり休ませてくれるのが慣例になっているのだが、その見張りが伸びているのでは話にならない。

 それに、天楚のような都会でも、夜は野犬に注意が必要だ。彼らは、食べられそうなものを見ると、例えそれが生きている人間だとしても容赦なく襲ってくる。

「まあいいさ。俺に寄りかかれよ。一晩くらい大丈夫さ」

「うん……」

 犬型に戻った九七一に促されるまま、その黒い背中に身体を預ける。

 夜風に冷えた体が温かくなっていくのが、とても心地良かった。

「あ、そうだ」

 睡魔に囚われる前に、何とか呟く。

「学生達も、野犬から、守っとい、て……」

「はいはい」

 呆れたような九七一の声が、ずいぶん遠くから聞こえた気が、した。


「……おい、禎理、……禎理!」

 聞き知った声に、禎理は慌ててその目を開いた。

「大丈夫か?」

 大分晴れた朝靄に、大円の姿がおぼろげに見える。

「あ、はい」

 どうやらすっかり眠ってしまったようだ。

 禎理は慌てて起き上がろうとして、まだ手足を固定されたままだったことに気付いた。

「昨夜は大変だったようだな」

 辺りを見回しながら大円が呟く。

 同じように辺りを見回すと、昨夜九七一が伸した学生達がまだあちこちに倒れているのがはっきりと見えた。

「ええ、まあ」

 どうやら九七一は、禎理の望みを叶えてくれていたようだ。禎理はほっと安堵の吐息をつくと、傍で眠っている九七一の頭を軽く撫でた。

「とりあえず、こっちの不手際は謝るよ」

 禎理の足枷を外しながら隊長が呟く。

 どうやら学生達は、禎理の見張りをする平騎士まで買収していたらしい。

「ま、これに懲りて、次からはもう少し大人しくなってくれることを望むが」

 そうすればこっちの仕事も少しは減るのだがなと、苦笑する隊長。

「それは……確約できませんが」

 また今日も、天楚は賑やかになりそうだ。

 人が増えていく広場をぐるりと眺めてから、禎理は隊長に向かって曖昧に笑いかけた。

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