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永遠の少女

 複数の足音が、遠くへと向かう。

 その音が消えてから、禎理ていりは大きく息を吐いた。

〈うまく、まけたか〉

 市街地にびっしりと林立する家々の隙間に無造作に置かれたガラクタの間から、そっと明るい方を窺う。

 ……良かった、誰も居ない。しかし油断は禁物だ。場所が場所なのだから。

「……ふぅっ」

 もう、帰ろうかな。そんな考えが、頭に浮かぶ。だがすぐに、禎理は弱気な考えを振り払った。

「探して欲しい、子がいるの」

 思い詰めた表情で、天楚てんそ市の歓楽街である一柳ひとつやなぎ町の遊女四葉よつばが禎理の下を訪ねて来たのは、昨日のこと。二年ほど前に行方不明になった妹分を探して欲しい。それが、四葉の頼み。

「でも、それって……」

 突然の依頼に、訝しむ。四葉の妹分の一人であったその子のことは、二年前にも随分探した。それなのに、今更、何故?

「見たって人がいるの。つい最近のことよ」

 思い詰めたような声が、禎理の耳に響く。

 その声に促されるように、禎理は天楚の街中へと向かった。

 だが。

 四葉の客が言っていた、妹分を見たという場所は、天楚の大学町。しかも医学部の学生達が集まっている場所だった。

 天楚大学の学生とは学部を問わず度々いざこざを起こしている。大学生が市民に対して色々と嫌がらせやちょっかいをかけているのを窘めているだけ。それが、禎理の言い分だが、大学生側は勿論そうはみていない。禎理を目の敵にしているのは、先程出会っただけで追いかけられたことからも明らかだ。

 図体は大きいがまともな剣術訓練を受けていない大学生二、三人が相手ならば、小柄でも武術の免許皆伝を受けている禎理なら易々と勝利することができる。だが、天楚の法は喧嘩両成敗。いや、金と地位にものをいわせることができる大学生側は罰せられないことの方が多い。そんな貧乏くじはなるべく引かない方が身の為だ。

 しかしながら。探し物を頼まれているのに、これでは、探せない。やはり断れば良かったか。そんな考えが脳裏を過ぎる。いや、おそらく絶対、あの四葉の、何時になく真剣な瞳に対して、断りの言葉は口にできなかった。

 一度承諾したのなら、最後までやり遂げるのが冒険者の務め。禎理はほっと息を吐くと、暗がりからゆっくりと立ち上がった。

 と。

〈……む?〉

 視線を感じ、思わず身構える。だがすぐに、禎理はその構えを解いて上を見た。

 家の壁に切られた窓から、白いカーテンが少しはみ出しているのが見える。その影の向こうにあったのは、間違いなく。

「あの子だ」

 少し見ただけで、カーテンの側に居たのが四葉の妹分だと分かる。

 禎理は素早く家々の影から飛び出すと、カーテンが掛かっていた家の玄関扉を強く叩いた。

 大学街の中だから、おそらくこの家の住人も大学生に違いないが、今はそんなことに構っている場合ではない。

 だが、禎理の焦りに似た気持ちに反し、扉は中々開かなかった。

 留守か? こっそり忍び込むか? そう考える前に扉のノブを回す。禎理の予想に反し、扉は易々と開いた。

 そして、扉の先に居たのは。

「あ……」

 暫し、声を失う。

 禎理の目の前には、確かに、四葉の妹分である少女の姿が、有った。

 しかも二年前と全く変わらぬ姿で。

 訝しみながらも、無表情の少女に向かって手を差し伸べる。

「帰ろう。四葉が待ってる」

 だが、少女は無表情に禎理の手を見詰めると、次の瞬間にはくるりとスカートの裾を翻した。

〈え……?〉

 少女の行動に驚くより先に、背中を向けた少女の右腕を強く掴む。右掌から伝わってきた、人間とは思えないほどの冷たく硬い感覚に、禎理の戸惑いは最高潮に達した。

 次の瞬間。少女の腕を引っ張っていたはずの力が、行き場を失う。

「……はいっ?」

 素っ頓狂な声を上げた禎理の手に残ったのは、掴んでいた少女の腕、だった。


 そして。……少女の姿は、何処にも見えない。


「……何だったんだ、一体?」

 何度目かの呟きが、禎理の口から漏れる。

 少女の姿を見失ってすぐ、禎理は少女の腕を持って、天楚の治安を司る平騎士隊の詰め所へ向かい、ありのままを話した。

 だが、話を聞いてくれた平騎士の返答は「それで?」。腕だけは「調べてみる」ということで受け取ってはくれたが、それ以上何も訊かず、さりとて禎理を責めるでもなく、そのまま詰め所を追い出されてしまったのだ。

 何となく、すっきりしない。

 悪戯だと、思われたのか。確かに、血も出ていない、ミイラのような腕を見せられたところで、平騎士の方も戸惑うしかないだろう。墓地に行かずとも、そのようなモノは結構街中に転がっているのだ。天楚の治安が特別に悪いわけではない。それが、普通の街の普通の光景。

 それとも。……やはり、平騎士隊でも、大学と大学生には逆らえないのだろうか。情けない話だが、平騎士よりも大学生の方が身分が高いのだ。

 だが、しかし。……あの少女は、確かに、四葉の探していた少女だった。

 もう一度あそこへ行って、確かめなければ。強くそう、思う。

 しかし、今日は。……あそこへもう一度行く勇気は、禎理には無かった。


「……おう、禎理」

 聞き知った声に、引き摺る足を留める。

 何時の間にか、天楚の中心部である広場に着いていたようだ。夕方だというのに明るくさざめく空間が、禎理の周りにあった。

 その空間の一角、粗末な木の柱に布の屋根を付けた、食い物を売る屋台の一つから、手招きが見える。あれは、……金衡かねひら教授だ。

「禎理、こっちだ」

 手招きのままに、屋台に入る。金衡教授の隣に座ると、酒を飲んで赤い顔がにっと笑った。

 金衡教授は、天楚大学の自由七科に所属する言語学教授であるが、普段の言動には全く教授らしい威厳がない。だが、威張ってない分、天楚市民の中ではダントツの人気を誇っている教授である。古代の文字である『嶺家れいか文字』を研究することに情熱をかけており、嶺家文字を知っている禎理の後見人でもある。

「禎理にも酒……は飲まんかったな。じゃあ、肉」

 教授の声に、すぐに禎理の目の前に湯気の立った皿が置かれる。

 大学生のみならず、貴族階級の生意気な若者達と市街でしばしばトラブルを起こしている禎理は、一柳町以外で酒を飲まないようにしている。飲んでも判断力に衰えがないよう訓練を受けてはいるが、用心の為だ。それを知っている教授の言葉だけに、禎理は教授に一礼するとすぐ、皿の中の肉にかぶりついた。

 ふと、金衡教授の服に目が行く。教授の、質素だが作りは良い服の袖が、少しだけほつれている。胸のボタンも一つ足りないようだ。

「教授」

 ベルトに付けているポーチの一つから針と糸を取り出し、ほつれた袖口を繕う。あいにくボタンは持ち合わせがないので、これは明日までそのままだ。

「おう、ありがとう」

 金衡教授の感謝が、くすぐったい。教授にはこれまで、幼い時の後見人のみならず様々な世話をして貰っている。これくらい恩返しの内にも入らない。

「いやな。最近雇った家政婦が急に来なくなってな」

 妻の居ない教授は、友人のつてで家政婦を雇い、自分の身の回りと学生の世話を任せている。つい最近も、夫を亡くしたばかりで困っている子持ちの未亡人を雇い入れたばかりだと聞いてはいたが、その家政婦が来ていないとは。

「大変なんだろうよ、きっと」

 訝しむ禎理の横で、屋台の親父がだみ声で言う。

「自分のこともあるし、子供のことだってあるだろう」

「だろうな」

 大変だが、しばらく様子を見ると教授が言う。

 その決意は崇高だが、毎日の生活はどうするのだろう。そう考え、禎理はふっと笑った。

 ……自分が、行くか。


 と、いうことで。

 早速、酔いつぶれた金衡教授を、禎理は教授の家まで運んで行った。

 天楚の広場から教授の借りている部屋までは、少し遠い。だから一柳町に帰る時には、既に辺りはとっぷりと暗くなって、いた。

 大通り沿いの家々に灯された常夜灯の蝋燭の炎が、心細く揺れる。

 天楚市の夜警で慣れているとはいえ、やはり、夜は怖い。禎理ははっと息を吐くと、足をやや速めた。

 と。

 微かな高い悲鳴に、はっと足を止める。

 声のした方に目を向けると、闇の向こうに、喘ぐように上下する影が、あった。

「どうした!」

 大急ぎで駆けつける。

 禎理の言葉に、力なく倒れていた影が、微かに動いた。

 女の、人だ。影からそう、気付く。服装から察するに、非合法の街娼だろう。血が、街路に零れているところをみると、かなりの深手を負っているらしい。

 天楚の法と、一柳町の規則に反するが、怪我人を放ってはおけない。禎理はその細い肩に女の人を担ぎ上げると、全速力で一柳町へと向かった。

 一柳町の冒険者宿、三叉さんさ亭の二階には、診療所がある。そこなら、何とかしてくれるだろう。


 次の日の朝早く。

 禎理は突然、平騎士隊の隊長大円たいえんに呼び出された。しかもご丁寧にも、呼び出しの使者は平騎士隊三人。

 その平騎士達に半ば引き摺られるように連れて行かれたのは、一柳町近くの小路だった。

「よう、来たか。おはよう」

 禎理を引っ張ってきた平騎士達の表情はきつかったが、隊長である大円はいつも通り飄々としている。これなら、厄介なことは起こらないだろう。迎えに来た平騎士達の表情に何かただならぬものを感じていた禎理は、平騎士達を下がらせた大円の横に立ってほっと息を吐いた。

 だが。

「ここで昨日何をしていた?」

 突然変わった大円の口調に、背筋がピンとなる。

「ここ……?」

 くるりと見回して、はっとする。……ここは、昨夜怪我をした街娼を見つけた場所ではないか。

「今朝方、この近くで女性と子供の死体が見つかった。……殺されたばかりのな」

 殺されたのは、未亡人とその子供。両方とも、背後から殴られて昏倒させられた上、首を刃物でばっさりと切られていた。そして子供の方は、右腕が無くなっていた、そうだ。

 大円の話に、ぞっとする。もしかすると、その未亡人は、金衡教授の家政婦ではないだろうか。多分そうではないだろうが、彼女がこのような目に遭う可能性も十分あるのだ。

「あ、勿論、禎理を疑っている訳じゃない」

 何も言わない禎理の頭上から、大円の声が降ってくる。

「三叉亭の六徳りっとくと、あんたが診療所に運んだ女から裏付けは取っている。……ただ」

 ここで大円は、一拍おいて息を吐いた。

「禎理らしき人物が、女を襲っていたというタレコミがあった」

「はいっ?」

 何故? 思わず首を傾げる。

 確かに自分は昨夜、この近くを通りかかった。だが、怪我をした女の人を助けただけで、それ以外のことは何もしていない。

「まあ、俺はあんたが女を襲うとは考えられんと思っているから、安心しな」

 どういう根拠だ……? 大円の言葉に、禎理は別の意味で再び首を傾げた。

 それはともかく。

「ここを通った時、何か見たか?」

 大円の問いに、首を横に振る。暗かったし、女の人を助けるのに気を取られていて、それ以外のことに気を配っている余裕は無かった。だから、何か見ていたとしても、覚えていない。

「そうか」

 禎理の答えに、大円がふっと笑う。

「済みません、力になれなくて」

「いや」

 禎理の言葉に、大円は首を振った。

「実はな、犯人の目星は付いているんだ」

 二人の身体からは血が抜かれており、女性の死体の側には、頭蓋から中身を抜く道具が落ちていた。子供の腕の切り口も鮮やかだったところから、犯人は人の身体を知り尽くした手慣れた者――医者や医学生――であることは、素人でも見当が付く。

 禎理が助けた女にも、後頭部に死者と同じ傷がついていたからおそらく、彼女を襲ったのは同じ人物又はグループだろう。彼女から事情を聞けば、もっとはっきり犯人像が見えてくると思われる。

「それにな」

 舌打ちしながら、大円は話を続ける。

 その口調には、苦々しいモノがはっきりと、みえた。

「関係ないかもしれないが、実は、行き倒れの死体を欲しがっているんだ、医学部が」

「えっ」

 突然の言葉に、呆然と、大円を見上げる。

 確かに、人の身体を診る医者が、身体の中を知る為には、人の身体を解剖する必要があるだろう。だが、相手はあの『医学生』だ。天楚市内を威張って歩き、酒に酔わなくても市民に狼藉を働く奴らだ。

「それが、『医学の進歩』に役立つのであれば、俺は何もいわん。だが、大半の大学生の奴らを見ているとな、疑いたくなるんだよ。こいつらに渡したら、何するか分からん、とな」

 大円の話に、背筋が震える。

 大円の言う通り、彼らに死体を渡したらどうなるか、見当も付かない。死体を冒涜するかもしれないし、悪くすると『自然の理』に反することをするかもしれない。それは、絶対にしてはいけない。

「悪かったな、こんな話をして」

 もう帰って良いぞ。大円のその言葉に、禎理は一礼してその場を去った。


 二、三日後。

 禎理は再び、あの医学部の町に居た。

「済まんな、禎理」

 禎理の前で、赤いマントが揺れる。金衡教授だ。

「一人で医学部街には行きたくなくてな」

「いえ……」

 教授の言葉に、首を横に振る。

 天楚市民と大学生の間には蟠りが燻っているが、大学内でも色々な相克があるらしい。特に、金衡教授が所属する自由七科の教養学部と専門学部である医学部・法学部の間には、昔から見えない序列――教養学部よりも専門学部の方が偉い――があるらしい。

 馬鹿な話だ。そう、禎理は思う。医学だって法学だって、自由七科がないと成り立たない学問なのに。しかし、対立は現実にある。血気の多い若者のことである、対立があればいつそれが暴走してもおかしくない。だから金衡教授は、医学街で会議がある時にはいつも、自分の学生の一人を護衛代わりに連れて行く。今日はたまたま学生が皆忙しかったので、禎理が代わりに付いているのである。……まあ、外ならぬ金衡教授の頼みだから、しかたがないのだが。

 本当は、大学図書館に籠もって本を探すつもりだったのだが。揺れるマントを見詰めながら、静かに少しだけ溜息をつく。先だっての平騎士隊の隊長大円の言葉で思い出し、確かめたいことがあったのだ。

 古代の埋葬儀式に、頭蓋の中身を抜くというものがあったと、昔何処かで読んだ気がする。その本の近くには確か、呪文を用いて『動く死者』を作るという禁断の術について記述された本があったことも覚えている。そのような呪術には、新鮮な血が必要だということも、そして時には、腐り易いという死体の弱点を補う為に身体の部位を補充し、繋ぎ合わせる方法についても、それらの本に記述されていたはずだ。

 こんなこと、何に使うんだ? この類の本を読んだ時に感じたのは、疑問と侮蔑。

 しかしながら。

 まさかとは思うが、未亡人を襲った犯人が呪術を使って何かしようとしているのかもしれない。いや、もう何かしてしまったのかもしれない。と、すると、この町で見かけたあの少女は、もしかすると。考えれば考えるほど、思考は悪い方へと向かっていく。

 いけない。禎理は全ての思考を振り払うように、頭を強く振った。

「今日はもう終わりだから、また屋台で奢るぞ。肉が良いか?」

 不意に、教授が振り向く。

「あ、はい」

 禎理は咳き込むように教授の言葉に頷くと、頭を切り換え、護衛の役割を果たす為に静かに辺りを見回した。

 学生が浮かれ騒ぐ時間はもう少し後らしい。医学街のメインストリートからは少し離れた通りは、午後遅くの所為か閑散としている。

〈……あれ?〉

 見たことのある家々の形に、はっとする。

 ここは……あの少女を見つけた件の家。

「あの、教授」

 マントを引っ張り、教授を止める。

「この家、どなたの下宿かご存じですか」

「ん? ……ああ」

 上の階で揺れる白いカーテンを目にした金衡教授は、しばらくして徐に禎理の問いに答えた。

「ここは確か、北方の貴族の持ち物の筈だ」

 貴族や大商人が、慈善や領民育成の為に大学寮を設立することは珍しくない。この建物も、そんな貴族の一家がお金を出して運営している寮の一つであるらしい。

「今は確か……領主の一人息子が来ている筈だ。親と一緒に挨拶に来たことがある」

 金衡教授がそう言うより早く。

 玄関から、件の少女がぴょんと跳びだしてくる。

「あっ!」

 少女が禎理の方を向くより早く、禎理は少女の小さな身体を抱き締めた。

 前とは違い、少女の身体は温かい。しかし、何故か何処か違和感がある。

 何だ、この違和感は? 禎理が小首を傾げた、まさにその時。

「誰だ、お前!」

 不意に禎理を、鋭い影が襲う。

 少女を放し、間一髪で避けた禎理の身体ギリギリを、レイピアの鋭利な光が通り過ぎた。

 身体を落とし、レイピアから十分離れてから、顔を上げる。

 目の前にいたのは、白皙の青年。どうやら、金衡教授の言っていた『貴族の一人息子』らしい。そして、少女を乱暴な仕草で庇う青年の後ろには、レイピアを構えた黒衣の青年が、居た。

「禎理!」

 一触即発の禎理と青年二人の間に、金衡教授が割って入る。そして赤いマントで禎理を庇うと、教授は青年二人に向かって頭を下げた。

「私の従者が、無礼をした」

 教授……。そう叫ぼうとした禎理だが、すぐに口を閉ざした。

 見回さなくとも、周りの空気は青年達の味方であることが、分かったから。

 何時の間にか、通りには医学生が溢れている。医学生だけではない。群衆には助手や教授陣も混じっていることが、服の形から判別できた。

〈ちっ……〉

 内心、舌打ちする。少女が、四葉の探している少女が、ほんのすぐ側に居るというのに、何もできないとは。だが、ここで下手に動くと、此処に居る全ての学生が禎理に襲いかかってくるのは目に見えている。金衡教授にも、迷惑がかかる。

 だから。

 禎理は俯くと、金衡教授のマントに隠れるように、そっと医学部街を後にした。


 その日の、夕方。

「四葉を見なかったか?」

 夕食を取る為に三叉亭に入った禎理を待っていたのは、六徳のこの言葉。

 どうやら、昼間店を出て行ったきり、今になっても帰って来ないというのだ。責任感が強い四葉としては、これは異常事態だ。

〈……まさか〉

 妹分に似た少女に逢ったことを、禎理は四葉に話していない。

 おそらく、禎理の捜査が遅々として進まないのに業を煮やし、自分で医学部街に確かめに行ったのだろう。

 いやな予感が、する。

 禎理はくるりと踵を返すと、三叉亭を飛び出した。


 夕方の街を、奔る。

 すぐに、件の医学生の家が見えてきた。

 幸いなことに、学生達の姿は全く無く、玄関の扉も開いている。

 禎理は何も考えず、その家へと飛び込んだ。

 次の瞬間。

〈……これは〉

 微かな血の臭いに、はっとする。

 医学生の家だから、血の臭いがするのは当たり前? いや、違う。医学部の授業は、古代に書かれた医学についての書物を読むことが大半だ。それに、教場ではない、個人の家に、人の血の臭いがこんなに満ちているはずがない。

 どこからの臭いだろう。空気を嗅ぎながら、ぐるりと辺りを見回す。

 有った。地下室からだ。禎理は静かに一歩ずつ、濃い血の臭いの方へと歩を進めた。

 と。

 いきなり、背後から殺気を感じる。

〈危ないっ!〉

 一瞬で避けると、先程まで禎理が居た空間を太い棒が薙いだ。

 見つかったか。舌打ちしつつも、迎撃態勢を取る為に振り向く。が。

〈……あ〉

 振り向いた勢いで、床の敷物の端に足を取られる。

 しまった。そう思う間も無く、禎理の意識は黒く塗りつぶされた。


 冷たい空気に、はっと目覚める。

 暗い空間に、濃い血の臭いが、あった。

 ここは……痛む頭を、何とか動かす。件の家の、地下室、か?

 後ろ手に縛られ、身体にきつく食い込む縄が、痛い。少しでも楽になろうともがくと、顔が板張りの床に激突した。

「むぅ……」

「誰?」

 禎理が呻くのと、高い声が聞こえたのが、ほぼ同時。

 この声、は。

「四葉?」

 声の方に、呼びかける。

 空気が動いたのが、はっきりと分かった。

「四葉! 大丈夫? 怪我は無い?」

 禎理の予想通り、四葉は妹分を探しに来ていたようだ。

 頑張って、四葉の方へと這って行く。

「大丈夫」

 声からすると、酷い怪我はしていないようだ。だが、気配から察するに、四葉の身体もきつく縛られているらしい。

「ちょっと待って、縄緩めるから」

 暗闇を見透かして、四葉を縛る縄を見つける。その縄を、禎理は口で咥え、縄が弛むように上手く引っ張った。

 その甲斐あってか。

「あ。……解けてきたわ」

 幾分安堵の混じった四葉の声に、ふっと息を吐く。

「禎理のも、解くわね」

 今度は禎理が四葉に背を向ける番だ。くるりと身体を回す。

 禎理の足に、冷たい壁が当たった。

 この壁は、……普通の壁ではない。禎理がそう思った、まさにその時。こつこつと、こちらに向かってくる足音が聞こえてくる。

「禎理!」

「しっ!」

 声だけで四葉を制すと、禎理は近づいてきたランタンの光に正対した。

 光の向こうに見えたのは、白皙の青年と黒衣の青年。

「大人が二人、ですが、どうします」

 黒衣の青年が、白皙の青年に丁寧な言葉をかける。どうやら彼は、白皙の青年の従者らしい。

「一度に使うともったいない」

 白皙の青年の声が、暗い空間に冷たく響く。

 何を、話しているのだろう。小首を傾げた禎理だが、すぐに、その真意を理解する。

「これで、しばらくは街で血を集めずに済むのだからな」

 彼らが、未亡人とその子供を襲い、血を抜き取った犯人だ。そして、このままだと、禎理と四葉も、未亡人達と同じ道を辿るのは自明の理だ。

 不意に、黒衣の青年が手にしていたランタンを上に挙げる。禎理の後ろになっていた冷たい壁が、その鈍い光を反射してきらきらと光った。 これは……氷の、塊? 頭が理解するまでにしばらく時間がかかる。しかし、間違いない。禎理の座高ほどの高さがある、巨大な冷たい塊が、禎理の背後にあった。北の貴族の息子だから、貴重な氷を手に入れるのは朝飯前、なのだろう。

 そして、その塊の上に居たのは。

「……あれは」

 禎理に身体を預けている四葉が息を呑むのが、はっきりと聞こえる。氷の塊の上に居たのは、禎理がこの家の玄関先で見かけた少女。四葉の妹分、だった。

 まさか。……これも、予想通りだというのか? 古代の本に書いてあったように、彼らは死体に血と呪文を施し、『自然の理』に反する『動く人形』を作ったというのか?

「一人ずつ使いたいが、どちらが良いか?」

 禎理の驚愕には構わず、二人の男は淡々と話を続けている。このままでは、殺されるがオチだ。それは、嫌だ。

 幸いなことに、禎理を縛っていた縄が弛んでいることに、青年達は気付いていない。……逃げるなら、今だ。

 自分から離れるよう、肩で四葉に知らせてから、そっと足を整える。次の瞬間。禎理はいきなり立ち上がると、黒衣の青年の顎に拳を叩き込んだ。

「うっ!」

 身体が傾いだ拍子に、黒衣の青年の手からランタンが落ちる。

 急に暗くなった空間で、禎理は今度は白皙の青年の腹に蹴りを入れた。

「四葉!」

 白皙の青年が、声も上げず倒れる。もう一度、呆然とする黒衣の青年の腹に拳を叩き込んでから、禎理は四葉にその手を差し出した。

 だが。四葉は、動かない。

「四葉!」

 もう一度叫ぶと、四葉は禎理の方を見、そして氷の塊の上を指さした。

 その行動で、理解する。

 禎理はふっと息を吐くと、塊の上に寝かされていた少女の身体を担ぎ上げた。


 そのまま、倒れ呻いている青年達の脇をすり抜け、家の外へと出る。

 左腕には、ぐったりとして動かない少女の身体。右手で引っ張っているのは、温かい四葉の手。

 少女に掛けられた呪力は、切れている。左腕に染み込む冷たい感覚に、心が痛む。四葉に、このことをどう説明すればよいのだろうか? 右手の感覚が、禎理の心を揺らした。

 だが。

 医学部街を抜けてしばらく行った所で、不意に四葉が禎理の前に出る。そして禎理の腕から少女を半ば強引に取り上げると、足を下にして少女を立たせようと、した。だが勿論、生気のない少女が自力で立てるはずがない。四葉の腕を離れ、倒れる少女の身体を、禎理はそっと受け止めた。

「……どうして」

 そんな禎理の耳に、呆然とした四葉の声が響く。

「どうして……。夕方見た時は、ちゃんと歩いてたのに」

 少女を抱き締めたまま、四葉を見詰める。

 泣いている、ようには見えない。だが、声は確かに泣いていた。

「どうして……どうして……」

 禎理が抱き締めている少女の、柔らかい髪を、四葉の細い指が撫でる。

「四葉……」

 何も、言えない。かけるべき言葉が、見つからない。

 禎理はそっと、四葉と少女を抱き締めた。

「ちゃんと、葬ろう。安らかに眠れるように」

 やっとのことで、それだけ囁く。


 禎理の言葉に、四葉が微かに頷いたのが、救いだった。

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