隣、に
〈……女の子、にしか、見えない〉
それが、須臾が禎理と初めて出会った時の正直な感想、だった。
須臾より年上には絶対に見えない、丸い童顔に、肩に掛かる灰茶色の髪。須臾より低い背の、華奢な身体から伸びる手足も、少年のものより少女のものと言った方が良い代物だ。胸が無いことさえ何とかすれば、初めて見る人で禎理を「男」だという者は居ないだろう。こんな人が、この天楚市でも一、二を争う武術道場『無限流』に居て、なおかつ有望な若者と言われていることが、須臾には不思議でならなかった。
須臾の苛立ちには、おそらく、須臾自身の事情も入っている。母こそ、天楚でも最高の家柄の一つである六角公の出だが、父は市の財務を司る文官の一人に過ぎない。須臾自身も、学問が好きで、将来は父と同じように市の文官になるものと思っていた。だが。母方の叔父である六角公に跡継ぎとなる男子がおらず、須臾が六角公の後継者と定められてからは事情は一変した。文官ではなく騎士になる為に半ば無理矢理この道場の寄宿生となり、不得意な武術を習わなければならなくなったのだ。六角公は尊敬しているし、その後継者となったことは誇らしく思っている。だが、……人を傷付けるような技など、習いたくはない。その苛立ちが、道場の寄宿舎で同室となった禎理に当たってしまっているのだと、理性では分かっているのだが。
〈何故師匠は、こんな奴と私を同室にしたのだろう?〉
同じ寄宿生だが、禎理には両親も有力な後見人もおらず、武術を教えてもらう代償に掃除や洗濯や炊事といった道場の雑用を引き受けている。しかも身分は最低の、大陸を放浪し物乞いをする『流浪の民』出身であるらしい。そんな奴と、同室とは。須臾の苛立ちは、同室であるにも関わらず禎理と一切口を利かないほどであった。
そんなある日。
「お、禎理が居るぜ」
道場と寄宿舎を繋ぐ渡り廊下を歩いていた須臾は、兄弟子達の声にはっと顔を上げた。廊下から見える中庭で、一生懸命に盥の中の洗濯物を洗っている禎理の後ろ姿が、南中した日差しの中で眩しく映った。
「お前みたいな奴がここに居るとはな」
「物乞いの身分のくせに」
禎理の背中を、兄弟子達が小突く。だが。須臾の見ている前で、禎理はすっと立ち上がり、兄弟子達をしっかりと見据えて言った。
「自分は、『流浪の民』出身であることを誇りに思っている」
「なっ」
あまりにもはっきりとした禎理の言葉に怯んだのは、兄弟子達の方だった。そして。須臾も、禎理の言葉にはっとなった一人だった。言葉にはしていないが、自分も、兄弟子達と同じく禎理を見下していた。だが、……身分なんて、関係ない。今のこの状況ですら、見た目も身分も良い兄弟子達より、劣る禎理の方が立派に見えるではないか。
「ん、あれは」
「須臾じゃないか」
不意に。禎理に削がれた兄弟子達の矛先が須臾に向かう。
「あいつも、六角公の後継者と言いつつ、父親は金を数えるだけのぼんくららしいぜ」
突然の兄弟子達の言葉に、顔が真っ赤になる。コイツらのような下卑た人間に、尊敬する父のことを悪く言われる筋合いは無い。須臾は思わず廊下から中庭へと一歩踏み出した。須臾のこの行動を、挑戦と受け取ったのだろう。兄弟子達が禎理から離れてこちらへ向かって来る。小山のような勢いの兄弟子達に恐怖を感じ、須臾はその場に立ち止まって、しまった。
その時。
「それは、許せない侮辱だな」
須臾と兄弟子達の間に、禎理が割って入る。須臾を庇うようにして兄弟子達を見上げる、その背中は、小さいくせに何故か頼もしく、見えた。
「なにおぅ!」
禎理の言葉に、兄弟子達が殺気立つ。いつの間にか、禎理と須臾は乱立する刃に囲まれてしまって、いた。練習用の木剣ではなく、本物の刃。その凶暴な煌めきに、須臾の全身はがたがたと震えた。
と。
「大丈夫だよ」
囁き声が、耳に入る。
「君の武術の素養は、コイツらなんかよりずっと良い。稽古を見ていて、いつもそう思ってた」
途端に。全身の震えが、止まる。禎理の言葉が本当であるかどうかは、分からない。それでも、自信に繋がったのは確かだ。
「ちょっと荒っぽくなるけど、良いよね」
背中を向けたままの禎理の言葉に、頷く。
生涯抜かないだろうと思っていた、腰に留めた剣の柄を、須臾はぎゅっと握りしめた。
結局。兄弟子達の喧嘩は、それからすぐに、師範代によって止められた。
「良かった」
師匠にも師範代にもさんざん怒られた後で、禎理は須臾に向かってにっと笑った。
「怪我が無くて」
その笑顔が、須臾には別の意味で不思議でならなかった。
それからの須臾は、禎理のことをもう少し深く知るように努めた。
小柄な身体を活かした短剣術が得意であることも分かったが、それよりも、「文字が書け、計算が出来る」という、禎理の階層では、いや、道場にいる騎士階級でも両方出来る者はいないだろうと思われる珍しく高い知性が持っていることが、須臾には驚きであった。しかも普段使われる「共通語」だけでは無く、古代の言語である「嶺家文字」にも詳しいという。
武術の稽古の後、時間があれば、禎理に乞うて古代の文字を教わっている。そういう楽しみがあり、また禎理が常に心がけているように「大切な人を守る」為ならば、武術を習うのも悪くはない。晴れやかな気分で、須臾は心からそう、思った。