模糊、恋文を書く
天楚地方に冬が来て雪が降り積もるようになると、春が来るまでしばらくの間街の活動は城壁内のみに限定される。
それ故に思うような活動ができなくなる天楚の冒険者達は、『雪の積もらない南へ行って冒険者をする』か『天楚に留まって冬ごもりをして暮らす』かを選択し、そして殆どの者が南へ向かって去っていった。
しかしながら、『天楚市に残る』という選択をする冒険者も少なからず存在する。禎理は、そんな数少ない冒険者の一人だった。
しかし、ただ寝ているだけでは冬は越せない。街で暮らすには金がかかるのだ。だから禎理は、生活費を稼ぐ為に、一柳町の自分の下宿で冬の間だけ代書屋を開き、文字が必要な雑用をせっせとこなすことにしていた。
その日も模糊は、きゃんきゃんと耳に響く声で目を醒ました。
「……でね、今度はいつ来てくれますかって書いてぇ……」
小さい火が燃える暖炉の側では、少しがたついた机の上に自作のペンやインクの入った筆記用具入れと色々な種類の紙を広げた禎理が、派手な髪の結い方をした女と話していた。
「来てくれるのを楽しみにしてます、って続けて」
一柳町は官許の歓楽街であり、色町でもある。だから禎理の仕事は、遊女が客に宛てて書く恋文の代筆が大部分であった。
天楚市では、『大陸共通語』と『天楚語』が主に使われている。そのうち、『大陸共通語』はその簡便さの為読み書きできる者が多いが、『天楚語』の方は角張っていて難しい『嶺家文字』を用いて筆記される為、会話ができても読み書きができる者はかなり限られている。しかし、天楚市の知識人の多くは、『大陸共通語』は野蛮だと小馬鹿にし、優雅さがにじみ出ていると賞賛されている『天楚語』を好んで読み書きに用いている。だから、そういった階級の人達を客に持っている遊女達は多少割高でも『嶺家文字』の読み書きができる禎理に手紙の代筆を頼みに来るのだ。
今禎理の目の前にいる女もそんな遊女の一人で、名は四葉といった筈だと模糊は記憶していた。
模糊は一つあくびをすると自分の寝床から床に飛び降り、禎理の身体をよじ登ってテーブルの上にその身体を乗せた。
「あら、模糊」
四葉は模糊に気付くと、いつものように模糊の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
つんとくる香水らしき匂いが模糊の鼻をくすぐる。
「おはよう、模糊」
禎理が暖炉の上で温めていた煎餅を渡してくれる。それをがしがしとかじりながら、模糊は紙の上で動く禎理の手を見つめた。
「……あ、あと、春祭りの無心も……って、それはちょっと早いか」
四葉の言葉に合わせて、禎理の羽根ペンを持った右手が紙の上ですらすらと動く。その動きによって紙の上に黒い文字が次々と浮かび上がる光景を、模糊はうっとりと眺めていた。
「あ、そういえば、あたし女将さんに頼まれてたことがあったんだ」
不意に四葉が立ち上がる。
「お昼に取りに来るから、あと適当に書いといて」
四葉がばたばたと立ち去るのと入れ替わりに、今度は別の遊女がまだ封をしたままの手紙を持って入ってきた。
「ねえ、禎理、これ、読んでもらえないかな?」
それから昼過ぎまで、禎理は恋文を書いたり読んであげたりする他に、役所に出す公式文書や客達に出す私的な手紙の作成を手伝った。
「……さて、と」
やっと仕事が一段落つき、うーんと背伸びをする。
と、その時。
「禎理君、ちょっといいかな」
落ち着いた声と共に、一柳町の町役の一人が部屋に入ってきた。
「何でしょうか」
禎理は男に椅子を勧める。
「いや、ちょっと急ぎの用なんだ」
しかし男は立ったまま言葉を口に出した。
「すまんが、少し帳簿を見てくれんか」
男の話によると、明日役人に見せる予定の帳簿内に数字が合わないところがあるらしい。確かに、帳簿の計算が合わないのは緊急事態だ。
「分かりました」
そう言ってから、禎理はちらりとテーブルの上を見た。
テーブルの上には手紙が一つ。朝四葉が頼んでいったものである。だが、昼に取りに来ると言っておきながら未だに何の音沙汰もなかった。
〈……まあ、いいか〉
四葉のことだから、テーブルの上に置いておけばたとえ禎理が不在でも勝手に持って行くだろう。
寝床でうとうとしている模糊をそっと撫ででから、禎理は男の後について部屋を出た。
禎理がいなくなってから、狸寝入りをしていた模糊はそっとテーブルの上に昇った。
筆記用具のセットが無造作に置き去りにしてある。
模糊は前々から、禎理のように手紙を書きたくて仕方なかった。
もちろん、模糊は字を知らない。しかし、手紙を書けるようになれば禎理の手伝いができてきっと禎理は喜ぶだろう。そう思った模糊は、いつか手紙を書いてみようと機会を狙っていたのだ。
筆記用具入れの下から新しい紙を引っ張り出し、テーブルに広げる。テーブルの上に置いてあった紙が一枚落ちたような気がしたが、模糊は無視した。これからやることにわくわくしていた。
羽根ペンを一本取り、紙の上に陣取ってペン先を下ろす。禎理の作った羽根ペンは軽かったが、模糊の背丈より長かったので時々ひっくり返りそうになる。しかし、ペンを動かした後にはちゃんと『字』らしきものが書けている。
時々ペン先をインク壺にぴちゃぴちゃと浸しながら、書くことが楽しくなった模糊はあっという間に『手紙』を紙一枚分書いてしまった。
〈ふうっ……〉
自分の『手紙』の書け具合に満足した模糊がペンを置いたまさにその時。
「禎理っ、ごめん、遅くなったぁ」
どたどたという足音と共に四葉が部屋に駆け込んできた。
「……あれ、いないの? あ、手紙は書いてある」
模糊が呆然と見ている前で、四葉はテーブルにあった『手紙』をひっつかむとそのまま来たときと同じような騒々しさで部屋を去っていった。
禎理が自分の部屋に帰ったのは、その日の午後遅くなってからだった。
「ただいま、模糊。……あれ?」
帰ってすぐに、テーブルの下に落ちていた手紙に気付く。それは確かに、禎理が四葉用に書いたものだった。
〈まだ取りに来てないのかな?〉
禎理が首を傾げていると。
「あ、禎理、いた!」
当の四葉が封をしたままの手紙を持って現れた。
「今日の返事がもう来たんだ」
「へっ?」
手紙を出していないのに何故返事が来る? 当惑して思考が混乱してしまった禎理は、とりあえず読んでみようと押しつけられた手紙を開いた。
一行目を読んで表情が一瞬固まる。
『……今日はどうしたの? 読めない手紙なんか送ってきて……』
手紙には確かにそう書かれていた。
「……ねえ、四葉、君はどこの手紙を持っていったの?」
動揺をしっかり押し隠してそう問う。
「え、テーブルの上のを取っていっただけよ」
禎理の問いに、四葉は至極当然な声で答えた。
では、何故こんな事になったのだろうか。再び首を傾げた禎理の視線が一点で止まる。そこにいたのは、体中にインクのシミを付けて得意満面な模糊、だった。
〈模糊……〉
心の中で頭を抱える。しかし、起こったことを正直に話すと禎理の信用はがた落ちだ。
「……あ、あのね、四葉」
とりあえずごまかそう。そう決心した禎理は何とか思考をまとめた。
「なんか、インクが滲みすぎてて読めなかったって」
「えーっ」
禎理の言葉に四葉の頬がぶっとふくれる。
「まあとにかく、もういっぺん書き直すから、それをもう一回持って行って」
「……分かった」
四葉の目の前で、もう一度手紙を書き直す。
もちろん、辻褄合わせの為に言い訳を二、三行書き足すことを忘れなかった。
四葉が去ってすぐ、禎理はかつて自分が練習したように、浅い箱に柔らかい灰を敷き詰めたものと細い棒を用意した。
そしてそこで模糊が文字を書く練習をすることは許したが、模糊が禎理自身の筆記用具を使わないよう、管理を強化することも忘れなかった。




