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風の日の夜

 森を抜けた頃には、日はもう既に西にとっぷりと傾いていた。

「……やれやれ、やっと抜けた」

 ほんの鼻先に村を認めてほっとする。

 ここ二、三日野宿が続いていたが、今日はちゃんとしたベッドで眠れそうだ。禎理ていりはうきうきした気持ちで村へと向かった。

 だが。

 あともう少しで村、という所まで来てはっと立ち止まる。村の入り口が、棘のある木を組み合わせた即席の柵で塞がれていたのだ。

 これは……!

「風の日!」

 禎理は思わず声をあげた。

 マース大陸で大昔から使われている嶺家れいか暦は、春分の日を年の初めとし、一年三六五日を一週十三日×二十八週+初日(春分の日)としている太陽暦である。週内のそれぞれの日には『この世界』の神々の名前がついており、その日を守護していると言われているのだが、『この世界』の古い神である『風神』だけは、昔は居たが今は「いない」ことになっており、この神の名前の付いた『風の日』は、神の守護のない、何をやってもうまくいかない日とされていた。更に、人を守護するといわれる『太陽の光』さえもなくなってしまう風の日の日没から新しい日を告げる真夜中の鐘が鳴るまでの時間は『風の日の夜』と呼ばれており、人に害をなす魑魅魍魎が跋扈する時間であると位置づけられている。

 だから、村人達は悪いものが入ってこないようにと村の入り口に柵を作り、夜が明けるまで家の中に閉じこもる。こんな時に村に無理矢理入ろうものなら、悪い魔物と間違えられて袋叩きに会うのがおちだ。

「……ま、仕方がない、か」

 自分に言い聞かせるようにそう呟くと、禎理は森の方へときびすを返した。

 村外れで何やら喋っている若者達に頼んでこっそりと村に入れてもらおうかとも思ったのだが、その考えもすぐに諦めた。

 若者がどんなに無分別でも、この日に他所者を入れるなどという酔狂なことをする筈がない。


 森の中は、いつもと変わらずしんと静まり返っていた。

 そんな中、禎理はいつものように手頃な寝場所を見つけると、少しの薪と枯葉で焚き火を作りほっと溜息をついた。

 ごろりと横になると、木々の間からきらきらと輝く星が見える。

 夜の森で見る星が、禎理は一番好きだった。

「『風の日の夜』なんていっても、全く何も変わらないのにさ」

 ふと本音が漏れる。

 一年の半分以上を野外で暮らしている禎理にとっては、『風の日の夜』と他の夜の違いなんて全くない。禎理はくすりと笑うとゆっくりと寝返りを打った。

 と。

「僕の円を潰さないで!」

 不意に、耳に羽音のような声が響く。

 禎理はびっくりして起き上がった。

「もう、気をつけてよ、禎理」

 声のしたほうに目を凝らすと、禎理の目の前に、掌に乗るほどの人型の妖精が、居た。

 その傍の地面には、半透明のサークルが確かにぼうっと浮かんで見える。

「これ消したら、僕が家に帰れなくなるんだから」

 背中の薄い羽を細かく震わせながら怒った声で妖精が言う。

「……分かった」

 人間から見ると理不尽に聞こえる妖精の要求だが、ここは森の中、妖精たちの領域である。

「ごめんな」

 禎理はそういうと、妖精の輪からずっと離れた所で再び横になった。

 先程まで横になっていた所に比べると寝心地は格段に悪いが、まあ仕方がない。

「ありがとう。『良い人間』さんだね」

 禎理の耳元で、羽音のような声が響いた。


 そのまま、どれくらい微睡んでいたのだろうか。

「……『良い人間』さん、大変!」

 切羽詰った声に、禎理ははっと目を醒ました。

 目の前には又あの妖精がいる。

「『悪い人間』がいる!」

 禎理の背後を指差して妖精がそう叫ぶ。

 禎理がゆっくりと振り向いた、ちょうどその時。

「わっ!」

 頭上から、棍棒のようなものが稲妻のような速さで降ってくる。禎理は地面を転がることで、その攻撃を何とか避けた。

 避けると同時に相手を見る。微かに見える背格好からすると、攻撃してきたのはまだ若い男だ。その目が異常に吊り上っているのが、月の光だけでもはっきりと分かった。

〈……狂ってる?〉

 禎理がそう思考する前に、男の持っていた棒が再び禎理を襲う。

 今度は短剣を抜くと、禎理は棒が振り下ろされる前に男の懐に入り込み、ありったけの力で急所を突いた。

 叫び声も上げずに倒れる若者。

「やったね、禎理」

 妖精の歓声には構わず、若者の胸に耳を押し当てる。

 鞘付きの短剣で殴ったのだから命に別状はないと分かってはいたが、耳に響く心臓の動きにほっとする。

 倫理ではなく感情的に、余り人は殺したくなかった。

 と。

 不意に、禎理の鼻孔を甘い匂いがくすぐる。この香りは……? 禎理が首を傾げた、丁度その時。

「大変!」

 三度目の妖精の悲鳴が禎理の耳に届く。

 顔を上げると、今度はずっと向こうのほうで妖精が騒いでいた。

「こっちにもいる、『悪い人間』!」

 その言葉に、禎理ははっとして立ち上がった。

 『風の日の夜』に若者が一人で森に入るはずがない。それに、あの甘い匂い。あれは何処かで嗅いだことがある。禎理は短剣を構えると早足で妖精の所へ向かった。

「こっち、こっち!」

 妖精の先導で森の奥へ向かう。

 不意に、あの甘い匂いが再び禎理の鼻を襲った。

「……やっぱり!」

 禎理の目の前には、切り刻まれた茸畑が広がっていた。

 月の光で薄桃色に輝くそれは、幻覚性のあるものだ。

 若者達はおそらく、遊び半分で茸を切り刻み、それによって発せられた毒のある香気を吸ってしまったに違いない。

 そしてその向こうには。

「あっ、二人も『悪い人間』!」

 妖精が大声を上げる。

 それを合図としたかのように、二人はこちらをその吊り上った目できっと睨むと、二人同時に飛び掛ってきた。

「ちっ!」

 殺さないように二人相手は難しい。それでも禎理は、近くの木を使って二人の頭上に飛び上がり、僅かに先に来たほうの頭を蹴ると同時にもう一人の横面を鞘付の短剣で引っ叩いた。

 禎理が地面に着地するのと二人が倒れるのがほぼ一緒。

 そのまま動かない二人の胸に耳を当て、生きていることをきちんと確かめた。

「……この人達、どっから来たのか知ってる」

 そんな禎理の横で妖精が呟く。

「近くの村の若者だよ」

 とすると、夕方に村はずれではこそこそとしゃべっていた奴らかもしれないな、と、禎理は何となく思った。おそらく、示しあって肝試しでもやりに来たのだろう。

〈その結果が、これだ〉

 微かな痛みに自分の身体を眺めると、防具を外していた手や足のあちこちにかすり傷ができている。

 禎理は倒れている若者達を一瞥すると、はあっと深い溜息をついた。


 そして、次の日の朝。

 村の若者三人が、気絶したまま村外れに放置されていた事件に、村中が恐怖と興奮の渦に包まれた。

「……あーあ、散々な夜だった」

 そんな村の中を通過しながら、大げさにあくびをする。

 森の中で気絶させた若者達を村まで運ぶのに一晩中掛かった為、寝不足なのだ。

 しかし、と禎理は思う。これでこの村に『風の日の夜』に関する迷信が一つ増えたことは間違いない。

〈それは、ちょっと嫌かも〉

 禎理は一人肩を竦めた。

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