水精のお守り
マース大陸の東側にある都市、天楚の北と東はなだらかな丘陵地帯だが、南と西側には深い森が広がっている。その南側の森の中を、禎理はときどききょろきょろと辺りを見回しながら歩いていた。
禎理が探しているのはもちろん、この森に生えている薬草類。よほどの物好きでも足を踏み入れることのない森の深いところにある貴重な薬草が、禎理の目的物である。今日もかなりの収穫を上げ、足も疲れたのでもうそろそろ天楚市に帰ろうと禎理は森の北側へ足を向けた。
しばらく歩くと、一筋の小川に行き当たる。本当に小さなその流れは、夏の盛りでも意外と冷たく、疲れた足を冷やすにはちょうど良い。禎理は靴と靴下を脱ぐと、その小さな流れに裸足の足を浸けた。
と。
「……あたしの川に汚い足を浸けてるのはだーれ?」
禎理の背後から、鈴のような声が聞こえてくる。
振り向くと、白い服を着た十三、四くらいの女の子が禎理のそばに立っていた。
「あ、ごめん」
思わず謝罪の言葉が出る。
「ちょっと、疲れてたから」
禎理の言葉に、少女は花のような笑みを見せた。
「あなた『冒険者』でしょ。だったらいいわ」
冒険者は好きなの、とそのおしゃまにみえる少女は笑いながら禎理にそう言った。
普通の女の子がこんな深い森にいるわけないし、急に現れるわけもないから、おそらく彼女はこの川を守護する妖精なのだろう。禎理はそう推測し、その可愛らしいしぐさに好感を持った。
と、その時。
「……あっ!」
不意に、少女の顔色が豹変する。
「早く隠れて、お姉様が来るわ!」
少女に言われるまま、草陰に潜む。
すぐに、川上からぴちゃぴちゃという足音が聞こえてきた。
「……ここを人間が通らなかった?」
細身の人影が射すと同時に、聞くだけで背筋が凍るような声が禎理の耳に入ってくる。草の陰からそっと覗くと、冷たい感じのする美人が少女と話しているのが見えた。
「川を渡って街のほうへ行ったわ、泉の姉様」
「そう」
少女の言葉に、女はそれでも未練そうに辺りを見回すと、ゆっくりした足取りで森の中へ消えていく。その後姿には、染み付いたような暗さが、確かに、あった。
「……泉の姉様、前はあんな感じじゃなかったのに」
女が見えなくなったのを見計らい、草陰から這い出した禎理に、少女は涙をぽろぽろと流した。
あの泉の精は元々、この川の近くにある泉を守護する心優しい女性だったそうだ。それが、一年以上前にある冒険者風の男と出会ってからあんな風に冷たく変わってしまったのだという。
「その男が何かしたのか?」
川の精の余りにも悄然とした様子に、禎理はそう訊ねずにはいられなかった。
「ええ」
禎理の言葉に、こくんと頷く少女。
泉の精が『ほんの少しの期間だけ』貸したはずの御守を、男が期限を過ぎても返さなかったのだ。
「それから、泉の姉様、人間を見ると襲うようになってしまって」
最近では、泉の傍を通る人間を自身の力で泉に引きずり込むだけでは飽き足らず、川の精のところまで来ては通りかかる人間を泉まで誘い込んで殺してしまっているという。
「……その話は聞いたことがある」
南の森に行った者の行方不明事件がここ最近頻発しているのは、冒険者仲間の噂になっていた。
「じゃあ、大本の原因はその御守を返さない男、なんだね」
禎理の言葉に川の精は再びこくんと頷いた。
「あたしは冒険者が好きだし、泉の姉様も大好きだから、泉の姉様には人間を襲うようなこと、して欲しくないの」
「そう、か」
禎理にも、川の精の気持ちは良く分かる。
「街に帰ったら、調べてみるよ」
だから禎理は、川の精にそう、約束した。
天楚市に帰ると、禎理は真っ先に冒険者宿『三叉亭』に向かった。
この『三叉亭』は、抱えている冒険者の質と美味しい料理とで、市内にいくつか有る冒険者宿の中でも一際有名だった。だから、ここで話を聞けば、天楚市内にいる冒険者の情報は大体手に入る。
「……その御守なら、多分見たことあるな」
今回も、禎理が話を向けると、三叉亭の主人六徳は顎の不精髭を一本抜きながらそう答えた。
「ほら、そこのテーブルに座ってる奴。たしか一五郎といったな」
六徳が指差した先には、板金鎧に身を包んだ戦士らしき男が確かに座っている。
「ありがとう。話してみる」
禎理はすっとカウンターから立ち上がり、注文したエールのジョッキを二つ持って一五郎という男の前に座った。
「聞きたいことがあるんだけど、いいか」
そして男がジョッキに手を伸ばす前に質問を繰り出す。
「南の森の泉の精から御守を借りなかったか?」
禎理の言葉に、男ははっとした目で禎理を見つめた。しかしすぐに視線を外す。
「いや」
「確かなところからそう聞いたんだけど」
誠意の全くなさげな男の様子に、思わず、男から飲みかけのジョッキを無理矢理奪い取る。その禎理の迫力に押され、男はしぶしぶ懐からメダル状の御守を取り出した。金属ではなさそうなその物体は、確かに、川の精から聞いていた御守の形状そっくりだった。
「その御守を、返して欲しいって人がいるんだ」
「確かに持ってはいるが、『借りた』んじゃない、『貰った』んだ」
しかしながら、そこから先は頑として自分の言を翻さない。そのしぶとさに禎理は呆れた。
「どうしても返さないというのか」
「当たり前だ」
おそらく、禎理のことも、そして御守を『取り上げた』泉の精のことも侮ってみているのだろう、男は顔を歪めてせせら笑った。
「どうしても返して欲しけりゃ自分で取りに来な。そいつにそう言っておいてくれよ」
最後にはこう開き直る始末である。
「……分かった」
こんな男に情けはいらない。
禎理は腹をくくった。
その次の日。
禎理は小さめの木樽を持って南の森に向かった。
「……川の精、川の精」
小さな流れの傍で川の精を呼ぶ。出てきた妖精に、禎理は泉の精への取次ぎを頼んだ。
「嫌だわ。泉の姉様が怒るところを見たくない」
「御守を取り返すために必要なんだ」
禎理の説得に、少女はしぶしぶながらこくんと頷くと森の中に入っていった。
その後から木樽を持って禎理が続く。
しばらく行くと、木々の間にぽっかりと開いた広場に出た。そんなに木々が茂っているわけでもないのに暗く見える広場の真ん中には、滾々と湧き出る泉がある。そのほとりで、昨日垣間見た女性がただ静かに俯いていた。
「泉の姉様」
川の精の声に、女が顔を上げる。
その時は普通だったのに、少女の後ろに禎理を見つけると、あっという間にその顔は怒りの形相に変わった。
「あなたも人間の味方なの、川の精」
泉の水が盛り上がり、まるで生き物のように禎理と少女に肉薄してくる。今にも襲って来そうなその水の表情に、禎理は一瞬だけ怯んだ。
「ち、違うわ、姉様!」
川の精が大急ぎで首を横に振る。その後を引き継いで、禎理はゆっくりと口を開いた。
「泉の精」
なるべく落ち着いた声を出すように努力する。
「貴女の御守を持っている人を見つけたんです」
「何ですって!」
禎理の言葉に、泉の精の顔色は怒りから驚愕へと変わった。
「でも、その人は貴女からその御守を貰ったといっています」
そんな彼女に、禎理は懇々と説くように話した。
「だから、貴女自身で取り戻してもらえませんか」
水系の妖精は、そこに自分の守護する水がある限り自由に動き回ることができる。だから、泉の水を木樽で三叉亭まで持って行くことができれば、あとは泉の精自身で何とかできるだろう。禎理はそう考えていた。
「……それはいい考えね」
禎理の言葉に泉の精は一瞬目を見開き、すぐに満足そうに頷く。
「貴方を信用するわ。私をあの憎ったらしい男のところへ連れて行って!」
その日の夕刻。
禎理は水の入った木樽を持って三叉亭に現れた。
「一五郎さん」
店に入ってすぐ、木樽を一五郎の前に置く。
「あなたの言うとおり、彼女自身が御守を取り返しに来ましたよ」
「取り返しに、来ただとぉ」
しかし一五郎は、禎理の言葉に昨日と同じようにせせら笑った。
「取り返せるものなら取り返してみな」
「では、遠慮なく」
禎理は内心にやりと笑うと、六徳からたらいを借り、木樽の水をその中にあけた。
「何やってんだ?」
禎理の変わった行動に、酒場中の冒険者が集まってくる。
「これから泉の精とやらを出すんだとさ」
だが、一五郎の方は、禎理の行動を何かの余興としか思っていないらしい。
「なかなか美人だから、見ていけよ」
「……この水は、何だ?」
冒険者の一人が禎理にそう声をかける。
「南の森の泉の水だよ。……飲む?」
禎理は手近にあったコップにたらいの水を汲むと、愉快そうにその冒険者に差し出した。
「いや、遠慮しとく」
「そう」
笑みを浮かべながら、水の入ったコップをカウンターに置く。
と同時に、たらいの中の水が光った、ように感じた。
「な、何だ」
人垣がざわめく。
次の瞬間。
「うわっ!」
たらいの水が急に膨れ上がったと同時に、大量の水が一五郎に向かって襲い掛かって、きた。
奔流は戸惑う一五郎を飲み込んで更にその勢いを増し、酒場中を駆け巡る。その場にいた人間は我先にと外に逃げ出した。
「うそつき!」
喧騒に混じって、泉の精の声が禎理の耳に届く。
次の瞬間、始まったときと同じように突然、奔流はきれいさっぱりと消えうせた。
後に残ったのは、水浸しの三叉亭と、これまた水浸しの禎理と、そして一杯の水が入ったコップのみ。
その次の日。
禎理は再び南の森にいた。
その腕には、昨日取っておいたコップ一杯の泉の水がある。
禎理はその水をそっと泉に返した。
「……これで、姉様も気が済んだかな」
背後で鈴のような声が響く。
「そう思うよ」
心配顔の川の精に、禎理はそう言ってにこっと微笑んだ。




