六徳を探せ!
「あ、いらっしゃい、禎理」
三つ又の矛が彫刻された両開き扉を開けた途端掛けられた声に、驚く。
主人である六徳の定位置である筈のカウンターの向こうに立っていたのは、見習い料理人リューロート。
「徳さん、は?」
だから当然のように、尋ねる。
「買い物」
ある意味不躾な禎理の質問に、リューロートは事も無げに答えてくれた。
「まだ誰も来ないだろうから、今のうちに足りない食材を仕入れて来るってさ」
リューロートの言う通り、昼食時には遅く夕食時にはまだ早い三叉亭には、客の姿は全く無い。まだ開店したばかりの冒険者宿だから、登録されている冒険者も少ない。
「シチューは、あるぜ」
そう言いながらリューロートは、カウンター席に座った禎理の前に大振りなボウルを置く。急速な匂いが禎理の空きっ腹を刺激した。
「頂きます」
そう、言い終わらないうちに、匙をシチューに突っ込む。
「そんなにお腹が空いていたのか」
禎理の相棒、悪食の魔物キイロダルマウサギの模糊用にと、小さめの皿に盛ったシチューをカウンターに置いたリューロートが、呆れた声を出した。
「うん」
天楚の武術道場の内弟子である禎理が、まともに食事にありつけるのは、この三叉亭のみ。道場での食事作成の手伝いも禎理の仕事だが、手伝いが全て終わる頃には食事は殆ど全て他の弟子に平らげられてしまっている。だから、兄弟子達の手紙や言付けの配達の為に天楚の歓楽街である一柳町に赴き、街の片隅に位置する三叉亭で六徳作成の美味しいシチューを平らげるのは、禎理にとって楽しみでもあり、必要な栄養補給となっている。
あっという間に、禎理のボウルも模糊の皿も空になる。
「お代わり、要るか?」
半ば呆れた調子のリューロートの言葉に、少しだけ恥ずかしくなる。いくらお腹が空いているとはいえ、遠慮せずがつがつと食べるのはお行儀が悪い。店の会計計算や書類作成を手伝ってはいるが、美味しいシチューを無料で食べることができるのは六徳の好意なのだ。だが、……やはり空腹には勝てない。禎理は俯き、しかしこくんと頷いた。
温かな湯気を立てたシチューボウルが再び禎理の前に置かれた、丁度その時。
「よう、来たぜ」
「あれ、六徳は?」
賑やかな声と音と共に、扉を開けて店の中に入って来たのは三人の冒険者。一人は、板金鎧を窮屈そうに着込んだ大男。一人は、革鎧の上からフード付きのマントを羽織った小柄な男。そしてもう一人は、頭のベールからローブの裾から見える靴の先まで真っ黒な、性別不詳の人物。三人とも、この冒険者宿三叉亭に所属する冒険者だ。
賑やかなまま、三人はカウンター近くのテーブルの近くに陣取った。
「エックにアルバにチユ。早いな」
ちゃんと依頼はこなしたのか? 驚きと疑念に満ちた声を発しながら、リューロートは飲み物の準備を始めた。
「手伝うよ」
リューロートが準備した、三つのグラスが乗った盆に、禎理は素早く手を掛けた。グラスの中身は、三つとも異なる。大柄な戦士エックはエールしか飲まないし、この世に二人といない手練れのシーフだと言う噂を聞いたことのあるアルバは水か水で薄く割ったワインしか飲まない。そして、神官でもあり宝物の鑑定の目も確かなチユが好きなのは、甘い蜂蜜酒。
「お、すまんな」
首だけ動かして禎理に頭を下げてから、リューロートは奥の台所に引っ込む。飲み物の好みも異なる三人だが、食べ物の好みも異なっている。エックは戦士らしく肉好き、アルバはリューロートが作る魚のパイがお気に入りだ。そしてチユの好物は、六徳のシチューとこれまたリューの得意料理、魚の身をすり潰して作った団子を浮かべた薄色のスープ。常連である彼らが現れる度にリューロートが大わらわで準備することを、三叉亭の常連になっている禎理は良く知っていた。
これだけ好みが異なっていてよく一緒に行動できるな。禎理は思わず首を傾げた。三人は天楚の南にある国で育った幼馴染みであるそうだから、好みは違ってもお互いのことを良く理解しており、だからこそ助け合うことができるのだろう。
「あー、一仕事終えた後のエールはやっぱり旨いぜ!」
禎理がテーブルにジョッキを置くや否やさっさとエールを飲み干したエックが、上機嫌な声を上げる。
「珍しく無事に終わりましたしね」
そのエックを鋭い目で睨みながら、アルバはちびちびとグラスのワインを啜り始めた。そしてチユは、頭から被った黒布の口の部分だけ外し、無言のまま蜂蜜酒のグラスにその紅い唇を近づけた。
料理の準備もできたようなので、続けて、多量の皿をテーブルへ運ぶ。たちまちにして、三叉亭の内部は物を食べる音で満ちた。
「やっぱり三叉亭の料理は旨いな」
大声を上げるのは、やはりエック。
「本当に。冒険者宿を変更して良かったですね」
魚のパイを大きく齧りながら、アルバが珍しくエックに相槌を打った。
天楚市内に冒険者宿は数あるが、料理が美味しい冒険者宿は少ないと聞く。六徳が褒められて、禎理はとても嬉しかった。リューロートも、自分の料理が褒められて嬉しいらしい。カウンターの向こうでにんまりと笑みを浮かべているのが、見えた。
と。
「でも、パイは、出して良いの?」
これまた珍しく、チユが小さい声で尋ねるように言う。
そう言えば、そうだ。チユの言葉に、禎理ははっとしてリューロートを見た。普通の街では、パンやパイのみならず、何かを作成する職人は必ずその街の『組合』に所属し、組合の許可を得て物品を作成している。職人を組合で保護・教育し、物品の品質を保つ為の処置で、ふらりと街に来た余所者が許可も無く勝手に物品を作成して売ると罰せられる仕組みでもある。
六徳のように、天楚に生まれ育っていない者が『組合』に入るには相当の技術と金品が必要である。技術はともかく、鷹揚な六徳にお金の用意ができるのだろうか? それに、組合は閉鎖的であると耳にしたことがある。そんな人間の集合体に、人によっては無礼と感じる性格の六徳が溶け込めているのだろうか? 禎理は思わず首を傾げ、そして心配になった。
だが。
「良いんだよ」
事も無げに、リューロートが答える。天楚の王が現在の活破七世になってから法が変わり、天楚市内では食品や手工芸品、生活雑貨などといったあまり大きくない物品は自由に作成、販売して良くなったそうだ。
「但し、品質には厳しいけどな」
そう言ってリューロートは不意に厳しい顔になった。四半期に一度、同業者の代表と市の役人がやって来て、作られている物の質を調査する。パイの場合は、食べられない物が中に入っていると分かった時点で店は閉鎖、作った職人は天楚追放となる。作る過程で出る廃棄物の処理にもうるさく、路上に捨てた場合は高額の罰金を取られるという。
「ま、そこらへんさえ守れば後は自由、ってわけさ」
それまであった『組合』組織の反発はあるが、それでも、品質の良い物が安く買えるという理由で、この法改正は天楚市民には好評であるという。リューロートの説明にチユは感心したように頷き、禎理も内心〈凄い〉と感心した。
こんな自由な街は、そう、無い。森に比べて人が多く、ごみごみしたところだと辟易することもあるが、それでも、天楚に暮らして良かった。禎理は心からそう、思った。
その、次の日。
「禎理!」
昼下がり、道場で使う食料の買い出しの為に天楚の広場にある市場を物色していた禎理は、同じく食料の買い出しに来たらしいリューロートに出会った。
「良かった。逢えて」
そう言うリューロートの顔は、真っ青だ。何かあった。そう、禎理が理解するより早く、リューロートは早口で言った。
「昨日から、六徳が帰って来てない」
「えっ!」
リューロートの言葉に、驚く。それと同時に浮かんだのは、昨日のやりとり。まさかとは思うが、活破七世の政策に反対する『組合』の魔の手が六徳に? それとも、『料理』というある意味邪道な手段で冒険者の人気を獲得しつつある六徳に対する、他の冒険者宿からの嫉妬が、六徳を追いつめているのか? そこまで考えて、禎理はそっと首を横に振った。これは禎理とリューロートしか知らないことだが、六徳は実は強力な『魔物』である。多少の暴力では返り討ちに逢うのがオチだ。たとえ多集団相手に酷い目に遭い、がんじがらめに縛られて何処かへ閉じ込められたとしても、さっさと困難から脱出し、何事も無かったかのように振る舞う。それが、六徳。
「うーん、……六徳の身は、大丈夫だと思うけど」
禎理の説明に、リューロートは唸り声を上げた。
「早く帰って来てくれないと、シチューが尽きてしまう」
もう既に、鍋に残っているシチューはほんのボウル二、三杯のレベルになっていると言う。
それは、大変だ。リューロートの心配の理由に、納得する。三叉亭は六徳のシチューで保っていると言っても過言ではない。そのシチューが出せないとなると、三叉亭の評判はがた落ち、ライバル達に付け入る隙を与えてしまう。
「分かった、俺も探す」
道場の用事も大切だが、六徳と三叉亭の方がもっと大切だ。禎理はリューロートに頷いてみせた。
「頼む」
禎理の言葉に、リューロートはほっとした息を吐いた。
「あの三人も探してくれてるし」
リューロートがそう言った、正にその時。
「おや、三叉亭の見習いじゃないか」
「こんな所で油売ってんじゃねーぞ」
柄の悪そうな複数の声が、禎理の背後で響く。振り向かずとも、禎理には、彼らが誰なのかすぐに分かった。天楚市内で昔からパイを売る『組合』所属の、まだ若い職人達だ。勿論、リューロートとは、犬猿の仲。
「うるせぇ」
予想通り、リューロートはいつもの調子で若者達に噛み付いた。そのリューロートのチュニックの裾を、強く引く。今は、彼らに構っている場合ではない。六徳を探さねば。それに。……彼らには、六徳の不在を隠す必要が、ある。
だが。
「お前らこそ、六徳を何処に閉じ込めた!」
禎理が止める間もなく、リューロートの口が、滑る。
〈ああ、言っちゃった……〉
リューロートの影で、禎理は内心頭を抱えた。
喜んだのは勿論、『組合』の若者達。
「あれ、今六徳いないのか?」
事態を察した一人が、にやりと笑う。
「今三叉亭を調査に行ったら、間違いなく潰せるな」
「許可取り消しってことで」
にやにやはすぐに若者全体に伝播する。自分の失言にやっと気付いたリューロートの全身がガタガタと震え出すのを、禎理は成す術も無く見詰めていた。
「よし、今すぐ行動だ」
「いい気味だぜ」
そう言いながら、二人の元を去る若者達。
後に残ったのは。
「ど、どうしよう……」
二人きりになった途端、リューロートの口から狼狽が漏れる。
「落ち着いて」
そのリューロートの背を軽く叩くと、禎理は最善の策を口にした。
「とにかく、一刻も早く六徳を探し出そう」
おそらく、あのにやにや笑いからすると、若者達が動き出すのはゆっくりだと思って良い。『組合』の活動自体、様々な会議と許可が必要らしく、機敏さに欠ける嫌いがあると聞いている。今日中に六徳を探し出せば何とかなるだろう。リューロートを責めるのは、それからで良い。
「う、うん」
禎理の言葉に、リューロートは唇を噛み締めると、くるりと身体の向きを変えた。
「俺は、もう一度市場と港を探してみる」
「そうして」
しかしリューロートが走り去ってからも禎理はその場を動かなかった。
組合の若者達の言動から察するに、六徳はアイツらの謀略に嵌った訳ではなさそうだ。そのことに、ほっとする。では、六徳は何処へ? 六徳は魔物だから、大抵のトラブルは自力で何とかする。だから、無理矢理何処かへ閉じ込められている訳では無さそうだ。と、すると、六徳は、自分から姿を眩ましたことになる。何故? 六徳は、料理が好きだ。料理を学ぶ為に魔界から出て来たと、六徳自身が口にしている。と、すると、……もしかして、料理の為に、六徳は姿を消したのではないか。そこまで考えてから、禎理はいきなり走り出した。向かうのは、貴族の館が集まる通り。この街で料理を作ることができるのは、設備の整った店か、お金を持っている貴族か大商人の台所だけだ。
貴族街の入り口で、足を止める。屋敷の裏口がある狭い通りを、禎理は確かめるように歩いた。六徳が料理を作っているのなら、もしかしたら。
禎理が気付く前に、腰のポーチで惰眠を貪っていた筈のキイロダルマウサギ、模糊が暴れ出す。鼻で息を吸い込むと、微かだが、六徳のシチューの匂いが確かに、感じられた。……ここだ。
目の前の見窄らしい裏口扉を、そっと押す。塀と屋敷の間の、乱雑に雑草が生えた庭の向こう、開け放たれた扉の先で、六徳が竃にぶら下がった鍋の中身を味見している姿が、禎理の瞳にはっきりと、映った。
「徳さん!」
思わず、叫ぶ。
禎理の声に、六徳は眉を上げて禎理を見た。
「おう、禎理、久しぶりだな」
六徳の悠然とした態度に、しばしどう言って良いのか分からなくなる。とにかく、六徳の事情を聞くよりこちらの説明が先だ。禎理は何とか心を整理すると、六徳にこれまでの経緯を説明した。
「リューロートは修行が足りんな」
二、三日ならあいつに店を任せても大丈夫だと思ったのだが。六徳は大袈裟に息を吐いた。リューロートにはもう少し、度胸と慎重さを身に付けてもらわねば、とも。
そして。
「ちょっと、これを持って付いて来てくれ」
鍋から深皿へシチューを移し、傍の盆の上に置いてから、その盆を指差す六徳。禎理は押し黙ったまま、少し重い盆を両手でバランスを取るように持ち、悠然と台所を出る六徳の背に付いて行った。
屋敷の廊下も、庭と同様に荒れていた。掃除が行き届いてないらしく、埃っぽい。禎理は何度か、くしゃみを堪えた。
廊下の突き当たりの扉を、六徳が開ける。
「旦那様、シチューを持って来ました」
慇懃に頭を下げる六徳の向こうに、天蓋から垂れた薄い布と、布に囲まれたベッドに横たわる細い影が、見えた。
ベッドの横で編み物をしていた、まだ年若い女の人が、ベッド傍のテーブルを見る。そのテーブルに、禎理はそっと持って来たシチューを置いた。
「奥方様」
その女の人に、六徳がもう一度頭を下げる。
「申し訳ありませんが、迎えが来ました。ここを去らねばなりません」
六徳の言葉に、女の人はにこりと笑い、六徳に向かって礼を述べた。
目立たないが、凛とした花のような人だ。部屋を去りながら、禎理は女の人をそう、評価した。
……あの人に、少し似ているかも、しれない。
昨日、市場に買い出しに出た六徳が出会ったのが、あの凛とした女人。その人に頼まれて、六徳は、最期が近い老人――女人の父だという――の為に天楚市内で評判になっているシチューを作った。街路を急ぎながら、六徳は禎理に手早くそう、説明した。
「初対面の人間にそこまで親切にする義理は無いんだが、まあ、何と言うか」
最後の言葉を誤摩化した六徳に、禎理は少しだけ、淋しく笑った。
あの女の人は、何処か、禎理が――六徳も――憧れていた魔界の大王数の妻、珮理に似ていた。だから、六徳は初対面にも拘らず、女の人の無理な頼みを引き受けたのだろう。
少しだけ、心が痛む。
「ま、済んだことだしな」
走るぞ。そう言って禎理を追い抜きざま、六徳は静かに、禎理に向かって笑いかけた。