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重さ量りの法

 久しぶりに三叉さんさ亭に来て、最初に耳にしたのは甲高い声だった。

「何であの人が晒し台に立っているのよっ! もっと他に立たせるべき人が居るでしょうに!」

 冒険者宿三叉亭の主人六徳りっとくに向かって、この建物の二階にある診療所の助手をやっている女性七生ななおが捲し立てている。その豊かな赤い髪が、怒気を含んでいつもより更に赤く見えるのは、禎理ていりの気のせいだろうか?

「仕方ないだろう」

 対する六徳は、普段通り冷静だった。

「パンの目方を誤魔化すのは重罪だ」

「でも……」

 六徳の指摘に急に口籠もった七生だが、次の瞬間、禎理の方を振り向きこう尋ねた。

「ねっ、禎理はどう思う」

「どうって……」

 先ほど冒険の旅から帰ってきたばかりの人間に意見を聞く方が間違っている。禎理は内心そう思ったが、七生の怒りも考慮して曖昧な笑みを浮かべた。

「何があったの?」

「何があったも何も、酷いのよ」

 怒りを抑えきれない七生の声が、次々と禎理の耳に入ってくる。

 それによると。

 この天楚てんそ市内でも贔屓が多いパン屋の親方が、パンの重さを誤魔化したとして現在広場の晒し台に立たされているという。その男は『親方資格』を取ったばかりでまだ若いが、作るパンの美味しさと持ち前の気前の良さで天楚中に知られていた。

 あんな優しい若者が罰を受けるなんて酷すぎる。七生は再びそう、捲し立てた。

 しかしながら、天楚には天楚のルールがある。特に人々全体の主食であるパンについては、売る時の重さが天楚の法できちんと決められている。定められた重さ以下のパンを売るのは法律違反なのだ。

「まあ、七生の意見ももっともだな」

 三叉亭にいた冒険者の一人が、フンと鼻を鳴らす。

「どう見ても重さの足りないパンしか売ってない店もあるぜ」

「どうせチェックする係官に賄賂でも送ってんだろ、その店は」

「賄賂ですって!」

 三叉亭にいる、冒険者達の口から出た言葉に、七生の怒りは頂点に達した。

「許せないっ! そんな不正が罷り通るなんて!」

 そして、次の瞬間。七生はついと禎理の後ろの扉の方を向くなり、ドスドスと扉に向かって歩き始めた。

「ちょ、ちょっと」

 七生のただならぬ様子に、思わず服の裾を掴んで引き留める。

「何処へ行く気?」

「決まってるでしょ! 係官に文句言ってやるのよ!」

 禎理の質問に、七生は語気荒くそう、答えた。

「どうやって?」

「市庁舎に乗り込むの!」

 確かに、天楚市内で不正が行われていないか監視する係官は市庁舎にいるが、低身分の、しかも女である七生が乗り込んでいったところで相手にしてくれるかどうか。

「ま、追い出されるがオチだろうな」

 禎理の考えを、六徳が代弁する。

 余りにも静かなその言葉に、七生はつと、黙った。

「でも……そんな」

 先ほどまでの怒りは何処へやら、七生は一気に憔悴する。その、口を引き結んだ、今にも泣きそうな顔に、禎理の同情は一気に高まった。

 しかしながら。……自分に、何ができるというのだろうか? 身分は七生と変わらないし、小柄で丸顔の為よく女に間違えられる自分に。

 と、その時。

「会わせてやろうか、長官に?」

 不意に、涼しげな声が禎理の耳に入る。

 この声、は。

須臾しゅゆ!」

 三叉亭内を見回すまでもなく、すぐに声の主を見つける。

「居たのか?」

「ああ。君が帰ってくると聞いていたから、久しぶりに会っておこうと思って」

 須臾は禎理に向かってにこっと笑いかけると、飲んでいたエールのジョッキを置いてその整った顔を七生の方へと向けた。

「まあ、それはとりあえず置いておいて。……どうする?」

「本当に、会わせてくれるの?」

 七生の声には半信半疑が含まれていた。

「信用できるよ、須臾は」

 須臾は貴族、しかも天楚でも最高の身分である『公』の一つである六角公の後継者の一人である。彼が文武に長けた立派な青年であり、身分や慣習に囚われない自由な考えの持ち主であることは、共に武術を習った禎理が一番よく知っている。

 そんな禎理の言葉に後押しされたのだろう、少しの逡巡の後、七生はこくんと頷いた。


「……係官に賄賂? あり得ないね」

 七生と禎理の目の前で、監査長ははっきりとそう、言い放った。

「俺の目の黒いうちは、そんなことは許さない」

 天楚市の市庁舎、その最上階。そこにある、狭い部屋に置かれた不釣り合いに大きい机の前で、禎理と七生は、天楚の法が正確に守られているかどうかを監視する人々の責任者である監査長と向かい合っていた。もちろん、二人の側には須臾もいる。

 この監査長は、須臾の実父である。須臾の母で現在の六角公の姉である女性が、この人物の算勘の才と意外な精悍さに惚れて一緒になったのだ。もちろん、身分差による反対はあった。だが、先の六角公はこの男の公正さを認め、快く結婚を了承したと聞く。

 変わり者だが正義を重んじる六角公一族が認めた人物が監査長を務めているなのだから、不正は、おそらく、無い。

「そんな……」

 しかし、事情が分かっても納得できないのは人の性である。七生はむうっと頬を膨らませた。

「仕方ないだろ」

 そんな七生を認めて、監査長は少しだけ口元を緩めた。

「買ったパンを量ったら、規定より軽かったんだから」

 ほんの少し規定より軽いだけなら、目をつぶることもある。だが、規定よりかなり軽いパンを売っているという事実を見逃すわけにはいかない。パンは皆の命の糧なのだから。文官にしては筋肉の付いた身体から発する太い声で、監査長はそう、はっきりと告げた。

 仕方がない。監査長の説明に、禎理ははっきりとそう、思った。

 だが。

「……あのう」

 七生と監査長の話に、そっと割って入る。

「パンは一個だけ調べたんですか?」

「ああ、そうだが?」

 禎理の問いに、監査長は首を傾げながらはっきりとそう、答えた。

 その答えに、内心ほっとする。これで、七生の贔屓するあの未熟だが善良な若者を助けることができるかもしれない。

「だったら、規定より軽いパンもあるかもしれないし、かなり重いパンもあるかもしれませんね」

 監査長の答えを受けて、禎理はこう、言葉を続ける。

 禎理の言葉に興味を持ったのだろう。監査長の目がきらりと光った。

「何故だ?」

「人間、ぴったり同じ重さのパンを毎日作れないでしょう? 同じ日に作った同じ形のパンだって、微妙に重さは違いますし」

 まだ子供だった頃、禎理は父親と共に天楚名物である煎餅を焼く工房を見学したことがある。その煎餅も、腕の良い親方がどんなに頑張っても、作った物全部が同じ重さにはならず、少し軽いものも重いものもあった。天楚の法により、規定以下の重さの煎餅は売り物にできない。お土産だという言葉と共にその『軽い煎餅』を貰った禎理は経験的に、人間が起こす『誤差』を知って、いた。

 パンを一個だけ量り、その重量だけで不正を判断するのは、人間が必ず起こす『誤差』を考慮していない。禎理はそう、監査長に告げた。

「……確かに、そうだな」

「人間は完璧ではないって訳だ」

 呻る監査長の横で、須臾が感心したように声を上げる。

「でも。……なら、どう量れば良いんだ?」

 だが、監査長の問いに、今度は禎理が黙る番だった。

 人間のすることには、必ず誤差が伴う。だが、その誤差を考慮しつつ、きちんと規定通りのパンを売っているかどうかを調べる方法、とは……?

「一季(天楚暦で九十一日)分、毎日一個の重さを量って、その平均を取る方法はどうでしょう? あるいは、一日に作られたパン全ての重さの平均を取るとか」

 自信はないがとりあえず、思いついたことを呟いてみる。

「なるほどな」

 だが、禎理の言葉に、監査長はふっと笑って頷いた。

「やってみる価値はありそうだな」

「もちろん、役人が買っていることを知られないようにしないと」

 そんな監査長の横で、須臾が口を出す。

「分かっておるわ、バカ息子」

 その言葉に、監査長の口から初めて父らしい言葉が出た。

「……えっと、よく分からないんだけど」

 一人だけ置いてけぼりを喰らっている七生が、戸惑ったように口を挟む。

「とにかく、調べ方を変えたら、疑念が晴れるかもしれないってことだよね」

「そうだよ、七生」

 そんな七生の言葉を肯定する為に、禎理はことさら大きく頷いた。


 それから一つ、季節が過ぎて。

 三叉亭に、須臾と共に現れたのは、件の監査長だった。

「息子に、ここのシチューは美味しいから食べとけ、と言われたんでね」

 そう言いながら禎理の横に腰掛けた監査長は、にっと笑って言葉を継いだ。

「君の言う通りだったよ」

 あの後、調査のやり方を変えた為に、規定より軽いパンを販売していた店が三軒ほど見つかったらしい。どの店も、誤魔化しているという噂はあったが、これまではどうしても摘発できなかったのだ。

 感謝する。説明の後で、監査長はそう言って禎理に向かって頭を下げた。

「あ、いえ。お役に立てて嬉しいです」

 事件のことをすっかり忘れていた禎理は内心大慌てで、それだけ言うのがやっとだった。

「あ、それから」

 監査長が来たと聞いて二階からやって来た七生を見て、監査長が言葉を続ける。

「あの若者のパンだが」

 毎日きちんと量って調べたところ、件の若者の作るパンの重さは、平均的には規定通りだったが、日によって軽すぎたり重すぎたりとバラつきが大きいことが分かったそうだ。

「それじゃあ売り物にならんから、もう一度修行し直すよう言っておいた。それで良いか?」

 目の前で真剣な顔をする七生に、監査長はそう、問う。

「そういうことなら文句はないわ」

 明らかにほっとした顔で、七生はそう、監査長に告げた。

 良かった。笑顔になった七生に、禎理は心からそう、思った。

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