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月の乙女

 二日ふつかは不満だった。

〈……私は、何故ここに居る?〉

 そして、底抜けに淋しかった。

〈誰も私を見てくれない……〉


 二日の職能は『月の乙女』。

 夜の神ロギスティコスの命により、三十日に一度決まった形のランプを掲げ持ち、決まった路を走る馬車に乗って空を一周するのがその職務である。そして、それ以外の日には天界にある『月の宮殿』と呼ばれる屋敷の一室に閉じ籠められるのも、彼女たちの職務。

「……退屈すぎる」

 いくら豪華絢爛な部屋を与えられても、欲しい物は何でも手に入れることができても、空を巡る日以外はずっと部屋に閉じ籠められている生活にはもう耐えられない。

 そのうえ。

「空を巡っても、誰も私に気付いてくれない」

 二日が持つランプの灯りはとても細く、しかも、二日が馬車に乗って辿る道は昼を司る神アリトゥメティカが御す『太陽の馬車』という強大な光を放つもののすぐ近くを行くように設定されている。だから、二日の持つランプは誰の目にも見えず、たとえ見えたとしても、それは『太陽の馬車』が地平線に沈んだ後のほんの一瞬の間だけだった。

「……三日みかの光は、ちゃんと見えているのに」

 二日の次に馬車に乗る三日とはたまに話をする程度の仲だが、三日の持つランプの灯りは二日のものより大きく、しかも彼女の進む路は『太陽の馬車』との時間差が二日の時よりも大きいので、夕方自分のランプの光を誇示できる時間が二日よりずっと長い。その点において二日は三日をうらやましく思っていた。

 三日のことを考えて溜息をつくと同時に、二日の前に馬車を御す一日いちかのことも頭に浮かぶ。

 一日のランプには灯りが全く灯らない。

〈でも、一日にはアリトゥメティカ様がいらっしゃる〉

 『太陽の馬車』と同時に空を巡る一日は昼の神アリトゥメティカと仲が良く、二日と交代する間もぺちゃくちゃとしゃべっている。そんな一日をうらやましく思う二日だが、すぐ後ろを走っているにも関わらず、何度声を掛けてもアリトゥメティカは二日を全く無視していた。

「淋しすぎる……」

 二日の目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

「私なんて、結局ここにいてもいなくても同じなんだ……」

 それならば。


 次に空を巡る任務の後、二日は三日と交代する時のどさくさに紛れて『月の宮殿』を抜け出した。

 行き先はもちろん、いつも空から見るだけだった『地上界』。


*               *


 夜明け前の森は静かな深い霧に包まれていた。

 微かに明るい視界に、葉を落とした木々が不気味に映る。それはまるで、古から存在した精霊や妖精が突然目の前に現れたかのようでも、あった。

〈こんなんじゃ、誰もここへ来たがらないよなぁ……〉

 そんな光景の真ん中で、禎理ていりは静かに微笑む。十一の年までこの森で暮らしていた禎理は、邪な考えを抱かない限り森の方も自分を襲ったりしないことを良く知っていた。

〈……おっと、こうしちゃいられない〉

 早起きをしてここに来た理由を思い出し、禎理は大急ぎで枯れかけた茂みをまさぐった。

 天楚てんそ市の西方、六角公領に広がる通称『蛇神の森』。蛇神毘央が支配するといわれるこの森には、普通の生物ばかりでなく、人間とは姿形も思想も異なる『魔物』や『精霊・妖精』と呼ばれるモノ達も住み着いているといわれている。そして、禎理が今この場所にいる目的は。

「……あ、あった」

 枯れ草の間に白っぽい緑色をした目的の草を見つけ、禎理は歓声を上げた。この草は、化膿止めになる『一霜草』という薬草だ。『一霜草』は初霜が降りた朝に摘んだものが一番効能が高いといわれており、需要も高い。天楚の冒険者宿三叉亭経由でこの依頼を受けた禎理はそれ故に、眠いのと寒いのを我慢して一生懸命この薬草を探した。

 と。

 風もないのに不意に草がざわめく。その音に、禎理は一瞬身を固くした。

〈誰か、いる……?〉

 こんな不気味な森に来る者といえば、よほど剛胆な者か愚か者か、あるいは天楚国では『魔物守護法』により禁止されている魔物の密猟をしに来た者か。又は魔物自身という予想もある。

 音を立てないように枯れ草を掻き分け、腰に差した短剣に手を掛けると、禎理は先ほど音がした方向をそっと見やった。

 そこにいたのは。

「……あれ?」

 禎理の予測とは全く違った人物が、目の前に立っていた。年の頃は十六、七。丸顔でよく女の子に間違えられる禎理より女の子に見える瓜実顔が長い金髪に縁取られている。そして、この寒いのに薄手の長いドレス一枚というその姿は、背の高さも手伝ってか凛とした気品のある印象を与えていた。

「迷子、か……?」

 この森の特性から考えると、古い木に生息しているという『ドライアード』と呼ばれる妖精の一種かとも始めは考えたのだが、それにしてもこの少女は人間くさすぎる。おそらく、就寝中に盗賊にさらわれたが自力で脱出したどこかの姫様に違いない。そう見当を付けた禎理は短剣から手を離し、なるべく大きな音を立てて草むらから顔を出した。

「やあ」

 なるべく明るい声で声を掛ける。それでも少女は怯えた眼を禎理に向けた。

「あ、怖がることはないよ」

 怯えからかじりじりと後退る少女に禎理は精一杯の笑顔を向け、そして何も持っていない両手をひらひらと振って見せた。

「ほら、武器は持ってないし、ね」

 少女がその大きな瞳でじっと禎理を見つめる。

 よく見れば、禎理の好みではないがなかなかの美人である。

「俺の名は禎理。薬草摘みに来てるんだ。君は、迷子?」

 禎理の問いに少女がこっくりと頷く。その仕草に、禎理は少し安心した。こちらに敵意の無いことは分かってくれたようだ。

「その格好じゃ寒いだろ」

 禎理は少女に近づくと、羽織っていた上着を少女のその細い肩に掛けた。

 と。

 急に禎理のおなかがぐぅと鳴る。その音につられてか、禎理の腰に付けてあるポーチの中から主人が一生懸命働いているのに惰眠をむさぼっていたキイロダルマウサギの魔物、模糊がぽんと飛び出し、禎理の肩に乗った。

 可愛らしい仕草の模糊を見て、少女が少しだけ微笑む。

「はは、おなかがすいているみたいだ」

 禎理は少女に笑いかけると枯れ草の真ん中にどっかと腰を下ろした。そして肩から提げている鞄から自分で作ったサンドイッチの入っている箱を取り出し、その一つを模糊に渡した。

「君も食べる?」

 少女を見上げて尋ねる。少女はしばらく禎理と模糊と模糊がおいしそうに食べているサンドイッチを交互に見つめていたが、やがて禎理の横にぺたんと座り、禎理の手からサンドイッチを受け取ってむしゃむしゃと食べ始めた。

「俺が作ったんで、あんまりうまくないかもしれないけど」

 そう言って笑いながら、禎理もサンドイッチを頬張った。

 食べながら尋ねてみる。

「そう言えば、まだ君の名前を聞いてなかったね」

「……二日」

 おなかが一杯になって安心したのだろう、さっきよりは穏やかな眼で少女はそう答えた。

「ふーん」

 禎理と同じ嶺家文字の名前を持っているのなら、おそらく天楚市かここより北の直和地方の出身者に違いない。だが、二日と名乗る少女の外見はこの辺りの人間とは明らかに違っていた。

「どっから来たの?」

 更に二日のことを聞いていく。

「遠く」

 だが、自分の名前以外の問には、二日は曖昧に答えるだけだった。その曖昧さに、少しだけむっとする。禎理の口調は無意識のうちにきつくなった。

「君は、迷子なんだろ? 何処から来たのか分からないと家に帰れないよ」

「帰りたくない」

 禎理の言葉に力強く首を振る、二日。

「家出してきたの」

「家、出?」

 二日の返事に、禎理は思わず素っ頓狂な声をあげた。貴族の姫君の家出なんて、ある理由以外には聞いたことがない。

〈結婚関連、かな〉

 貴族の家には政略結婚が多いと聞く。それが嫌で、あるいは好きな人と一緒になる為に家を飛び出す姫もいないことはない。だが、そんな姫君もすぐに家の者に捕まって連れ戻されてしまうか、あるいは勝手の違う生活に疲れ切って自分から戻るかのどちらかだと聞いている。

「どうして、家出なんか……」

 第一、『貴族』ということで豪勢な生活が保障されているのだから、何もそこから逃げ出してわざわざ苦労の多い生活に飛び込む必要はないではないか。禎理自身は、誰かから『これからの生活の保障をするからただ黙って言うことを聞け』なんてことを言われたら真っ先に逃げ出す人間だが、全くの他人、特に小さい時から苦労知らずで育ってきている者に対してはどうしてもそのように考えてしまう。

 禎理の問いに二日は黙り込んでしまった。その目から涙が一粒こぼれ落ちる。それを見た禎理ははっとして慌てた。

「あ、あの、別に、責めてるわけじゃ」

「だって、あそこにいても私、誰からも必要とされてないもの」

 ぽたぽたと涙を流しながら二日が言う。おそらく、二日は家で邪魔者扱いを受けているのだろう。そう推測した禎理は鞄の中からよれよれのハンカチを取りだして二日に渡した。

「ごめん……でもね」

 ゆっくりと呟く。

「一人で生きていくのって大変だよ。自分で責任を持って働いて、お金を稼がなきゃいけないし」

「でも、私、あそこには絶対戻りたくない」

 どうやら、二日の決心は相当なもののようだ。

〈うーん、どうしよう……?〉

 禎理は又しばらく考え込んだ。

 家に帰りたくない者を無理矢理連れ帰しても何の解決にもならない。だからといって二日をこのままこの森に放っておくのは論外だ。ともかく、二日の決心がそこまで固いのなら、しばらく様子を見た方がいいかもしれない。もちろん、二日の家族もきちんと捜しておく必要があるだろう。家の人も誰か一人くらいは心配しているだろうし、二日の気が変わって「帰りたい」と言い出さないとも限らないのだ。

「……二日、しばらく俺のところに来ないか?」

 禎理は考えた末の結論をゆっくりと口にした。

「働くところを紹介するから、しばらく生活してみて、それから結論を出したって遅くはない」

 禎理の言葉に、二日はびっくりした眼で禎理を見つめたが、やがてこくんと頷いた。


 二日が着ているぴらぴらした格好では寒いし目立つしでどうにもならないので、天楚市に二日を連れて帰った禎理はまず古着屋で二日の衣装を揃えてやった。

「……いいんですか、これ?」

 簡素なチュニックとカートルを身に付けた二日が心配そうに問う。そんな二日に禎理は軽く手を振ってみせた。

「大丈夫。そんなに高い物でもないし、働いて返してくれれば」

 次に禎理は、二日を一柳ひとつやなぎ町にある自分の下宿へと連れ帰った。

「……おばちゃん、いる?」

 下宿の表玄関から奥へ声を掛ける。すぐに奥から呻き声のような返事が返ってきた。

 二日を連れて奥へ入る。いつもの通り、開け放った窓から入る淡い光の下でこの家の大家の母親に当たる人物が大きめの布と格闘していた。

「おばちゃん、確か手伝いが欲しいって前言ってたよね」

 そう言いながら二日を前に押しやる。

「この子を手伝いに使ってくれないか」

 禎理によって前に押し出された二日を、老婆はそのしょぼしょぼした眼でじろじろと眺め回した。老婆の鋭い視線に二日が怯えているのが震える背中で分かる。

「大丈夫だよ、悪い人ではないから」

 禎理はそんな二日の肩を軽く抱いて落ち着かせた。

「……ふん、役に立ちそうもないがね」

 散々に二日を眺め回した挙げ句、老婆はフンと鼻を鳴らした。

「でも、まあ、使うだけ使ってみるよ」

「本当? やったあ!」

 老婆の言葉に、禎理は我がことのように喜んだ。

「よかったね、二日」

 ぽんと二日の肩を叩く。

「あの、でも、私……」

「大丈夫。知らないのなら覚えればいい。とにかく、やれるだけやってみて」

 戸惑う二日に禎理はそう言って笑いかけた。

 と。不意に老婆が禎理の腕を掴み、禎理を自分の方へ引き寄せた。

「ちょいと、何か訳有りじゃないだろうね」

 近づいた禎理の耳元で老婆が囁く。

「あ、そ、それは……」

 二日のことを推論でしか知らない禎理は言葉を失った。が。

「まあ、訳有りでも何でも私は構わないがね。厄介事にだけは巻き込まないで欲しいね」

「それは、多分、大丈夫です」

 自分が紹介した物事にはきちんと責任を持つ。これは冒険者として当たり前の心構えだ。禎理が頷くと、老婆は少しだけ口の端を歪めて禎理の腕を放し、今度は二日を手招きした。

「さあ、まずは掃除からだよ」

 ともかく、こうして二日は老婆の下で働くことになった。


 それから、嶺家れいか暦で一週間(十三日)が経った。

 初めの頃は「大丈夫かな」と二日のことが心配でならなかった禎理だが、その心配は杞憂に終わった。二日が老婆のめがねに適うのが案外早かったのである。掃除や洗濯といった日常仕事は全く駄目で、全て老婆に一から教えて貰わなければならなかった二日だが、何故か、裁縫の腕だけは良かったのである。

 二日の縫った服は、老婆が縫うのと同質の布と糸を使っている筈なのに何故かあかぬけており、しかも縫い方も丁寧で縫い目も細かく綺麗。老婆が請け負っている、この町に暮らす遊女達の服を縫う仕事で、二日の評判はうなぎ登りだった。

「家で、よくやってたから」

 縫い物をしながら二日はそう言って笑ったが、趣味にしては熟練しすぎている。一般的にどの身分でも、よい奥さんになる為には『家族の縫い物が出来る』レベルでいいのだから。

〈一体、どういう身分の姫様なんだ?〉

 そんな二日に禎理は小首を傾げた。

 それはともかく、二日の天楚市での生活は予想以上にうまくいっていた。そんな二日に安心して、禎理も冒険者としての仕事に集中することにした。

 だが。一つだけ、うまくいっていないことがあった。二日の家のことが、三叉亭経由で調査して貰っても全く分からないのである。

〈……本当に、二日は一体『何者』なのだろうか?〉

 二日を見るたびに、禎理の疑問はつのっていった。


 そんなある日。

 冒険者宿三叉さんさ亭に二日の情報を聞きに行き、その方面での収穫が全く無かった代わりに依頼を一つ受けてきた禎理は、いつもの通りに異質なものを見つけて思わず足を止めた。

「……やっほう、禎理」

 しかも聞き覚えのある暢気そうな声まで聞こえてくるではないか。禎理はふうっと溜息をつくと、その声の主である、この寒い中薄い衣一枚で通りにある酒樽の一つにちょこんと座ってにこにこ笑っている、禎理によく似た少年に近付いた。

「……風神かぜかみ

 その少年の名は『風神』。『この世界』の風と自由を司る神であるが、ある理由によりその職務を放棄、今では誰にも信仰されていない神である。それでいてその力は神々一というのだから始末に負えない。

「何でここにいるの?」

 禎理はむっとした声で風神にそう訊いた。風神が禎理の前に現れるのは厄介事が起こる兆しである。

「うん、ちょっと、人捜しをね」

 対して、風神の調子はいつもの通り明るかった。禎理の肩に頭をぺたっと乗せて言う。

「ねえ、禎理、なんかおごって」

「は、い?」

 いつも通りの風神の言葉に、禎理は怒りを通り越して心底呆れかえってしまった。

「ねえ、何でもいいからさぁ〜」

 かなりおなかが空いているらしい、風神の声が間延びする。その声に惹かれたのか、ポーチ内でいつものごとく惰眠をむさぼっていた模糊が例のごとく起きだし、風神と唱和するかのように禎理の手をぺろりと舐めた。

「……はいはい、分かりましたよ」

 禎理は肩を竦めると、ぺったりくっついたままの風神と共に広場にある屋台へと向かった。ちょうど夕方ということもあり、広場の一角にある屋台はどれも活気に満ちていた。

「肉饅頭で、いいよね」

 禎理は後ろの風神にそう言うと、屋台の一つへ歩み寄った。

「おじさん、饅頭五個」

「はいよ」

 屋台のおじさんは手早く蒸籠からほかほかの肉饅頭を取り出し紙に包んだ。冬の間だけ出回るこの蒸し饅頭は、中の肉餡の味付けと一つ食べるだけでおなかがいっぱいになるという大きさで、天楚市の人気商品の一つとなっている。

「……なんだ、禎理もおなかが空いてたんじゃない」

 禎理の肩で風神が言う。

「禎理が二つで模糊が一つ、そして僕が二つの計算だろ」

「違うよ」

 風神の言葉に首を振る。風神が二つで模糊が一つは合っているが、肉饅頭の一つは二日に持って帰るつもりだった。

「へえ、じゃあ、僕に三つくれるんだ。やったあ」

「誰がやるか!」

 一体風神はどういう思考回路をしているのだろうか。禎理は思わず叫んだ。

「……どうしたんだ?」

 突然の禎理の叫びに、屋台の主人が不審そうな眼で禎理を見る。

「あ、いえ、何でもないです」

 禎理は慌てて首を振り、そして溜息をついた。

〈忘れてた……〉

 地上界にいる時はいつも、風神は用のある人以外には『見えない』ようにしている。つまり、屋台のおじさんにも広場中にいる人々にも、禎理の肩でぶーぶー言っている風神の姿は全く見えていない。まあ、こんなへんてこな格好の子供がここにいるのがもし見えてしまったら、禎理は好奇の的だ。屋台のおじさんからほかほかと湯気が出ている肉饅頭の包みを受け取ると、禎理は肉饅頭を一つ模糊にやってからそそくさと広場を後にした。

 人通りの無いところで風神に肉饅頭を二つ渡す。その饅頭を風神はあっという間に食べてしまった。

「あー、おいしかった」

 そして更に欲しそうな眼をして包みをじろじろと見る。

「これはだめ」

 禎理は風神に取られないようにとその包みを肩に掛けた鞄にしまった。

「けちぃ」

 風神の頬がぶっと膨れる。

「第一、禎理の他に誰が食べるんだよ」

「うるさいっ!」

 風神と言い争っている間に下宿に着く。ぎゃあぎゃあと文句を言っている風神を無視して、禎理はおもむろに表玄関の戸を開けた。

「あ、禎理、お帰りなさい」

 洗濯物を取り込んだばかりの二日が、洗濯物を山のように積んだ籠を持って立っていた。

「ただいま」

 二日にそう声を掛けそのまま自分の部屋に行こうとした禎理は、ちらりと見た二日の顔色にはっとして立ち止まった。二日の手から籠が落ちる。その顔は一瞬にして蒼白に変わっていた。

「……二日」

 禎理の後ろにいた風神がぼそっと呟く。次の瞬間、二日はくるりと禎理に背を向けると裏口に向けて一目散に走り出した。

「待って!」

 しかし瞬発力で風神にかなうものはいない。あっという間に禎理の後ろから二日の前に出ると、風神を認めて引き返す二日の右腕を力強く掴んだ。

「……風神様、放して!」

 風神から逃げ出そうと二日がもがく。

 この一連の事件を、禎理は呆然と見つめていた。何故二日は風神を見て逃げ出した? その前に二日には風神が見えるのか? 疑問ばかりが脳内を巡る。そんな禎理の横を、風神は二日の腕を掴んだまま通り過ぎ、何も言わずに玄関から外に出ようとした。

「ちょっと待って、風神!」

 風神が外へ出る寸前ではっと我に帰る。禎理は慌てて風神を止めた。

「二日は一体何者なんだ?」

 禎理の問いに風神は肩を竦めた。

「説明しといた方が良さそうだね」

 でもここでは無理だと風神が言う。

 禎理は、風神と二日をこの建物の最上階にある自分の部屋へと案内した。


「……えっ、二日が『月の乙女』なの?」

 自分の部屋で風神から、二日の職能から逃げた理由まで一部始終の説明を受けた禎理はこの事実に心底驚いた。まさか二日が、月を司る『月の乙女』の一人だったとは。

「……でも、その『月の乙女』が何で『蛇神の森』なんかに?」

「ちょうど、『月の宮殿』がそこに繋がってたみたいなんだ」

 禎理の疑問に風神が答える。

「それで僕が、天楚市周辺に的を絞って捜してたってわけ」

 禎理が二日を拾っていてくれて良かったと風神が笑う。

 しかし。禎理は二日の方をちらりと見やった。当の二日は、風神も禎理の方も見ずにぶすっと椅子に座っている。

「……ま、とりあえず、この件は解決したということで」

 話を終えた風神は徐に立ち上がり、二日に右手を差し出した。

「さ、一緒に帰ろう」

「誰が帰るもんですか!」

 二日の声が部屋中に響き渡る。

「でも、二日、君がいないと月の運行に支障が出るんだよ」

 穏やかな声で風神が諭す。

「そんなこと知らないわよ!」

 そんな風神に二日は叩きつけるように言った。

「あんなとこ、二度と帰りたくない!」

「二日……」

 ぐっと風神が黙り込む。

 部屋にしばらくの間沈黙が流れた。

「……分かった」

 再び風神がおもむろに口を開く。

「今日のところは帰る。でも、新月の日には必ず連れて帰るからね」

 そして不意に禎理の肩を掴むと、禎理を無理矢理引きずる形で風神はドアから部屋を出て行った。

「僕は、『自然の理』を乱す気はないからね」

 この言葉を二日に残して。


「……ちょっと、風神!」

 災難なのは禎理である。何が何だか分からない内にいきなり風神に自分の部屋から引きずり出された禎理は風神に大声で抗議した。だが、風神はそんなことには全く頓着せず、階段を一番下まで下りて下宿を出ると、そこでやっと禎理を放した。

 そして耳元で囁く。

「禎理、しばらく二日から目を離さないでくれ」

「は、い?」

 やっぱり厄介事が来てしまった。

「でも、俺にも仕事が……」

「十日ぐらい何とかなるだろ」

 人の都合も考えずに風神も無茶を言う。

「じゃ、とにかくよろしく」

 そう言い捨てると風神は禎理に抗議する間も与えずに日の暮れた空へとかき消えてしまう。

「何なんだよ……」

 風神の消えた空を呆然と眺めながら、禎理はふうっと深い溜息を、ついた。


 その次の日。

 風神に押しつけられた約束を破り、禎理はその日一日中依頼をこなす為に天楚市の外にいた。

 もし二日が逃げたとしても、それはそれで別に構わない。束縛を嫌う禎理は、昨日風神に無理矢理連れ帰られそうになった二日に本気で同情していた。

「……けど」

 夜になり、下宿へ帰る道すがら、禎理はふと思った。

「『自然の理』は、破るわけにはいかないよなぁ」

 『自然の理』とは、風神もこの世界の他の神々も支配することが出来ない時間や物事の流れについての法則のこと。その『自然の理』を破った人間を禎理は一人知っていた。

 珮理はいりという名のその人は、『吸血石』というこを滅ぼすほどの強大な力を持った石をこの世から消す為、寿命を示す『運命の糸』が切れてもずっとその生命を保ち続けた。珮理自身はこの『運命』を甘受していたが、珮理に接し、その死を看取った禎理には、二日が『自然の理』を破り地上界で暮らすことが二日の幸せに繋がるとはどうしても思えなかった。

「まあ、それは二日自身が決めることだ」

 禎理はそう自分に言い聞かせると、部屋のドアを開けた。

 と。

「お帰り、禎理」

 禎理の目の前で当の二日が笑っていた。

「おばさまにスープの作り方を教わったの。一緒に食べましょ」

 小さな暖炉に掛けられた小さな金属鍋から美味しそうな匂いのするスープを皿によそう。例のごとく模糊がポーチから飛び出し、テーブルの上で早くくれとせき立てる仕草をした。

「……二日、逃げなかったの?」

 禎理はそう訊かずにはいられなかった。

「ええ」

 スープの入った皿をテーブルに置き、禎理に座るように促してから、二日は呟くように言った。

「『自然の理』を、持ち出されるとねぇ」

 あの『はちゃめちゃな』風神が気にするぐらいだから、きっと絶対破ってはいけないものなんだと二日が淋しそうに笑う。

「でも、あんな淋しい思いは、二度としたくないんだけど……」

 二日の言葉が、禎理の胸に妙に引っかかった。

「ねえ、二日」

 スープを口に運びながら、禎理は風神に事情を聞いてから禎理なりに考えたことを口にした。

「俺が、二日の月をちゃんと捜すから、それなら、大丈夫か?」

 禎理の提案に二日は一瞬きょとんとし、そして笑いだした。

「うん、それはいいかもしれない」

 しかしすぐに泣きそうな顔に戻って首を振る。

「やっぱりだめ」

「どうして」

「だって、禎理、風神に似てるから、きっと忘れちゃう」

「そんなことはないよ」

 あんな風神と一緒にしないで欲しい。

「それにね、私は、ずっとずっと、おそらくこの世界が滅びるまでずっと、二日の月としてこの世界を巡るのよ。それまで人間の禎理が生きているわけないじゃない」

「あ……」

 そこまでは考えていなかった。

「ごめん」

 下手な提案をしたことが恥ずかしくなり、禎理は下を向いた。

「ううん、でも、私のこと考えてくれてありがとう」

 眼は泣いていたが、それでも笑ってくれた二日を見て、禎理も少しだけ笑った。


 それからの日も滞りなく過ぎた。

 二日は縫い物に精を出し、老婆から「お針で独り立ちできる」とのお墨付きまで頂いていた。

〈ずっとお針でやっていく、というのも二日には良いのかもしれない〉

 禎理がそう思うことも時々ある。

 しかし。

〈やっぱり、二日は『月の乙女』としての職能をこなすべきだ〉

 そう思うことも時々ある。

 まあとにかく、二日の人生は二日自身が決めることだ。そう考えた禎理は、もう少し二日を見守ることにした。

〈……けど、何か二日の力になってあげたい〉

 そのことも、考えながら。


 そんなある日。

 禎理は、三叉亭にたむろする冒険者の一人から、天楚市から二日ほど南に行った丘の上に『西方六神派』の女子修道院があることを耳にした。

〈……これだっ!〉

 この話に、はたと手を打つ。

 『西方六神派』は、『この世界』にいる神々の内天空神アル・ジブラ、大地母神ジオ・メトリ、大海神ア・ナリシス、冥界神スターティス、そして昼の神アリトゥメティカと夜の神ロギスティコスを信仰する宗派である。そして『西方』という言葉通り、この宗派は天楚周辺、大陸東方ではあまり進行されていないが、大陸の西方では多く信仰されている。

 天楚市の暦である『嶺家暦』は完全な太陽暦だが、西方では主に月の周期を元にした太陰太陽暦が使われている。だから、そこに二日を連れて行けば、二日を含めた『月の乙女』達が必要とされていることが二日にも分かるかもしれない。そう考えた禎理は早速二日にこのことを提案した。

「……でも、そんな所で重要視されているのは満月とその周辺の明るい月だけじゃないの?」

 禎理の提案に、二日は始めかなり渋った。

「それに、風神様が来るまであと四日しかないのよ」

 後者の問題は、片道を二日で収めることによって何とかなる。そして前者の問題は。

「でも、行ってみないと実際どうなのかは分からないんじゃないかな?」

 『見ることは信じること』、これが禎理の信条である。裏返してみると、見る前から決めつけることは絶対に止めておいた方がいい。禎理はそう言って二日を説得した。

「……そうかもしれないわね」

 ついに二日が折れる。

 次の日の朝早く、禎理と二日は張り切って天楚市を後にした。


 予定通り二日の日程で、『西方六神派』の女子修道院に着く。

 着いてすぐ、二人は夜の神を祭っている神殿に案内して貰った。

 夜の神ロギスティコスを祭っている神殿は、修道院の敷地の北側にある、太く低い円柱の上に半球の屋根をくっつけた感じの石造りの建物だった。その内部には、中央に黒い服を着た夜の神の像が置かれており、円柱の側面には月の三十の位相が、そして屋根の半球部には天空の星達が描かれていた。

「……すごいところですね」

 知識としては知っていても実際に見るのは初めてだった禎理は、神殿の構造の緻密さにとても感心してしまった。特に壁や天井に描かれている絵は精密で均整が取れており、かなり美しかった。

「ここでは礼拝と、夜空を観測することによる将来予測をしておりますのよ」

 禎理と二日を案内してくれている年を取った尼僧が言う。その言葉に、今までずっと黙っていた二日が反応した。

「夜空を、観測しているのですか?」

「ええ」

 二日の問いに尼僧は笑って頷くと、修道院の中庭が見える窓へ二人を案内した。

 その中庭には、一人の若い尼僧が夜空を見上げて立っていた。

「あの方は、星や月を観察しているのです」

「あの、今日は月は見えないのでは?」

 尼僧の言葉に二日が首を傾げる。禎理も同様に首を傾げた。確か今日は二十八日か二十九日の月のはずだ。

「ええ、もちろん、今は見えませんね」

 尼僧は壁に書かれている二十八日の月の絵の前に立った。

「今日の月は夜明け前の少しの時間しか見ることが出来ません。でも、私たちに『月の終わり』を知らせてくれる大切な月です」

 更に尼僧は足音を立てずに二日の月の絵の前に移動する。

「この月も同じです。この月は日没後の少しの時間しか見ることが出来ませんが、私たちに『月の始まり』を知らせてくれるのですよ」

「二日月が、重要……?」

 突然自分が司る月のことを良く言われて、二日は戸惑いを隠せない声をあげた。

「でも、満月や、明るい月の方が観測しやすいのでは?」

 二日の問いに尼僧が笑う。

「確かに、明るい月の方が見えやすいのは確かですわね。でも、月は明るいだけの存在ですか?」

 それを聞いて二日と禎理はうーんと考え込んだ。

「明るいだけの存在なら、太陽がありますものね」

 そんな二人を見て、尼僧は笑いながら更に話を続けた。

「でも、明るいだけの太陽より、満ち欠けする月の方が、私達に色々なことを教えてくれますのよ」

 時間、季節感、そして人間の根元にある周期。月の満ち欠けはそういうものを全て教えてくれると尼僧は言った。

「ですから、月の満ち欠けはみんな大事なんです。おそらく、私たちが生まれる前も、そしてこれから後もずっと」

 そう言って尼僧は夜の神の像の前に跪き、祈りを捧げた。

〈……ふーん、そうなのか〉

 尼僧の月の話は禎理にとって良い勉強になった。

 そして二日にとっては。

「……ねえ、禎理」

 不意に二日が禎理の服の裾を引っ張った。

「私、風神が迎えに来たら、『月の宮殿』に帰るって、はっきり言うわ」

 二日の目から涙が零れる。それを慌てて拭う二日に、禎理はとても嬉しくなった。


 行きより元気に、二人は天楚市への帰り道を進んだ。

〈……よかった〉

 足音軽く歩いている二日の背中を見て、禎理はほっと安堵の溜息を漏らした。

 『月の乙女』としての務めに理由と意義を見いだした二日だから、きっともう逃げ出すことも、「淋しい」と言って泣くこともないだろう。やはり、『有意義』じゃない物事は、空しいのだろう。そう考えて、禎理は嬉しそうに一人うんうんと頷いた。


 急ぎ足で天楚に帰った二人を、街の門で出迎えていたのは、風神。

「さて、今日は約束の日だったね」

 風神の言葉に、二日は一瞬禎理の手を強く掴む。しかしすぐに二日は禎理から手を放し、風神を見つめた。

「答えを、聞かせて貰おうか」

 風神が二日に問う。返事の代わりに、二日はにこっと微笑んで風神の右手をそっと握った。

「そう」

 風神の頷きには安堵感が入っていた。

〈……良かった〉

 そんな二日を見て、禎理は心底ほっとした。

「……じゃあ、行こうか」

 風神がふわっと空へ舞い上がる。それに続いて二日も空へ舞い上がった。

「禎理!」

 風神に手を取られて地上を離れながら、二日が一生懸命な声で叫ぶ。

「ありがとう! 本当に、ありがとう!」

 その言葉に、禎理はゆっくりとうなずき、そして二人に大きく手を振った。


 それからというもの、禎理は時々昼空を見上げ、白い月を探すようになった。

 そして、二日という名の裁縫が得意な月の姫君のことをしっかりと忘れないようにするのだった。

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