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街角の標

 それは、いきなりのできごとだった。

 天楚てんそ市の真ん中にある広場で、物売りの少女を庇いつつ大学生五人と大立ち回りを演じていた禎理ていりの視界が不意に、大柄な影に覆われる。そして、次の瞬間には、禎理と対峙していた大学生は皆、地面に転がってしまって、いた。

「へっ……?」

 呆然と、呻いている大学生を見つめてから、おもむろに顔を上げる。

 この辺りでは見られない服装をした、縦にも横にも大きい男の影が、目の前にあった。

 だが。次の瞬間。

 頬に走る痛みと共に、禎理の身体は後方へとすっ飛ぶ。男に殴られたのだ。そう気付いたのは、丁度置いてあった空の木箱の山に背中から突っ込んだ後だった。

 痛む身体でバランスを取り、何とか立ち上がる。その時には既に、男は足元まで延びた黒服の裾を翻し、禎理に背を向けていた。

「……争いごとが嫌いだからな、あいつは」

 男の口から発せられた不可解な言葉が、禎理の耳を打つ。

 目の前に立ち塞がっている、幅のあるその背を見つめながら、禎理は思わず首を傾げた。

 ……この人は、一体、誰?


 それから鐘一つ分の時間が経過しても、黒服の男は最初の場所から動こうともしなかった。

 その場所に佇み、足元にある舗石をただ見ているだけの男の様子を、禎理は広場の真ん中で大道芸を楽しんでいる人々の群れに混じって観察して、いた。

 男のただならぬ雰囲気が通行人をも圧倒するのか、広場を行き来する人々は皆、男を避けて通っており、男の周りにだけ、混雑する広場には似合わない真空な空間ができあがって、いた。

〈一体何故、あの人はあんなところに突っ立っているのだろうか? しかも、ずっと〉

 観察すればするほど、疑問は募る。

 と、その時。

〈……あ〉

 不意に、思い出す。

 確か、あの場所には、『大火』後の天楚市の復興に関わった人々の名前が彫られたプレートの一つが舗石として埋め込まれていた筈だ。プレート自体は小さなものだが、広場のあちこちに、結構たくさん埋められている。

 あそこに埋められたプレートに書かれている名前は、一体誰だっただろうか? 禎理は必死に思い出そうとした。

 と。

「……あ、やっぱりあそこか」

 見知った声に、思考が中断される。

 振り向くと、禎理には見覚えのある黒服を身に付けた背の高い男が、視線をあの男の方へ向けて立っていた。

九七一くない。……あ、人間の姿のときは『千早ちはや』か」

「どっちでもいいさ」

 その時初めて禎理の存在に気付いたらしく、魔界の黒犬九七一は禎理を見つめて一瞬驚いた顔になる。だがすぐに、視線を男の方へと戻した。

「あの人が、何か……?」

 そんな九七一の横顔を見つめた禎理は、件の男と九七一の相似点に気付く。目元と口元、そして地上界では見ない服装をしているところが、同じなのだ。

「まさか、血縁者、とか?」

「ああ。……あいつは、俺の母方叔父」

 禎理の問いに、九七一は困ったような顔をして耳の後ろを掻いた。

「一族でもかなり変わり者なんだけどさ、まさか魔界を抜け出してこんな所に来てるなんてな」

 不意に、禎理の中で、全てのピントが合う。

「もしかして、名前は『百夜びゃくや』?」

 自分の結論を確かめるように、九七一に問う。

「え……?」

 禎理の問いに、九七一はぽかんと口を開け、まじまじと禎理を見つめた。

「何で、知っているんだ?」

「有名な話だから、天楚では」

 共通暦一一一六年の『天楚大火』の後、天楚を復興する人々の中に、一人の医者がいた。医術の腕は的確で、しかも穏やかな人柄で人々の信頼を集めていたその医者の傍らにはいつも、百夜という名の、子供の背丈を優に越える大きさの黒犬が付き従っていたという。

 天楚の復興に力を貸しながら、過労の為に若くして亡くなったその医者の名は、進理しんり。それが、九七一の叔父であるという黒服の男の足元に埋められたプレートに刻まれている名前である。

 現在の天楚を造った人々の事は、今でも天楚の人々の間で語り伝えられている。その物語の中で、進理に関する話が、禎理は一番好きだった。

 その『物語』に関わっていた人物が、目の前にいる。憧れと呆然に似た気持ちが、禎理の心に広がった。

 と、その時。

「……やっぱり探しに来たか」

 不意に、禎理の前に影が立つ。

 いつの間にか、件の男百夜が、禎理と九七一の前にいた。

「誰だって探しに来るさ。いきなりいなくなったら」

「お前の所為だろうが」

 文句を言う九七一の額を、百夜はいきなり弾いた。

「お前が天楚のことを言うから、来たくなったんだよ」

「そんな……」

 百夜の言葉に、口をへの字に曲げる九七一。

 その九七一の顔が面白くて、くすりと笑った禎理だが、次の瞬間、百夜の顔がいきなり目の前に迫って来、思わず悲鳴を上げかけた。

「……似てないな」

 ぽつりと、それだけ聞こえる。

 禎理の目の前で、百夜はふっと笑うと、つと禎理から離れた。

「二百年も経てば、やはり変わるか」

 それだけ呟いて、ふいと禎理に背を向ける。

「大切にしてくれよ。あいつの天楚」

 最後に聞こえたのは、静かな願い。

 そしてそのまま、百夜は人ごみの方へと歩き始め、あっという間に広場の人々と同化して、しまった。

「あ、ちょっと」

 完全に虚を突かれた九七一が、慌てて後を追う。

 その九七一の姿が完全に消えてからも、禎理はいつまでも、百夜が消えた方向を見つめて、いた。

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