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竜を識る者

 目を開けると、ごつごつした岩の天井が遠くに見えた。

〈……あれ?〉

 思いがけない光景に、しばし呆然とする。

 辺りを見回すと、乱雑に組み合わされた木の枝が、禎理ていりの周りをぐるりと囲んでいるのが見えた。どうやら自分は『巣』のようなものの中にいるらしい。更に遠くを見ると、岩の壁が瞳に冷たく映った。どうやらここは洞窟らしい。

 しかしながら。……自分が何故、こんな所にいるのか、皆目見当がつかない。確か自分は、野苺の茂る林の中の、大きな木の根元で微睡んでいたはず、なのに。

 だが。禎理の疑問は、すぐに解けた。

 鼻を突く生臭さと共に、醜悪な顔が、禎理の眼前にぬっと現れたのだ。

 ぎょろりとした大きな目、裂けた口からはみ出しているギザギザの鋭い牙、大柄な身体を覆う乱雑な鱗、そして長い爪。目にするもの全てが、禎理の背筋を寒くするに十分なもの、だった。

「なっ……」

 言葉を、失う。

 禎理を見詰める鋭い目と、伸びてくる汚れた爪を避ける為に、腕と腰を使って後退りする。しかしすぐに、禎理の背中に硬い岩が当たった。

 逃げられない。鈍く光る爪が、禎理に触れる。

 どうにかして、逃げなければ。それだけしか考えられない。

 だから。

 背中の震えを何とか止めながら、顔を近づけてきた怪物の、その黒い瞳をじっと見る。そしてすぐに、禎理は怪物から目線を外した。

 禎理の思惑通り、怪物の視線が禎理から外れる。今だ。禎理はさっと身を屈めると、横を向いたことでがら空きになった怪物の脇からするりと、明るい方へ逃げ出した。

 小柄な体格で良かった。すり抜けながらそんなことを考える。そしてその勢いのまま、禎理は洞窟の出口から外へと飛び出した。

 だが。

 ……地面が、無い。

 禎理の遙か下の方に、森のような緑の影が、見えた。

 どうやら、怪物の棲む洞窟は崖の中腹にあったようだ。その考察をするより早く、禎理の身体は重力に従って落下し始めた。

 目を瞑っても感じる風が、全身を震わせる。

 これまで、か……。

 だが。始まった時と同じように、落下が不意に止まる。

 恐る恐る目を開けると、黒く汚れた爪が禎理の身体を支えているのが見えた。

 この、爪、は。確かめる為に、顔を上げる。やはり、と言うべきか。禎理の目の前に、あの怪物の醜悪な姿が、有った。

 やはり自分は、この怪物の『餌』になる運命なのか。そう、覚悟する。落ちるのと、食べられるのとでは、どちらが『痛い』だろうか? 思わず、そんなことを考えてしまった。……どちらも『最良』とは言い難い。

 だが。

 再び、怪物の『巣』である洞窟の中に連れ込まれた禎理だったが、覚悟していたことは起こらなかった。代わりに、もとの巣の中に下ろされた禎理の膝に置かれたのは、野苺の入った蓋付きの籠。勿論、禎理のもの、だ。

「あ、の……?」

 戸惑う禎理をよそに、怪物は禎理の横に腰を下ろす。そして、その長い爪でできるのかと思うほど優しく禎理の身体をその膝に載せると、意外なほど器用に籠の蓋を外し、野苺の小さな粒を爪で摘んだ。

「えっ?」

 思わず、見上げる。

 野苺をその大きな口に入れた怪物は、少し目を細めると、禎理に向かって口の端を上げた。

 この、怪物は、一体……? 思考が混乱する。生臭い匂いに、野苺の甘い匂いが混じり、気分が悪くなった。

 だが。再び下を向くと、普段は禎理の腰のポーチで惰眠を貪っているキイロダルマウサギの模糊もこが、籠の中で野苺を貪っているのが見えた。悪食な魔物だからだろうか、模糊の様子には普段と変わったところは見受けられない。

 そんな模糊の様子が、禎理を落ち着かせる。

 もう一度、見上げると、野苺を一粒ずつ器用に食べている怪物と再び目が合った。その、美味しそうに食べている様子を見ていると、怯えているのが馬鹿らしくなった。

 よく見ると、この怪物は、貴族の持つ盾に描かれている『竜』に良く、似ている。

 伝説によると、『竜』は魔界、あるいは地上界でも人里離れた場所に棲み、孤高の存在であるらしいが、この怪物を見ているとそうとは思えない。禎理は内心くすりと笑ってしまった。

 大食いの魔物である模糊が居たからか、籠の中の野苺はすぐに無くなってしまう。

 苺の汁の付いた爪を舐めてから、怪物は禎理を抱き、巣の中にごろりと横になった。

 禎理を扱う感じは優しげだが、鱗が当たる背中も、爪のあるお腹の辺りも正直ちくちくして、痛い。それでも禎理は、されるがままになっていた。

 ……『淋しい』のかもしれない。そう、感じたから。

〈まあ、仕方無いか〉

 案外小さな怪物の寝息を聞きながら、そっと、息を吐く。

 孤高の存在とはいえ、やはり独りでは淋しいのだろう。それに、こんな醜悪な姿形をしていれば、大抵の生物は姿を見ただけで逃げ出してしまうだろう。

〈しばらくなら、一緒に居ても良いかな〉

 そんなことを考えてながら、禎理はゆっくりと、目を閉じた。


 その、次の日。

 禎理と怪物は、怪物の巣の下に広がっていた森の中に、居た。

「……すっごい」

 怪物に連れて行かれた、森の中にある崖下の広場の光景に、思わず感嘆の声を上げる。

 禎理の目の前にあるのは、様々な種類の野苺。朝起きてお腹をグウと鳴らした禎理と模糊の為に、怪物が教えてくれた特別な場所。

 早速、籠を足下に置いて野苺を摘み始める。

 木が少ない場所であり、良く日に当たっている為か、野苺の粒は大きく、口に含むと甘い香りがふくよかに広がった。

 勿論、模糊も大喜び。低い所に生えている野苺をその小さな手で掴み、口に入れては次の野苺を素早く掴んで、いた。

 そんな模糊を見詰めた、嬉しい気持ちのまま、上を向く。長い爪を上手く使って野苺を摘む怪物は、禎理の目には醜悪には見えなかった。

「ありがとう」

 思わず、口に出す。

 禎理の言葉に、怪物は一瞬手を止め、目を大きくして禎理を見下ろした。

「ううん、何でもない」

 その行動が可笑しくて、思わず、首を横に振る。

 それでも、禎理の気持ちはきちんと伝えることができたようだ。怪物はこくんと頷くと、再び長い爪を野苺へと伸ばした。

 楽しい。心からそう思う。

 と、その時。

 何かが落ちた音に、はっとして顔を上げる。

 森から広場への入口に、若い少女が立ち竦んでいるのが、はっきりと見えた。

「……あ」

 思わず、少女の方へ腕を伸ばす。

 だが、禎理が「大丈夫だよ」と言う前に、少女はくるりと禎理達に背を向け、森の中へと逃げ去って、しまった。

「あーあ……」

 溜息をつきつつ、怪物の方を見上げる。

 目の前で怖がられたことにショックを受けたのか、怪物の瞳は、先程よりも暗くなっていた。

 少女がいた場所へ向かい、置き去りにされた籠を拾う。禎理のものより小振りな籠だが、あの少女がここへ野苺を摘みに来たことだけは推測できた。

 仕方が無い。禎理は再び溜息をつくと、怪物の側へ戻って尋ねた。

「この近くに村があったら教えて」

 お詫びの印に、この籠に野苺を一杯にして、あの少女の所へ持って行こう。もしかしたら、この淋しんぼの怪物にも、これをきっかけに『友達』ができるかもしれない。

 ……自分は、この怪物と『ずっと』一緒に居ることができるかどうか分からないのだから。


 怪物が教えてくれた村は、森から少しだけ離れた所に有った。

 驚かせてはいけないから、怪物は模糊と一緒に森で待っていてもらうことにして、禎理は独り、木を組んで作られた柵に開いている小さな門の側まで行った。

 既に日は傾き始めているが、村人達はまだ畑で働いているらしく、ずっと遠くに人影が見えるのみ。とりあえず、禎理は野苺が一杯入った少女の籠を、門の側へと置いた。そして森へ帰ろうとくるりと身体の向きを変えた、丁度その時。

「待てっ!」

 影一つ見当たらなかった背後の村から、太い声が上がる。

 振り向いた禎理は、すぐ近くに痩せた村人が立っているのに正直驚いた。村人が持つ槍が放つ、鈍い光にも。

「村に何の用だっ! この怪物使い!」

「えっと……」

 説明しようと口を開きかけて、しかしすぐに口を閉ざす。逃げるべき。そう、禎理の本能が告げている。

 だから。槍を構えた村人に背を向け、禎理は森に向かって猛ダッシュした。

 あんなに優しい怪物なのだから、村の人々とも仲良くできるのではないか。そんな考えは一瞬にして禎理の脳裏から消え去ってしまって、いた。

 だが。

「あ」

 怪物がその姿を森の外に出しているのが、禎理の瞳にはっきりと映る。その醜悪な姿を見て、村人は禎理を『怪物使い』だと思ったのだろう。そう考える前に、禎理は怪物に向かって力一杯叫んだ。

「駄目っ! 戻って!」

 その、次の瞬間。禎理の右横ギリギリを、錆びた槍の穂先が掠めた。

「痛っ!」

 痺れるような痛みを感じ、右腕を押さえる。ぬるりとした感覚が、禎理の背中を震わせた。

 しかし幸いなことに、槍は立ち止まった怪物の少し前の地面に刺さっている。怪物にも模糊にも、怪我は無い。

 だから。

「帰ろう。ねっ」

 槍を避けてなおも前進してくる怪物を、無事な左腕で押し留める。

「模糊も」

 心配そうに禎理の左肩に乗る模糊に向かって、禎理は引きつった笑顔を見せた。

 自分は大丈夫だし、模糊も、怪物にも怪我は無かった。村人の行為の是非は判定不能だが、みんな、大丈夫だから、問題ない。

 怪物を森の中まで押して行きながら、少しだけ後ろを振り返る。槍を投げた村人の後ろで、件の少女が禎理の置いた籠を拾い上げたのが、はっきりと、見えた。

 村人は、これ以上の攻撃はしてこないようだ。禎理はほっと息を吐いた。


 だが。 怪物と共に『巣』に帰った禎理を襲ったのは、悪寒と激痛。

 どうやら、『巣』に帰る前に小川の水で綺麗に洗ったにも関わらず、傷の錆が毒に変わってしまったらしい。

 ぼうっとした瞳に、怪物の姿が映る。怪物だから顔色は窺えないが、禎理の容態におろおろしていることだけは、何となく分かった。

 おっかなびっくりで禎理に触れる、その姿に、少しだけ笑ってしまう。

 自分は、大丈夫。だから、そんなに悄気た顔はしないで欲しい。

 そう思いながら、禎理はゆっくりと目を、閉じた。


 再び目を開けた時、禎理は、自分が普通のベッドの上に居ることに気付いた。

〈あ、れ……?〉

 これは、夢か? 木組みの天井を見詰めながら漠然とそんなことを考える。それとも、怪物と一緒に居たことが夢だったのか? いや、怪物は、現実に、居た。

 と。

「……あ、気が付いた」

 高い声に、はっとして横を向く。

 熱でぼうっとしている禎理の瞳に映ったのは、禎理が野苺の籠を届けた少女。

 と、すると、ここは、件の村?

「良かった」

 戸惑う禎理の目の前で、少女がぺこんと頭を下げる。

「ごめんなさい。私の所為で、とんでもないことになっちゃって」

「いや……」

 これは、『夢』ではないらしい。では何故自分は此処に居るのか。考えられることは一つしかない。

「今朝、門の所で倒れてるのを見つけたの」

 少女の言葉が、禎理の答えを裏付けた。

 あの怪物が、村まで禎理を運んでくれたのだ。……禎理の『命』を助ける為に。

 言葉が、出ない。禎理は呆然と、天井を見詰めた。

「……あ、そうだ」

 不意に、少女が禎理の枕元を指差す。

 少女の指の先、サイドボードの上には、禎理のものである蓋付きの籠が心配顔の模糊と共にちょこんと鎮座していた。

 籠から仄かに香るのは、野苺の匂い。

「これ、さっき門の所に置いてあったの」

 少女の言葉に、禎理の目から涙がぼろぼろと零れ落ちた。

「どうしたのっ! どこか痛むの?」

 突然の禎理の涙にびっくりしたのだろう、少女が大声を上げる。

「いや……」

 禎理は慌てて首を横に振った。

 だが。


 涙が、止まらない。

 禎理は上掛けを頭からすっぽりと被ると、涙を悔しさと共に飲み下した。

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