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拒絶する森

 分厚く茂った葉の間から、僅かに星明りが漏れる。

 その灯りだけを頼りに覚束ない足取りで森の中を彷徨っている禎理ていりの口は、知らず知らずのうちに何度目かの溜息を漏らしていた。

 事の起こりは、昨日の昼。

 マース大陸の南東部から、故郷とも云える天楚てんそ市のある北東部に向かう為北上していた禎理は、食料調達の為に街道沿いの村に立ち寄った。その村で、ある男に『難癖』をつけられたのだ。

 男の最初の話は、「この近くにある別の村の護衛を一緒にやらないか?」。だが、その話と、話をした男自身に胡散臭さを感じた禎理はまともに取り合わなかったのである。第一、小柄で女顔の、見た目が頼りない人間に護衛を頼むなんて、絶対に何かがおかしすぎる。だから禎理は、その話を丁重に断ったのだが、その事が何故か男の癇に障ったらしい。村の市場でも宿屋でも、禎理に散々絡んだ挙句、今朝早く逃げ出すように村を去った禎理を猛然と追いかけて来たのだ。

 こうなってしまっては、禎理の取るべき道は二つに一つ。逃げるか、闘うか、だ。

 だが、無用な戦闘は禎理の好むところではない。相手は禎理より大男だ。『力』だけで比べればおそらく、相手の方が強い。腰に差した短剣と手斧、そして襟と袖に隠し持っている、鉄片を叩き伸ばして刃を付けた手裏剣を駆使すれば勝利を収めることは可能であろうが、それで怪我をしてしまってはたまらない、と思う。もうすぐ冬である。ここで大怪我でもしてしまったら、こんな、糧を稼ぐことが難しい『田舎』で冬を過ごさなければいけなくなる。懐が淋しい今の禎理にとって、それだけはできることなら避けたかった。

 だから、逃げた。

 真っ直ぐ北へ伸びている街道をそれ、東側の森に飛び込んだのだ。

 だが。

〈……選択、間違えたかなぁ〉

 分厚い葉の天井を見上げて、溜息をつく。

 街道の東側は木々がうっそうと茂った森で、西側は草も疎らな荒野。どちらかといえば森の方が、追われている身を隠すには好都合だろう。そう思っての選択だったのだが、禎理は今更ながら後悔していた。

 それと、もう一つ。

 東の森の奥深くに入りこんだ人間は、戻ってくることが無い。昨日村人から聞いたこの噂が、この選択の理由ではないといえば嘘になってしまう。そんな噂の立つ森なら、普通の人間は立ち入らない。だが、『森』に慣れている自分なら何とかなる。逃げるには、もってこいだ。

 だが、秋なのに葉が散ることもなく、ただただうっそうと茂る南の木々は、大陸北東部の、同じくうっそうと茂るがどこか明るい感じのする森に比べ、陰気な感じが強すぎる。これでは人間が迷うのも道理だ。現在の自分の状況に、禎理は深く溜息をついた。

 しかし、しつこかった件の冒険者は、さすがに此処までは追って来ていない。この点では助かったのかもしれない。禎理はそう思うことにした。

 とにかく、月さえ見えれば、方向は分かる。だが、今日は確か『有明の月』であった筈。夜明けまで月は出ない。

 暗い中を闇雲に歩いていても、疲れるだけだ。幸い、ベルトに取り付けられたポーチでいつもの如く惰眠をむさぼっている大飯喰らいの兎型魔物、模糊もこの分も合わせて、食料は豊富に仕入れてある。夜明けまで、どこか適当なところで休もう。禎理はおもむろに足を止めた。

 と。

 立ち止まった禎理の目が、星明りとは違う光を捕らえる。

 これは……炎? と、いうことは、こんな森に『人』が居る? 小首を傾げながらも、禎理の足はひとりでに、その『光』の方へと歩き出して、いた。但し、そこにどんな人が居るかは分からないので、足音は立てない。

 すぐに、森が途切れて広場になった場所が見えた。その広場の真ん中の、森には相応しくないものに、禎理は一瞬瞠目する。

 それは、白い岩を禎理の背の高さほどに積み上げて作られた、天井の無い円形の空間。その、粗雑に並んだ岩の隙間から、磨かれた石を敷いた床の上に焚かれた焚き火が見えていたのだ。

 これは、『神殿』だろうか? そう、見当をつける。

 焚き火の周りには、大男の影が五つ。隙間からその空間を覗き込んで、男達の人相に不穏なものを見つけた禎理は、不用意に近づかなくて良かったとほっとすると、最大限急いでその場を離れた。

 この森を根城とする山賊か、食い詰めて逃げてきた盗賊か。どちらにしろ、相手にはしたくない。

 だが。

 立ち去りかけた禎理の目が、ならず者達とは違う影を捕らえる。焚き火で揺らめくその影は、確かに、男達よりも細かった。

 誰、だろう? 好奇心に駆られた禎理は、その影の方へとこっそり歩み寄り、一番近いと思われる岩の隙間から空間を覗いてみた。

 覗いてから、はっとする。禎理のすぐ傍に、しっかりと手足を縛られた少女が、うなだれて座っていたのだ。

 まだ若い。せいぜい十二、三歳位だろうか? 荒くれ男共に囲まれたいたいけな少女に、禎理は唇を噛み締めた。捕まっている理由は分からないが、捕まったままでは、この少女の運命はすぐに察しがつく。とにかく、助けなければ。

 慎重に辺りを見回し、『神殿』内の男達が皆舟を漕いでいることを確かめる。そして、腰のベルトに留めてあるポーチの中に手を突っ込んで模糊を起こすと、少女の方を指差してから模糊を隙間へと押しやった。

 小さくて身の軽い模糊なら、誰にも気付かれすに少女の所に行くことができる。万が一気付かれても、あんな男達の雑な攻撃が模糊に当たる訳が無い。

 禎理の信頼どおり、模糊は一飛びで少女の傍に着地すると、驚く少女の注意を禎理の方へと向けた。

 禎理を見た少女の目が、大きく見開かれる。しかしすぐに禎理の意図を悟ったのか、少女は尻と足を使って禎理の方へとにじり寄ってきた。

 手首の結び目が、隙間から見える。動かないでと合図してから、禎理は腰の短剣を抜いた。

 貴重金属ポリノミアルの刃が、荒縄を一瞬で切断する。

 次の瞬間。

「……え」

 今度は禎理が驚く番だった。

 両腕が自由になった少女が、壁の上辺に手を掛けるや否や、腕だけの力で空中へ飛び上がったのだ。

 白い壁を越える少女の姿が、一片の葉のように見える。

 唖然とする禎理の横に、音も無く着地する少女。その後で腕の中に飛び込んできた模糊の重さで、禎理はやっと我に帰った。

「早く!」

 急かされるままに、少女の足の縄を切る。

 自由になるや否や、少女は禎理の腕を取って走り出した。

「こっち!」

 少女が走り出したのは、出てきた森とは逆の方向。今まで居たところよりも更に分厚そうな雰囲気が、広場に居ても感じられる。

 だが、一瞬躊躇った後、少女に導かれるままに禎理も走り出した。

 今この時にも、目を醒ましたならず者達が二人を追いかけて来ないとも限らない。この少女はこの辺りの地理に詳しいようだし、此処は彼女の指示に従おう。禎理は一瞬でそう考えた。

 が、しかし。

 少女の後から飛び込んだ森に、違和感を覚える。木々は、先程まで彷徨っていた森と変わらないように見える。だが、枝から垂れる蔓草の数が、多すぎる。

 禎理がそう感じた、まさにその時。周りに垂れていた蔓が一斉に、禎理に向かって伸びてくる。

「……えっ!」

 戸惑う間もなく、突き出されてくる蔓の鋭い切っ先を避けて走る。

 手裏剣を投げる暇も、腰の手斧を抜く暇も無い。いや、たとえその暇があったとしても、間断なく攻撃してくるこの蔓に対抗できるのか。

 禎理の動きより、蔓草の動きの方が速い。忽ちにして、禎理の身体中に蔓が絡み付いた。引き剥がそうともがいても、蔓はますます固く、禎理の全身を締め付ける。

「ちょ、ちょっと!あなた、まさか……!」

 少女の声が、耳を打つ。

 見たところ、少女の方は蔓の攻撃を全く受けていないようだ。それだけは、禎理を安心させていた。

 だが。

「君は、逃げろ……!」

 近づいてきた少女にそう叫ぶ間も、禎理に絡む蔓は、依然としてその攻撃を止めない。

 首を絞められ、意識が霞む。

 感じるのは、森全体から放射される『殺気』のみ。

「……止めて! その人、は……!」

 ずっと遠くで、少女の声が聞こえた。


 爽やかな草の香りに、はたと目覚める。

 草を編んで作られた屋根から漏れる太陽の光が、禎理を迎えた。

 此処は、一体……?

 痛む首を庇いながらゆっくりと辺りを見回す。

 どうやら自分は、大の字になるだけで精一杯な広さを持つ、草を編んで作られた小屋の中に居るようだ。それだけは何とか分かった。

 でも、自分は、何故、ここに? 首筋にすり寄って来る模糊の頭を優しく撫でながら、首を傾げる。

 持ち上げた腕には、綺麗な布で包帯が施されている。近づけて匂いを嗅ぐと、ピリッとした草の香りが鼻腔に広がった。

 『森』に攻撃されて、意識を失った所までは何とか覚えている。だが、誰が此処まで連れてきてくれ、手当てまでしてくれたのだろうか? そこまで考えた、ちょうどその時。

「……あ、気がついてる!」

 壁の一方が明るくなると共に、発せられた言葉。

 その声は確かに、あの少女のものだった。

「良かったぁ」

 禎理の傍に膝をついた少女が、にっこりと笑う。

 この時初めて、禎理は少女が普通の人間とは違うことに気付いた。

 少女の頭には、猫型の耳が生えており、背後ではしなやかそうな尻尾がゆらゆらと揺れているのが見えたのだ。

 この少女は、まさか、……『猫人』?

 大陸南方に住むという、猫のように敏捷性に優れた種族のことは、聞いたことがある。しかし、その種族は人口が少なく、既に滅びたのではないかという噂が、天楚市では主流だった。

 その猫人が、目の前に居る。禎理の頭は驚きで混乱していた。

「薬師の姉様呼んでくるね」

 そう言い置いて、出て行く少女。

 次に入口の布が跳ね上げられるまで、禎理は呆然と入り口を見つめて、いた。

「あらあら」

 そう言いながら禎理の傍に膝をついたのは、先程の少女よりずいぶん年上に見える女の人。その人の頭にも、猫耳が付いている。

「ずいぶん元気そうね」

 冷たくて細い指が、禎理の首筋を這う。

「息苦しさは、無い?」

 女性の問いに、こくんと頷く。まだあちこちに痛みはあるが、動けないことも無い。

 禎理の答えに安堵したのか、女性はくるりと向きを変え、禎理の足元にあった行灯に火を入れた。

「此処は、『猫人』の村、ですか?」

 背中を向けた女性に、そう尋ねる。

「まあ、そんなところね」

 帰ってきた答えは、明朗快活なものだった。

 と、すると、やはり、『猫人』は伝説だけではなかったのか。自分の『新発見』に、好奇心旺盛の禎理の胸は踊った。

 灯りが入り、明るくなった小屋の中で、自分の姿をまじまじと見つめる。腕どころか、身体のあちこちに包帯が巻かれている。自覚は無いが、大分大怪我をしているようだ。

「まあ、雪がちらつくまでにはこの村を出られるでしょうよ」

 そんな禎理の包帯を替えながら、ころころと微笑う女性。

「フィアに感謝することね。あんたを此処まで引き摺ってきてくれたんだから」

「違うわ、姉様」

 再び、少女が顔を出す。今度は重そうな桶を両手で持っていた。

「御礼を言うのは、あたしの方」

 水を持って来たわ、と囁いてから、少女は禎理の傍に座り、その手を取る。

 先ほどまで力仕事をしていたその手は固く強張っていたが、微かに温かい。

「そういえば、あたし、あなたの名前を聞いてなかったわ。教えてくれる?」

「禎理。こっちのキイロダルマウサギは、模糊」

 少女の問いに、そう答えると、禎理はにこっと笑って言葉を継いだ。

「助けてくれてありがとう」

「こちらこそ、ならず者から助けてくれてありがとう」

 禎理に釣られてか、少女もにこっと笑う。が。

「……ちょっと、フィア」

 禎理の足の包帯を代えていた女性の声が、不意に変わる。

「あんたまさか、また、約束を……!」

「あ、あたし、まだ母様の用事が残ってたんだった!」

 その声だけ残して、次の瞬間、少女の姿は風のように消えてしまう。

 唖然とする禎理の耳に、女性の溜息が聞こえてきた。

「……あ、あのう」

 思わず、尋ねる。

「一体、何が……?」

「しょうのない子ね、ホント」

 だが、女性はそれ以上何も言わず、怪我の手当てを済ませると足早に去って行った。


 一体、何があったのだろうか?

 一人きり(正確にはそばで模糊が惰眠をむさぼっているが)になった小屋の中で、禎理は何となくの物思いにふけっていた。

 何故フィアは、あの荒くれ男達に捕らえられていたのだろうか? 常識で考えると、世にも珍しい猫人の少女を奴隷として売る為に、男達が捕まえていたという説が妥当だろう。だが、フィアの身の軽さと、薬師の女性が発した言葉から考えると、フィアは「何かをする為」に男達に近づき、失敗して捕らえられたと考えるのが正しいようだ。

 では、フィアは一体何をしようとしていたのだろうか?

 何だかんだと言っても、『命の恩人』の事である。気にならない訳がない。

 しかし、僅かな情報だけでは、考えても理由など分かる訳がない。そこまで考えて、禎理は身体の力を抜いた。こればかりは、考えても仕方がない。

 体力回復の為に少しだけ眠ろうと、目を閉じる。喧騒などとは程遠い、あくまで閑散とした雰囲気が、禎理の全身を包んだ。

 この『猫人の村』には、一体何人の村人が居るのだろうか? 物音一つ聞こえない状態をいぶかしむ。おそらく、『少ない』という形容詞では済まないのではないか? 禎理がそう感じた、まさにその時。

「やめてよ!」

 鋭い声が、耳を打つ。

 フィアの声だ。そう認識する間もなく、禎理の身体は玄関代わりの布の影に陣取っていた。

 布の隙間から、外を覗く。腕を掴まれたフィアが、罵声を発しながら大きくもがくのが、確かに見えた。

 そして、フィアの腕を掴んでいたのは。

〈……あの男!〉

 内心で呻く。

 一昨日から禎理を付け回していた男が、そこには、居た。

 何故あいつが此処に? 思わず首を傾げる。しかし、疑問はすぐに現実に打ち消された。今は、フィアを助けるのが先だ。

 隙間から狙い定めて、袖口に仕込んである手裏剣を投げる。男に当たったかどうか見定める間もなく、禎理は物陰に隠れた。

 耳を澄ますと、フィアの発する罵声が遠ざかっていくのが聞こえる。どうやらフィアは、ちゃんと男の手から脱したようだ。禎理がほっとする間も無く。

 不意に、玄関代わりの布が大きく開かれる。怒りを背負った男の影を、禎理ははっきりと感じ取った。

 男はしばし、小屋の中を隅から隅まで見渡す。だが、きちんと考えて、開いた布の影になる所に隠れた禎理は、男からは見えない。手裏剣がどこから飛来したのかは、少し武芸をかじった者ならすぐに分かる筈だから、間髪入れすに隠れたのは正解だった。

 男が諦めるまで、長い時間が掛かったような気がする。布が再び下ろされ、男の足音が遠ざかると、禎理は心からほっとした。

 でも、何故、あいつが此処に? 再び、疑問が頭をめぐる。だが、フィアの発した言葉の中で、一つだけ強く禎理の心に残っているものがあった。

 彼女は確かに、あの男に向かって「役立たず!」と言ったのだ。


 そして、その夜。

 微かな足音に、禎理の目が、はっと醒める。

 入り口の布の隙間から外を見ると、細い影が一つ、ゆっくりと森の中に向かうのが、星明りではっきり見えた。

 あれは、もしかして、フィア? 次の瞬間、禎理は小屋を飛び出していた。

 フィアが森に入る前に、何とかして止めなければ。

 だから。

「何やってるの、フィア」

 森に入る直前で、影に向かってそう、声を掛ける。

 細い影は、背中をびくっと震わせてから、ゆっくりと振り向いた。

「……なんだ、禎理か」

 明らかにほっとした声が、夜空に響く。

「見逃して。お願い」

「それは……ダメ」

 おそらく、フィアは再び、あのならず者達の所へ行くのだろう。自分の目的を、果たす為に。だが、危ないと分かっている事を、禎理の目の前でさせるわけにはいかない。

 禎理を振り切るように、フィアが森の中に入る。そのフィアを止めようと、禎理も森の中に入った。

 次の瞬間。悪意を持った森の蔓草が、禎理を襲う。今度も簡単に、禎理の身体は拘束された。

 再びの痛みが、全身を貫く。禎理は今度こそ『死』を覚悟した。

 と、その時。

「何で……?」

 蔓に絡まれた禎理の傍に、フィアの顔が現れる。次の瞬間、あんなに強く禎理を縛っていた蔓が綺麗さっぱり解けて、しまった。

〈……え〉

 呆然とする禎理の首筋に、こそばゆいものが触れる。

 首に手を当てると、ふわっとした塊が指に触れた。

「それ、御守り」

 尻餅をついたままの禎理の傍で、ぶっきらぼうにフィアが言う。

「あたしの尻尾の毛で作ったの。……即席だけど、この森に入る為に、必要だから」

 細い腕とは思えない力で、フィアが禎理の身体を引く。

 そしてそのまま、二人は元来た道を戻って行った。

「……何で?」

 森から猫人の村に続く道に出た瞬間、そう、尋ねられる。

「何で、私に『ちょっかい』を出すの? 命を懸けてまで」

 答える代わりに、禎理はフィアにぴったりと身を寄せた。

「何があったのか、話してくれない?」

 フィアのふわふわの耳に、殊更ゆっくり話し掛ける。

「力に、なりたいんだ」

 次の瞬間。

「うわぁぁぁぁぁん!」

 禎理の胸に、温かいものがぶつかった。

「あたし、あたし……」

 泣きながら呟かれる、フィアの行動の理由。

 その言葉を、禎理はただ彼女の髪を撫でながら、黙って聴いていた。

 それによると。

 古来より、大陸全土で細々と暮らしていた猫人だが、いわゆる『普通の人間』である陸人の隆盛の影響からか人口が減り、今は、この村だけが『猫人の村』になってしまっている。

 普段はこの村で、農業や漁業で細々と生活を立てている彼らだが、冬の間は生活の術がなくなってしまう。幸い、その身の軽さから、密偵として南西部の王国では重宝されている為、出稼ぎ先には困らないが、力の有る男どもが出て行ってしまうと、村の防備が手薄になってしまう。

 村の為に人を残せるほど、村人の数は多くない。だから彼らは、村の周りに特別な森を作った。陸人を『感じる』と、悪意を持って攻撃する『森』を。

 しかし、闇雲に攻撃を仕掛けると、猫人と交易をしようとする『害の無い人間』まで殺してしまう。だから、猫人の毛で作った『御守り』を持っている人だけは、森を通すようにしたのだ。

 だが、その仕掛けを知った陸人のならず者達が、森と村をも我が物にしようとして暴挙に出た。ちょうど通りかかったフィアの弟を捕らえると、殺して、その毛で『御守り』を作ってしまったのだ。

「村の大人たちは、『弟は出稼ぎに行った』と、あたしや母様には思わせようとしているわ。……でも、あたしは知ってる」

 しかし、今の『村』の状況では、ならず者達を退治する事は到底無理である。

 村を守るために大人たちが雇った『冒険者』も、好色な大飯喰らいなだけで、ならず者退治には尻込みするだけだ。

「だから、あたし一人でやろうと思ったの」

 弟の身体から作られた『御守り』だけは、何としても取り返したい。その為に、フィアは、ならず者達に闘いを挑んでいるのだ。……それがたとえ、勝ち目の全く無い闘いだったとしても。

 フィアの事情は、これで分かった。

 そして、『猫人の村』に来てからこれまで、フィアとその姉以外の猫人の声すら聞かなかった理由も悟った。人口が少ない、だけではない。彼らは『陸人』を恐れ、かつ憎んでいるのだ。

 それならば。今にも崩れそうなフィアの身体を支えながら、唇を噛み締める。『信頼』を取り戻すまでは無理だろうが、とにかく、自分にできることをやろう。

 だが。

「闇雲に動いても、解決には至らない」

 冷静な部分が判断した事柄を、静かに、呟く。

 その声に、フィアがふと顔を上げた。

「でも、じゃあ、どうすれば」

「一日だけ、時間が欲しい」

 何か策を練らないと。

 禎理の言葉に、フィアは躊躇いの表情を見せたが、すぐにこくんと頷いた。


「……やっぱり、そうだったのね」

 禎理の話を聞いた薬師の女性は、包帯に薬草を煎じて作った汁を塗りながら、深い溜息をついた。

「ほんとに、仕方のない子なんだから」

 そう言った女性の目が濡れているように、禎理には感じられた。

「でも、それで、あなたはどうするつもりなの?」

「力を貸して欲しいんです、あなたの」

 一晩かけて考えた策を、女性に話す。

 この策を実行する為には、この人の協力が不可欠だった。

「……分かったわ」

 少しだけ微笑ってから、小屋を出て行く女性。

 しばらくして、再び現れた女性の腕には、薬草の束が山のように乗っていた。

「これだけあれば良いかしら?」


 そして、夜。

 森の入り口で、フィアと禎理はおちあった。

「あなたは、陸人だけど、信用できるから」

 出会うなり、禎理の首に『御守り』が巻かれる。

「私のこと、二回も助けてくれたし」

「うん……」

 腕一杯に薬草を抱え、更にそれを顎で支えているので、満足に御礼を言うことができない。

 僅かに首を動かす事で、禎理はフィアに謝意を伝えた。

「でも、怪我は大丈夫なの?」

 そんな禎理の顔を覗き込んで、フィアが尋ねる。

「うん」

 実は、薬師の女性に、一時的に痛みを止める薬と、これまた一時的に力を増強させる薬も頼んであった。それを飲んでいるから、怪我の痛みはすっかり治まっているのだが、それをフィアに言う必要は無い。

 だから再び、僅かに首を動かす。それだけでも安心したのか、フィアは先に立って歩き出した。

 禎理も、その後ろを歩く。

「効き目確かでしょ、その『御守り』」

 歩きながら、フィアが少しだけ笑う。釣られて禎理も、少しだけ笑った。

 確かに、フィアにも禎理にも、森は攻撃してこなかった。

 しかし、ならず者達の件もある。油断は禁物だ。

 神経を研ぎ澄ませ、辺りを窺いつつ歩く。フィアの方も、ただ黙々と歩いていた。

 やがて、視界の向こうに、ならず者達が焚いている火が見えてくる。

「もう少し、行かないと」

 前を歩くフィアにそう伝えると、二人は殊更慎重に、広場へ向かった。

 ならず者達は円形の神殿内で焚き火を焚いて集っている。

 『焚き火』が有ることが、この計画で一番重要な所。夜は暗く寒いし、森に棲む『変なもの』が出てくる可能性が無きにしも非ずなので、焚き火は絶対に焚いていると予想してはいたのだが、世の中に『絶対』は無い。だから禎理は、『火』の存在にほっとした。

「……それで、何をするの?」

 薬草の束を地面に置いた禎理に、ならず者達が舟を漕いでいる事を確認したフィアの質問が降って来る。

 それには答えず、禎理は腰のポーチから模糊とバンダナを二枚取り出すと、一枚のバンダナで鼻と口を覆ってからもう一枚をフィアに渡した。そして、フィアが禎理と同じように自分の鼻と口をバンダナで覆ったのを確認してから、薬草の束から一本引き抜いて模糊に銜えさせた。

「いいかい、歯で噛んじゃダメだよ」

 そう諭してから、隙間の向こうの炎を指差す。

 心得たように模糊は一直線に焚き火に向かうと、銜えていた薬草を火の中に投じた。

 忽ちにして、甘い匂いが微かに漂ってくる。

「何を入れたの?」

 フィアの問いに、禎理はにやっと笑った。

 薬師の女性に頼んで持って来て貰ったのは、即効性の眠り薬。おそらく一本で、大抵の人間が正体も無く眠り込んでしまうもの。これは、薬草の知識も持っている禎理だからできる、策。

「……もう少し、入れたほうがいいんじゃないかしら」

 煙の効果を観察する禎理の背後で、フィアが囁く。

 ならず者達の様子を確かめてから、禎理は片手で掴めるだけの薬草をフィアに渡した。

「任せて」

 フィアの身体が、宙を舞う。

 一瞬にして焚き火の前に着地すると、ぱっと薬草を投入し、次の瞬間には禎理の背後に戻っていた。

 忽ちにして、眠気を誘う煙が、辺りを漂い始める。その効果がしっかり現れるまで、二人は辛抱強く待った。

「もう、いいかな」

 辺りを確認して、そう、確信する。

 次の瞬間、フィアの身体は、神殿の中にあった。

〈さすが猫人、身が軽い〉

 そう思いながら、禎理自身は苦労して石壁を登り、神殿内に入る。

 禎理がもたついている間に、フィアは既に、ならず者達が首に掛けていた『御守り』をすっかり回収し終わっていた。

「これで、いいかい?」

 満足そうな顔のフィアに、静かに、そう尋ねる。

 フィアは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにこくんと頷いた。

「ええ。……あたしの目的は、果たしたから」

 動けない男達を、弟の敵として殺す事は簡単だ。しかし、『御守り』だけ奪って後は放っておく方が、実はもっと残酷なのではないか。禎理は少しだけ身震いした。

 とはいえ、目的は達成された。

 ならず者たちが目を醒ます前に、二人は大急ぎで神殿を出た。


 村に帰るために、再び森の中に入る。

 また、攻撃されるのでは。森に入る前に禎理は一瞬身構えたが、勿論、フィアの『御守り』はきちんと首に掛かっている。森が攻撃してくる訳がない。

 禎理は安心して森の中を歩いた。

 と。

 重い殺気が、禎理の傍を駆け抜ける。

 一瞬の、首に感じた違和感の後で、すさまじい攻撃が四方八方から禎理を襲った。

〈えっ?〉

 僅かに、戸惑う。

 森が、攻撃してくる。フィアの『御守り』が、有る筈なのに。

 首筋を探った禎理は、次の瞬間あっとなった。『御守り』が、無いのである。

「禎理!」

 フィアの声も、確かに戸惑いを含んでいる。

 蔓草の攻撃を避けながら、禎理は村へ向かって走った。

 森を出れば、攻撃は止む。

 だが。

 森の出口に見知った影を見つけ、禎理は思わず舌打ちをした。

 そこにいたのは。

「はっはっは、久しぶりだな」

 禎理を追い回し、猫人の村で大飯を喰らっていた件の男、だ。

 その太い腕の間ではフィアがもがいている。

「ならず者達を退治してくれて、助かったぜ」

 出たばかりの月明かりに、男の下卑た笑みが浮かぶ。

「後はお前たちさえ死んでくれれば、全部俺の手柄だ」

 男の、フィアを押さえていない方の手の中に有るのは確かに、フィアが禎理にくれた『御守り』。

 このままでは、フィアが危ない。しかし、ドーピングした薬草の力で何とか森からの攻撃を避けているだけの禎理には、成す術が無い。

 と、その時。

「……痛っ!」

 もがいていたフィアが、男の腕に噛み付く。

 一瞬だけ、フィアを掴んでいた男の腕が緩んだ。

〈……今だ!〉

 間髪入れず、短剣を左手で抜いて男の胸に突っ込む。

 禎理の行動に気付いた男はとっさに短剣を避けたが、その間に、禎理の右手は男の首に掛かっていた『御守り』の紐を引き裂いていた。

 次の瞬間。

 胸が、熱くなる。

 急激に暗転する視界の隅で、槍のようになった蔓が男の全身に刺さっているのだけは、確かに、見た……。


 温かい感覚に、はたと目覚める。

 横を向くと、頬に模糊がぺったり張り付いているのが見えた。

 確か、此処は……。定まらない思考を殊更ゆっくりと巡らせる。

「……禎理!」

 だが、解答が出る前に、答え自身がけたたましい声と共に現れた。

「良かった! 気がついた!」

 禎理の視界一杯に、フィアの顔が現れる。

 今にも泣きそうなその顔に、禎理の胸は、痛んだ。

「全く、どれだけ怪我をすれば気が済むんだか」

 フィアの後ろから、薬師の女性の声が聞こえてくる。

 と、すると、やはりここは、『猫人の村』の草葺小屋。自分は今度も、何とか生きている。その実感が、やっと湧いてきた。

 ……フィアも、無事だ。

「これじゃ、春まで動けないわね」

 足の包帯を代えながら、呆れた様に女性が笑う。

 確かに、身体が全く動かないこの状態が元のように回復するまでには、しばらくかかるだろう。

「フィアに感謝しなさい。此処まで引き摺ってきてくれたんだから」

「違うの、姉様」

 再び、同じ言葉がフィアの口から迸る。

「御礼を言わないといけないのは、あたしの方」

 そう言ってから、フィアは静かに、禎理の手を取る。

 フィアから感じられる温かさが、禎理の胸を一杯にした。

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