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海人の衣

 人の集まりやすい街道沿いには、よく市がたつ。

 ちょうどお昼時に、そんな市の一つに差し掛かった禎理ていりは、何か小腹の足しになるものを買って行こうとその市の中に足を向けた。

 仮設の庇の下に並んでいるのは、南国らしい大きくて色鮮やかな果物や、波の穏やかな湾内で取れた白身の魚とその加工品。どれも皆、売っている者が直接作ったり獲ったりしたものだ。

 にわか商人達の呼び売りの声の中、市を物色した禎理は、とある魚を売る店の前で足を止めた。

「その柔らかそうな干し魚が二つ欲しいんだけど」

「はい、ありがとうございます」

 店を張っていたまだ若いが体つきのがっちりした男が干し魚を包んでくれる。

 その包み紙に、禎理の目は吸い付いた。

「あれ、それ、紙じゃないね」

「ああ、これですかい」

 禎理の問いに、若い男は少しだけその日焼けした顔を歪めた。

「元は女房の衣装だったんですがね、潮に浸かって駄目になっちまったから、細かく切って包み紙にしてるんでさぁ」

「ふーん」

 受け取ってみると、元はかなり良い生地だったらしい、意外にすべすべした肌触りが心地よい。

 禎理は男にお金を払うと、ついでに果物を買うために再び喧騒の中に戻った。


 市を出てから少し歩くと、潮の匂いが鼻腔をくすぐる。

 もうしばらく歩くと、穏やかな海と砂浜が禎理の目の前に広がった。

「……うわっ」

 北の海とは違うその碧色に、思わず感嘆の声が漏れる。

 マース大陸の南側にある『大内海』と呼ばれる海は確かに、穏やかで、それでいてしっかりとした威厳をたたえていた。

 口から思わず歌が出る。


  この海は 我々の海

  時に冷たく 時に優しく

  我等を見守る


  恵み多き 母なる海

  そこに生まれ そこに還る

  我等の故郷


 北の船乗り達が酒盛りの時に好んで歌う歌だが、この南の海にも似合っている様な気がする。こんな穏やかな海も荒れるということがとても信じられないが。

 この地方の歌で禎理が知っているのはただ一つ、とある古い王朝の成り立ちを歌った伝説に満ちた物語歌だけだ。


  勇者は向かう 海の果ての果てへ

  船は目指す 神の守りし島へ

  乱世を平らげる 力を求めて


  波が動く 祈りを力と成し

  風を変える 剣持つその手で

  行き着く先は 光有る明日


「……なかなか、うまいな」

 不意に海上から声が響く。

 歌を止めた禎理が声のしたほうを見ると、波打ち際に緑色の衣を着た男が立っていた。

陸人くがびとにしては最高だ」

 禎理と目が合うと、その男はその薄い唇を歪めてにっと笑った。

 緑色の髪を持つその男は、外見も雰囲気も禎理たちのような陸に住む人間とは明らかに違っている。

 まさか、彼は……。

「海、人?」

 禎理はそう問わずにはいられなかった。

 余りにも不躾な問いだったが、それでも男は禎理に向かってこくんと頷いてみせる。

 やはり、そうだ。

 『海人うみびと』とは、海の底で生活を営んでいるというマース大陸の人族である。陸に住む『陸人』に比べ人口が遥かに少ないせいか、それとも生活形態が余りにも違う為か双方に余り行き来はないのだが、下半身に鱗を持ち、芸術分野に深い造詣がある種族だと禎理も聞いたことがある。

 しかしながら、いつもは海のそこで静かに暮らしている海人が、何故こんなところにいるのだろうか。

「別に。ただ、良い歌が聞こえたから上がって来ただけさ」

 海人はそう言うと、すたすたと砂浜に上がり禎理の横に腰を下ろした。

「もっと聞かせてくれよ」

「いいよ」

 自分の歌声を褒められたことが嬉しくて、禎理は再び歌いだそうと腕を広げた。

 と。

 禎理の懐から買ったばかりの干し魚の包みがぽとりと落ちる。

 それを見た海人の表情がみるみるうちに驚愕へと変貌した。

「これ、は?」

 息せきって尋ねられる。

「ただの干し魚、だけど」

「中味じゃなくってこの布は?」

 掴みかかるまでの勢いで尋ねる男に、禎理はびっくりして目を白黒させた。

「干し魚を売ってた漁師がそれで包んでくれたんだ」

 何とかそれだけ答える。

「何だと!」

 禎理の言葉に、彼は更に声を荒げた。

「やはり、あの男……!」

 そう言うなり、彼は海人とは思えない速さで走り出す。

 何か、ある。

 そう感じた禎理は、直ぐに海人の後を追いかけた。


 漁師達が暮らしている村のすぐ近くで、禎理はやっと彼に追いついた。

 今にも飛び出しそうな海人の男を何とか抑える。

「何するんだよ」

 当然のことながら、彼は禎理に向かって怒りを露にした。

「君が何を考えてるのかは分かんないけど」

 そんな彼を落ち着けるように禎理はしっかりした口調で言葉を紡ぐ。

「一体どうしたんだい? もし良ければ話してくれないだろうか」

 禎理の言葉に、海人の男はこくんと頷くと、ぼそぼそとした声で話し始めた。

「実は、俺の妹が、漁師に囚われているかもしれないんだ」

 それは、まだ初夏になったばかりの頃。海人の男の妹は友達と波打ち際で遊ぶと言って出て行ったきり帰ってこなかった。一緒に遊んでいた友達の言によると、彼女達が衣を脱いで遊んでいるところにある漁師が来て、彼女達を脅かした挙句衣の一枚を奪って行ったらしい。海人が着ている衣は特殊なもので、彼らはそれがないと海に帰ることができない。なのに、その漁師は、大切な衣を隠した上に、帰れなくて泣いている妹を強引に自分の家に連れ帰り、その妻にしてしまったのだ。

 しかも、海人の彼が妹を返せと怒鳴り込んでも今までずっと知らぬ存ぜぬで押し通されているという。

 禎理が持っている干し魚を包んだ衣は実は、彼女がその時着ていた衣にそっくりだと言うのだ。

「……なるほど」

 海人の話に、禎理の心にも憤りが湧く。

 望んでもいない者を無理矢理妻にするなんて許せない。

 しかし、闇雲に飛び出すだけではこの事件は解決しないだろうという事も何となく予感した。

「まずちゃんと確かめて、からにしたほうが良さそうだね」

 禎理にその布を渡した漁師と、海人の娘を捕らえている漁師が同じ人物でない可能性は否定できない。

「そう、だな」

 海人の男のほうも冷静にならなきえればいけないと分かっているらしい。ぐっと唇をかみ締めて怒りをこらえると、村の外れにある一軒の家を指差した。

「あそこに、妹が、いる」

 ちょうど、その家から漁師らしき格好をした男が出てきたところだった。

「あいつか、おまえにその布を渡したのは?」

 海人の問いに、しっかりと目を凝らして確かめる。

「ああ、確かにあいつだ」

 禎理は彼に向かってしっかりと頷いた。

「なら、話は早い」

 その動作に再び飛び出そうとする男。

「待って!」

 そんな彼の腕を、禎理は再び抑えた。

「まだ何かあるのか?」

「正攻法で行っても無理だと思う」

 わざわざ細かくり刻んで魚の包み紙にし、市場で見知らぬ人に渡すことで、海人が海に帰るのに必要不可欠な衣を二度とその手に返さないようにするという、かなり悪どい思いつきをする男だ。真っ向からの談判はうまくあしらわれるがおちだろう。

「じゃあ、どうすれば」

「秘策が、ある」

 禎理は海人に向かってにっと顔をほころばせた。


「……すみません」

 日が沈んでかなり経ってから、禎理は独りで漁師の家の戸を叩いた。

「はい」

 そして件の漁師が出てくると、わざと驚いた顔をした。

「おや、あなたは昼間の……」

「ああ、あんたは」

 禎理の作戦に、男は見事に引っかかる。

「どうしたんですかい、こんな遅くに」

「実はちょっと道に迷ってしまいまして」

 こういうときは同情につけ込むのが一番。

「ここら辺には宿もないようですし、よろしければ一晩泊めてもらいたいのですが」

「ああ、良いですよ。うちでよければ」

 思ったとおり、男は何の疑いも持たすに禎理を自分の家に入れた。


 男の後ろから漁師の小屋に入った禎理は、家の中をぐるりと見回した。

 土間に設えた竃の前で、手足の細い女が夕餉の支度をしている。その女が着ている着物の裾から瑠璃色に光る鱗が微かに見えた。

 おそらく彼女が、衣を取られて海に帰れなくなった『海人の娘』に違いない。

「奥さんですか?」

 囲炉裏傍の筵に座り、男にそう尋ねる。

「ああ、なかなかの美人だろ」

 男はそういって豪快に笑った。

 おそらくこの男は、海人の娘をその家族から引き離したままにしておくのに何の罪悪感も感じてはいないらしい。

「ああ、そうそう。お礼といってはなんですが、どうですか、一杯」

 予定通り、腰につけた水筒を男に勧める。

「あ、これは、どうも」

 禎理が差し出したその水筒を男は何の疑いもなく飲み干した。

「ああ、なかなか旨……ん?」

 そう時を置かずして、男は囲炉裏の傍にぶっ倒れ、寝息を立てて眠ってしまう。

 水筒の中に入っていたのは、禎理が近くの森で採取して調合した強力な眠り薬入りの酒、だった。

「……これ、あなたのでしょ」

 漁師が寝たのを見計らってから、禎理は懐からあの布を取りだし女に渡した。

「お兄さんが外で待ってますよ」

 布切れを受け取った女はぱっと立ち上がると、裸足のまま外へ飛び出した。

 月明かりの下で、二人が固く抱き合ったのが見える。

 二人が手を取り合って海に消えるまで、禎理は月と共にずっと見守って、いた。

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