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錆びた剣

 後ろからの気配に、無意識に頭を傾ける。

 その左頬を、石がすっと掠めて通り過ぎた。

〈……また、だ〉

 禎理ていりがボルツァーノ付きの臨時武官になってから二月余り。その間、禎理はしばしばこの『石礫』に悩まされ続けていた。いや、石礫だけなら、避ける自信があるのでまだよい。石礫の上に『嫌な視線』が付いてくるから気がめいるのだ。

 今回も同質の視線を感じ、素早く振り向く。だが、これもいつもの事ながら、前も背後も風景は雪ばかり。誰の影も見当たらなかった。

 しかし、何故こんなことが起こるのだろう? 気を取り直して歩きながら、禎理は内心首を傾げた。

 ここは、マース大陸南側、神官国家フビニ帝国の首都『エルミの丘』である。神官たちが、神々を信仰することによって得ることのできる『法力』を修行する場所だから、その影響で何らかの『力』が渦巻いていてもおかしくはない。今のところ、禎理にはそれだけしか推測できなかった。

 あるいは、禎理及び禎理の所属する学寮の誰かに恨みを持つ者の仕業、とか。

 しかし、ここにきてまだ日が浅い禎理には、誰かに恨みを買うような心当たりがなかった。……『あの』ボルツァーノにはたくさん有りそうな気も、しないでもないが。

 その考えに至り、禎理は一人苦笑すると、気を取り直して学寮への帰り道を急いだ。


 雪道を踏み分けながら、ボルツァーノの学寮まで辿り着く。

「……やっと着いた」

 ほっと、白い息をつく。

 寒いので、文官のフレネーに頼んで何か温かい飲み物でも貰うとするか。そう思いながら、禎理は玄関の扉に手をかけた。

 と。

 建物の左手から、甲高い声がする。この学寮の学生、ルドルフとブラヴェの声だ。何があったのだろう? 禎理は玄関から手を離すと建物の横手へ急いだ。

 学寮の周りは、広めの空き地になっている。その空き地で、ルドルフとブラヴェが窓から建物の中を覗き込み、何か言い争っているのを禎理は見つけた。

 二人が見ているのは、確かフレネーが使っている部屋だ。

「どうしたんだい?」

 二人の背中に向かって、そう訊ねる。

 返ってきたのは、明らかに動揺した声、だった。

「……なんだ、禎理か」

 そう言ってほっとしたのは、大柄になりそうな体格をしたルドルフ。

「え、あ、その」

 対して声が震えているのが、背だけは高くなりそうな体格のブラヴェ、だった。

「あのさぁ、禎理、ちょっと相談があるんだけど」

 窓に手をかけたまま、ルドルフが禎理に向かって手招きする。

 二人と同じように窓からフレネーの部屋を覗き込んだ禎理は、中の様子に開いた口が塞がらなかった。

 奥に向かって細長い部屋の、棚の一つが、見事なまでに崩壊している。そして、散乱した棚の中身の間に、ボロ布を巻きつけて作ったボールが、確かに、見えた。

「……なるほどね」

 妙に納得する。

 おそらく、ルドルフとブラヴェが投げ合っていたボールが、窓を飛び越えてフレネーの部屋に入り、棚に当たったのだろう。これは、幾ら温厚なフレネーでも絶対怒るぞ。そう言おうと、禎理はふいと後ろを振り返った。

 だが、二人の姿は、何処にもない。おそらく、禎理と同じことを予想して、早々に現場を立ち去ったのだろう。逃げ足だけは速い奴らだと、禎理は妙なところで感心した。

 だが。それで部屋の惨状が解決するわけではない。仕方がない、フレネーに言いに行くか。禎理はふっと溜息をついた。

 と。

「……どうしたんですか?」

 探しに行こうとした本人の声に、慌てて振り返る。

 桶を持ったフレネーが、禎理の後ろに立って、いた。

「私の部屋がどうかしたんですか?」

「あ、それ、は……」

 怒り出すことを覚悟で、今までのことを洗いざらい話す。

 しかし、予想に反して、フレネーの顔は穏やかなまま、だった。

「仕方がないですね。後で片付けますから、問題ないですよ」

「しかし……」

 温厚すぎるほど温厚な対応に、唖然として首を傾げる。ここまで寛容な人物を、禎理はこれまで見たことがなかった。

「じゃ、手伝います、片付け」

 気がつくと、ボルツァーノに頼まれた用事がまだあるにも拘らず、禎理はそう、口走っていた。


 フレネーの後ろから、雑然とした部屋に入る。

 ベッドと棚の他には何もない部屋だが、ベッドの下にも床の上にも、文字の書かれた羊皮紙や本がとりとめもなく置かれている。料理ばかりしているようにしか見えないが、なるほどフレネーは文官だ。改めて部屋を見て、禎理は本気でそう思った。

「とりあえず、この箱に入れておけばいいですよ」

 ベッドの下から、木箱を一つ取り出し、床のものを片付けるフレネー。

 だが禎理は、木箱と一緒に出てきたものにはっと目を向けた。

 禎理の目の前にあったのは、赤く錆びた短剣。文官のフレネーにはそぐわないこのアイテムに、禎理の眼は釘付けになった。

 そっと、拾う。禎理が手にしたその短剣の形は、神殿の武官が腰に差しているものと寸分違わぬ物、だった。

「……あ、それは」

 思いがけず、強い力で腕を掴まれる。

 横を見ると、何時になく慌てたフレネーの顔が、あった。

「……危ないですから、片付けておきましょう」

 これまで見たことがないフレネーの慌てぶりに、思わずまじまじとフレネーを見る。その隙に、禎理の手の中にあった短剣は、木箱の中にしまわれてしまった。

 その素早さは、絶対に文官のものではない。

「ここは、もういいです」

 戸惑いに目を見開く禎理に、フレネーの穏やかな声が響く。

「師匠の手伝いに行ってあげてください、禎理」

 ……そうだった。まだ、ボルツァーノの用事が残っていたのだった。

 そのことを思い出した禎理は、後ろ髪ひかれる気持ちのままフレネーの部屋を去らざるを得なかった。


「……ああ、それは武官用の短剣さ」

 その夜。

 ボルツァーノの執務の手伝い、もとい、彼が溜めまくった書類の作成を手伝いながら、禎理は昼間のことをボルツァーノに訊ねた。

 帰って来た答えは、単純明快なもの。

「昔武官だったんだよ、フレネーは」

 そうか。それならば、あの素早い動きも訓練されたものだと理解できる。

「じゃ、何で文官に」

「もちろん、武官に向いてなかったからさ」

 禎理の問いに、ボルツァーノは至極あっさり答えた。

 確かに、あの穏やかなフレネーに、無骨な武官は似合わない。

 しかし、それならば。不意に、禎理の脳裏を疑問がよぎる。では、何故、フレネーは『武官』を志望したのだろうか?

 学生であるルドルフやブラヴェの話を総合すると、神殿で修行する『神官候補生』達は、十四、五くらいで下級神官になる為の試験を受けるそうだ。その試験に合格すると、神殿付属の文官か武官になれるのだが、武官になるか文官になるかは自分で決めることができるらしい。

 禎理から見ても、フレネーは絶対に文官向きだ。わざわざ、不向きな武官になる真意が分からない。

 その理由を聞こうと、禎理はボルツァーノに向かって口を開きかけた。

 だが。

「……あ、明日は下の街に買い物な」

 傍若無人なこき使いっぷりに、思わず机に突っ伏す。

 それと同時に、訊こうとしていた疑問は頭の中から綺麗にすっ飛んで、しまった。


 と、いう訳で。

 次の日の午後、禎理はエルミの丘を出て、その麓に広がる繁華街へ出かけた。

 ボルツァーノから渡されたメモを見ながら、市場で買い物をする。

 既に、背負い籠の中は買った物で一杯だった。

「……えーっと、お茶に砂糖に、……焼き菓子? 手袋?」

 それにしても、首を傾げる品物が多すぎる。意外に几帳面な字で書かれた長いリストに目を通しながら、禎理はそう、感じた。

 砂糖はボルツァーノが飲むお茶に入れるもの、香辛料も彼のスープ用だとしても、果物の砂糖漬けや焼き菓子などは、どう考えても固形物を口にしない『幽霊神官』用ではない。

 と、すると。

「……なあんだ」

 思わず声が出る。

 禎理が今購入している物の殆どは、学寮内に居る三人の学生、ブラヴェ、ルドルフ、玄理げんりが使うものではないか。

 『エルミの丘』に修行の為に入った『学生』達は、試験に合格して下級神官の資格を得るまで丘から出ることを禁じられている。自分の所属する学寮や神殿と、魔法を修行する『学問所』の往復で毎日を過ごさないといけないのだ。

 そんな幼い苦労人達へ、ささやかながら楽しみを与える。そういうボルツァーノの心意気に禎理は正直感心した。

 言動は破天荒だが、気配りは上手い人だ。良い気持ちになって、禎理は残りの買い物を片付けようとその足を速めた。

 と。

 街の一角の、人だかりに気付く。

 好奇心に駆られて、禎理は人込みの中に入った。

 小柄な身体だから、人ごみをかき分けるのはお手のもの。あっという間に、禎理は最前列へ辿り着いた。

 そこで目にしたのは。

「ちょっと、やめてよ!」

 大柄な神殿武官服の男に腕を掴まれた細腰の女が、大声を上げる。女の周りは、これまた体格の良い神殿武官たちに取り囲まれていた。

 その派手な服装から、女が春をひさぐ娼婦であることは簡単に見当がついた。だが、それにしても、女一人に男五人とは酷すぎる。

 禎理は得意の敏捷性を発揮して、女と武官達の間にすっと割って入った。故郷天楚市でも、揉め事に首を突っ込むのは禎理の専売特許だったから、これくらいは楽勝である。

「何だ、お前?」

 邪魔をされた武官達の間から罵声が漏れる。

「五対一じゃ、卑怯だと思って」

 禎理のほうも負けてはいない。

「これ、ちょっと持ってて」

 背負い籠と、手に持っていた包みを女の方へ押しやると、禎理は腰の短剣に手をかけた。

「やる気か? ちょこざいな」

「やっちまえっ!」

 禎理の動きを見て、武官達が次々と禎理に襲い掛かる。

 だが、故郷で身につけた武術にプラスして、ボルツァーノからフビニの武術を教えてもらっている禎理には、これくらいの攻撃は屁でもない。気が付くと、舗装されていない道に五人の武官が転がって、いた。

「……くそっ」

「覚えてろよっ!」

 おなじみの捨て台詞を吐いて、武官達はあっという間に禎理の前から姿を消した。

「アクセに言っといて」

 その背中に、女の声が飛ぶ。

「もう二度と逢いたくないって」

 ……アクセ? どこかで聞いたことがある名前だ。

 女の言葉に、禎理は一瞬、自分の脳内を探った。

 そうだ、ボルツァーノ学寮の隣にある『水の神殿』付の神殿武官の名、だ。

 そして更に、あることを思い出す。この間市場に買出しに来たとき、路地の片隅でこの女とアクセが言い争っているのをたまたま見かけたのだ。確かその時、女は「嫉妬深くて、大嫌い」というような言葉を口にしていたような気がする。

 神殿武官ともあろうものが女にうつつを抜かしたうえ、仲間を使ってむりやり女をものにしようとするとは。禎理は暗澹たる気持ちになった。

「ありがとう、武官さん」

 そんな禎理の耳に、女の声が響く。

 正対してまじまじと見ると、なるほどこの女は美しく、人を惑わす雰囲気を持っているように感じられた。

 少年のような女性が好みである禎理には、全く受け付けない『美しさ』ではあるが。

「私はヒュパティア。あなたは?」

「禎理」

 それでも普通に、女の問いに答える禎理。

 そんな禎理の腕に、女はその柔らかい腕を回すと、耳元で甘やかな声を囁いた。

「ねえ、ちょっと私の茶屋に寄って行ってよ」

 普通の男なら、絶対に心を揺らす甘言。

 だが。

「それは、ありがたいが」

 そう言いながら、女の腕からするりと逃れる。禎理のその行為に、ヒュパティアの整った唇がきっと上がった。

「何よ、私じゃ駄目なの?」

 そして、路上だというのに剥きつけの言葉を吐く。

「もしかして、男が好きなの? それとも、武官だから女は触れないって? ばっかみたい」

 そんな女犯禁止の戒律、神官たちはみんな破ってるわ。ヒュパティアはそう、まくしたてた。この街の娼婦の数が、その証拠よ、と。そんな彼女の声に、禎理は少しやるせなくなってきた。

 とにかく、彼女の気持ちを宥めないといけない。内心溜息をつきつつ、禎理は意を決すると、金切り声を出すヒュパティアの右腕を軽く取った。

「そうじゃ、ないんだ」

「じゃあ何よ!」

「俺は、『流浪の民』出身だから、……分かるだろ?」

 大陸中を放浪する『流浪の民』は、芸能を以ってその生業としているが、春をひさぐことに何の抵抗感もない。だが、『同族』である娼婦と『出来る』ことだけは固く禁じられている。それは、ヒュパティアも知っていたようで、禎理の言葉に軽く溜息をついた。

「何だ、そうか。それじゃ、仕方ないね。……ちょっともったいないけど」

 助けてくれてありがとう。そう言ってから、柔らかいマントを翻して去って行くヒュパティア。

 そのたおやかな後姿を見送りながら、禎理はほっと安堵の溜息を漏らした。


「……で、結局、『据え膳』は喰わなかったってわけか」

 街から帰るなり、にやにや顔のボルツァーノに出くわす。

「え……?」

 いきなりの台詞に、禎理は一瞬、言葉を忘れた。しかしすぐに、ボルツァーノの言わんとしていることを理解する。

「……何で知ってるんですか」

 思わず、驚きの声を漏らす。

「『小さい』街だからな。何でも聞こえてくるさ」

 禎理の言葉に、ボルツァーノはにやりと笑った。

 この分だと、五人の武官と喧嘩したことも、彼の耳にはしっかりと入っているに違いない。上司の地獄耳に、禎理は内心、呆れた。

 だが。

「『外』なら良い。だが神殿内では喧嘩するな。……たとえ、理不尽であっても、だ」

 次の言葉に、禎理の全身が緊張する。

 声を発したボルツァーノも、先ほどまでとはうって変わった真剣顔になっていた。

 これは、まさか。

「何故?」

 理由は、うすうす分かってはいた。だが、それでも、禎理はボルツァーノにそう、訊ねる。黙って従うことを、禎理の心が許さなかったのだ。

 だが、ボルツァーノが返した答えは、無言。

「……そんな」

 禎理は思わず、心の内を声に出した。

 権力の集まる場所には、複雑な利害関係と、陰惨な闘争が必ず存在する。世間知らずではないのだから、禎理もそれは、頭では理解していた。だが、この『神を祭る場所』でもこうだとは。禎理は暗澹たる気持ちになった。

 実際、禎理が喧嘩をした相手は、開闢以来神官を多く輩出してきた『A家』出身者だった、らしい。もちろん、今でも『A家』出身の神官は多くおり、もう一つの古い家柄『B家』――ボルツァーノも実は、この一族出身である――と権力争いを延々繰り広げているらしい。

「まあ、歴史がありすぎだし、仕方ないだろ」

 そんな話を、心底うんざりした顔でボルツァーノは口にした。

「だから、一度こじれると、だ。……弱いところが必ず犠牲になる」

 その言葉も、禎理には痛いほど良く分かった。

 自分の過ちで、ブラヴェやルドルフ、玄理を危険に晒すわけにはいかない。

「……分かりました」

 禎理は自分に言い聞かせるように重く、頷いた。


 その次の日。

 禎理は朝から、小雪がちらつく薪割り場で薪を割っていた。

 天気が悪いのに薪を作っている理由は、料理に使う薪がなくなってしまった為。美味しい料理の為には仕方ないよな。禎理は苦笑すると、切れ味の良い斧を大きく振りかざした。

 神殿内で薪を割るには、まず、錆びついた斧の手入れから始めなければならない。

 武官達は何故、剣の手入れはするのに斧の手入れはしないのだろうか。薪を割りながら、禎理は内心首を傾げた。荒野を跋扈するオーガーやジャイアントなど、人間より大柄で『硬い』敵には、剣よりも斧や棍棒の一撃のほうが効果的である筈、なのだが。

 そんなことを考えていると。

 不意に、薪割り場が喧騒に包まれる。顔を上げると、七〜八人ほどの武官が、丁度薪割り場に入ってきたところだった。

 こんな荒天に、何故こんな寒い場所に? 禎理は思わず不審な表情を作った。見たところ、割った薪を運ぶ為の道具を持っている武官は一人もいない。

 いぶかしむ禎理の横で、武官達は薪を割る為の斧を見て何やら吟味している。その中に、どこかで見たような奴が混じっているのは、気のせい、だろうか。

 と、その時。

「この斧は、錆びている」

 落ち着き払った声が、禎理の耳を打つ。

 この声の主は、知っている。『水の神殿』のアクセ、だ。

 嫌な予感がする。禎理は薪割の手を止めると、速攻でこの場から立ち去ろうとした。だが。

「その斧を貸せ」

 禎理の行く手を、アクセの大柄な影が塞ぐ。有無を言わさず、禎理の手から斧がもぎ取られた。

「よく切れそうだな、この斧は」

 奪い取った斧の刃を、アクセが確かめた、次の瞬間。

 不意に、薪割り場に置いてある全ての斧が浮き上がる。

「……げ」

 逃げるのは、間に合わない。

 襲って来る全ての斧を、禎理はその素早さで何とか避けた。だが、避けた斧も、方向を変えて何度も禎理を襲う。とうとう、幾つかの刃が禎理の身を切り裂いた。

 致命傷を受けないのが、不思議なくらいだ。

「ははは、踊ってるぜ、あいつ」

 斧の刃同士が触れ合う音に混じって、武官達の嘲笑が聞こえてくる。それでも、全ての攻撃を何とか避けながら、禎理は反撃したい気持ちをかろうじて抑えた。あまりにも理不尽な攻撃だが、傷つくのはまだ自分だけだから、何とか我慢できる。

 攻撃は、始まった時と同じく唐突に、終わった。

 地面に散らばった斧を眺めながら、禎理は俯いてほっと安堵の白い息を吐いた。

 左腕の痛みに、右手を添える。ぬるっとした感覚が、指先から脳裏へと伝わった。どうやら、この傷が一番酷いらしい。

「これに懲りて、次からは俺たちに手を出さないことだな」

 あくまで横柄なアクセの言葉が、耳に入る。その見下した態度に、禎理の全身は怒りで震えた。

 ボルツァーノの言葉を思い出し、懸命に自制しようとするが、心の奥底から湧いてくる熱いものをどうしても止められない。

 禎理は顔を上げると、武官達のほうをきっと睨んだ。

「ほう、やる気か?」

 武官達の真ん中にいたアクセが、不敵に笑う。

 次の瞬間、地面に散らばった斧が再び浮き上がった。

 怪我をしているので、これ以上攻撃を避け切ることは難しい。ここまでか。そう思った禎理の心で、何かが爆発した。

 理不尽な想いを、押さえられない。

 次の瞬間。

「……なにっ!」

 武官達の間から、驚愕の声が上がる。

 禎理に向かっていた筈の斧が、突然その向きを変えて、武官達に向かってきたのだ。

「わっ!」

「やめろっ!」

 錆びた斧に追い立てられるように、薪割り場から逃げ去る武官達。

 後に残ったのは、思わぬ出来事に呆然とする、禎理のみ。


 結局、薪は必要量の半分も作れなかった。

 左腕の怪我を庇いながら、とりあえず割った分だけ背負えるようにすると、禎理はとぼとぼと学寮に戻って行った。

 傷口から大分血が流れ出ているのだろう、時々視界がふっと暗くなる。しかし、怪我を手当てする余裕が禎理には無かった。

 寒さとは違う悪寒が、禎理を責め苛む。寮まで持つだろうか? 禎理はふと不安になった。

 そんな時。

「……禎理さん!」

 不意に自分の名前を呼ばれ、思わず立ち止まる。

 振り向くと、書き取りに使う文字盤を腰に下げたブラヴェが、禎理に向かって走って来ていた。

「どうしたんですか? 顔色が悪いですよ」

 息を弾ませながら、そう訊ねるブラヴェ。

「いや、なんでもない」

 武官達のことで学生達を怯えさせるわけにはいかない。とっさにそう思った禎理は無理に笑顔を作った。

「そう、ですか。……じゃあ、薪を持ちます」

 そう言いながら、ブラヴェは半ば奪うように禎理の背から薪を受け取り自分の背に背負った。だが、ひょろひょろの体格をしているブラヴェには、少量の薪でも重そうに見える。

「大丈夫か?」

 自分のことはさておき、禎理はブラヴェにそう、訊ねずにはいられなかった。

「大丈夫です」

 だが、ブラヴェの答えは、すっきりとした笑顔。

「武官を目指すのなら、これくらい背負えないと」

 このブラヴェの言葉に、禎理は意外な気がしてブラヴェの細い肩を見た。

 ボルツァーノから聞いたところによると、ブラヴェは、フビニより更に南方にある小国リーニエの王子であるという。その昔、王の一人が世話になったとかで、王族のうち一人がボルツァーノの所へ修行にくるのが慣わしとなっているそうだ。

 そんな背景があるのなら、ブラヴェは文官として法力の修行をしたほうが、王国の為にもなるのではないだろうか。なのに何故『武官』に?

「僕も、そう思うのですが」

 禎理の問いに、ブラヴェは俯いたままゆっくりと言葉を吐き出した。

「……一緒にいたいんです、ルドルフと、ずっと」

 なるほど、ね。

 どう見ても武官向きなルドルフの体格を脳裏に思い浮かべながら、禎理は思わず微笑んだ。

 と。

 不意に、禎理の目の前に影が立つ。ボルツァーノだ。

 しかし、それを認識する前に、禎理の身体は前のめりに倒れて、いた。

「大分、酷いな」

 真っ暗な意識の中、ボルツァーノの声だけが鮮明に響く。

 そして、おろおろするブラヴェの足音も。

「武官志望なら、これくらい慣れとけ。つーか気付け!」

 ボルツァーノの罵声と共に、おそらくフレネーを呼びに行ったのであろうブラヴェの遠ざかる足音が聞こえてくる。

 ブラヴェには悪いことをしたかもしれない。そう思うとほぼ同時に、禎理は意識を失った。


 気が付くと、禎理は自分の部屋のベッドの上に居た。

 あたりは既に薄暗く、相棒であるキイロダルマウサギの模糊が固い物を食べる乾いた音だけが響いている。

 禎理はそっと右手で左腕に触れた。

 包帯がきつく巻かれているのが、手触りで分かる。おそらく、ボルツァーノかフレネーが手当てしてくれたのだろう。

 と。

 ゆっくりと、部屋の戸が開く。

「起きたか?」

 両手で盥を持ったボルツァーノが、影のようにゆったりと入ってきた。

 ボルツァーノは禎理の額に手をやると、持って来た盥の水で禎理の顔を拭いてくれる。

 ほてった身体に、冷たい水が心地よかった。

「悪かったな」

 不意に、ボルツァーノが謝罪の言葉を口にする。

「アクセだろ、その怪我」

 ボルツァーノのこの言葉に、禎理はきょとんとした顔のままこくんと頷いた。

「やはり、な」

 女の件もあるのだろうが、無茶なことをやってくれる。ボルツァーノはそう言って、深い溜息をついた。

「昔は、もっとましだったんだが」

 アクセは、名門であることの誇りと威厳を体現して生まれてきたような男だった。少々傲慢なきらいはあるが、腕力、知性、そして魔法力も同世代から抜きん出ており、下級神官試験を受ける頃には、そのリーダーシップによって学生達のリーダーになっていた。

 そんなアクセに、憧れる人間は多かった。フレネーもその一人だったと、ボルツァーノは溜息と共に呟いた。

「だからあいつは、アクセと同じ武官になったんだ。……適性がないのに」

 文官と武官への振り分けは、実は、潜在的な魔法能力によって決められる。一応、個人の希望を尊重するのが慣例なのだが、たとえ自我を通して合わない職についたとしても、結局は職を変える者が大半だという。

 ともかく、武官になったフレネーは、これまた希望によりアクセと同じ部署に配置され、アクセと行動を共にするようになった。アクセのほうも、自分に従順なフレネーに目をかけていたらしい。

 だが。

 フビニ領内の山賊討伐に出向いたことが、フレネーの運命を変えた。討伐の際、フレネーが助けた山賊の女が、護送中に武官達の油断を突いて攻撃を仕掛けてきたのである。一人の武官がその攻撃で命を落とし、フレネーは自分で手を下して女を殺さざるを得なかった。

 この事件をきっかけに、フレネーはふさぎこみ、武官職を返上することになってしまったのだった。

 そのフレネーを文官として自分のそばに置いたのが、ボルツァーノ自身。

「ま、あいつには向いてなかったてことさ」

 女の一件については、失態は失態だが、フレネーは自分できちんと責任を取っている。その点を、ボルツァーノは高く評価していた。武官のくせに油断した奴が悪い。ボルツァーノは今でもそう思っている。それに、文官としては、フレネーは有用な存在だった。自己顕示欲がやたら強く、他人を蹴落としてでも出世したいと欲望を剥き出しにしている下級神官が多い中、寛大で事務能力に長けた存在を見つけるのは至難の業なのだから。

「でも、アクセの心の内までは、考えが及ばなかった」

 『へま』をしたにも拘らず、文官となり、その上学寮長代行まで務めるようになった(実際は怠惰なボルツァーノの代わりが必要なだけだったのだが)フレネーを、アクセは憎んだ。

 基本的に、文官も武官も同じ『下級神官』。身分差はないのである。だが、『武官より文官のほうが偉い』という風潮が、アクセの憎しみを更にかき立てた。

 ボルツァーノ学寮の住人に対して、アクセの嫌がらせが始まった。さすがに、ボルツァーノに対しては悪口だけだが、フレネーは大分被害を受けているらしい。

 それでも、それでアクセの気が済むのなら。そう言うフレネーの言を尊重し、ボルツァーノも今までは『水の神殿』の長ブリュアンにそれとなく注意するに留めていた。アクセの後ろには、名門出身の神官長たちがついている。無用の争いを避けたいボルツァーノ自身の思惑も、確かにあった。

「しかし、俺やフレネーのみならず、禎理にまで手を出してくるとは」

 一度釘を刺しておかないと、学生三人が危ない。

 ボルツァーノの言葉に、禎理は強く頷いた。


 その、次の朝。

 窓から漏れる明かりを感じながらうつらうつらしていた禎理の意識は、突然の振動に叩き起こされた。

「なっ……!」

 起き上がった禎理の額に、黄色い肉塊が当たる。

 先ほどの振動はどうやら、模糊がベッドを揺らして発生させたもの、らしい。

「……なんだよ、模糊」

 目を擦る禎理の前を、模糊が横切る。一息で窓の桟に飛び乗った模糊は、窓を指差して小さな声を上げた。

「窓を、開けろって……?」

 まだ痛む左腕を庇いながら、模糊を脇に避けて窓を開く。

 外に見えた風景に、禎理の眠気はいっぺんに吹っ飛んだ。

 髪を振り乱したブラヴェが、こちらに向かって走ってきている。その上衣は酷く破け、頬と腕に血が付いているのが、はっきりと、見えた。

「ブラヴェ!」

 まさか、ボルツァーノの危惧がこんなに早く現実になるとは。禎理は武官用のチュニックと短剣が差してあるベルトを引っ掴むなり、二階の窓から地面に飛び降りた。

 着地の振動で昨日の傷がことごとく痛むが、そんなことに構ってはいられない。

「どうした、ブラヴェ!」

 大急ぎでブラヴェに駆け寄り、傷を確かめる。上衣の汚れ具合に比べて、ブラヴェの怪我はたいしたことはないようだ。

 と、すると、ブラヴェの上衣に付いたこの血は、一体、誰の? 這い上がってくる悪寒を、禎理は止めることができなかった。

「……あ、禎理、さん」

 息が上がったままのブラヴェの口から、途切れ途切れの言葉が出てくる。

「通学路、で、武官に、襲われ、て。ルド、と、玄、理、が」

「分かった。落ち着け」

 ブラヴェより自分に言い聞かせるようにして、ゆっくりと息を吐く。

 弱い者に、手を下すとは。禎理の憤りは留まるところを知らなかった。

「俺が行く。お前は、ボルツァーノとフレネーに知らせろ!」


 学問所へ向かう道を、ただただ走る。

 しばらくも行かないうちに、道の脇に黒服の集団がいるのを発見した。

 おそらく、あれだ。走りながら目を凝らすと、武官たちの真ん中に、玄理を庇うルドルフの酷く汚れた姿が見える。

 禎理はきっと前方を見据えると、加速度をつけて飛び上がり、武官とルドルフとの間に割って入った。

 その時に抜いた短剣が、丁度ルドルフに襲い掛かっていた武官の胸に入る。

 短剣から伝わってくる肉と血の感覚が気にならないほど、禎理の心は憤りに満ちていた。

「玄理っ! ルドルフっ!」

 とにかく、玄理とルドルフをこの囲みから出さなければ。

 近くの武官を短剣と蹴りでできるだけ遠ざけながら、禎理は大声で叫んだ。

「今のうちに、早く逃げろっ!」

「そうはいくか」

 その禎理の声に、落ち着き払ったアクセの声が被さる。

 次の瞬間、大地が大幅に揺れた。

 おそらく法力なのだろう、禎理の立っている地面だけが、上下左右に大きく揺れる。立っていられなくなり、禎理は仕方なく腰を落とした。

 その隙を、アクセの部下が突く。目の前に迫った剣の切っ先を、禎理は両手を合わせるようにして額の寸前で止めた。

「ほう。……だが、どこまで持つかな?」

 アクセの嘲笑が、耳に響く。

 刃を止める為に、禎理は自分の短剣を落としてしまっている。怪我があるから、腕の力もいつまで持つか分からない。禎理は内心途方にくれた。

 しかしここで負けるわけにはいかない。打開策を、考えなくては。

 と。

「俺に歯向かうとどうなるか、しっかり教えてやるよ」

 その言葉と同時に。

 不意に、禎理を狙っていた剣の切っ先が遠ざかる。

 武官達の意外な行動に、禎理は小首を傾げながらさっと辺りを見回した。

 だが。

 アクセが無造作につかんでいたモノに、愕然とする。

 禎理が武官達の攻撃に気をとられているうちに、ルドルフと玄理が引き離されてしまったのだ。

「……ごめん、禎理」

 禎理の背後で、ルドルフの弱々しい声が上がる。その声に振り向く余裕すらない。

 迂闊だった。禎理はほぞを噛んだ。

 その間に、禎理の身体はアクセの部下達によって地面に押さえつけられる。

 圧迫感に、息が詰まる。禎理はただ、玄理に短剣を突きつけるアクセを睨みつけることしかできなかった。

 そんな禎理に会心の笑みを漏らすと、アクセはやおら玄理の小さい身体を傍の武官に放った。

「殺すな、苦しめろ」

 残酷な声が、辺りに響く。

 それと同時に、武官に囲まれた玄理の顔が苦痛に歪むのが、はっきりと見えた。

「やめろっ!」

 思わず叫ぶ。

 それと同時に。禎理の心の底から、沸騰するほどの風が湧き起こった。

「うわぁっ!」

 武官達の叫び声が、後ろに飛ぶ。

 忽ちのうちに、禎理の身体は自由になった。

 このチャンスを逃すわけにはいかない。禎理は自分の短剣を拾い上げると、玄理を掴んでいた武官に飛び掛った。

 全身の痛みに構わず、短剣を振る。

 玄理をこれ以上苦しめるわけにはいかない。その想いだけが、禎理をつき動かしていた。

 だが。

 不意に、後頭部に衝撃が走る。

 次の瞬間、禎理の身体は、ぬかるみになった雪の中に思いきりよく突っ込んだ。

「うっ……!」

 倒れると同時に身体を地面に押さえつけられる。今度こそ、禎理は全く身動きが取れなくなってしまった。

「全く、手間をかけさせる」

 かろうじて顔だけ上げる。

 目の前のアクセの手から閃光が迸ったのを、禎理は確かに、見た。

 と、その時。

「止めて下さいっ!」

 甲高い声が、辺りに響く。

 と同時に、アクセの手の中にあった閃光は綺麗さっぱりかき消えて、しまった。

「貴様っ!」

 声の方を睨むアクセ。

 そのアクセの視線を辿ると、短い杖を手にしたフレネーの姿が、確かに、有った。

「もう、止めてください、アクセ」

 今にも泣きそうな声が、辺りにこだまする。

「ふん、法力もまともに使えない臆病者が」

 しかしアクセは、醜悪な笑みを消そうともしなかった。

「俺の法力を妨害したくらいで勝てるとでも?」

 アクセがそう、口にした、次の瞬間。

 今までに聞いたことのない大音声が、禎理とアクセの間にどかんと落ちた。

「……では、これではいかがかな、アクセ」

 いつの間にか、不敵な笑みを浮かべたボルツァーノがフレネーの横に立っている。

「私の弟子たちを苛めるなら、それなりの罰を覚悟するんだね」

 ボルツァーノの手には既に、新しい雷撃が控えている。

 それを見た武官達は、雲の子を散らすように逃げて行った。

「……ま、こんなもんさ」

 逃げていく武官達を横目に、あくまで涼しげな顔のボルツァーノ。そのボルツァーノの横から、フレネーが禎理に走り寄って来た。

「……大丈夫ですか、禎理」

 禎理の上半身を起こし、ほっと息を吐くフレネー。

 そしてフレネーは、ボルツァーノに向かって大声を上げた。

「弟子が大切なら、その弟子を巻き込むような法力を使わないで下さいっ!」

「当たってないからいいじゃないか」

 あくまでボルツァーノらしい答えに、禎理はふっと苦笑した。

 しかし、それよりも。

「玄理は? ルドルフは?」

 大急ぎで顔を上げ、辺りを見回す。

「大丈夫です」

 そう言ってフレネーは、その細い指で禎理の背後を指差した。

 その指の先には、玄理に寄り添うルドルフの姿が、はっきりと見える。

 二人とも、怪我はしているけど、とにかく生きている。

 そのことだけでも、禎理を安堵させるには十分だった。


「……一応、アクセには釘を刺しておいた」

 怪我が治りきるまで動かないでくださいね、とフレネーによって再びベッドの上に縛り付けられた禎理を見舞いに来たボルツァーノは、そう言って苛立たしげに唇を結んだ。

 あれだけの事件を起こしても、結局、上からの圧力により、これ以上の処置はできない、らしい。

 こちらのほうも、神殿内で殺人を犯してしまったという『罪』があるからな。そう言ってボルツァーノがついた深い溜息の音が、禎理の胸を責めた。

 でも、『理不尽さ』という名の怒りも、消えてはくれない。

「まあ、アクセも、これに懲りてくれればよいのだが」

 ボルツァーノの言葉に、禎理はしぶしぶながら頷く他、なかった。

 だが。


 胸にある、一抹の不安を、禎理はいつまでも拭い去ることができなかった。

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