人柱
森にそぐわぬ子供の歓声に、禎理はふと足を止めた。
耳を澄ますと、甲高い声に混じって水の跳ねる音が微かに聞こえてくる。おそらく、近くの村の子らが、森を流れる川で遊んでいるに違いない。
じっとしていても汗ばむほどの陽気だったから、子供達がうらやましくなった禎理は、川の傍を歩こうと声のする方へ足を向けた。
と。
不意に歓声が悲鳴に変わる。それを聞き取ると同時に、禎理はいつの間にか全速力で走り出していた。
川が近づくにつれ、木が疎らになる。木々の間から、川岸の子供達が川下を指差して騒いでいるのが見えた。
子らと同じ方向に目を凝らす。そして、水飛沫の間に小さな手が暴れているのを見て取ると、禎理は走りながら背負ったザックと腰のベルト、そして模糊の入ったポーチを手早く外し、川岸に出ると同時に水の中へと飛び込んだ。
予想外に速い流れが禎理を飲み込む。その流れに翻弄されながらも、禎理は何とか溺れている子の所まで辿り着いた。
片腕で子供を背中から抱きしめる。そしてそのまま、もう片方の手で水を掻き分けながら、禎理は何とか川岸に転がり込んだ。
「……つぅっ……」
息を切らせながら、飲んだ水を吐き出す。
子供の方を見ると、水をしこたま飲んで苦しいのだろう、僅かに身をのけぞらせているのが見えた。
「よしよし、もう大丈夫だ」
吐きやすいように身体を支えて水を吐き出させる。
子供の身体はかなり冷えていたが、これは温めれば何とかなるだろう。禎理はほっと一息つくと、自分と子供を温める為に、薪と子供を助けるときに外したザックを取りに行こうと立ち上がった。
と。
目の前が急に暗くなる。後頭部を殴られたのだ、と分かるまでにそう時間はかからなかった。
さっき起き上がったばかりの川原に再び倒れこむ。意識が混乱している中、禎理は、自分の身体がたくさんの力強い手で押さえ込まれ、手足が縛られていくのをぼんやりと感じるのがやっとだった。
「……愚かな、旅人よ」
そんな禎理に、嘲笑にも似た声が降ってくる。
「捧げものに手を出したばかりに」
この辺りでは、川で溺れた子供は『川の神に捧げられたもの』として放っておくのが決まりであるらしい。それを助けたのだから、今度はその助けた人を川の神に捧げる必要がある。声の主はそう禎理に告げた。そうしないと川神の祟りで村人達が恐ろしい目に遭うと。
冗談じゃない。塞がれていないのを幸い、禎理は反論しようと口を開いた。彼らの持つ恐怖の感情は心情的に理解できるが、人の命と引き替えに成り立つ幸福な生活はやるせなさ過ぎる。
だが、殴られて朦朧とした頭ではうまく話すことができない。いや、たとえうまく話せたとしても、興奮状態にある村人達には禎理の声は届かないだろう。禎理は内心ほぞをかんだ。
そうこうしているうちに、禎理を抑えていた力がふっと抜ける。どうやら川に放り投げる準備が整ったらしい。
暴れるなら今だ。禎理はふとそう思った。しかし、禎理の手足は完璧といっていいほどぎゅうぎゅうに縛り上げられてしまっている。それに、たとえここで逃げることができたとしても、村人達は『祟り』への恐怖から今度は禎理が助けた子供を同じように縛り上げ、川に放り投げるだろう。
とすると、一か八か。禎理が心を決めると同時に、その身体がひょいと持ち上がる。
禎理の身体はそのまま、村人達の手によって川に放り投げられた。
再び奔流が迫り来る。その流れに翻弄されながらも、禎理は口を使って何とかズボンの裾に隠し持っていた手裏剣を抜き、その鋭い刃を縄に当てた。
冷たく気まぐれな水の流れが容赦なく禎理の体温と力を奪ってゆく。それでも何とか足と胸に掛かっていた縄を掻き切ると、残る力で川底を蹴り、水面まで跳び上がった。
勢いよく水を吐く。肺に入ってくる空気が心地良かった。
「……助かった、のか?」
幸いなことに、胸の縄を切ったときに腕の縄も外れている。
立ち泳ぎで岸に向かいながら、禎理はゆっくりと辺りを見回した。
だいぶん流されたらしく、禎理を縛った村人達の影も形も見られない。
「……大丈夫、だ」
禎理は川上に向かって舌を出してから、ゆっくりと岸に向かって泳ぎ始めた。




