冥き森
誘われたときから、嫌な予感はあった。
木々の間にぽつんと建つその小屋に入った時、その予感は確信に変わる。
「……」
小屋に足を踏み入れた途端、強烈で不快な匂いに襲われ、禎理は思わず顔をしかめた。
おそらくこの小屋は、森で狩った獲物を保管しておく『猟師小屋』なのだろう。だが、血の匂い、或いは肉の腐った匂いにしては何故か心が騒ぎ過ぎる。
「さあ、遠慮せずに入ってくださいよ」
そんな禎理の目の前には、人の良さそうな男の顔。
どうやら狼が増えすぎたらしく、ここ最近、森の中で人が行方不明になる事件が頻発している、というニュースは森に入る前に聞いてはいた。だから禎理は、安全なねぐらがあるという男の言葉を信用してここまで男について来たのだ。
しかし、この胸騒ぎは一体何であろうか? 冒険者にとって身を守るには必要なことだから、禎理は直感を大切にしている。その直感が危険を告げていた。しかし何が危険かがさっぱり分からない。
心の中に疑問を浮かべたまま、そっと振り返る。小屋の戸から見える外は、既に暗い。人通りはもちろん無いし、周りには他に一軒の人家もないわけだから、もしここで襲われても助けは期待できない。そこまで考えて、禎理は慌てて首を振った。まだ、この男が『敵』だと決まったわけではない。禎理は勧められるまま、部屋の真ん中にあるテーブルに腰を落ち着けた。
「何も無いですが、どうぞ」
しばらくして、男が深皿に入ったシチューらしきものを禎理の前に置いてくれる。禎理はありがたく、そのシチューを頂くことにした。
だが。
「……うっ」
深皿から立ち上る強烈な匂いに、思わずむせる。皿の中にはスープと肉しか入っていないように見えるのに、この胸が悪くなるような匂いは一体、何?
堪えきれない吐き気に襲われ、禎理は慌てて席を立ち、小屋の外へと飛び出した。
外は、満天の星空。清浄な空気を、禎理は思いっきりその胸へとかきこんだ。
先ほどまでの不快な気持ちが、嘘のように消えていく。禎理はほっと息を吐くと、外へ出たついでに用を足そうと小屋の裏手へ回った。
星明りに白く光る石が、禎理の目に留まる。気になったので、禎理は身を屈めてその石を拾った。
拾った途端にはっとなる。落ち窪んだ二つの眼窩が、禎理を虚ろに見詰めていた。形といい、大きさといい、これは、もしかして……、人の、頭蓋、骨?と、いうことは、やはり、ここ最近の行方不明事件の原因はあの男、なのだろうか? そして、もしかすると、あのシチューの中味、は。
「……おい、どうした?」
小屋からの男の声に、はっと我に帰る。
全身の震えが、止まらない。だが、土地感覚も体格も、相手の方が上だ。今逃げても、きっとすぐに捕まってしまうだろう。そう、頭の隅で考える余裕は、幸いなことに有った。
男に気持ちを悟られぬよう、なるべく表情を崩さずに小屋の中に入る。「少し、気分が悪い」。そう言った禎理を、男は真っ直ぐ寝室へと案内した。
促されるままに、案外清潔なベッドに横になる。寝たふりをして、相手の出方を待った。
そして、しばらくして。
やっと顔を出した月明かりが、鋭く光るものを捉える。その光を見た瞬間、禎理は飛び起きるなりその身に掛かっていたシーツをその影に向かって被せるように投げつけた。
薄いシーツが、男の形になる。そのシーツを押さえつけようとした禎理の横を、鋭い風が通り抜けた。
「……ちっ」
やはり体格差がネックだ。それでも、何度も振り下ろされる斧を何とか避けながら、禎理は男の急所めがけて強烈な蹴りを叩きつけた。
呻く間もなく、男が倒れる。その男をシーツでぐるぐる巻きに縛ってから、禎理は大急ぎで小屋を飛び出した。
森の端にある小さな村に禎理が辿り着いたのは、夜明け前。
すぐに、村の領主に訳を話し、現場の小屋に人を派遣してもらった。もちろん、事件の顛末を見届ける為に、禎理も彼らについて行く。
太陽の光ではっきりと見える、小屋に付着した夥しい血の痕が、ここであった惨劇を確実に物語って、いた。
幸いなことに、禎理が縛ったままの状態で、男は小屋の中で見つかった。
後で聞いたところによると、男は、森を通る旅人を嘘の風聞で招きよせ、安心したところを斧で叩き殺し、シチューにして食していたらしい。
つまり、一歩間違えば、禎理自身も食べられていたわけだ。
事件は解決したが、禎理の背中の震えは、そう簡単には止まらなかった。




