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廃墟の歌声

 ずっと遠くから、美しい歌声が聞こえてくる。

 哀愁を帯びた、その儚げな歌声に、禎理ていりは思わず耳をそばだてた。

 目の前一面に広がるのは、胸の高さほどもある柔らかい草に覆われた草原のみ。この荒野の何処に、歌い手がいるというのだろうか? 思わず探してみたくなる。

 だが。

「聞いては、いけない」

 不意に、温かい手に耳を塞がれる。

 振り返ると、草の陰に隠れるように、一人の老婆が立っていた。

 大陸西部のこの草原で、この老婆が足を挫いて困っているのを助けたのが縁で、禎理は今、老婆の属する『流浪の民』一族と共に旅をしている。

 血縁で一族を作り、『鍛冶』、『巫覡』、『芸能』などを生業として大陸を放浪する民、それが『流浪の民』である。大陸では最下層の民とみられていることが多いが、彼らの才覚や技術が人々の生活の助けとなっているのも事実だ。

 禎理自身も『流浪の民』出身である。だから、老婆を含む一族の知識が、土地に定住して暮らす人々よりも膨大であることも、きちんと知って、いた。

「何故ですか?」

 だから丁寧に、そう尋ねる。

「あれは、妖精達の歌だ」

 禎理の問いに、老婆ははっきりとそう、答えた。

 妖精には、妖精たちだけが知っている歌があり、それを人間に聞かれたくない、取られたくないと思っているそうだ。

「だから、聞いてもいけないし、覚えて歌ってもいけない」

「分かりました」

 ならば何故、妖精達は歌うのだろうか? ふと、そんな疑問が脳裏をよぎる。だが禎理は、その疑問には拘泥せず、老婆に向かってこっくりと頷いてみせた。

 その禎理の答えに、老婆は満足したようにふっと笑う。

「それに。……この辺りには悲しい伝説もある」

 そして更に付け加えるように、老婆は遠くの一点を指して言った。

「あそこに、昔、野外劇場があった」

 それは、古代の偉大なる王族が大陸を支配していた頃のこと。この辺りを支配するために、一人の女公爵が、中央から任命された。歌や芸能が好きだった彼女は、自分の為に七人の吟遊詩人を雇っていたという。そして、そのうちの一人が、女公爵の一人娘と恋に落ちた。

 女公爵は、娘と吟遊詩人との仲を許した。だが、他の六名の吟遊詩人達は、幸せを得た仲間に嫉妬し、彼を野外劇場におびき出してなぶり殺しにしたのだ。恋人に降りかかった悲劇を知った女公爵の娘は、住んでいた城の塔から身を投げた。そして、女公爵は、卑劣な行いをした六人を、野外劇場で処刑したのだ。

 その時から、その野外劇場には幽霊が棲みついた。そして更に、幽霊たちは、草原に元々棲んでいた妖精たちと結託し、野外劇場を訪れた人間を攻撃し始めたのだ。

 噂と好奇心に駆られ、野外劇場で歌った者を、彼らは『自分達の世界』へとさらっていく。面白いことが好きな妖精たちと、強い恨みを持つ幽霊が手を結んでいるから、さらわれた人間は二度とこの世界へは戻って来ることができない。これまで何人の人間があそこで行方不明になったことか。そう言って、老婆はこの昔話を締め括った。

「へぇ……」

 老婆の指し示す方向をいくら見つめても、そのような遺構は影すら見えない。だが、禎理の足は、知らず知らずのうちにその方向に一歩を踏み出して、いた。

 そんな禎理を、老婆の声が止める。

「やめておきなさい。好奇心は身を滅ぼすよ」

「……はい」

 老婆の言うことも、尤もだ。一時の好奇心で死んでしまっては、元も子もない。

 禎理は老婆に向かって再び、こっくりと頷いた。


 と、その時。

「ちょっと、お婆様」

 聞き知った少女の声に、ふと振り向く。

 背の高い草の間から、茶色の髪をした少女がひょいと顔を出した。

 二つに分けたお下げに結ばれたリボンが、同じ色の草と一緒に風に揺れる。茶色い髪に、緑色のリボンは似合わない。だが、姉から貰ったこのリボンを、少女はとても大切にしていた。

「兄様達、知らないかって、父様が」

 老婆が属する一族は、老婆の息子と、七人の孫から成る。孫の一番上と一番下が女で、後の五人は男だ。孫達は皆、禎理より年下である。彼らは、大きな市が立つ南の街まで芸を見せに行くところ、だった。

 そういえば、昼食を食べてから先、彼らの姿を見ていない。禎理が首を振る横で、老婆も禎理と同じように首を振った。

「五人揃って、どこに行ったのやら」

 老婆の溜息が、禎理の耳に響く。

「探してみます」

 反射的に、禎理はそう、答えた。


 胸の高さほどもある草を、丁寧にかき分けて道を作る。

 草に隠れた影を見落とさないように、禎理は殊更気をつけて辺りを見回した。

 と。

 目の端で、動く影を捕らえる。素早く手を伸ばすと、服の端が禎理の指をかすめた。

「おい、ちょっと!」

 禎理がそう、声をかけるより先に、草を倒して影が逃げる。あの影は、兄弟の一人であるトリーエだ。

 逃げる影を追って、禎理も走りだす。素早さなら、禎理の方が上だ。あっという間に、禎理はトリーエの服の裾をしっかりと握りしめた。

「どうして逃げる?」

 捕まえたトリーエの顔を、じっと見つめる。

「父親が呼んでるぞ」

 怯えた顔をしているようにみえるのは、禎理の気のせいだろうか?

「他の、兄弟は?」

 禎理の問いに、トリーエの体が一瞬固くなる。

 次の瞬間、トリーエは爆発するように泣きだした。

「ドゥエ兄が……、劇場で……。俺たち、怖くなって」

 次兄の名を出して泣きじゃくるトリーエ。

 嫌な予感が、した。

「劇場って、もしかして、向こうの?」

 老婆が先ほど指し示したのと同じ方向を、正確に指し示す。禎理の問いに、トリーエは顔を上げるなりこくんと頷いた。

 ならば、すぐに行かなければ。禎理は泣きじゃくるトリーエの服から手を離すと、草原を蹴って走り出した。

 目指すは、件の野外劇場。


 野外劇場は、夕闇の中にぽつんと建って、いた。

 海が削った崖をうまく使って建てられたそれは、野生のままの草原とは違い、苔生した廃墟となってもなお、その威厳を保っているようにみえる。そして、すり鉢状になった劇場の底、舞台に敷かれている白い石の上に、一人の少年が仰向けに横たわっていた。……次兄の、ドゥエ、だ。

 草の間に無造作にばら撒かれている岩に足を取られながらも、すり鉢の底へと大急ぎで向かう。掛け寄って抱き上げると、その身体にはまだ温もりがあった。息も、ある。まだ間に合うかもしれない。

 小柄な体に力を込めて、禎理は少年を担ぎ上げると、来た道を大急ぎで戻った。


「おそらく、魂だけ持って行かれたんじゃろう。……妖精達に」

 移動と生活に使う大型の荷馬車の中。粗末な寝具の上に横たえられた少年の額に触れたまま、老婆は悲痛な溜息をもらした。

「生きては、いるが。このままでは……」

 馬車の外からは、父親が他の兄弟たちを叱る声が聞こえる。

 野外劇場の伝説を老婆から聞いて知っていた彼らは、それを確かめる為に、兄弟の仲で一番歌が上手いドゥエを唆し、あの場所で歌を歌わせたそうだ。その結果がこれだ。

 老婆の話によると、ドゥエの魂は、今は幽霊と妖精の元にあるという。すなわち、まだ『この世界』にある、ということだ。だが、妖精たちは飽きっぽいし、幽霊は残酷だ。飽きられてすぐに捨てられれば良い方で、悪くすると虐待され、魂自体が消滅してしまう。『死』よりも恐ろしく、残酷なことが、起きてしまうのだ。それを回避する為には、彼らからドゥエの魂を取り戻す他はない。

 老婆の傍で全てを見守っていた禎理は、そう決意するなりすっと立ち上がった。

「待ちなさい」

 すぐに、老婆の声が飛ぶ。

「闇雲に行っても、助けられないよ」

 確かに、老婆の言う通りだ。だが、事は一刻を争っている。迷っている暇はない。

「お前さんは、歌が上手い。妖精に気に入られるかもしれない」

 不意に変わった、老婆の口調に、一瞬、気が削がれる。

 もしかして、老婆は、少年を助ける方法を知っているのだろうか? 禎理のその疑問に答える代りに、老婆は馬車の外にいた末孫を手招きする。そして、馬車の中に入って来た彼女の髪から一対のリボンを解くと、一本を眠っている少年の右手首に、そしてもう一本を禎理の左手首に結んだ。

「緑は妖精達が好まない色だから、目印になる」

 妖精達が禎理の歌を気に入ればすぐに、彼らは『自分達の場所』へと禎理を連れて行くだろう。そして、その場所へ行けさえすれば、緑のリボンを手首に巻いたドゥエを見つけることができる。老婆ははっきりとした声でそう、禎理に告げた。

 リボンが巻かれている手を取ったらすぐに、直感が告げる方向へ走ること。そして、何があっても決して後ろを振り返らないこと。これが、老婆が禎理に与えた注意だった。

「はい」

 老婆の瞳を見据え、しっかりと頷く。

 そして禎理は、呆然とする少女の頭を優しく撫でて言った。

「お兄さんと一緒に、街で新しいピンクのリボンを買ってあげる。だから、待ってて」

 禎理のその言葉に、少女がこくんと頷く。

 それを確かめると同時に、禎理は闇の中へとその身を躍らせた。


 借りた松明のおかげか、迷うことなく野外劇場に着く。

 暗闇の中で見る劇場は、おどろおどろしい雰囲気に包まれていた。

 幽霊も妖精も火を好まないので、舞台の真ん中に立ってから、松明の火を消す。そして、真っ暗になった空間で、禎理はゆっくりと口を開いた。

 心の赴くまま、歌を紡ぐ。

 しばらくは何も起こらなかったが、やがて、誰も居ない筈の観客席からささやき声が聞こえてくるのが、はっきりと、分かった。微かな明かりを身にまとった、ほっそりとした姿の人々が、観客席から禎理のいる舞台へと降りて来る。おそらく、妖精だろう。

 禎理を囲もうとする妖精たちの間に、明らかに妖精ではないモノが混じっている。顔の膨れた六人は、おそらくここで処刑された吟遊詩人の幽霊だ。そして、あの、右手首に緑色のリボンをぶら下げている少年、は。

 口を閉ざす前に、リボンの巻かれたその腕を左手で掴む。

 次の瞬間、禎理はくるりと向きを変えて走り出した。

 野外劇場はすでに消え、辺りは全て同じ風景。妖精たちが笑いさざめいているのが見えるだけだ。おそらく、必死な禎理を今夜の余興だと思っているのだろう。妖精と人間の感覚は違う。だから禎理は、妖精達の言動については全て無視することに決めていた。

 だが。

 腹に衝撃を受け、思わずよろめく。顔を上げると、顔の膨れた六人の幽霊達が、首からぶら下がっている処刑用の綱を振り回しているのが見えた。

 その綱の一つが、今度は禎理の背中に当たる。鋭い痛みに、禎理は思わず呻いた。だが。……ここで負けるわけにはいかない。

 空いている右手で、腰の短剣を抜く。闇でも光る特殊金属ポリノミアルでできた刀身に幽霊が怯む隙に、禎理は幽霊たちの間を駆け抜けた。

 だが、どんなに走っても、彼らから、そして彼らの攻撃から逃れることができない。綱を一本避けても、次の一本が確実に禎理の首筋や腹、背中に絡んでくる。綱に足を取られてこけそうになったことも、一度や二度ではない。

 体力が、持つだろうか? 短剣を振り回しながらそう、考える。

 不安材料は、もう一つある。左手で掴んでいるモノの感覚が全く無いのだ。……きちんと掴んでいる筈、なのに。

 本当に、後ろにドゥエの魂が居るのだろうか? 振り向きたい衝動を、何度も抑える。

 と、その時。

「お前、間違えてるぜ」

 誰かの声が、禎理の耳を打つ。

「それはお前の仲間じゃねえよ」

 思わず、振り向きそうになる。

 すんでの所で、禎理はその行動を止めた。

 短剣を持ったままの右手で、右耳を塞ぐ。そしてそのまま、禎理は全力で痛む足を動かした。

 すぐに、目の前に一筋の光が見えてくる。その光の中に飛び込むと、朝日を浴びた廃墟が、禎理を出迎えた。

 出られた……のか? 呆然と、辺りを見回す。

 だが次の瞬間、訪れたのは、再びの闇、だった。


 心地よい振動に、瞼を上げる。

 明るい馬車の幌の色が、禎理の目を射た。

「あ、やっと気が付いた」

 ほっとした様な声が、禎理の耳を打つ。

 頭を動かすと、片方だけリボンをつけたお下げが見えた。

 助かった? ……助けることが、できた? 思わず、身を起こす。

 だが、次の瞬間、全身を襲ってきた痛みに、禎理は思わず呻いて馬車の床に突っ伏した。

「まあ!」

「寝てなさい。無理はしない」

 驚く少女の声に、老婆の声が重なる。

「大丈夫だから」

 首だけで、辺りを見回す。

 禎理達が乗っている馬車を操るドゥエの、元気な姿も、しっかりと見ることができた。

 良かった。心からそう思う。

 少女の髪で揺れる緑色のリボンを見てから、禎理はゆっくりと、自分の左手首を見た。

 思った通り、自分の手首に巻きつけられたリボンは、幽霊達の攻撃によってボロボロになってしまっている。

「リボン、ごめんね」

 毛布をかけてくれる少女に、禎理は心から謝った。

「ううん。……街で買ってくれるんでしょ、ピンクのリボン」

 そう言って、少女はさわやかな笑顔を見せる。

 禎理も思わず笑顔になった。

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