鍵歌
枯れ草の匂いに満ちた風が、禎理の灰茶色の髪を容赦なく弄ぶ。
瞳に入った髪を振り払おうと顔を上げると、眩む視界の間から疎らに草の生えた起伏のある荒野が見えた。
ふらつく足が感じるのは、後ろ手に縛られている人間が歩くには悪過ぎる足場の道。そして、そんな禎理の後ろにも前にも、がっしりとした板金鎧で武装した騎士達が槍を立てて歩いていた。
道の悪さと腕を縛られている所為でバランスが上手く取れない禎理が少しよろける度に、その鞘を付けたままの槍の穂先が禎理の小柄な身体に容赦なく突きつけられる。その、鞘の中にある刀身の、背筋が冷たくなるような感覚を、禎理は確かに感じていた。
「ほら、もっと早く歩け」
騎士達の最後尾にいる、一人だけ馬に乗った親玉らしき男が禎理に向かって大声を張り上げる。その騎士の方をこっそり睨んでから、禎理は足に力を入れて歩きつつ、辺りにそっと注意を走らせた。
周りにいる騎士達の表情は、一様に暗い。この騎士たちは、自分を一体何処に連れて行く気なのだろうか? 悪い予感ばかりが、頭の中を駆け巡る。禎理は昼間のことを思い、密かに溜息をついた。
事の起こりは、ほんの数時間前。
『広い世界を見てみたい』とマース大陸を冒険者として旅する禎理だったが、路銀稼ぎの為に近くの街角で自慢の歌声を披露していたところを物々しい騎士達に囲まれ、あっという間に身柄を拘束されてしまったのだ。
一対一なら、例え相手が騎士でも負ける気はしない。だが、こんな不気味な集団には、抵抗しないほうが身のためだ。その時はそう判断したのだが、事態はどうやら最悪な方向へ進んでいるようだ。
今は、行動すべき時ではないことは分かっている。だが、この調子では、いつ行動できるのか、いや、命が助かるかどうかさえ読めない。
禎理は再び心の奥底で小さく溜息をついた。
日没にはまだ間があるにも拘らず、不意に辺りが暗くなる。
首をそっと巡らせると、周りより低くなった道の両側が、禎理達に立ち向かうようにそそり立っていた。
その細い道の間を、騎士たちは無言のまま進んでいく。その不気味なほどの静けさに、禎理の背は先ほどから小刻みに震えていた。
「……ここだ」
不意に、道の真ん中で騎士達の親玉が大声を上げる。
彼の声に合わせて、隊列はおもむろに止まった。
「そいつを連れて来い!」
再び、親玉の胴間声が上がる。
騎士達の槍に弄ばれるがまま、禎理は崖下の壁のような岩肌に正対した。
〈……な、何だ?〉
戸惑う禎理の目の前にあるのは、何の変哲も無い土色の壁。しかしそこに何かがあるとでも言うように、騎士たちは禎理に槍を向けたまま、期待に満ちた眼差しをその壁に向けていた。
「この『扉』を開ける歌を歌え」
そんな禎理の背に、親玉の声が響く。その言葉に、禎理は唖然として再び辺りを見回した。
この岩肌の何処に『扉』があるというのだろうか? いくら見回しても、禎理にはただの崖にしか見えないというのに。
と。
〈……これ、は?〉
岩肌に微かな傷を認め、禎理はゆっくりと背を屈めた。
その引っ掻き傷のような線の形は、確かに、禎理が生まれ育った東方で使われる『嶺家文字』に何となく似ているような気が、した。その文字の意味するところは、『愛する者が好んだ歌にて開く』。
〈なるほど、そういうことか〉
おそらく、この文字を解読した親玉か、あるいは騎士達を守護している領主かが、ここに扉があると見込み、東方語の歌を知っているであろう人間を連れて来るよう命じたに違いない。その目的はもちろん、扉の先にあると予想される金銀財宝。その貪欲さに呆れながら、禎理はゆっくりと丸めていた背中を元に戻した。
そんな禎理に、再び槍が突きつけられる。しかも多数だ。
首筋に当てられた、鞘の払われた槍の穂先の冷たさが、禎理の全身をじわじわと侵食する。もし一発で開けられなかったら、自分は確実に串刺しになる。そんな気が、確かに、した。
しかしながら。『愛する者が好んだ歌』といっても、愛の歌はたくさんある。どの歌が正解なのかは、これだけのヒントでは分かる筈が無い。禎理は殆ど絶望していた。
と、その時。
不意に、視界全体が闇に覆われる。
「おっ?」
「な、何だ?」
騎士達の戸惑い声が禎理の耳に届いた、次の瞬間。
「なっ!」
「うわあぁぁぁぁ!」
戸惑い声が悲鳴に変わる。
何が何だか分からずに振り向いた禎理の鼻先から、起こった時と同じように唐突に、闇はすうっとその姿を消した。
禎理の瞳に、再び、日没の荒野が映る。
「……え?」
闇の消えた荒野に残っていたのは、後ろ手に縛られたままの禎理のみ。
何処をどう見回しても、騎士が居たという欠片一つ見つからない。
〈一体、どうなって……?〉
禎理が首を傾げるより早く。
「……何故人間どもは、扉状のものを見ると片っ端から開けたくなるかねぇ」
横から響いた男の声に、禎理は一瞬にして全てを察した。
「数」
声のした方に振り向くと、そこには予想通り黒服の男の姿があった。
彼なら、あれだけの騎士を消すなどお手の物だろう。何せ、魔界の大王『魔王数』を名乗る男、なのだから。
「ふん、無様なものだな」
魔王数は表情を消した瞳で禎理のほうを見やると、さっと近づいて禎理を縛っていた縄を切ってくれた。
「……あ、ありがとう」
「いや」
お礼の言葉を口にした禎理の前を、数は鼻を鳴らして軽く通り過ぎる。そして、崖の岩肌に手を置くと、ゆっくりとその壁を撫でた。
「数?」
その思わぬ行動に、一瞬だけ首を傾げる。
しかし、その慈しむような行動を見ていると、数が何を想っているのかは大体察しがついた。
「……と、すると、これは、数が」
「そうだ」
確かめるような禎理の言葉に軽く頷く数。
その、何となく憂いを含んだような態度に、禎理の好奇心は忽ちのうちにその本領を発揮した。
「じゃあ、この扉を開ける鍵、は?」
「それは教えられない」
だが数は、禎理の問いを軽く鼻であしらう。
誰にも教えられない。数の態度からはその思いがしっかりと滲み出ていた。
だが、次の瞬間。
「ま、そうだな。『夫婦で肩を並べて戦った者達が作った歌物語』とだけ言っておこうか」
ふと、ヒントを口にする数。
その言葉だけで、禎理にはどの歌が『鍵』となるかがすぐにピンときた。
きっと、あの歌だ。
「……それなら、多分、知ってる」
禎理は数が手を置いている土壁の前に立つと、これだと思う歌の一節を歌い始めた。
数の妻であった、禎理自身に良く似た女性の姿を、悔恨と共に思い出しながら。
我が背 守るは 運命の君
君が背 守るは 連理の翼
少し切なくなった禎理の歌声と共に、今までただ静かに佇んでいた崖が、少しずつ震えだす。
「どうやら、当たりのようだね」
忽ちのうちに、隠し扉が消え、禎理の目の前に岩に囲まれた広々とした空間が現れた。
「……これが、扉の向こう?」
目の前に広がった意外な光景に、思わずそう呟く。
天井の高い、広々とした空間の真ん中に、人が一人立てるくらいの平たい岩があるだけの、至ってシンプルな光景が禎理の目の前に広がっていた。
「ああ」
しかし数は、禎理の戸惑いなどお構い無しに、その空間にするりと入り込むと、平たい岩のほうを指差してぼそりと呟いた。
「……あそこに立って、さっきの歌を歌ってくれないか?」
「歌?」
思わぬ言葉に、禎理は戸惑いながら数の顔をじっと見つめた。
その顔に浮かんでいるのは、懐かしさと、そして憂い。その想いは、禎理には痛いほどよく、理解できた。
「分かった」
禎理はこくんと頷くと、岩の上によじ登り、一拍も置かずにさっきの歌を歌いだした。
我が背 守るは 運命の君
君が背 守るは 連理の翼
明日は知らず 今はただ
この盾の温もりに 安堵する
我が前 阻むは 雲霞の敵
君が瞳 塞ぐは 混迷の闇
道は知らず なれど行かん
君が手に 我が想いを重ねて
舞台のようになった岩の上で歌うと、洞窟の岩壁にその声が微妙に反射し、美しい響きを生み出す。おそらく、この舞台は、数と、数の妻であった珮理という名の女性が大切にしていた場所の一つだったのだろう。
その昔、西方の戦で活躍した夫婦が、その実話を歌にしたという伝説のある歌。珮理がこの歌を好んだ理由が、禎理には何となく分かる気がした。
珮理と数の夫婦に、これ以上お似合いの歌は無い。
『この世界』を救うために共に戦い、笑って逝った珮理と、彼女を救えなかったことに苦悩する数には、特に。
岩の上で歌いながら、禎理は、零れる涙をどうしても抑えることができなかった。




