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森の炎

 膝まで積もった雪の上を、赤い影が走る。

 その、森には不似合いな色を見た瞬間、禎理ていりの足は光の発信源に向かって走り出していた。

 ここは、天楚てんその西側に位置する通称『蛇神の森』。森の『土地神』である毘央びおうという名の蛇神の下で、幾多の動物や精霊達が心静かに暮らしている広大な場所である。その、茶色と白と、微かな緑に彩られた静かな風景の中に、掻き乱すような炎の色などあってはならない。

「……あっ!」

 急かしすぎた足が、雪に隠れた石に躓く。次の瞬間、禎理の小柄な身体は雪の中に埋もれてしまって、いた。

「ううっ……」

 うめきながら、起き上がる。

 こんなところで躓くなんて、我ながら迂闊すぎる。とにかく、服が冷たくなる前に、付着した雪を大急ぎで掃わなければ。そう思いながら、禎理がその女顔を上げた、その丁度真正面に浮いていたモノ、は。

「……えっ?」

 袖に掛かった腕が、止まる。

 あんぐりと口を開けたまま、禎理は目の前の『モノ』に見入った。

 白い雪の上にふわふわと浮いているそれは、大きな赤い火の玉。人魂とも、鬼火とも違うように見えるそれは、時折気まぐれに赤い光の線を放射状に撒き散らしながら、その存在を誇示するように浮いていた。そしてその火の玉の真ん中には、白く光る卵形の物体が一つ、確かに、見える。

 ……これは一体、何だ? 生まれてからこれまで――と云っても、そんなに長く生きている訳ではないが――こんなものは見たことも聞いたこともない。

 禎理が思わず首を傾げた、丁度その時。

「……よく来たな、禎理」

 凛とした女の声が、禎理の背後に響く。

 振り向かなくとも、声の主がこの森の守護女神『蛇神毘央』であることは、禎理にはすぐに分かった。

「どうしたんですか、これは?」

 挨拶もそこそこに、振り向きざま尋ねる。

「こっちが聞きたい」

 そんな禎理の問いに、毘央はその端正な顔を歪めて苦笑を作った。

 真ん中の卵を守っているように見えるこの物体は、二、三日前のある朝、いきなりこの場所に現れた、そうである。

 それと同じ朝、細長い影が西から飛んできて、北へ向かっていったのを見た者もいるというのだが、なにぶん情報がそれだけでは何が分かるというのだろうか。

 ただ、普通のものではないことだけは、確かだ。そう信じた毘央は、このような『(この世界において)普通でないもの』を良く知っている魔界の大王すうにこの物体のことを相談した。だが、魔界の大王にも、この物体の正体は分からなかったそうである。

 唯一つのことを除いて。

「数殿は、この物体は『魔界の眷属』ではない、そう申しておった」

 毘央の声が静かな森に響く。

「妾も、どちらかというとこれは妾の方に近い気がしておるのじゃ」

 と、いうことは、これは『魔物』ではなく、『精霊』か、それとも『土地神』の類なのだろう。

「自慢する気はないが、妾は『精霊』のことは良く知っておる。だが、こんな精霊は見たことがない」

 では、これは、何処かの『土地神』?

 そこまで考えた禎理の背は、いきなりの悪寒に包まれた。

 『土地神』とは、森や山などに棲み、その土地を守っている神のことを云う。だが、『蛇神の森』には既に毘央がいるのだから、もしもこれが『土地神』ならば、他の土地の『土地神』、ということになる。『土地神』を無くした場所は、早晩荒れ果て、草木一本生えないただの『場所』になってしまうと聞く。そんなことになってしまったら、それまでその場所に棲んでいた動植物や精霊たちはどうなる。動けるものはまだ良い。逃げれば良いのだから。しかし動けない植物や精霊たちは、『土地神』を無くした場所では滅びる他、ないのだ。

 そしてそれは、この世界の『自然の理』を壊してしまうという、ことなのだ。……それだけは、避けなければ。

「と、いうことで、そなたを呼んだ訳じゃ」

 禎理と同じ懸念をしたのであろう、毘央は眉を顰めてから禎理に向き直った。

 『土地神』である毘央も、毘央の眷属である精霊たちもこの森に縛られている。この卵の出身地を探し、その場所に卵を届けることのできるのは、この世界を自由に旅することのできる人間だけだ。人間の知り合いはそなたしかおらんからの。そう言って、毘央は鈴のような声で笑った。

 信頼、されている。禎理は心からそう思い、そして嬉しくなった。

 ならば。

「分かりました」

 毘央に向かって、深く頭を下げる。

 情報は余りにも少ないが、少なくとも「西から来た影が北に向かった」ことは分かっている。まず北を探してみて、それから西へ向かってみよう。大陸西側には前から行ってみたかったし、北の港から西へ行く船が出ていると聞いたことがある。きっとうまくいくだろう。

「そうか」

 禎理の言葉に、毘央は華のような笑顔を見せた。

 その笑顔が、禎理の誇らしさを更に倍増させる。

 だが。

「しかし、これをそのままにしておくわけには」

 卵を守っている赤い炎を指して、蛇神に問う。

 炎は、この森には相応しくない。それに、この卵の本来の居場所を探し、送り届けるときには、炎は邪魔でしかない。

「……触れるらしいぞ、それ」

 禎理の懸念に、毘央はあっさりとした声で答えた。

「数殿も手に持っておられたし、人肌程度の温もりがあれば炎は要らないようだしな」

 毘央の言葉にきょとんとしつつ、おずおずと炎の方に手を伸ばす。毘央の言葉通り、炎に手を翳しても、思ったほど熱くはなかった。

 ありったけの勇気を振り絞り、炎の中に両手を突っ込む。炎の赤い光に恐れを抱きながらも何とか、ギリギリで触れるほどの熱さの卵を手に取ると、次の瞬間、炎は跡形もなく消え去って、しまった。

 そして禎理の手の中には、白銀色に輝く卵が一つ。

「……?」

 卵が震えているような気がしたので、そっと胸の方へ持っていく。

 何か温かい感情が、禎理の胸を静かに満たした。

「取り敢えず、これ、大切に預かります」

 卵を胸の前に抱いたまま、もう一度毘央の方に顔を向け、しっかりと頷く。

「頼んだぞ」

 禎理を見つめる毘央の瞳に深くお辞儀をしてから、禎理は卵を注意深く鞄に仕舞い、森を後にした。


 天楚てんそ市の歓楽街、一柳ひとつやなぎ町にある冒険者宿『三叉さんさ亭』。ここが、禎理いきつけの冒険者宿である。

 主人六徳りっとくの作る料理と、冒険者の質の高さで、冒険者宿の多い天楚市でも一、二を争うほどの人気店だが、今は冬。しかも夕方となると、さすがに店には誰も居ない。

 その閑散とした冒険者宿で、森から帰ってきた禎理は一人シチューを頬張っていた。

 いや、正確には一人ではない。その昔、森で魔物狩りの罠に掛かっていたところを助けて以来ずっと禎理に引っ付いているキイロダルマウサギ族の魔物、模糊もこが、禎理の隣で小さい皿から禎理と同じようにシチューを頬張っている。そして、その一人と一匹の前には、この宿の主人六徳が頬杖をつき、目の前にある卵を見つめていた。

「……確かに、それは『同族』って感じじゃないな」

 酒場のカウンターの上で、再び炎に包まれた卵を見ながら、六徳が呟く。

 一見人間のように見える六徳だが、その正体は実は魔物。人間の作るうまい料理に惹かれて大陸中を放浪した経験のある、魔物にしては毛色の変わった人物であった。

「しかし、北の土地神が消えた、っていう情報も、今のところ無いな」

「そう、ですか……」

 やはり、自力で頑張って探す他無いようだ。

 自分の分を一滴残さず平らげ、禎理の皿の中身を狙っている模糊の背を撫でながら、禎理は内心溜息をついた。

 六徳なら何か知っていると思ったのだが、しかし、それならば、なおさら自分が頑張れば良い。

「まあ、所属地を探すのはいいとして、……卵のままでは危なくないか?」

「そう、ですね」

 大ぶりの肉の塊を口の中で転がしながら、禎理も頷く。

 実は、ここに来る途中、凍った橋の上で転びかけたり、街中でならず者に絡まれたりして何度も卵を割りそうになっていたのだ。森から街までの僅かな距離でこれでは、卵の所属先を探す前に卵自体を割ってしまいそうだ。

 しかし、どうするのが一番良い方法なのか。

「幻覚の炎を纏った卵は、本物の炎の中に入れておくと孵化すると、聞いたことがある」

 思いがけない言葉が、禎理の耳を打つ。

「卵のままよりそっちの方が、運ぶには都合が良いんじゃないか?」

 確かに、六徳の言うとおりだ。禎理は顔を上げて六徳を見つめた。

 しかし、火が常時あるところ、は?

「なんなら、台所を貸そうか?」

 再び、六徳がそう提案する。

 『三叉亭』の台所なら、いつもシチューを煮ている為、常に竈に火が入っている。

 そこなら。

「はい。お願いします」

 禎理は思わず大声を出した。


 三叉亭の奥にある台所は、表に比べ暗い場所だ。

 だが、竈に火が入っている為、冬の夜でもかなり暖かい。

 その竈の、シチュー鍋の下の小さな炎の中に、卵を倒れないようにそっと置く。そしてそろそろと竈から手を遠ざけると、禎理はごろりと横になり、床に頬杖をついて炎と卵を見つめた。

 本物の炎の中に入った卵は、見せかけの炎の中にあった時よりも幾分輝いて見える。ぱちぱちと爆ぜる薪の音も、ゆらゆらと揺れる炎の色も、全てが暖かくて心地よい。

 綺麗だ。禎理はうっとりと卵を見つめた。

 どれくらい、見つめていただろうか。

 床に頭を強かにぶつけた衝撃で、はたと目を醒ます。どうやら、卵を見つめているうちにいつの間にか眠ってしまったらしい。そんな禎理の身体には、どうやら六徳が掛けてくれたらしい毛布が巻きついていた。

 ……そういえば、卵は?

 はっと思い出し、大急ぎで竈の方を見る。

 禎理が眠っている間に、卵には劇的な変化が訪れていた。横にひびが走り、大きく揺れる。そして、次の瞬間。禎理が見つめる目の前で、卵が割れ、中から禎理の手に乗るくらいの小さな蛇が顔を出した。

 いや、ただの蛇ではない。よくよく目を凝らすと、丸い瞳の下のほうに髭のような一対の翼が、確かに見えた。赤みを帯びた白い翼に、所々濡れたように光る炎色の胴体。その全てが『神』に相応しく、また可愛らしく見えた。

「……うわぁ」

 思わず、感嘆の声を上げる。

 生まれたばかりの小さな蛇は、その小さな翼をパタパタさせて禎理のひざに乗ると、お腹が空いたと言わんばかりにその小さな口をパクパクさせた。

「何、食べるんだろう? ……シチューで、良いかな」

 禎理の視線の先には、丁度良くシチューの入った鍋が掛かっている。

 傍の大きな匙を取ってシチューをかき混ぜてから、小さな蛇の口に合う大きさの肉の塊を取り出し、蛇神の方に匙ごと差し出してみる。蛇神は一瞬目をぱちくりさせたが、すぐに肉を口に入れた。

 その様子を見てお腹が空いたのか、傍でまどろんでいた模糊が禎理の肩に乗る。

 模糊の悪食に苦笑しながらも、禎理は模糊にも鍋の中から肉を取ってやった。

「……お、生まれたな。早いな」

 表の酒場から、いつの間にか台所に入って来ていた六徳が、禎理の傍に寄る。

「片付けていると腹が減る。俺たちも夜食にするか」

 そう言って、六徳は禎理の手から匙を取り、傍の皿三つにシチューを盛った。

 食材や器材がごろごろしているテーブルで食べるパンとシチューは、いつもの如く美味しかった。

「……しかし、こんなに早く生まれるとは」

 模糊に絡み付く蛇神を見ながら、六徳が静かに呟く。

「もしかすると、こいつの親は、もう自分の土地を守れなくなっているんじゃないのか?」

 不意に、六徳が懸念の言葉を吐く。

 その言葉に、禎理の背に戦慄が走った。

 『土地神』の職能は、自分の場所を守ること。そして、『土地神』は一ヶ所に一人しか居ない。

 ……と、いうことは。そこまで考えて、禎理はがたんと立ち上がった。

「どうした?」

 驚く六徳も、全く見えていない。

 このままでは、いけない。早く彼の『居るべき場所』を見つけなければ。

 だから。


 その三日後。

 吹雪が止んだ時を見計らって、禎理は北門から天楚を旅立った。

 その背中には、着替えと食料を詰めたディパック。いつもの革鎧を身につけ、腰のベルトには手斧と短剣、そして模糊と、六華りっかという名前を付けた件の『蛇神』が仲良く入り込んだ新しい革のポーチを落とさないようにしっかりと取り付けた。いつもは六徳に預けっぱなしの、これまでの冒険で得たお金も、小さく分けて身体中のあちこちに隠してある。防寒具のケープも羽織っており、立派な旅支度だ。

「……大丈夫か?」

 見送りに来てくれた六徳が、心底心配そうに囁く。

「もう少し暖かくなってから旅立った方が良いんじゃないのか?」

 六徳の言うことも尤もだ。確かに、そう思う。

 だが、六華と、六華が守るべき土地のことを考えると、ぐずぐずしてはいられない。

「大丈夫です」

 だから、禎理は六徳に向かってしっかり頷いて見せた。

 ……この世界を守る『自然の理』を、壊してはいけない。

「まあ、お前のことだから、止めても無駄なんだろうが」

 そう言って肩を竦めてから、六徳は禎理の小さな肩をしっかり抱いて言った。

「無事に、帰って来いよ」

「はいっ!」

 出かかった涙を、何とか堪える。

 涙は、この旅立ちには似合わない。

「行って来ます!」

 門を出てから、一度振り返って六徳に手を振る。

 そしてその後は全く振り返らずに、禎理は雪の道を踏みしめて歩き出した。

 北へ、向かって。

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