王様の好みは?
だいぶん冷え込んできた、とある秋の日。
その日も、天楚市の冒険者宿『三叉亭』の料理人見習い、リューロートは、この宿の主人である六徳の代わりに酒場のカウンターに頑張っていた。
しかしながら、三叉亭に所属する冒険者達は皆、冬の前に稼いでおこうとあちこちで『もう一仕事』をしている真っ最中。なので、酒場内にはリューの他には誰もいなかった。第一、主人である六徳自身、今年取れた秋の幸をかき集めるのに、天楚市内はもとより郊外にまで足を伸ばしている最中である。六徳の料理目当ての酒場客もそれをとっくの昔に承知しているから、誰かが来る気配すらない。
〈……暇だな〉
がらんとした室内に、リューの溜息だけが響く。
そんな時、だからこそ。
〈どうせ暇だから、料理の練習でもするか〉
ふとそう思いつく。
ここより更に南にある漁師村で生まれ育ち、美味しい魚を求めてやってきた六徳に惹かれて『三叉亭』の見習いになってから早幾年、その間に、六徳から料理の基礎を一から叩き込まれ、今では、簡単なものなら美味しく作れる自信はある。
それに丁度、今度天楚市内で行われる品評会に、何か自作のお菓子を出したいと考えていたところだ。
リューはさっとカウンターから腰を上げると、早速台所に向かった。
〈パイがいいかな、採れたての果物をたっぷり詰めた〉
地下の倉庫から、昨日六徳が手に入れたばかりの果物類を少し失敬する。
その果物で砂糖煮を作っている間に、同じく六徳が先ごろ手に入れた小麦粉とバターを練ってパイ皮を作成し、丁度良く煮詰めた砂糖煮をそれで包んでから、温めたオーブンに丁寧に置いた。
と。
不意に扉の鈴が鳴る。お客さんだ。
「はい、いらっしゃいませ」
オーブンの扉を閉めると同時に、リューはお客さんを待たせまいとカウンターに飛び出した。
カウンターに座ったのは、フードを被った小柄な男。そのフードの下からは、青年というには年を取りすぎているように見える顔が覗いて、いた。
〈……誰だろう?〉
見たことのない客だ。フードを取ったその男の顔を、失礼だと思いながらもリューはいつの間にかまじまじと見つめていた。
推測するに、年は三十前後。どちらかというと冒険者には見えない。商人特有の抜け目の無さも窺えないから、可能性としては街の職人か、それとも大学の上級学部生か。とすると目的は六徳の料理の筈だが、主人の六徳がこの時期には不在がちなのを彼は知らないのだろうか? そんなことを考えつつ、リューが首を傾げていると。
リューの見ている前で、男はおもむろに懐に手を入れ、黒っぽい板と白く細い棒を取り出す。そしてその棒で板に何かを書き付けてリューに見せた。
「えっ……!」
その動作の隙の無さに一瞬驚く。
しかし、男に殺気の類は全くなかった。
「あ、あの……」
当惑して、リューは男に目で質問する。
しかし、男はリューに黒い板を指し示したまま、ただ押し黙っているだけ。
「……ああ、これを読め、ってことね」
二、三度瞬きしてから、男が『口がきけない』ことをリューは悟った。
男から板を受け取ってまじまじと見つめる。
しかしながら。
元々漁師の息子であり、学の無いリューは大陸共通語さえ読めない。
本に書かれたレシピは六徳が読み上げたのを覚えて『読める』ようになったのだが、普通の文字にそれはできない。
〈これは、困った〉
困惑顔で男を見る。
男の方もそれを察したらしい。リューを見て途端に難しい顔になった。
〈どう、するか〉
しかしどう考えようと、文字が読めなければ話にならない。
リューは正直途方にくれた。
と、その時。
「お早う、リュー」
再びの鈴の音とともに明るい声がリューの耳に響く。
この声は。
「禎理!」
助かった。その小柄な影に、リューは内心ほっとした。
禎理は、この冒険者宿の常連であるが、彼なら、大陸共通語も天楚語も読み書きできる。
「ちょっとこれを読んでくれ、禎理」
禎理がカウンターに腰を下ろすか下ろさないかの内に、速攻で男から受け取った板を渡す。
「はいっ?」
禎理は一瞬当惑顔を浮かべたが、すぐにその文字を読んでくれた。
「『ここは料理が美味しいと聞いた。何か出してくれ』って」
「ありがと」
男の方に向くと、軽く頷く男と目が合う。
そういうことか。なら、お安い御用だ。リューは早速台所にとって返すと、六徳が出かける前に作ったシチューを深皿に盛った。
「ついでに俺のもお願い」
そんなリューの背中に禎理の声が乗っかる。
「はいはい」
リューは深皿に盛ったシチューと、これはリューが焼いたパンを四角い盆の上に並べると、男の前にことさらゆっくりとその盆を置いた。
男はすぐに匙を持って食べ始める。
禎理と、その腰巾着であるキイロダルマウサギの模糊に同じものを出しながら、リューはその様子を横目で眺めた。
しかし、男の顔色が全然変わらない為、彼が満足しているかどうかは全くもって分からない。
リューはいつも美味しいと思っている六徳のシチューだが、もしかしたら、男の口には合わないかもしれない。いや、パンの方がうまく焼けてなかったのかも。リューの不安はいやおうもなく深まっていった。
と。
不意に男は白い棒を手に取り、例の板に何かを書き付ける。
それを示されると同時に、リューは半ばひったくるように板を受け取り、禎理に見せた。
「『噂どおり、美味しい』ってさ」
板の文字を読みながら禎理がくくっと笑う。どうやら内心の不安を読み取られていたようだ。
リューは禎理を睨んでから、板を男に返した。
「ありがとうございます」
心からの感謝の言葉が、口から自然に出てくる。
シチューは自分が作ったものではないけれども、料理を褒めてもらえたことは、ちょっと、いやかなり嬉しかった。
酒場に漂う美味しそうな匂いに気付き、リューははっと我に返った。
そういえば、パイをオーブンに入れたまま忘れていた。しかしちょうど良い。男にも自分が作ったパイを食べてもらおう。
「ちょっと待ってて下さい」
男にそう声を掛けると、リューは大急ぎで台所に向かった。
オーブンから出したパイは、ちょうど良く焼けている。それを四つに切ると、皿に盛ってからカウンターにとって返した。
「今度の品評会に出品するんだ」
禎理にはそう言って、しかし男には何も言わずにパイの皿をカウンターに置く。
男の反応がどう出るか。胸の鼓動がいつもより高鳴っていることを、リューは確かに感じていた。
「……これ、甘さが足りなくない?」
一口かじってから、禎理が首を傾げて問う。
「審査するのは年寄りの市議や貴族達だろ?」
その問いに、リューは即座にそう答えた。
『甘み』に関してはどうするかは、リューの悩みの種だった。しかし一般に、品評会に投票するのは年寄りが多いらしい。審査員には天楚市の市議や市内に住む貴族がなるので、それは当然だろう。そして年寄りは余り甘いものを好まなさそうである。そう思ってのパイの味付けだった。
「禎理じゃないんだから、それくらいでちょうどいいと思うぜ」
「そうかなぁ」
リューの説明に納得していない禎理の横で、男はそそくさとパイを食べ終えると、盆の横にお金を置き、黙って立ち去った。
〈あ……〉
禎理とのおしゃべりに夢中になりすぎて、パイの感想を聞きそびれた。
男の背に問いかけようと、カウンターを飛び出す。しかしながら、三叉亭の両開きの扉は、リューの鼻先で無情にも閉じてしまった。
こうなってしまっては、どうしようも、ない。リューはがっくりと肩を落とした。男の感想も、聞きたかったのに。
だが。
「……あれ? これ」
落ち込むリューの横で禎理が叫ぶ。
「これ、あの人が書いたものだよ、リュー」
禎理の手にあったのは、一枚の紙切れ。
そこに書いてあることを黙読した禎理は、一瞬、きょとんとした顔をした。
「『王様は甘めが好き』って、一体、どういうこと?」
そして、品評会当日。
天楚市の広場に設置された屋台の一つで、リューは自分の作った小さなパイを道行く人に配っていた。
品評会自体は貴族や市議の投票により行われるが、その他の一般人も自由に料理や菓子が食べられるとあって、かなりの人出だ。
そんな中、一人の小柄な男がリューの前に立ち止まる。
リューの差し出したパイを食べたその男は、地味だが仕立てのよさそうな上着から紙と携帯用筆記具を取り出すと、何か書き付けて傍にいた手伝いの禎理に渡した。
〈え……?〉
その光景に、リューが既視感を覚える前に、男は人込みの中に消える。
「『今日のパイは、甘みが聞いて美味しい』って、まさか……!」
受け取った紙切れの文字を読んだ禎理の方も当惑している。
「あれ、って、もしかして、この前三叉亭に来た、人……?」
とすると、服装から察するにあの男は『貴族』だったのか。
変わった貴族もいるものだ。リューがそう納得しかけた、その時。
「いや、もっとすごい人だよ、多分」
興奮した禎理の声に、リューは驚いて禎理の方を見た。
いつもは、興奮だけは顔に出さない奴なのに。
「見て! この紋章!」
リューの当惑に構わず、禎理はリューを自分の方へひきつけると、男に渡された紙を示しながらその耳に小声で囁いた。
文字が書きつけられた紙の真ん中を占めるのは、透かしで入った大きな紋章。
「『王冠を被った獅子』、王家の紋章だ」
と、すると。
「本当かっ!」
思わず叫ぶ。
しかし、あの男が天楚国の王、無言王活破七世なら、喋れなかったことも、あの『伝言』の意味も納得がいく。
「そう、かぁ……」
全身の力が抜けていくのを感じる。
驚きと、しかし自分の料理を褒めてもらったことの嬉しさが、リューの全身を包んで、いた。




