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助けた者、助けられた者

 強い雨音で、目が醒める。

 ゆづるはゆっくりと身を起こすと、怪訝な面持ちで辺りを見回した。

 どうやら、自分は現在、小さくてボロい木造家屋の中に居るようである。薄暗がりに目を凝らして、何とかそれだけは認識する。しかし何故こんな所に? 確か自分は、山道で山賊に襲われていた筈ではなかったか。

 少し身体を動かすだけで、腰と足に痛みが走る。体力には自信が有った筈なのに、やはり、年は取りたくないものである。

 と。

 動かした足が、異物の気配を捉える。ゆっくりと顔を動かすと、土間の床にもう一人、小柄な人間が横たわっているのがはっきりと、見えた。その影の形に、見覚えがある。自分と山賊との間に割って入り、振り上げられた刃を弾いていた人物だ。その機敏な動きに感嘆したのを確かに、覚えている。

 どうやらこの人物が、山賊の手から自分を助け出し、ここまで運んできたのだろう。心の中で深く感謝しながら、弦はゆっくりと、少女のように見える丸い顔の方に近づいた。

 だが。

〈……おや?〉

 医者としての本能が、異変を察知する。

 眠っている少女の、汗で張り付いた灰茶色の髪をかきあげ、額に触れてみると、確かに、熱い。

 雨と、この肌寒さで風邪を引いたのか? だったら、取り敢えず温かくしてから水を飲ませてやろう。医学を修めたものとしての責任が、むっくりと首をもたげてくる。……ヤブ医者と蔑まれ、住み慣れた街を追い出されはしたが。

 思い出した事実に自嘲しながら、少女の身体に掛かっている毛布を直してやる。寝返りを売った少女の、毛布から出てきた細い足が、弦の目を射た。

〈まさか……!〉

 大慌てで横にあった自分の鞄からカンテラを取り出し、火打石で火をつけてから少女の近くへと持って行く。仄かな明かりの下、少女の足の傷が酷くはっきりと見えた。この傷は、おそらく山賊達との戦闘で付いたようだが、酷く腫れている。このままでは危ない。弦は大急ぎで、自分の鞄から酒の入った水筒を取り出した。

 これまでに何回か『酒』で失敗しているが、自分が酒好きで良かったとこれほど思ったことはない。

 あとは……化膿止めの薬草か何かがあれば。無意識に辺りを見回した弦の視線が、ある一点で止まる。おそらく少女の持ち物なのであろう、丈夫そうな布でできた鞄から、薬草らしきものの束が覗いているのが、確かに、見えた。

 これは……好都合だ。見えない何かに感謝しつつ、弦は静かに少女の鞄を取り上げた。


 いつの間にか、雨の音は聞こえなくなっていた。

 カンテラの灯りも、要らなくなっている。

〈……まあ、これで大丈夫じゃろう〉

 少女の整ってきた寝息を聞きながら、左の袖で額の汗を拭う。その拍子に膝に落ちてきた白いモノに、弦ははっとして、思わず眉を顰めた。

 左腕に巻いていた包帯が外れ、手首に走った黒い傷がまざまざと弦の目に映る。

 と。

 下からの視線に気付き、弦は慌てて左腕を隠した。

 この『黒い傷』は、罪人の印。南のある街で、偽医者だと讒訴された挙句、付けられた刺青。そんなものは、誰にも見られたくない。

 恐る恐る、少女の方を窺う。

 だが。弦の予想に反し、少女の表情には驚きは認められなかった。

「……あのう」

 戸惑う弦の目の前で、少女が口を開く。

「足の怪我、治してくれたんですね。ありがとうございます」

 少女にしては低い声に、しばし戸惑う。

「あ、いや」

 だが何とか、声だけは出すことができた。

「それは、別に。……山賊から助けてもらったし」

 大慌てで左手首に包帯を巻き、荷物をまとめる。

 これ以上、この少女に醜態は見せたくない。

「も、もう、大丈夫じゃろ。……家は、近いのか?」

「あ、天楚てんそ市、ですから、ちょっと遠いですね」

 少し離れた北の大都市の名を言われて、僅かに面食らう。この少女は、この細い身体で、そんな遠くから薬草集めに来ているのか。

「ま、まあ、もうしばらく休めば、動けるようになるじゃろう。……儂はもう行かなければ」

 逃げ出すように、小屋を出る。

 そんな弦の背に、少女の「ありがとう」の声が優しく、響いた。


 少し足場の悪い道を、大股で歩く。

〈……あの少女には、悪いことをしたかな〉

 心の中で、ぽつりと呟く。

 あの場から逃げ出す理由も必要性も全く無かったのだ。落ち着いた心でそう考えてから、弦は深い溜息をついた。そして。

「天楚、か」

 ふと、呟く。自由都市である天楚市なら、自分のような他の街で罪を得た者でも、街中で悪さをしない限り受け入れてくれるという噂がある。そんな街なら、自分のような酒で失敗を繰り返す無頼な医者でも、生きて行くことができるかもしれない。

 そして、あの少女に再び会うことも、できるかもしれないのだ。

「よし、決めた」

 弦はふっと笑みを浮かべると、天楚へ向かう街道の方へとその足を向けた。

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